「国際会議活動記」

報告第3弾と致しまして、私が現地で活動しました事を中心に、お知らせします。


1.目標に対し。

まず資料と致しまして、下記をお読み下さい。

「ALS協会千葉県支部事務局長様
いつも、お世話になります。 来る11月のメルボルンにて開催される、国際会議に参加致したく、ここに希望意思があることを、協会にご報告申し上げます。
尚、意に反し資金目途が立たない際は,参加を断念致す事を、合わせてご報告申し上げます。
(註:国際会議参加資金調達顛末御報告記。をご参照下さい。)

国際会議参加の意義を見出す為のテーマ。

1.社会参加とその理解
2.患者としての生き方
3.患者発の国際化交流

1.社会参加とその理解
  目的:障害者として世に埋もれるのではなく、社会に接する何かしらの活動を通じ、病気の存在、内容を知らしめ、社会参加に理解を請う。
  目標:国際会議参加のマスコミの記事を通じ、社会にアピールしたい。

2.患者としての生き方
  目的:国際会議参加の記事を通じ、図らずもこの病におかされた新しい患者さんに、社会参加に対する勇気を持ってもらう。
  目標:国際会議参加のマスコミの記事を通じ、新しい患者さんにアピールしたい。

3.患者発の国際化交流
  目的:対病気の日本おけるメンタルケアの良点を、出来れば国際マスコミ、又海外患者に、日本の患者の生の声で伝え、それを継続させたい。
  目標:国際会議参加の海外マスコミや海外患者さんにコンタクトを取り、継続的な友好を図れるようにしたい。
※当日にコミュニケーションを深めるのは困難な為,メールアドレス等を収集し、継続的、段階的に交流を深める。

以上です。」

これは今年6月、参加意思証明として‘日本ALS協会’に提出したものです。結果と致しまして、1.2にの目標については以下のようになりました。

@8/1.「難病と在宅ケア」
A9/10.「街づくり通信」
B10/1.「アサヒフレンド」
C11/1.「難病と在宅ケア」
D11/13.「千葉日報」
E11/14.「毎日新聞」
F12/12. 「NHK」
G取材スミ「埼玉新聞」
H取材スミ「朝日新聞」
I予定  「難病と在宅ケア」
J予定  「アサヒフレンド」
K掲載スミ「SPプレス」
(敬称略)
(註:媒体エリア、千葉市〜一都六県。SPプレス様のみ、福岡。難病と在宅ケア様は、全国です。)
各メディア様には、本当に好意的な報道を頂きました。心より感謝します。ありがとうございました。

また、3につきましては、合わせて8人(台湾2、香港1、イギリス2、アメリカ1、ノルウェー1、デンマーク1)の患者、患者家族、医療関係者とコンタクトがとれました。
合せてご報告致します。

2.同盟事務局会議の晩餐会にて。

さて、今回私がメインに参加致しましたのは、同盟事務局会議です。
この会議は、各国協会の幹部による話し合いを皮切りに、患者自身も聴講だけでなく、何かしらの発表をすることにより、参加の機会があるものです。
日本からもお二人の患者さんが、2日目に壇上に立ちました。
この様子は、日本のテレビ局が取材していましたので、いずれ皆さんもご覧になれると思います。

ところで今回、「ハリー・ポッター」の翻訳でお馴染みの、松岡佑子さんのご好意で、同時通訳のシステムが準備されていました。私は前職にて、海外とのやり取りは、自分自身にてやっていましたが、ブランク2年半です。大変ありがたく利用させて頂きました。

約一時間程後に、ウォーミングアップ完了とばかりに、後は自分の耳でリスニングに挑戦しました。
話し合われた概要は、主にボランティアさんの育成についてで、特にメンタルケア教育に、かっ達な意見が寄せられました。

しかしながら私は、少々違和感を感じました。
というのは、日本の会合であれば、主体を患者において話しを進めますが、ここでの話し合いの主体者は医療関係者なのです。
つまり私には『行く末の明らかな患者に対する解答は、不偏であり議論の余地は無く、それを言い伝える人こそが主体であり、澱みなく解答を伝えるための訓練を要する。』と言下にあるものと、感じてしまったのです。
私の未熟な、聞き取り能力のせいからとは思いますが・・・。

そんな違和感の中での初日の晩餐会、私は当初より目的としている、海外の患者や医療関係者とのコンタクトを、どうしてもその場でとりたくなりました。
意識の中では、患者(諸外国では、既に他界のレベル。すなわち私)主体の何かを実現したいという、希望もあったためです。
そこで以前書いた、自己紹介文を焼き直す事とし、皆さんが御馳走を頬張る中、作業に着手しました。下記がそれです。

「I'm a patient of ALS of Japanese who name is Yasuhiko FUNAGO[Age:45.Sex:Male.].
I have been getting this awful illnes since July/1999 ,around for 3 years. Now, I'm not able to use my hands and legs,therefore,my life is in a bed all day long.
And,I alreday lost the my voice by treatment of medical so that my way of communication is using `PC'which is made by HITACHI.
I manage it how I use fingers of the right foot somehow as usual.」 (註:書いた時点のままです。)

すると、それに気がついた、友人の栄養士Wさんが、何とイギリス人の患者さんを説得し、私のもとへと連れてきてくれました。
そしてその場でのミニ交流会が実現しました。 貴重なやり取りも瞬く間に、各国の代表者による挨拶の時間となりました。

と、ここでWさんから凄い提案です  「舩後さんも挨拶をやりましょう!」 です。

私は一瞬たじろきましたが、彼女に躊躇はありません。さっそく日本代表の方にお願いし、私の挨拶を実現させてしまいました。
やり方は、始めに私がパソコンを操作し、ディスプレイ上に表示された先の原稿を、通訳さんが読上げます。
そして後半はWさんが、私の日本での活動を説明してくれました。

これが私の期待以上に反応があり、イタリア代表の方にはそのスピーチのなかで、私の挨拶を引用頂き、コメントまでして下さいました。本当に皆さんに感謝です。
そしてこの出来事を契機とし、主治医の強い教唆と協力を得て、以降私は国際会議を<参加の場>から<主張の場>えと、その捉えかたを変えました。

3.発言の機会を求めて。

翌日の昼から明け方にかけては会議に参加しながらも、世界各国の医療関係者が500人は集うといわれる、シンポジュウムのどこかで発言の機会を求めて、結局殆ど徹夜で発表原稿を書きました。
辞書も下準備も無く、ましてALSです。下記の原稿が精一杯でしたが、私としてはよくやりました。

「There is a purpose on my life as a one of patient of ALS. That is the counseling which is a patient to a patient. As you know,it's called peer-counseling.
As a matter of a fact,I have been trying to do that for last six months. And,I got a response as a result. This time, I am not able to explane the detail of Which I didn't have a time to prepare the releas and,I want to have more data at the moment. However,I'd like to try anounsment along above theme at the meetings in Italy next year. Because,this is my way of life. I have to challenge as a important job for socitey. I mean that a patient can understand a mind of patients deeply more than ordinary people included doctars. This is one of certain role of me as a patient of ALS.
Please fogive me that I suddenry wrote such a message and using bad English. But,I want to write it myself as a my job.Thank you for hearing my message kindly in advance. Good bye.」(註:書いた時点のままです。)

しかしながら、多数の関係者の方々の努力にもかかわらず、残念ながら今回のシンポジュウムでの発表の場は、得られませんでした。
でも私は、一連の準備作業の中で、大変な充実感を覚えました。つまり、ALS患者のフィールドは、ベッドの中だけでは無い事を、多くの協力者の皆さんの活動を通じて、自らに実感できた喜びとも言える充実感です。

4.マイ・プレゼンテーション。

晩餐会以降、主張する喜びを覚えた私の活動は、主治医の強力な後押しを得、別方面へとおよんでゆきました。
すなわち日本で普段、新しい患者さんや講演会向けに実施しているプレゼンテーションを、日本から来豪している医療関係者の皆さんに、実施する活動です。

この働きかけ、実は時と場所を選ばない、ゲリラ活動でした。

時には夜中の12時!人よんで<シンデレラ・プレゼンテーション>。
時には部屋の中!人よんで<ルームサービス・プレゼンテーション>。
時には会場の外!人よんで<ストリートライブ・プレゼンテーション>(実は室内)。

とこなしました結果、日本では不可能とも思える、高名なドクター達や医療関係者の皆さんに、プレゼンテーション出来たことは貴重な経験となりました。
きっと今後の何かに結びつくと、確信しています。
(註:プレゼンテーション内容は、群馬講演奮闘記。をご参照下さい。)

5.まとめ。

こうして私の国際会議での活動は終わりとなりました。私は前職に於いて、国際イベントへの参加は幾度となく経験致しましたが、充実度はこれほどのものはありませんでした。
つまり、動けない私が、動けた時以上に充実したということは、どれほど介護の方達のご尽力があったかは、想像に難くありません。本当にお疲れ様でした。

最後に、資金をご援助下さった皆様、再びですが介護をして下さった皆様、そして多方面でご支援下さった皆様、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

この場をお借りしまして、御礼申し上げます。

ありがとうございました。


尚、

来年は、 イタリアを、 目指します。


【舩後】

※第4弾は、雑記となります。