第七幕「幸福に気付く時、最後への夢2」
良く晴れた月曜日の午後、僕の体育祭が、終わった。
それがもたらしたもの。
僕に、「自信を持つことの大切さ」を教えてくれたアヤ。
それを胸に、僕は、次の日の朝を迎えた。

やはり、時は動いていた。
日付は火曜日になり、昨日の天気とは打って変わって、涼しさをもたらす秋雨が
降り注いでいた。
疲れのせいか、僕は、いつもよりも遅い時間まで、眠りこけてしまった。
気がついた時には、すでに、7時も半を過ぎた頃。
「う、うわっ!?」
時計を見入り、思わず仰天した僕は、慌てて洗面台に向かう。
そこにある鏡が映し出すのは、いつか見た自分の顔より、少しだけ大人びて見える
自分の顔があった。

「良太ぁ〜?早く食べちゃいなさい?」
いつもはうるさく聞こえるはずの、母親の叱り声も、今日に限っては、なんとなく、
優しいものに聞こえる。
・・・と言っても、朝食は、お決まりのパンなのであるが。
お世辞にも、朝食には不向きなメニューを平らげ、僕は、大急ぎで、学校の制服の
袖を通し、前日に用意しておいたかばんを拾い上げ、靴もつっかけた状態で、
玄関を飛び出した。

学校までの距離を、走る。
以前は、あんなに息を切らしていた道のりが、今となっては、まるで、ジョギングでも
するかのような感覚。
そう、その先には・・・
「おーっす、良太ッ」
・・・火曜日が、部活の朝練が休みだと言うのを良いことに、思いっきり遅刻寸前で、
幼馴染のアヤが、僕の横に並んだ。
・・・ここまで来れば、もう、始業時間に遅れることはない。
二人とも、走るのをやめ、引き続いて、てくてくと歩く。

他愛もない話で盛り上がり、気がつくと、すでに、学校の正門をくぐっていた。
当時は、まるで、スキャンダルでも見つめてるかのようなまなざしを投げかけていた
学校の連中も、今となっては、日常の一部としての認識さえ、見せはじめている。

そう、僕は、この「現実夢」で、僕が、本当に望んでいたものを手に入れた。
それは、「幸せ」。
一人では得ることのできないものを、アヤと猫から、もらった気がする。
それは、時に過激で、時に不安だけど、なくてはならないもの。
現実夢に入ってきた当時の僕が思っていた「幸せ」とは、まるで違う形だったが、
これこそが、僕にとっての、偽りのない形の幸せなのだ。

・・・でも、僕は、この時、薄々だけど、気がついていた。
この、至福のときを迎えた時が、現実夢が、終わる時なんだ、と。

そう思うと、やはり、ちょっと、不安だ。
それは、現実世界で、元の根暗ガイに戻ってしまうのではないか、と言うことじゃあない。
僕が不安に思うのは、ただ一人、アヤのこと。
この世界のアヤが、もし、僕が作り上げた偶像のアヤだとしたら。
現実世界のアヤが、もし、昔の僕が思っていた通り、僕を避けているのだとしたら。
この夢で、得るものは大きかったけど、アヤの存在が、今度は、僕にとって、
一番のネックになっていた。

僕が抱いている感情。
もう、気付いてる人も、いるかもしれない。
こうなったら、現実夢が終わりを迎える前に・・・

そんな時・・・。
授業中にも関わらず、後ろの席の人が、突然、僕に、何かの紙切れを渡してきた。
授業中に、手紙を回す。
携帯を持つ人が少ない学校においては、これが、一種の連絡網の役割を果たすことがある。
しかし、今回のは、明らかに、いつものそれとは違っていた。
折りたたまれた紙切れの一番上に、「良太に回して」と言う、何処かで見たような
筆跡の文字が刻まれていたからだ。
これは・・・僕宛てのメッセージだ。
差出人も、この文字で、なんとなく、わかったような気がする。

教師に気付かれないように、そっと、手紙を開けてみる。
その中には、やはりと言うか、アヤのメッセージが入っていた。

「アンタ次第だよ」

・・・?
アヤ・・・なんで、こんな、真意がわかりづらいメッセージを・・・。

・・・アヤに、僕が抱いた思いを、伝えよう。
そう決意したのは、そのメッセージをもらってから、数分経ってからのことだった。
それから、僕は、アヤに、返事の手紙を書いた。
いや、返事というよりは、呼び出しのメッセージと言った方が良い。
「部活が終わった後、公園に来てくれないかな」
このメッセージが、他人に見られるのを防ぐため、僕は、アヤが僕にしたと同じように、
「アヤに回して」と言う言葉を、折りたたんだ紙切れの上に、したためた。
このメッセージが、アヤに届きますように。

放課後。
僕は、公園で、ずっと、アヤを待っていた。
今の時期、僕の学校の部活動は、大概、5時半には終わる。
僕は、待ちつづけた。
日が西に傾いた、黄昏の公園で。
アヤが、来てくれることを信じて。
胸の高鳴りを、ひしひしと感じつつ。

そして・・・
「遅くなってごめん!」
6時も近くなった頃になって、彼女は、ようやく、公園へとやってきた。
「そんなに、待ってないから」
僕は、いつもよりも歯切れも悪く、言葉を返す。
その様子に、やはり、何かを感じたのか・・・。
アヤは、僕の前で、その足を止め、正面で、僕を見据える。
「で、何の用?」
問いかけに、僕は、少し躊躇しながら・・・

「――ストップ。」
アヤが、僕を制止したのは、その時だった。
その表情には、優しさの中に、真剣さが混じっている。
いつもの、活発な少女の顔ではないのが、暗くなった中でも、はっきりとわかった。
「・・・」
言われて、僕は、その場で、口篭もってしまう。
その様子を見てから、アヤは、そっと、僕に言った。
「その言葉は、現実世界のあたしに言って。」

・・・え?
その言葉に、僕は、一瞬、耳を疑った。
「・・・まさか・・・知ってた・・・の?」
片言だった僕の言葉が、さらに片言になって、アヤへと向かう。
アヤは、驚きのあまり、口がふさがらない僕の目を見つめながら、肯定する。
「ここは、アンタを変えるために用意された世界。それくらい、あたしも知ってる。」
・・・じゃあ・・・今まで、僕に接してきたアヤは、その役割を、果たそうとしていた
だけだというのか・・・?
そう思った瞬間、アヤは、その言葉を、まるで、2足歩行の白猫のように、一字一句も
間違えずに、復唱して見せた。
そして、付け加える。
「少なくとも、あたしは、そんなつもりじゃなかったよ。
  あたしが、演技下手だって事、知ってるでしょ?」
・・・そうだった。
アヤは、思ったことをすぐに口に出来る代わりに、自分を偽ることが、とことん苦手な
女の子だった。

アヤは、すっかり黙り込んでしまった僕に、先の言葉に続けて、さらに言う。
「現実世界のあたしが、アンタと疎遠になってるのは、アンタが、自分の手で
  変わってくれるのを、待っていたからだと思う。
  そして、アンタは変わった。
  変わったアンタのままで、現実世界で生活すれば、きっと、今のあたしとアンタ
  みたいな関係にもなれる。」

・・・だから、アンタの大切な想いは、その時に、現実世界のあたしに言って。
それが、アヤの答えだった。
成功でも失敗でもない、答えが未来にお預けの、初めての告白(未遂)だった。

夜が更ける。
それぞれの家に戻った僕達は、それぞれの想いを胸に、眠りに就く。

・・・。
・・。

次の瞬間、僕が居た場所。
それは、あの、不気味な夢の中じゃなかった。
・・・蒼い、何もない、どこが天井なのかもわからない空間。
・・・そう、ここは、僕が、猫と出会った、始まりの場所。

そこで、猫は、ひっそりと、たたずんでいた。

「おめでとう、良太。」
猫は、やおら僕に振りかえると、軽く一礼して、僕を迎えた。
「・・・終わったんだ?」
後ろを振りかえり、ホームシアターの扉が消えていることを確認して、僕は、
猫に確かめる。
「ああ。」
猫は、白い体毛をなびかせながら、相変わらずの落ちついた物言いで答えた。
「正直、ここまで早く、君が変わるとは、思っても見なかったが。」
付け加えて、猫が微笑む(?)。

「なあ、訊きたいことがあるんだけど。」
僕は、再び、猫に訊ねる。
猫は、質問の内容を聞く前に、僕の疑問に答えた。
「君を、夢のホームシアターに入れた理由か?それは、君が哀れでならなかったからだ。」
あ、哀れって。
「君は、幸せを望みながらも、手に入れようとはしなくなっていた。
  これが、哀れでならなかった。
  故、私は、君を、ホームシアターに招いた。」
軽妙な、流れるような言葉で、僕に語りかける猫。
結果的に、僕は、この猫に、助けられてばっかりだったな。
今から思えば、自分の力だけでできるはずだったことのほとんどが、他人にきっかけを
与えられてから、ようやく気付いていたし。

それから、しばらく、僕と、猫の間に、長い沈黙があった。
時の流れがないと錯覚してしまいそうな、この空間で、その沈黙が打ち破られたのは、
体感時間で、数十分経ってからのこと。
そして、その沈黙を破った言葉は、猫から発せられた。

「君は、現実夢の中で、強く成長した。」
・・・いきなり、話が、あさっての方向に飛んだな。
そう思いながら、僕は、猫の言葉の続きを待つ。
「そして、現実夢は終わった。」
一字一句、確かめるように、猫は言いつづける。

そして、次の言葉は・・・
僕の、思いも寄らぬ言葉。
「だが、君には、乗り越えなければならない壁が、たった一枚、残されている。」

な・・・何だって!?
現実夢は・・・終わったんじゃないのか!?

しかし、僕の心の叫びも無視して、猫は言葉を続ける。
「君は、成長しながらも、ただ一つ、アヤへの不安を残したままだ。
  それだけが、君を、過去の君に縛り付けている。
  そして、わたしは、君だ。」

猫は、いつにも増して、回りくどい言いまわしをして見せた。
「・・・何が、言いたいんだ?」
思わず、声にして訊き返す僕。
それに対して、猫は、こう言った。

「壁とは、君自身だ。そして、それは、私のこと。
  さあ、最後の試練を与えよう。」

言って、猫は、唐突に、ファイティングポーズを取った。

お、おい。
まさか、それって。

「私を、乗り越えるのだッ!!」

ま、マジかよ!?
最後の最後で、こんな展開って、アリか!?