夢の星の物語 ――星乃Side 1:初めての感情

高校の授業というものは、得てして、普通に生きていく上では必要のない知識が多い。
それでも高校に進学したがる子供がほとんどなのは、学歴という盾を持って、将来に
役立てたい、とか、ただ単に友達を増やしたい、作りたい、といった安直な考えが
あったりするものである。
しかし、中には本気で勉強したいと思っている子供も、少なからずいたりするのだ。
その良い例が、この星乃だった。
目指している職業が職業だけに、雑多な知識を欠かす事はできない。
学歴が欲しいのではない。
純粋に、知識が欲しいのだ。
だから、彼女は、どんな楽な授業内容であっても手を抜く事はなかった。
だったら有名でハイレベルな学校に進学すれば良かったのだが、あいにく、このへんの
学校はどれも、高額な授業料を徴収する私立校や、都立高でもそんなにランクの高く
ない場所ばかりだった。
一応、この快晴高校が一番安価で、高波区周辺の公立高の中でもランクは高い。
(この学校の特色として、入試は割と楽だが、卒業するのが入試に合格するのよりも
難しいというのがある。
アメリカの大学の多くはこう言った塩梅なのだが、日本では未だに入試を重視している
場合が多く、大学なんかを見てみると、入った後はサボりまくり、それでもちゃんと
卒業できてしまったりする場合がある。)
なにより、この高浪は彼女の地元なのである。
それが意味する所つまり、通学時間に気を取られないで済む、という事。
今の彼女にとって、この学校を選んだ事はほとんど悔いがない事であった。
あるとすれば、そう・・・。アレである。

そんな快晴高校の授業を、淡々とこなしていく星乃。
成績はいつも学年トップクラス。
以前、将来の夢などをまとめさせられたプロフィールを学校に提出した事があったが、
その時、「何で漫画家なんだ、君なら弁護士や国会議員だって夢ではないのに」と
クレームを付けられるハメになったのだが、そんな事は彼女には関係なかった。
彼女が好きなのは、自分で物語を作り、それを形に残す事。
ただ単に地位や安定した収入を得るための仕事なんか、眼中になかったのである。

こうして迎えた、お昼休みの時間。
特に友達と言える友達がほとんどいない彼女にとって、この時間は一番辛いもので
あった。
いつも独りでご飯を食べるのだ。
姉や幼なじみは最近、この時間になると教室から姿を消し、その後、「ふけんこー
バンザイ」とかぼやきつつ、終了間際にふらふらと舞い戻ってくるといった調子
なので、どうやらご飯を食べる事ができない様子である。
部活は?という質問は出るとは思うが、何しろこの快晴高校、「漫画研究部」の
類は一切存在していない。
「小説研究部」ならあるのだが、挿し絵くらいしか描けないのでは、星乃にとっては
どうしようもなかった。
先の「悔い」というのは、おそらくこの辺であろう。
大学なら良いかもしれないが、高校では「同好会」を作るのも容易ではない。
少なくとも、快晴高校では同好会を作るために、いろいろな手続きを踏まなければ
ならないという、半ばお役所仕事並みの事なのである。
彼女が休み時間になるとせっせと持参のラクガキノートに絵を描いているのは、
他ならぬこのためなのだ。

一緒に食事する相手もいない星乃の表情は、この時ばかりは寂しさに歪んでしまう。
そしていつも、こう思う。
「どうして私は、友達を作るのが苦手なんだろう・・・?」
しかし、いくら考えても、その答えは浮かんでは来なかった。
そうなると、もはや箸を動かす気にもなれず、目を潤ませながら、弁当箱のフタを
閉じてしまうだけ。
しかし、周りの連中はそんな事はおかまいなし。
これでもかといわんばかりの大声でしゃべりまくり、そして、イヤミなくらいに、
高々に楽しげな笑い声を上げるのである。
この状況が、「孤独」をかみ締めている真っ最中の人間には、決して良い事には
映る事はない。
星乃だって、仮にも優等生の呼び声が付いている以上、下手に涙を見せてダークに
なるわけにもいかない。
彼女は弁当箱を袋に入れると、顔を隠したまま、静々と教室から退散して行った。

そして向かうのは、いつも保健室。
元々病弱であるのに加え、この保健室という場所は学校の中でも特殊な場所なので、
彼女はこの時間になると、いつもここにやってくるのである。
そこの主は、珍しく若い男性。しかも、美形で優しいという、何とも少女漫画
ちっくな保健の先生である。
そんなんだからか、保健室を利用するのは主に女子生徒なのだが・・・。
それゆえ、もはや常連となった星乃は、来るたびに白い目で見られてしまう。
だが、ここの保健の先生――海風 渡(うみかぜ わたる)氏はそのような差別主義
などに対しては特に厳しく接するため、この保健室に入ってしまえば、もはや星乃の
天下なのであった。
「こんにちわ。今日も独りでご飯だったんだな、星乃。」
「・・・はい。」
「そうか・・・。ほら、そんなところに突っ立ってないで、入ってきなさい。」
優しい口調で迎え入れる渡先生に、星乃は律義にお辞儀をして保健室へと入った。
優等生には優等生にしかわからない悩みというモノが存在する。
世間的には「良い子」であっても、それぞれに抱える悩みというものは無視され、
成績や日頃の行いだけが重視される風潮が未だに根強く残っている学校という場所。
渡先生は、その事を熟知した上で、星乃を「優等生」としてではなく、ごく当たり前な
「人間」として扱ってくれる。
星乃にとって、ここでは「生徒の模範」を演じなくても良い、砂漠のオアシスのような
場所であった。

「先生・・・。私、どうしたら、友達が作れるんでしょう・・・?」
星乃の質問は、いつもこれから始まる。
普通なら、何度も同じ事を聞いてくる人の事は軽くあしらってしまったり、俗に言う
「ウザい」を連発してしまいがちだが、この人だけは違った。
何度同じ問いをしても、きちんと返してくれるのだ。
「友達はな、無理して作るものじゃないんだよ。
  例えば、遊び友達が10人いたとしよう。
  でも、その中で、自分の悩みを素直に話せる「友達」がいるかどうかはわからない
  だろう?」
「・・・はい。」
そんな星乃に対して、渡先生は、いつもこの言葉を最初に持ってくる。
そして、彼はその後に、こう付け加えるのだ。
「私もな、学生時代は優等生と呼ばれていたよ。
  頭が良い、勉強ができる。
  それだけで、教師連中からはもてはやされたが、同年代の人達は、俺を特別なヤツと
  して、色眼鏡でしか私を見ようとはしなかった。
  思いたいヤツにはそう思わせておけば良いって思えたのは、大学に進学する直前に
  なってから、だよ。」
この言葉の真意は、この二人の間でしか解からない。
だからと言って、星乃も渡先生も、互いを「異性」として意識している様子はなく、
あくまで「人と人」、「教師と生徒」の関係を保っている。
これが、二人の間で自然にできていた、暗黙の了解だった。

「先生、ありがとうございました。」
「ああ、いつでも来て良いからな。」
先生の所に来て、いくらかココロが落ち着いて、再び教室へと戻る星乃に、渡先生は
終始笑顔で接していた。
もちろん、保健室を出た後すぐ、またタチの悪い女子生徒が星乃に絡んでくる可能性は
十分にあるため、渡先生は、星乃が保健室のドア越しに見えなくなるまでの間、
しっかりと見守っている。
「・・・少し顔が赤かったが・・・風邪ひいてたかもな、あいつ・・・。」
ショートホームルーム開始のチャイムが鳴り、自分以外の誰もいなくなった保健室の
机の上で頬杖をつきつつ、彼は、星乃の体調を案じていた。

そして、その後は何事もなく、普通に放課後を迎える快晴高校の夕暮れ。
特に部活にも入部していない星乃は独り、校門の隣の垣根にたたずんでいた。
最近、ロクに昼飯を食べていない姉達の事が気がかりだったのもあったが、一番は、
独りで帰るのが寂しいからだった。
「うーんっ・・・頭、痛いな・・・。」
自らの体調の不調にようやく気付いた星乃。
校舎の方から、弱々しい二人の声が聞こえて来たのは、それから少しだけ時間が
経った頃だった。
「・・・お腹ぐーぐー言ってるぅ、公園で食べよっかな・・・」
「・・・異存ありませんぜ、アネゴぐふぅっ」
――バキッ。(脇腹蹴り一発)
「あたしは極道かいっ!!はぁ〜・・・お腹がすいて力が出ない・・・」
「・・・いつからアン○ンマンになったんだよ、お前・・・」
このやり取りは間違いなく、夢乃と大地のものであった。

「ご飯抜きだったんだね、お姉ちゃん達・・・。」
いつものかけあい漫才を繰り広げつつもすでに足元ふらふらの二人に、星乃は
ちょっと退きながらも声をかける。
それに反応して言葉を返したのは大地の方だった。
「おーっす、星乃ぉ・・・」
だが、当の姉は、なぜか一言も発する事がなかった。
そんな彼女の横顔を見て、星乃はある事に気が付いたのだが・・・。

こうして、3人は小学生時代以来、久しぶりに3人での下校をする事になった。
何しろ、中学生時代はバラバラの学校に通い、高校に入ってもしばらくは、昔の
ように大手を振って街中を歩く事などできなかったのだから。
やはり、男と女という事で、思春期にもなればそれなりの恥じらいくらいは出てくる。
特に顕著に出ているのは、やはり星乃だった。
テンションがなかなか上がらないながらもフツーに会話を交わす夢乃達。
それから少しだけ距離を置いて、何もしゃべる事ができない星乃。
と、その時だった。
「うっ・・・いったぁぁぁぁぁぁっ・・・!」
先ほど、星乃が察したのはこれだった。
いよいよ限界に達したのか、夢乃が突然頭を押さえて、苦しみだしたのは。
「お、おい、夢乃、どーしたんだよっ!?」
夢乃が久々に見せる苦痛の表情に、大地は戸惑いを隠せない様子で、しゃがみこんだ
夢乃に、何度も声をかける。
そして、夢乃達から距離を置いて歩いていた星乃も、慌てふためいて駆けつけてきた。
「お姉ちゃんっ、何で保健室いかなかったの!?」
そういうと、彼女は急いで夢乃の額に手を当てた。
・・・熱がある。
息遣いも荒い。
だが・・・。
「ん・・・っ、っ――!!」
今まで何もそんな様子を見せなかった星乃まで、頭を押さえて座り込んでしまったの
だった。
「お、おい、二人ともっ!!大丈夫か?」
予想外の緊急事態に、ただただ慌てふためく大地。
「大丈夫・・・帰れる・・・」
「私も・・・大丈夫です・・・」
大空姉妹はそう言って、再び立ち上がろうとするが、その様子はどう見ても「大丈夫」
ではなかった。
それを見かねた大地は、ついに言った。
「アホか!?お前ら!具合悪い時くらい頑張るんじゃねぇよ!!お前らブッ倒れたら
  学校つまんねぇんだよ!!」

えっ――。

その時、星乃の中で、不思議な感情が湧きあがった。
今まで、誰にだって感じた事の無い感情が。
頭痛による苦しみしか感じていないはずの彼女の頭が、体が、今まで感じた事の無い、
何かに包まれていく。
熱のせいもあるのか、彼女の顔はみるみるうちに赤く染まっていった。

・・・次に星乃達がいたその場所は、昼休みの後半、ずうっとお世話になっていた
あの保健室だった。
痛い頭と、今まで感じた事のない感情で意識がもうろうとした中で、彼女は感じて
いた。
あの、これと言って体力自慢でもなかった大地の息遣いを、背中越しに。
夢の中でも、星乃はその事が頭から離れなかった。

大空姉妹がほぼ同時にかかった病気は、どうやらタチの悪い風邪のようだった。
渡先生がくれた薬を飲んで、熱も下がった二人は、今度は姉妹だけで帰路につく。
だが、この時星乃は、同時に、厄介な病気を併発していた。
なぜか、大地のあの時の顔が焼き付いて離れない。
熱は下がったはずなのに、未だに鼓動はいつもより激しい。
それは寝る時まで続き、夢にまで大地が、毎日のように出るようになった。
姉に助けられてばかりで、お世辞にも頼りにならなかった彼。
特に美形でもなく、性格的にもありふれいてる彼。
付け加えるなら、どこが魅力かもわからないほど「普通」な彼。
だが、星乃の頭から、彼が消える事はなかった。
決まって高鳴ってしまう彼女自身の胸の鼓動が、証明するもの――

それは、紛れもなく、恋だった。
しかも、初恋・・・。

次の日。
昨日、保健室で寝ていたためか、星乃はものすごく早くに起きていた。
今日は平日で学校も休日ではないが、大事を取って今日は休むことになった。
もう熱も下がり、体調的には大丈夫。
だが、星乃はなかなか、ベッドから出る事はできなかった。
今、自分が抱いている「初めての感情」が「恋」である事をおぼろげに悟った
彼女は、この気持ちを姉である夢乃には悟られたくなかった。
だが、どうしてだろうか、どうしても目がうつろになってしまう。
何事も、初めての事に対しては必要以上の不安を抱いてしまうのが人というもの
だが、ここまで表情に顕著に表れてしまうと、自分自身、どうしようもない。
そこへ、何かぶつぶつとぼやきながら入って来た夢乃。
彼女はしばらくの間、星乃の方をじっと見詰め――
「星乃ぉ?昨日からあんた、様子が変よ?」
いきなり、痛い所を突いて来た。
反論も、ごまかす事もできない星乃は、いつも枕元に置いている、「想い出の
ぬいぐるみ」をぎゅっと抱きしめ、この表情を見せまいと必死で隠した。
だが、時すでに遅し。
「あんた、ひょっとして誰か好きなんじゃない?」
さすがは双子の姉、星乃の気持ちはとっくにバレていた。
「・・・」
絶句する星乃に、夢乃はあくまで平常心である事を見せ付けつつ、言う。
「そうなのね〜。そっか、うんうん、恋する事はすばらしいー♪」
だが、星乃はその言葉に隠された夢乃の想いを、つぶさに読み取ってしまった。
そして、一言。
「お姉ちゃんも、恋してるでしょう・・・?」
夢乃、硬直。
そして、しばしの沈黙のあと、夢乃はしぶしぶ、それを認めたのだった。

互いの恋が、互いの知る所になった。
だが、まだその相手が同一人物である事を、二人は知らない。
回り始める二人の歯車。
恋の螺旋はいつも、壊れた時計のように、唐突に動き出すのだ。
  

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