沈まない夕陽
作者 るぷぷさん
挿絵 がんばれ!あいちゃん
公園を包み込んでいた深紅の夕焼けは、静かに、夕暮れの中に沈んでいく。
街灯に明かりが灯り、砂場で砂を掘り起こしていた私の手が、ふと止まる。
目の奥に溶け込むようにして、夜の帳に覆われていく街並み。
カラスの声も、もう聞こえない。
ぼんやりとした感覚に、手に握っていたスコップを取り落とす。
小さく息をついて、いつものように空を見上げると、そこには、淡く輝く一番星。
「ナオトくん……どこ行ってしまったんやろ」
あの日から、私は彼の姿を一度も見る事はなくなった。
名字も家すら知らない、私の友達。
覚えているのは、ナオトという名前だけ。
もちろん、幼かった私に漢字など分かるはずもない。
顔も、姿もおぼろげにしか思い出せない。
あの日から、幾分かの時が流れて、私は中学生になった。
大好きだった、あの町と親友の元を離れて、私は彼と出会った街へ帰ってきた。
私が生まれ、私を生んだ二人が別れ、再び二人を巡り合わせてくれた、この街に―――
しっとりした風が吹き抜けるのは、そろそろ秋の気配が街路樹に彩りを添え始めたからなのだろうか。
部活が終わると、いつも夕方の6時を回ってしまう。
ぼんやり白い、紺色の空には幾つかの星が浮かんでいる。
行き交う車、摩天楼に囲まれた街並み。
新しい学校と、新しい友達。
相変わらずの毎日が、今日も過ぎ去ろうとしている。
道に足を進める度に、暮れていく空の色は、紺から黒へ。
その反面、街は、溢れかえるようなネオンや街灯に照らされて、輝き始める。
(美空町とは、えらい違いやな……)
時折、思い出すのは懐かしい街並みと顔ぶれ。
今になって思い返すと、それは、まるで夢のような毎日だった。
「魔法」に出会い、魔法を使った。
今、私たちが住んでいる場所とは違う、別の場所に行った。
それは、私たちが幼い頃、汚れない心の中に感じた『何かがいる』という
不安と期待の答えだったのかもしれない。
私たちはそれを知り、そして、今もここにいる。
道を、肩を狭めるようにして行き交う人波の中、
私はそんな事を考えながら家に帰るのが楽しくて仕方なかった。
私たちだけが知っている秘密。
でも、誰もが心のどこかで気づいている答え。
私たちはそれを知っているけれど、まだ、それに気づいていない。
この4年間で、私たちはそれを知り、これからの数十年で、それに気づいていく。
多分、私たちはものすごく壮大な宝探しを始めてしまったのだろう。
(あいこちゃん)
突然、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「え?」
思わず振り返る。
「……空耳?」
(あいこちゃん)
「誰?」
辺りを見回す。
「……誰なん?」
(あいこちゃん)
「……」
懐かしい声。
ずっと昔に耳にした記憶が、脳裏に蘇る。
「ナオト……くん?」
その名前を口にした途端、私は手の中に固い物が握られている事に気づく。
視線を足下に落とすと、小さな靴と、砂で作った山。
「あいこちゃん」
顔を上げると、そこには、幼い4、5歳ぐらいの男の子が立っていた。
「あ……あたし……へ?…体が……」
ぎこちなく、舌っ足らずになってしまう言葉。
夕陽に包まれた公園、まだ真夏の香りを漂わせる空気は湿り気を帯び、私の肌にまとわりつく。
額から流れる汗、口の中には、甘いミルク飴の味。
周りにある物が全て大きく感じるのは、おそらく、私の気のせいではないはずだ。
「あいこちゃん、この山、まだ作りかけだね」
「や、山…?」
「うん。この砂で作った山。そのスコップで、トンネルを掘ろう」
「あ……へ?あ……う、うん……ええけど…」
手の中にあった固い物は、スコップ。
私は、この砂場で山を作って遊んでいた。
しゃがみ込んで、砂の山にスコップを立てる。
サクッ
「ナオトくんも、いっしょに作らへん?」
「そうだね。一緒に作ろう」
サクッ
「ナオトくん、そっちから掘って?」
サクッ
「なかなか…掘れへん」
「そうだね」
サクッ
「ナオトくん、スコップ持っとるん?」
「持っていないよ。あいこちゃん」
サクッ
サクッ
「あ……」
思いっきり突き立てたスコップの柄が、砂の山にめり込み、山を崩してしまう。
「残念」
ナオトくんが肩をすぼめて笑う。
「ご、ごめんっ!」
「いいんだ。やっぱり、とても難しいね」
……道を歩いている。
私は道を歩いていた。
砂場の光景が街の雑踏に溶け込むように消えた時、私はふと足を止める。
「……あ」
懐かしい光景。
微かな記憶の底に埋もれた、小さな思い出。
まだ、舌の上に残っていたミルク飴の味が消えると、耳には、街の賑わいが届き始める。
ネオンの明かりが遠くに感じる。
「ナオトくん……あんた、まだ、ここにおるんか……?」
あの日の、あの頃の姿のまま、この街に―――
言葉では、表す事かできない何かがある。
私がそれに気づいたのは、5歳の日の夕暮れ。
溶け込むようにして、夕暮れの中に消えた少年の姿を見つめて、理由のない涙がこぼれた。
色あせていく記憶の片隅に、申し訳程度に淡く彩られる「好き」という言葉。
でも、結局、それを伝える事はできなかった。
「……」
彼が、まだ、この街にいる。
あの日の、あの頃の姿のまま、この街にいる。
にわかには信じがたい、でも、今の私はあり得ない話しでもないと、そう感じる事ができる。
自室のベッドの上、柔らかなシーツに顔を埋めて、まぶたの裏側にこびりつく、
あの赤い公園を思い出す。
砂場、甘いミルク味の飴、ナオトくんの姿。
夕暮れに沈む街並みが、ひどく寂しげに泣いていた。
幼かった私は、細い腕で、あの頃は大きく見えたプラスティックのスコップを持っている。
夏の夕暮れ。
やがて訪れるだろう秋の気配を背中に感じ、流れる汗が目に少しだけしみた。
(今日も暑くなりそうだね)
「え……?」
シーツから顔を上げると、そこには澄み切った青空が続いている。
照りつける日差しに目を細め、目をそらすと、路上は陽炎に揺らいでいた。
太ももの下には、粗い木の感触。
ペンキの剥げかかった背もたれ。
「ほんまやねぇ……」
ノースリーブのワンピース。
肩に感じる陽の眩しさ。
ミルク味のかき氷の冷たさが口の中に広がり、
夏の日がな一日、日差しを全身に受けている事が堪らなく楽しくなる。
細い古びた住宅街、うっかり見落としてしまいそうな小路に入ってしばらく歩くと、
古びた小さな駄菓子屋がある。
店先のベンチの上に、ナオトくんと二人っきり。
風に揺れる小さな風鈴と、「かき氷」の赤い文字。
スプーンですくうかき氷、こぼれないように口に運ぶと、こめかみの辺りがキーンと痛くなる。
思わず身を屈めて、体をよじらせる。
その横で、かき氷を手に持ったまま、微笑んでいるナオトくんの横顔。
真夏だと言うのに、肌は真っ白。
汗の一つもかいていないのが不思議だった。
「どうしたん?」
「ん?あいこちゃんと一緒にいると、こんな一日も悪くないと思ってね」
「?」
「気にしなくていいよ。それより、このかき氷食べる?」
まだ一口も手をつけていないかき氷を差し出すナオトくん。
大きくうなずき、彼の手から大きな器を受け取り、氷の山にスプーンを刺した。
「あっ、でも、ええの?」
「いいんだ。僕は、食べられないからね」
耳元で携帯電話が鳴る。
一瞬にして、懐かしい光景は消え去り、体を起こすと私の部屋。
あれは、まどろみの中に見た夢だったのかだろうか、それとも……
ぼんやりとした意識を総動員して携帯電話を手にする。
「もしもし……」
「あいこちゃん、もし、僕の言葉が聞こえるなら、これから、さっきまで君がいた、あの場所へおいで」
「ナオトくん……?」
「あいこちゃん、君に教えてあげる。あの場所へおいで」
ツー ツー ツー
携帯電話をベッドの上に放り出し、着の身着のまま、部屋を飛び出す。
階段を駆け下りて、玄関へ走り出す。
「あいこ!夕ご飯出来とるよ!」
台所からお母ちゃんの声。
「後で!」
そう言い残して、靴を履く。
かかとを踏んだまま玄関のドアを開き、再び走り出す。
あの頃とは変わってしまった街並み、でも、きっと思い出す事ができる。
しばらく歩くと、沈んだはずの夕陽が確かに西の空にある事を感じた。
あの日から、あの夕陽は沈んでいなかったのだ。
住宅街の中に、際だって古びた小路を見つける。
忽然としてそこにある街並みは、私が知る、あの日のまま。
この先に、彼がいる。
曖昧な、でも、確かな自信に背中を押されるように駆け込む細い路地。
靴から伝わる熱い感覚。
悲しくないのに、視界が涙でいっぱいになり、それが頬を伝う。
理由のない涙の意味を、今の私なら分かることができる。
駄菓子屋が見え、あのベンチの上に、小さな影がぽつりと座っていた。
足を止めて、荒い息を肩で落ち着かせながら私が一歩進もうとすると、
『君は、ここに来てはいけない』
と、彼は言った。
「……うん」
素直に、うなずく。
『あいこちゃん、僕の夕陽は沈まなかったけど、君の夕陽も、まだ沈んでいない。
だから、君は僕とお別れを。そして、僕は君と再会する』
「ナオトくん。ナオトくんは……」
言いかけた時、私の心の中で何かが動いたように感じた。
体の中で、何かが溢れ出し、私の心を熱くする。
目を閉じて、その奥に浮かぶ何かを見つめようとする。
白線でなぞられた、どこかの公園のベンチで、幼い頃の私が、微笑んでいた。
彼女は満面の笑顔で「バイバイ!」と手を振る。
目を開き、私はナオトくんを見た。
彼の姿は、私にはぼんやりとしていて、はっきりと見る事ができない。
でも、彼の姿を見る事ができているという事は、すなわち。
「ナオトくん。ごめん、ありがとう」
ナオトくんの横に、幼い頃の私が座っている。
嬉しそうに、かき氷を頬張っていた。
黄色のノースリーブのワンピース。
裾にある、大きなひまわりのアップリケがお気に入りだった。
「もしもし……あ、どれみちゃん?」
「どうしたん? え? あ、ううん、大丈夫」
「えっ! また、振られたん!? 下手な鉄砲も下手すぎると……え? ああ、ごめんごめん」
「うち? そんな、彩りある話しなんてあるわけ……」
「……」
「……あ、え? あ、なんでもない。え? ほんまやって! 何にもあらへんって!」
「ねー、そんな話し、転がっとったらええねんけど。まあ、うちは硬派やからなっ」
「あはは、冗談やって。まあ、ほんま、そっちも変わっとらんで、なんか、ほっとしたわ」
「……ねぇ」
「ねぇ、どれみちゃん」
「どれみちゃんに、なんか、急にお礼言いたくなってん」
「ありがとう」
「……ほんまに、ありがとう」
終わってみました
あとがきにかえて・・・
るぷぷさん、素敵な小説本当に有難うございました〜♪(>▽<)
今回の小説、私がるぷぷさんに『あいちゃんの大阪での初恋話』を
無理を言ってリクエストしちゃいました〜〜。(^^;)
私にとって、すごくツボでしたので!!(>▽<)
るぷぷさんに、この小説についていろいろ伺いました♪(^^)
丁寧なお答えを頂き、感謝致します。(><)
以下、るぷぷさんの解釈の要約となります。(^^)
1、ナオト君の存在とは。
すなわち『幼いあいちゃんが、天下茶屋の記憶と思い出を具象化した象徴』
なのだそうです♪ あいちゃんの大切な大阪での思い出・・・
その全ての象徴だそうです。
その為、彼の出会いも別れも具体化されていなくて
気がつけば隣にいた・・・。そんな不思議な存在なのです。
2、沈まない夕陽とは。
『悲しい思い出』の終わりの刻です。しかしそれもあいちゃんにとって
大切な思い出なのです。あいちゃんの『あの日』は終わってなかったのです。
心のどこかに、その思い出を置き忘れたまま時が過ぎていた為に、
今まで『心の中の夕陽の思い出』は沈まなかったのです。
3、ラスト、ナオト君の台詞
『君は僕とお別れを。そして、僕は君と再会する。』の真意とは。
ナオト君にとっては、再会であり、『君』とは、あいちゃんだけでなく
読者の皆様も含まれているのです。
『お別れ』とは『思い出を置き去りにした心を返す。』
『再会』とは『幼い頃の心をここに置いていけ。』という感じだそうです。
全文を要約すると、
『君達(あいちゃん)の心は返す。そして僕たちに君たちの思い出を
置いていきなさい。』と、なります♪
ナオト君は場所というより、全ての時間なので、
『どこに置いていくのか?』と考えなくてもよいそうです。(^^)
何度も読ませて頂きました。
すごくノスタルジー溢れる力作ですね!(^^)
文才の無い私には、とてもこんな作品は書けませんです。(><)
本当にお疲れ様でした〜〜〜!!(>▽<)
るぷぷさんの小説に、ぜひぜひ感想やご意見をお願い致します♪
ご感想等は下記のサイトまでぜひどうぞ!!(^^)