第五幕「安らぎの退屈、心の夢」

虐め事件から、もう、どれくらいの時間が経過したのだろう。
あれからと言うもの、僕の身の回りは、至って平穏そのものだった。
天気はずっと、雨上がりの曇りの様相を変えないまま、地面だけが乾いて、
外での運動ができるくらいになっている。
・・・そう、現実夢は、ここのところ、膠着状態にあった。

久しぶりに味わう平穏。
僕は、こんな穏やかな日々があったことさえ、つい最近まで、忘れていた。
来る日も来る日も、現実夢が織り成す、様々な問題の対処に追われ、
何度も憂鬱になりながら、幼馴染の力を借りて、乗り越えて行く日々。
非日常の日々から、日常に戻ってくるのは久しぶりだが、やはり、
何だか、うれしいような、なんとやら・・・。

最近、身の回りで変わったことと言えば、アヤの部活に、部員でもないのに
よく付き合わされるようになった、と言うことか。
彼女の所属している部活は、・・・陸上、なんだな。
その中で、彼女は、短距離を専攻しているらしく、僕は、「アヤ専属のマネージャー」
と周りからささやかれながら、彼女の練習を支えてみたりしている。
・・・それがない時は、両手に、水がなみなみ注がれたバケツを持たされ、
「忍耐と持久力の特訓」と称して、トレーニング(罰ゲームに近い)を。
あとは、気まぐれで、プラモデルを買ってみた程度か。
以前の僕なら、考えられもしなかったような、そんな一日が、割とまったりと
過ぎて行く。

・・・でも、ここに来て、だんだん、不安になってきている。
僕は、「現実夢」と言う夢を見ている状態だ。
そう、これは、夢。
昔みたいに仲良くなれたアヤも、現実のアヤとは違う。
夢の世界では解決できていても、現実世界では、まだ、問題は山積しているんだ。
そう考えると、ナエる・・・。
ああ、いっそ、これが現実だったら!

それより、何より不安なのが・・・。
このまま、現実夢が動き出さなかったら、どうしようかと言うこと。
猫の話だと、僕が問題を解決することで時が動くらしいが・・・。
ここのところ、その「問題」が、全く起きていない。
起きることがなければ、解決することもできず、時を動かすことも出来ない。
こんな状況だと、その・・・。
このまま、一生、目覚めることができないんじゃないか、と・・・。
今更ながら、「夢」とはっきりわかっている世界に居続けることに、
不安を感じている。

それにも関わらず、猫は、あれから、姿を見せることもなければ、
何かの連絡を寄越すこともなかった。

体感時間で2ヶ月が過ぎたある日のこと・・・。
僕は、不思議な夢を見た。
夢の中で夢を見る、いわゆる「二重夢」だ。
僕の目の前に、あの猫がいる。
その猫の横に、アヤがいて、その反対側に、僕の親がいた。
周りは暗闇で何も見えないのに、彼らの姿だけが、はっきりと、常闇の中に、
まるで光でも存在しているかのように、浮かんでいる。
それらは、僕に向かって、何かを、必死で訴えかけているように見えた。
でも、何を言っているのかが、サッパリわからない。
・・・一切の音が、そこにはなかった。
不気味にも感じる静寂の中、彼らの呼びかけの映像だけが、くっきりと
投影されているのだ。
「な、何が言いたいんだよ・・・」
この、異様な光景が、僕には、たまらなく怖く感じた。
「何で、何も聞こえないんだよ・・・」
わけがわからなくなり、目を腕でかばおうとする。
と、その時。
僕の背後に、すっと、何かの気配が現れた。
さっきまで、そこになかったのに、それは、唐突に、湧いて出てきたのだ。
「だ、誰ッ!?」
目を隠す腕をどかし、降りかえる僕。
そこにいたのは、手招きする、白装束の女!!

う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!

そこで、目が覚めた。
あまりに衝撃的な光景に、息が粗くなっている。
後に残ったのは、一抹の恐怖心だけだった。

次の日・・・。
あの夢の光景が、未だに頭から離れず、結局眠れなかった僕の前に、
ついに、あの猫が現れた。
「ご機嫌麗しゅう、良太」
全然、ご機嫌じゃないんですけど・・・。
「と、失礼。」
僕が思ったことを、今度は、復唱せずに、それに対する返事を返して来る猫。
は、はぁ・・・今のは、猫の悪戯心なのか?
「さて、挨拶もほどほどに、早速、本題に入らせて頂くが、よろしいかな?」
相変わらずの秀麗な言葉遣いで、猫は訊ねる。
とりあえずうなずく僕。
それを見て、猫は、ひげをなでながら、ポーカーフェイスで語り始める。
「君は今、問題が起こらないことに、行き詰まっているようだが・・・」
ああ、そうだよ。
これじゃあ、進めようがないぞ。
「視点を変えてみると良い。そうすれば、今、起こっている問題が、
  見えてくるだろう。
  いや、正確には、問題ではなく、課題なのかもしれないが、な。」
猫の言葉は、最後で、歯切れが悪くなった。
僕も、その言葉の意味が気になり、質問をしてみる。
「課題って・・・どう言うことだよ?」
僕は、「問題を解決しろ」としか言われていない。
ここに来て、いきなり追加ルールなんて、冗談もほどほどにしてくれ。
今の説明から感じられる意味は、まさにそんな感じである。
だが、帰ってきた返事は、予想に反するものだった。
「君の心に、問題があるのかも知れない、と言うことだ。君に欠けているものを
  見つけ出す。これが、問題の解決につながるかも知れない。」
こ、心・・・。
そんなの、言われたって、急にわかるはずないじゃないか。

・・・言うまでもないが、この言葉は、猫によって代弁された。
く、くそう・・・。

「もうすぐ、わかるだろう。そして、今、君が、アヤ君と共に居る意味も、な。」
猫はそう言い残し、きびすを返した。
そして、どこへともなく、その身をフェードアウトさせた。

・・・猫の言ったこと。
僕の心の問題。
・・・何か、あるのだろうか。

・・・そして、あの夢は、一体・・・。

と、その時、部屋の外から、母親の、アルトな怒鳴り声が聞こえてきた。
「早く起きなさい、遅刻しちゃうわよ!!」
その声を受け、目覚し時計に、ふと目をやる。
ベルは止まっており、すでに、時間は、もうすぐ8時になるところだった。
これはやばい。
このペースは、遅刻路線決定だ。

用意された食パンをくわえ、追いたてられるがまま、僕は、家を後にした。
その絵は、さながら、昔の青春漫画だった。

・・・それからというもの・・・。
あの、暗闇の中に猫とアヤと親と白装束の女が浮かぶ夢は、毎晩のように見るように
なった。
恐怖心が夜を満たし、とてもなじゃないが、マトモに寝ていられなくなった。

それから、さらに、1週間が過ぎた。
この頃になると、僕の顔は、以前にも増して、げっそりとしたものになっていた。
アヤの部活に付き合っても、何か、ハリがない。
飽きてきたのか、疲れているのか、どっちかはわからないけど・・・。
それと平行して、バケツ訓練も、最近、サボり気味になっていた。

そして、ふと思う。
なんて、退屈な毎日なんだろう・・・と。

そんな時、部屋で、ふと目に止まったものが一つ。
そう、いつか買った、プラモデル。
ちょうど休みだったこの日は、これで、暇をつぶそうと決めた。

まず、説明書を見る。
うわ、細かいな。
人型のロボットのプラモデルで、接着剤の要らないタイプだけど、これがまた・・・。
とりあえず、作り始める。
あ、あれ、どのパーツがBパーツなんだ!?
いっぱいありすぎてわからないッ!?
・・・ああ、あった、Bパーツ。
早速切り取り、取り付けてみる。
なんか、向きとか、わかりづらいな。
・・・って、あぁッ!?間違えたッ!?
く、くそう、こじ開けなきゃ・・・。
ああ、又間違えたッ・・・
もう、いいや!!やーめたッ!!

すっかり疲れてしまった僕は、プラモデルの、あまりのこまごまとした作業に嫌気が差し、
作業を途中で、やめてしまった。

くそ、こんな日は、寝るに限る・・・。
そう思い、僕は、いそいそとベッドへともぐりこむ。
仰向けになり、天井をぼーっと見つめ、どうでも良くなったプラモデルを、
鬱に思う。
こんなの、お金の無駄だったなぁ・・・
などと思いながら、僕は、いつの間にか、眠りに落ちる。

そして、また、あの夢を見る。
だが、今日のそれは、少し、内容が違っていた。

いつもの暗闇に、いつもの面子。
しかし・・・今度は、猫の声だけ、かすかに聞こえるのだ。
何を言っているのか、以前から気になっていた僕は、そっと、その声に
耳を傾けてみる。
最初は聞き取りづらかったが、その内容は・・・

「何故、丸投げするのだ・・・」

・・・!!
そうか、そう言うことかッ!!
その言葉を聞いた瞬間、僕の脳裏に、いつかの朝、猫が言った言葉の真意がよぎる。
そう、僕の心の問題、それは・・・。

「うん、アンタ、昔から、忍耐力なかったよね。」
バケツを両手にかかえる僕の横で、アヤは、ため息をついて言った。
・・・そう。
僕の心に欠けているもの。
それは、「忍耐」だった。
考えてみれば、僕は、いつでもそうだった。
虐めが生まれるきっかけになった、あのうるさい自習も、
実際は、そんなに、長い時間、耐えてなかったのかもしれないし、
それ以外の問題も、結局、自分で解決できなかったのは、根本に、この、忍耐力の
なさがあったからだった。
「でも、自分で気付けたんだし、進歩したって感じ?」
なんの気まぐれか、僕は、自分の口調ではないしゃべり方をしていた。
「へー、アンタもそーゆーしゃべり方するんだ?」
「へ、変かよ?」
アヤの意地悪な反応に、僕は、つい反応してしまう。
すると、アヤは、狙ったとおり、と言うように、すました顔してこう言った。
「ぎこちないけど、変われて来てるじゃん。」

そう。
僕は、現実夢に足を踏み入れた時から、変わりつつある。
それは、自分でも気がついていた。
最初は、猫にだまされた・・・と言う気持ちでいっぱいだったのが、
今では、なんか、こう・・・。
変わっていく自分が、楽しい。
こんな自分がいたという事実に、夢の中なのに、驚きを隠せない。

・・・待てよ。
猫は、一体、何の目的で、この現実夢を、用意したのだろう?
もしかして、僕のメンタルを、変える為に、ここに、僕を案内したのだろうか?

そう思ったときだった。
アヤの背後に、猫が現れたのは。

猫は、やおら僕に向かって、こう告げる。
「そう。君の課題は、君のメンタルを、君自身が変えることだ・・・。
  それが為されようとしている今、この現実夢は、もうすぐ、終わりを迎える。
  それまで、もう、私は現れないだろう。
  では・・・、君が、夢のホームシアターから、出て来られることを願って。」

そして、猫は、いつものように、スッと消え、先ほどの、僕とアヤの
ツーショットに戻る。

雲間から、日の光が差しこむようになった昼下がりの午後。
猫が現れなくなったパラレルワールドで、僕は、今日も、猫が出した課題
「心を変える」事に挑む。
相変わらず、猫の真意はわからないが、もうすぐ、この、疲れるけど温かい、
この現実夢は、終わるのだろう。

今更だけど、現実の世界に戻っても、良いかもしれない。
そう、思えるようになった。