「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老ひをむかふる者は日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか片雲の風にさそはれて、漂白の思ひやまず・・・」・・・松尾芭蕉 『奥の細道』より。

クーラーがないといられない暑い夏の夜。
アテネオリンピックに出場している”卓球少女 あいちゃん”が猫の泣き声みたいな名前の外国人選手と白熱の試合を展開し、僅差で勝ちを得た。苦戦を強いられたが、諦めることなく勝つことへの執念を燃やす少女の健気な姿は美しく、高貴な感じがした。
それに比べて今の自分の醜さといったらなんだろう?
魂にこびりつき腐臭を放つどろどろしたものを私はどうにかしてしまいたかった。
居ても立ってもいられなくなり、単車ににまたがり、魂の浄化をすべく独り漂泊の旅に出ることにした。

午前4:00ごろ出発。肌寒い夜と朝の境目を愛車W650で駆け抜けた。
途中、吉野家に寄り、朝定を腹に詰め込んで、国道2号線を西へ西へとひたすらに走り続けた。
本州と九州を結ぶ関門トンネルを抜けると北九州市。
会議のために新幹線に乗って九州は良く行くけれど、バイクでの上陸は今回が初めて♪
九州に着いたのはのは良いが、行く当てもない。
バイクを岸壁に止め、玄界灘を眺めつつタバコに火を点ける。
「・・・とりあえず博多に向かおうか。」
照りつける日差しの中、国道3号線をひたすらに走る。




探検!親不孝通り♪

博多に着いて先ずしたのは同僚の店長にご挨拶。店を見学させてもらいました。仕事熱心でしょ!?(笑)
さて、博多といえば古着好きの私にとってはずせない場所がある。それは天神の「親不孝通り」。
古着屋が密集しているトコなのだ〜♪
社会人一年目、九州に出張の際、偶然にも大学の時の教授に会った。その時先生が「親不孝通り」の名前の由来を次のように教えてくれた。
「この商店街の通りには予備校や専門学校もあるんだけれども、学校に行かず、勉強しないで遊び呆けているヤツが多かった。そこで商店街の会長が、この親不孝者が集まるその通りを親不孝通りと名づけたんだそうだ。」
素晴らしいネーミングセンスであると同時に、ある意味自虐的である・・・だって学生を遊びにそそのかす、パチンコ、麻雀屋、ゲーセン、風俗、etc・・・そういった生業をしている人達の商店街でもあるわけで^^;;
さて、古着屋巡りをしようと親不孝通りを散策したのだが、一軒も見当たらない。あれれ?
結局、大名というあたりで古着屋巡りできたのだが、親不孝通りに古着屋が沢山あったのはもう過去のことなのだそうで。。。
東京に住んでいた頃は、原宿や高円寺の古着街によく行ったものだ。広島にもあるにはあるんだけれど、数が少ないんだよね〜。古着の良さを語らせたらきりがないので、敢えて一言でいうと、宝探しみたいなものかなぁ。

よかよか♪博多♪

さて、楽しくお買い物も出来たし、今日の宿を探さなきゃ♪
ビジネスホテルは味気ないし、かといって健康ランドは街真ん中には無いし・・・博多駅周辺をバイクでぐるぐる周り、探し当てたカプセルホテル。今回の草枕はここに決定♪サウナもあるし〜。
ちなみに、前日の朝、仕事のために起床してからカプセルホテルで眠りにつくまで約40時間起きていた・・・我ながらタフだと思う^^;

翌朝、天気予報をみると、どうやら中国地方は午後から雨になるらしい・・・その前になんとかたどり着かなきゃ!!
博多から山口県宇部市くらいまでは気持ち良く走れたのだが、山口市に入った頃から苦行を強いられた(泣)
対向車線のトラックがライトでパッシングしてくれたから良かったものの、危うくネズミ捕りに捕まりそうでした。
何といっても予報通り振り出した雨が体を疲弊させた。
お陰で右の肩が痛くて痛くてたまらない。
しかも国道2号線はトラックを中心に大渋滞。
広島市内では信号無視で右折してきやがった車に突っ込みそうになって急ブレーキ!!
濡れた路面の為、ロックした後輪が滑り出して交差点の真ん中で転倒しそうになったのを何とか制動した。
眼の前でトラックが乗用車に追突してる。スピードが乗ってなくても、トラックに突っ込まれた車は大破で車種がわからないほど。被害者が俺じゃなくて良かった。まじで。
片道8時間、約300kmの道のりがこんなに辛いと思ったことも過去に無い。
それでも、漂泊の思いはまた何れやってくる。
旅は人を賢者にはしないのだ。