"挫折を乗り越えて・・・"
"夢の大型バイクにまたがるまでの闘い"

「仲間のバイクについて行けない。」

「仕事がない。金もない。」

「亀山さん。教習所内では指導員の指示に従ってください。」

「伸るか反るか。乾坤一擲の選択。」

を、諦めるな。」

・・・これは様々な困難と度重なる屈辱を耐え忍び、大型バイクの免許取得に挑んだ男と、それを支えたバイクショップを経営する男とのドラマである。
語り:田口トモロヲ

モラトリアムの闇を疾走する男:

平成14年10月15日の栃木県鹿沼免許センター。
一人の男が念願の大型二輪免許証を取得した。
男の名前は亀山○○。30歳。

前の年の平成13年7月。底が見えない不況に日本中が喘いでいた。
そんな中、亀山は大手ゲーム会社を去り、都会から生まれ故郷の栃木に戻ることにした。
不景気の余波はゲーム業界にも暗い影を落としていた。
職場の先輩たちはリストラの名のもとに削られていった。
会社に見切りをつけて辞めていく者も多かった。
亀山は人が減った分、身を粉にして働いた。
しかし人を欠いた分組織力は弱まり、売上は伸びず、上司には毎日のように叱られた。
24時間不眠不休で働く日も月に数度あった。
人員削減に伴う過剰労務は避けて通れなかった。
毎日が限界の連続だった。
胃を悪くし毎日嘔吐した。
身も心もぼろぼろだった。
人員を削減しても改善が見られない経営体質に不満を感じ、自ら辞めることにした。
20代最後の夏だった。
将来を嘱望されていた男の行動に周囲は驚いた。

辞めてすぐに普通二輪の免許を取った。
その後一月経たないうちに、250ccの中古バイクを買った。
それらは自分自身に対する、退職祝いだった。
ホンダ GB250 クラブマン・・・スタイルが好きだった。

しかし、スピードは出なかった。
どんなにエンジンの最高出力をだしても、高速道路では、仲間の2ストのバイクや大型バイクにあっさり置いて行かれた。
悔しかった。

大型バイクにステップアップしようにも、金がなかった。
貯蓄が全く無かった訳ではないが、未曾有の不景気。
仕事が見つからず、大型バイクなんか買っている余裕は亀山にはなかった。

無職の間、毎日のようにGB250に乗った。
「暴走族に就職したのか!?」
近所の人からはこんな風に揶揄された。
情けなかった。

気分転換に栃木から北海道に一人バイクで旅に出た。
単身ツーリング中、小遣いが無くなっても、無職で社会的信用のない亀山は消費者金融で金も借りられなかった。
旅先で一切れのパンを買うことさえままならなかった。
辛かった。
その後も、毎日毎日当てもなく、峠や田舎道を走った。
走るごとに、運転技術が向上し、そして、250ccの排気量に少しずつ物足りなさを感じ始めていた。

「排気量なんて問題ない。楽しく乗れるのが一番だ。」
常日頃の彼の口癖だった。
でも、いつかは大型バイクに乗りたいとも思っていた。
彼のささやかな夢だった。

平成14年7月。
男は長年に渡り辛酸を舐めさせられた業界に再び戻った。
もう一度その世界で挑戦したかった。
この業界で生きていくノウハウはあったが乾坤一擲の選択だった。
男は地元を離れ、勤務地の宇都宮に引っ越した。
10回目の引越しだった。

ある日、地元に帰り、馴染みのバイクショップに立ち寄った。
店の名前は「大芦輪業」。
亀山の友人が経営する店だった。
友人の名は大芦望。30歳。
四代目社長の仕事は丁寧で評判だった。
信用の厚い男だった。

その日、工場には修理の為持ち込まれていた古い一台のバイクがあった。
「ホンダ CB450」。
30年以上前のバイクだったが光輝いていた。
亀山は思った。
「いいバイクだ。こんなバイクに乗ってみたい。しかし大型自動二輪の免許を持っていない以上、400cc以上のバイクに乗ることはできない。」
その姿を見て大芦は一言こう言った。
「大型のバイクを買う買わないは一先ず置いておいて、大型自動二輪の免許を取ってみてはどうか?」
亀山は悩んだ。
悩んでいる亀山に向かって大芦は一言こう付け加えた。
「君が免許を取得したら、(大型バイクの免許がない)福田は驚くに違いない。」
福田は二人の共通の友人だった。
その言葉を聞いて、亀山はあることを思い出した。
それはずっと以前に福田が、彼に当てた手紙の内容だった。
「将来、お互いが仕事で責任ある立場になり、多忙な毎日になったとしても、重要な会議をすっぽかしてでも時間を作り、ビッグバイクでツーリングに出かける・・・そんなオヤジになろう。」
そんな内容だった。
「・・・大型自動二輪免許を取る。福田の驚く顔が見たい。」
さまざまな困難と屈辱を耐えてきた男に、これ以上我慢をする必要は、もはやなかった。
それを受けて大芦は亀山が乗るバイクを探すことになった。

ここに男たち二人の極秘プロジェクトが始まった。


技能教習12時間の闘い:

亀山は宇都宮にある教習所に通い始めた。
「大型といえど、バイクの運転には自信がある。」
そう思っていた。
しかし、その自信は脆くも崩れ去った。
初めて乗る750ccのバイクは重かった。
クラッチも普段乗りなれている、250ccとは比べ物にならないほど重かった。
亀山は考えを改めなくてはならなかった。
しかし、本当の敵は重いバイクではなかった。
教習所内の外周を60km/hで飛ばすと指導教官はこう言った。
「教習所内では、40km/h以上飛ばさないで下さい。」
負けずに亀山は答えた。
「速度制限の標識がない以上、60km/hまで出して何が悪いのか?」
教官は諭すように、こう答えた。
「・・・亀山さん、教習所内では、指導教官の指示に従ってください。」
過去に教官と喧嘩して教習所を辞めた苦い経歴があった。
亀山は唇を噛み締めぐっとこらえた。
バイクの扱い以上に指導員は手ごわかった。
それでも寸暇を惜しんで教習所に通った。
キャンセル待ちのため、仕事を定時内に終わらせた。
その為に朝は二時間早めに出勤した。
家に帰る時間を惜しんでスーツのまま教習所に行き乗車した。
亀山は必死で時間を作り、教習を進めた。

嵐の夜:

平成14年10月1日。
教習も大詰めを迎えていた。
その夜、関東地方を台風21号が直撃した。
観測史上でも記録的な暴風雨の夜、亀山はそれに怯まず、技能教習2段階の見極めに行った。
男は一日でも早く旧友の驚く姿を見たかった。
バケツをひっくり返したような土砂降りの雨。
排水溝を埋め尽くすほどの冠水。
水はけの悪い教習所内のコースは池と化した。
教習所のカッパを借り、亀山はバイクに跨った。
嵐の中、教習を受けようとする酔狂な者は彼のほかに誰もいなかった。
検定コースを巡行中、一時停止で左足を地面につくと、否応もなく水はブーツの中に侵入した。
教習車のGSF750はジェットスキーさながらに水しぶきを上げて走った。
男は横殴りの暴風雨の中、目を細めて安全確認の目視をした。
スラローム、8の字、一本橋・・・急制動さえも課題の通りクリアした。
だが、この最終段階に来て、今まで何ともなかったクランクで躓いた。
暴風雨のせいではない。
未熟だった。
亀山は焦燥感にかられた。
降りしきる雨の中、クランク走行だけを黙々と練習した。
雨合羽を着た熟年の指導教官は亀山に言った。
「検定頑張ってください。」
教習手帳に2段階最後の判子が押された。
嵐の夜、亀山は技能教習2段階の見極めをもらった。
ずぶ濡れのグローブを手から外すと、黒の染色が色落ちして彼の手のひらは真っ黒に染まっていた。




挫折の一本橋:

平成14年10月5日。
その日は卒業検定の日。
午後から勤務のある亀山は、スーツを来て試験に臨んだ。
教習車両のGSF750に跨る。
途中、ゆっくり走る教習車を邪魔に感じながらも順調にコースを進む。
課題コースの波状路、スラローム、8の字。
いつもより、むしろ的確にこなした。
そして一本橋。
今日は運転に自信があったので11秒以上出そうと思った。
傍観している他の受験者に巧いところを見せようと思った。
甘かった。
車両はゆっくりと一本橋から外れた。。。
自分の詰めの甘さに気がついたときは手遅れだった。
検定中止。
・・・技量も、そして精神的にも未熟だということを思い知らされ地団駄を踏んだ。
検定官は言った
「あのペースじゃ12秒を超える。そんな必要はない。10秒でいいんだ。」
悔しかった。
亀山はやりきれない気持ちいっぱいで仕事先に向かった。。

その日、試験に臨んだものは6名・・・合格したのは半分の3名だった。
不合格者には、ホンダに勤務する、自動車のテストドライバーも含まれていた。
苦戦しているのは亀山だけではなかった。

再挑戦:

平成14年10月9日。
再チャレンジの卒業検定。
前日の雨のため、路面のコンディションは最悪。
しかし、亀山にとって雨に濡れた路面は敵ではなかった。
指導教官や検定官でさえも、もはや彼の敵でなかった。
敵は自分自身だった。

一本橋。
そこを無事に通過できるか。
それだけが彼が集中すべき課題だった。

乗車。
安全を確認し車両を発進。
彼はいつになく落ち着いていた。
教習所は技能教習の休み時間になり、教習コースを巡行するのは亀山の乗るGSF750だけだった。
普通自動車の教習車両に邪魔されない。
時さえも彼の味方についた。
いよいよ課題コース。
波状路、6秒は確実に超えた。
スラローム、わざと遅く走った。
はやる心を押さえつつ走った8の字。
・・・そして、いよいよ屈辱の一本橋。
停止線前で一時停止。
左右後方の安全確認をし、深呼吸をした。
遠くに見える赤いパイロンに視線をやる。
幅30cm、高さ5cm、距離15mの侠路。
一本橋に乗った。
クラッチを微妙にコントロールした。
しっかりタンクを膝で押さえた。
バランスを保ちつつ、重い車両を進めた。
渡りきった。
電工掲示板の表示は9.5秒。
課題目標の10秒には到達してないが、あらかじめ9秒台で走るのは作戦だった。
最初から無理をするつもりは毛頭なかった。
その後は障害物、クランク、急制動・・・。
急制動は雨天後の路面悪条件のため、制動距離を伸ばしても良いと検定官には言われていたが、いつもの停止位置で止まった。

すべての課題を終え、発着点に戻る。
発着点のポールの向こう側は別の世界が広がっているように感じた。
車両停止合図の左ウィンカー点滅の他に、手信号を併用した。
左手をそっと斜めに出した。
男は茶目っ気を忘れなかった。

正午。
電光掲示板に受験番号の33が点灯した。
亀山の番号だった。
大型自動二輪卒業検定、合格。
苦楽を乗り越えた亀山はうれしいより先にほっとした。
後日、大芦と友人の福田に大型バイクの免許を取得したことを報告した。
大芦と福田は自分のことのように喜んでくれた。(予定)

その時のことを振り返って、亀山はこう語る。
亀山:
「・・・一生懸命でしたね。どんなことでも、情熱を持って一生懸命になれるということは大変素晴らしいことだと思います。人間は目標に向かって一生懸命頑張っている時が一番輝いているし、幸せである・・・私はそう信じています。」

教習コースを走るように、時にはゆっくり、時には確実に、失敗してもへこたれず、この後の人生を歩んでいこう・・・そして友との夢に向かって走ろう。
亀山はそう心に誓った。

※”番組”に対するご意見、ご感想をお寄せください。

プロジェクトX実行委員会



Yahoo! JAPAN