【ハンガリー民話】

【ハンガリー民話】

ハンガリー民話に混在する要素について: ハンガリーという国は西洋と東洋との境界にあり、そのため民話も両世界の要素が混在したものになっています。 一応歴史的経緯などを書いておくと、東方(ロシアの方)からマジャール人が現ハンガリーの土地にやってきたのは896年のことでした。 そしてそのまま現ドイツの地東フランク王国に侵攻しました。 しかし、それを食い止めたのが東フランク王国で王をやっていた(この頃王は諸侯の選挙で選ばれていた)オットー1世でした。 この戦いはレヒフェルトの戦い(955年)と言われています。イシュトヴァーン その後、このオットー1世は功績を讃えられ、時のローマ教皇ヨハネス12世から王冠を与えられました。 こうして彼は神聖ローマ帝国の初代王となったのでした(苦労人〈962年〉のオットー戴冠)。
 その西洋の大国の隣で、マジャール7部族の長イシュトヴァーンがキリスト教に改宗して教皇から王冠をもらったのは1000年のことでした(この頃教皇から王冠をもらわないと建国できなかった)。 この戴冠に関しては逸話があり、最初、教皇はイシュトヴァーンに王冠を与えるつもりはなかったのだそうです。しかしある夜、 教皇の夢枕にお告げの大天使ガブリエルが立ち、イシュトヴァーンに王冠を与えるよう言いました。 そのため、教皇はイシュトヴァーンに王冠を授け、その結果イシュトヴァーンはハンガリー王国を建国することができたとのことです。 言うまでもなく、このハンガリー建国に際しての話には、キリスト教的要素(西洋的要素)が王の権威を強化するものとして取り入れられています。 英雄広場のマジャール7部族(一番上にいるのは大天使ガブリエル)
 こうして成立したハンガリー王国は、キリスト教の極東として東のイスラム教国オスマン=トルコの侵略と戦いました。 1456年にはフニャディ・ヤーノシュ将軍がオスマントルコからベオグラードを奪還することに成功し、 その後約70年間、オスマン=トルコのキリスト教世界へ侵攻を防いだのでした。 因みにこの勝利を記念して時の教皇は、この勝利を忘れぬよう、 正午に教会の鐘を鳴らすことを全キリスト教世界に習慣として定めたのだそうです。 しかし70年後の1526年、モハーチの戦いでオスマン=トルコに敗れたハンガリー王国は、その国土を三分割され、 三分の一をトルコ直轄地に、三分の一をトルコ保護区に、そして三分の一をハプスブルク家支配地にされてしまいました。 それから約150年間オスマン=トルコの支配を受けていたものの、次第に領土はハプスブルク家によって奪還され、 ついには全領土をハプスブルク家が支配するに至りました(1699年)。
 以上のようにハンガリーというのは、もともとの民族信仰(シャーマニズム)を捨て、キリスト教国家となり、 それからイスラム教世界の支配を受け、その後再びキリスト教世界となった国なのです。 このような歴史的経緯を思えば、様々な要素が混在しているのが当たり前とも言えましょう。






ハンガリー民話の特徴: マジャール人はそもそも東方からやってきた民族だったので、ロシアやシベリアと同じくシャーマニズムの盛んな民族でした。 ハンガリー民話の中には、例えば『アヒルの足の上で回る城』や『天までとどく木』といった シャーマニズムの宗教儀礼に起源を持つような要素がたくさん含まれています。 このようなシャーマニズムの要素は、古い時代には民話の中に取り込まれるということはありませんでした。 何故なら民話は、農民や漁師や兵隊といった身分の低い者達の娯楽の一つであり、 身分の低い者の娯楽に権威ある宗教儀礼を取り込むことはできなかったからです。 しかし、前の項で述べたようにキリスト教国家となった後は、民間信仰の権威や信憑性は失われ、 次第に娯楽である民話に取り込まれるようになったのでした。
 尚、民話におけるキリスト教的要素は、キリスト教国家であることから教会や祈りが登場することや、 時にはキリスト教に従事する者を笑いの種にしたり、不誠実な者として扱ったりすることに見られます。 神への従事者がこのような扱われ方をしたのは、キリスト教の失墜というよりは、権威ある者への反発であるように思われます。 その根拠としては、前の項のイシュトヴァーンの話のように逸話或いは伝説的な物語の中では、 キリスト教が王の神聖さを強調するために使われているからです。
 さてさきほどハンガリー民話を物語っていた人々は身分の低い人々であったという話をしましたが、 彼らがどのように物語を語っていたのかというと、大人から子供へ語られるのは勿論、夜や仕事の合間に仕事仲間の集団の中でも語り合われていました。 ここで注目したい点は、仕事仲間の集団における民話の語り方は、聴き手あっての語り手という双方向的なものにもなっていたということです。 集団の中で物語を語っている時、語り手は話の途中に『骨!』と叫びます。 それは聴き手に対する話を続けるか否かの問いかけであり、もし話を続けて欲しければ聴き手は『肉!』或いは『噛め!』と叫ぶのです。 その声が聞こえなかったり少なかったりした場合、語り手は話を止めなければなりませんでした。 このようなより巧みであることを求められる語り方によって、ハンガリー民話はモチーフの豊かさ、ドラマチックで美しい表現力を身に付けていったのです。
 ところで、先にも述べたように民話は身分の低い者の娯楽であり、 身分の高い者からは無意味でくだらない戯言に過ぎないと思われていました。 この辺りはハンガリー民話と同じく民話の中に西洋的要素と東洋的要素の混在したロシア民話とは大きく異なる点です(ロシアでは民話を語ることは全ての階層に親しまれていた)。 実際読んでみてもハンガリー民話の方が俗っぽい部分を含んでいます(例えば『ふざけ小僧』という物語ではふざけ小僧が粉屋の夫婦のベッドに糞をぶちまける)。 これも、民話が純粋に庶民のものであった証しであり、ハンガリー民話の特徴の一つであると言い換えることができるでしょう。


ハンガリー民話の登場人物たち: ここでは、ハンガリー民話に登場するキャラクターを紹介してこうと思います。
 日本では太郎、グリム童話ではハンス(ヨハネスの略。ヨハネス他の略し方にヨハンもある)、ロシア民話ではイワンというように、民話にはそれぞれその地域の男の主人公を代表する名前と言うものがあります。 ハンガリー民話では、それはヤーノシュです。因みにハンスことヨハネス(Johannes)とイワン(Ivan)は、共に英語で言うジョン(John)のドイツ語及びロシア語版であり、 これらは元を辿るとヘブライ語の『イエホーハーナーン(エホバの大神はいと恵深し⇒ありがたや)』だそうです。ヤーノシュ(Janos)もハンガリー語の「ありがたや」なのか、それは未確認です。 ハンスやイワンは頭が弱いと軽んじられる末息子(主に三男)であることが多いのすが(勿論最後には成功をおさめます)、ヤノーシュは違います。 頭が良い悪いに関わらず、そこかしこに登場していますし、特に三男であることが多いわけでもありません。 これはおそらく、社会の在り方や語り合う人々の違いによると思われます。 そもそも何故主人公に末息子が多いのかと言うと、これは末息子がその身一つしか持っていない人物だからです。 長男は家督と遺産、次男も長男には劣るものの少しばかりの遺産をもらうことができるかもしれません。 しかし三男にもなると、もらえる可能性は無きに等しいのです。 従って身一つで自分の幸福を勝ちとらねばなりませんし、自分の命以外失って困るものなどないのです。 このような主人公の勇ましい物語を聴くことで、聴き手は苦しい生活の中で生きる希望と勇気を与えられます。 さてではハンガリーの聴き手集団がどうであったかと言えば、これは雇われ労働者の集団です。 ドイツの粉引きのように土地も職権も無く(詳しくはNarrative Galleryの『長靴を脱いだ猫』参照)、遺産と言えば家くらいのものでしょうか。 そのため彼らにとって、主人公が長男か次男か三男かということは、さほど重要な問題ではなかったのであろうと推測されます。
 ヤノーシュが主人公の話⇒『天までとどく木』 マーチャーシュ教会
 次にハンガリー民話の悪役を紹介しましょう。 ロシア民話では『鶏の足の上で回る小屋』にバーバ・ヤガーという恐ろしい老婆が住んでいました(詳しくはロシア民話のバーバー・ヤガー参照)。 ハンガリーの『アヒル(或いはガチョウや七面鳥)の足の上で回る城』に住んでいるのは、頭のたくさんある竜です。 しばしば竜は兄弟で登場します。一番下の弟竜は頭が七つ、二番目は頭が九つ、そして一番上の兄竜は頭が十二と言う具合にその頭の数はまちまちです。 ある話では24も頭がある竜が登場したりもします。頭の数はその竜の強さをあらわす数なのです。
 竜の出てくる話⇒『天までとどく木』
 その他の登場人物で特徴的なのは、ジプシーとマーチャーシュ王です。 ジプシーは他の地域の民話にも出てくることはありますが、活躍する人物として登場することはほとんどありません。 何故なら、ジプシーは流浪の民であり、その村ないし町にとってアウトサイダーだからです。 しかしハンガリーは、他国に統治されていた時代が長く、更に18世紀末頃からは外国への出稼ぎも盛んな国でした。 このため、ジプシーも数多いる外国人の一種であり、その中でも他の国では狡猾と表現されるように頭がはたらく人々として認識されていたのではないでしょうか。 従って、民話の中でもその機知によって苦境を乗り越える人物として描かれているのだと思われます。
 ジプシーの活躍する話⇒『ジプシーの弁護士』
 マーチャーシュ王というのは15世紀のハンガリーに実在した王様で、名君と言われ民衆から絶大な人気を得ている人物なのです。 ハンガリーの首都ブダペストには、この王様の名前を冠したマーチャーシュ教会という教会もあります。 このマーチャーシュ教会は13世紀にベーラ4世の命により建てられたものですが、尖塔がマーチャーシュ王の時代に造られたことからマーチャーシュ教会と呼ばれるようになったのだそうです。
 マーチャーシュ王の話⇒『老人は人生をどのように分けたか』

イシュトヴァーンバジリカ内にあるエルジェーベトのステンドグラス


 因みに、このマーチャーシュと並んで人気のある人物に聖エルジェーベトがいます。
 エルジェーベトは王の娘でした。 彼女は王女という身分でありながら貧しい人々を助け、彼らに食べ物を配っていました。しかし王は、身分の低い者と付き合うことを良しとせず、娘に施しを禁じました。 それでもエルジェーベトは王の目を盗み、カゴにパンを入れて出掛けようとしました。それを見付けた王は、エルジェーベトを呼び止めて、カゴに何が入っているのか訊ねました。 その問いにエルジェーベトは『薔薇です』と応えました。では見せてみよと言われ、仕方なくカゴの上に掛けてあった覆いをとると、そこには本当に薔薇が入っていたのでした。 神が、心優しきエルジェーベトを助けてくれたのです。こうしてエルジェーベトは聖エルジェーベトと言われるようになり、彼女が描かれる時には、必ずと言って良いほどその手に薔薇で溢れたカゴがあるのでした。







『天までとどく木(要約)』

 昔々あるところに王様がいて、王様には素晴らしく美しい娘が一人いた。 ある時、王女が一人で城の庭を散歩していると、突然激しい風が吹いた。 この風は王女をとらえ、庭の真ん中にある天までとどくほど高い木のてっぺんへ連れ去ってしまった。 それを見ていたものは誰もなく、つまり王女は皆の前から忽然と消え去ってしまったわけなのだ。
 王様は軍隊を出したり国中に告示を出したりして娘を探させたが、娘を見付けることはできなかった。 しかしある夜王様は、大風が娘をとらえて庭にある木のてっぺんへ連れ去り、そして今娘が二十四の頭を持つ竜の館にいるという夢を見た。 王様は夢を頼りに、娘を気のてっぺんから連れ戻してくれる勇士がいたら、その勇士に娘と国の半分を、王様の死後は全領土を与えると言うおふれを出した。
 このおふれに、たくさんの王子や貴公子がやって来てこの難題に挑戦したが、誰一人として木を登りきれるものはおらず、 皆途中で滑って落ち、怪我をしたり或いは命を落としたりする始末だった。王様はもう娘に会うこと叶わぬと毎日泣き暮らした。
 ところでこの王様のもとに、その名をヤノーシュという豚飼いの少年がいた。ある日、ヤノーシュがいつものように豚を連れて森に行き、 一本の木の傍らで王女のことを思って哀れんでいると、一匹の子豚がヤノーシュのもとにやってきてあんたこそ王女を連れ戻す人なのさと言った。 それから子豚はヤノーシュにこう助言を与えた。
「木の真ん中辺りまで登ったら、細い枝になる。その枝は細いけれども長さが世界の1.5倍ぐらいある。 あんたはその枝を端まで滑っていかなければならない。そこを越えられれば、きっと木のてっぺんに登れる。 ただ落ちないように気をつけること。そこから落ちるとあんたの骨は粉々になるからね。 枝の端まで行けたらそこでやっと木の葉のあるところまで達するわけだ。 そこには、それぞれの葉に国一つ収まるくらいの大きい葉が何枚かある。 もうそこまで行き着けたら、王女が手に入ると思って構わないし、探し出すこともできるさ」
 ヤノーシュは助言をくれた子豚に礼を言い、その日のうちに王様のもとに出向いて自分が王女を連れ戻すと名乗り出た。 王様は子供には無理だと言ったが、ヤノーシュは聞き入れず行かせて欲しいと強く迫った。 仕方なく王様はヤノーシュを行かせてやることにし、弁当まで持たせて見送った。
 ヤノーシュはいつも持ち歩いている斧を木の幹に打ち込んで、ぐんぐん上へ登っていった。 長いこと登っていって、やっと子豚が言っていた長くて細い枝に辿り着いた。その枝はとても細かったのでヤノーシュは腹ばいになって毛虫のようにはって行かなければならなかった。 そうしてようやく葉のところまでやってくると、ヤノーシュは枝から勢いよく葉に飛び乗った。
 ヤノーシュが葉の上を歩いていると、それを見付けた王女がヤノーシュに声を掛けた。
「ヤノーシュ、どこへ行くのです?」
「あなたを探していたのです。王女様」
 それを聞いた王女は驚いてヤノーシュを館に招き入れた。ヤノーシュは王女に王様が娘のことを思って毎日嘆き悲しんでいること、 そしてこれまで何人もの勇士が王女を救い出そうとしたが皆失敗に終わったことなどを話した。 王女はその話を夫である竜に黙っているように言うと、ヤノーシュに食事をすすめ、竜には自分からうまく話しておまえをここにいられるようにしてあげると言った。
 しばらくすると竜が戻ってきた。王女はヤノーシュを隠してから竜を迎え入れた。 竜はヤノーシュの臭いをかぎつけて、よそ者がいると吼えた。 王女は竜をなだめて、自分の城の豚飼いが自分のいなくなったことを心配してやってきて、ここで奉公したいと言っているのですと話した。 竜はヤノーシュに馬の世話をする仕事を与えた。たくさんいる馬の世話をするよう命じたが、小屋の一番奥にいる痩せた子馬にだけは子馬が望むものをあげてはいけないと言った。
 こうして馬の世話を任せられたヤノーシュだが、竜の言うとおり痩せた子馬には望む餌を与えなかった。 しかしある時、子馬がヤノーシュに話し掛けて、自分の言うことを聞けば王女を連れ戻すことができるだろうと言った。 子馬は竜をたぶらかして竜の力の源がどこにあるか聞き出すよう王女に言い、そしてそのありかが分かったら自分に言うようにと言った。 ヤノーシュはこれを王女に伝え、王女はそれを実行した。竜はなかなかありかを言おうとしなかったが、あまりに王女が切なくお願いするのでついに話してしまった。
「俺の力の源は俺の森に住んでいる銀色の熊の頭の中にいる猪の、その頭の中の兎の、その頭の中にある箱の中の九匹の雀蜂さ」 王女が竜から聞き出した力の源のありかをヤノーシュに伝えると、それをヤノーシュが子馬に伝えた。
 子馬は薪を一山燃やすように言い、それが出来上がるとその灰を舐めた。すると足が五本ある金色の毛の駿馬(パリパ)になった。 ヤノーシュは子馬の言うとおり竜の倉から壁に掛けてある一振りの剣と金の鞍をとってきて、鞍を子馬の背につけた。 そうして竜の森へ出かけていき、銀の熊を倒しその頭を二つに割った。すると熊の頭の中から猪が飛び出したのでこれもしとめ、その頭を割った。 猪の頭の中から飛び出した兎の頭も二つに切り裂くと、そこから例の箱が出てきた。 ヤノーシュはその箱を雀蜂もろとも石で粉々に砕いてしまった。
 竜は力の源が奪われたことに気付くと戻ってきたヤノーシュに許しを請うた。しかしヤノーシュは許さず、竜の二十四の頭全てに剣を突き刺し竜の息の根を止めた。 それから王女とともに子馬の背にまたがり、地上に戻った。
 地上では王様が悲しみのあまり死の床に就いていた。 王様の部屋に入ると、王女は王様に抱きついて再び会えたことを喜んだ。そして王様も喜びの涙にくれた。 それから王様はヤノーシュに、今日からおまえがこの国の王であり、我が娘と我が国はおまえのものだと言い、それから間もなく亡くなった。 ヤノーシュは王女を妻に迎え、その国の王となった。



『ジプシーの弁護士』

 ある一人の貧しい男が、居酒屋に十二年間奉公していた。毎日、ゆで卵三個をもらい、着る物も渡されていた。ところがお金は一銭たりとも与えられなかった。 ある日男は、十二年間も奉公しているのだから多少の給金をくれても良いのではないですか、と居酒屋の主人に話した。 主人は、これまでも渡してないのだから、これからも渡さない、と答えた。
「そうですかい。くれないなら、暇をとらせてもらいますぜ」
 そう言うと、貧しい男は居酒屋を後にして別の店で働き始めた。ところが居酒屋の主人もこのまま黙っているものかと、損害賠償の訴えを起こし、この男が奉公している間に食べた卵の数はこれこれで、 その卵からは、これぐらいの雛が孵ったはずで、その雛は、これぐらいの卵を産んだはずだ、と主張した。 これを聞いた貧しい男は仰天した。どうやって居酒屋の主人の要求額を払えばいいのだ。 思案した男は、弁護士をたずねてみたが、どの弁護士も大金を請求した。 最後に、一人のジプシーの弁護士に出会い、半額で引き受けてくれることになった。
 裁判所に出向くと、居酒屋の弁護士と、それに裁判官までもが口を揃えて、居酒屋の損害は莫大である、おまえは、それを支払う義務がある、と言った。 するとジプシーの弁護士が立ち上がり、煮豆の入った壺を抱え、煮豆を取り出してこう言った。
「公平な裁判でないことが、私には良く分かりました。こちらの言い分は聞こうともしない! 真実が得られないのなら、私は家に帰ります。 この壺の中の煮豆を畑に蒔いて、せめてこれだけでも哀れな男に残してやりたいと思います」
 裁判官が聞き返した。
「何を蒔くんですと? 煮豆? 冗談言わんで下さい。煮豆から目が出るわけがない!」
「出ませんか?」ジプシーが問い返した。「でも、この男が食べたゆで卵からは、雛が孵ったはずでしたねぇ」
「いやぁ、ジプシーの弁護士さんに一本取られましたな!」と裁判官が言った。「確かに、君の言うとおりだ。居酒屋の主人は卵をゆで、それを与えたのだ。雛の孵るはずがない!」
 というわけで、その貧しい男は数え切れないほどの雛の代金を払わずに済んだばかりか、これまで何度頼んでももらえなかった給金を、居酒屋の主人に支払わせることもできた。 そしてこの給金の半分が、ジプシーの弁護士の手に渡された。



『老人は人生をどのように分けたか』

 マーチャーシュ王が、ある村に行った時、村のはずれで八十の老人に出会った。その老人は涙を流して泣いていた。マーチャーシュ王はたずねた。
「じいさんよ、何故泣いているのか?」
「親父に殴られ、どうして泣かずにおれましょう」
「親父は健在なのか?」
「はい」と老人は答えた。
「どんな老人か会ってみたいものだな」
 二人は中庭に入り、老人の父親と会った。挨拶を交わした後、マーチャーシュ王がたずねた。
「親父どのは何故、この息子を殴ったのか?」
「何故って、この悪童が、わしの親父を馬鹿にしたからですよ」
「えっ、そなたの親父も生きているのか?」
「そうですともさ」
「会ってみたいものだな!」
 三人が部屋に入ると、老人が腰をおろしていた。マーチャーシュ王がたずねた。
「親父どの、そなたは大層な老人と見受けるが、どのようにして立派な人生を送ったのか? どのように人生を分けたのか?」
「わしの人生は、三を六で、六を九で分けたものです」
 マーチャーシュは老人に言った。
「この答えは、私の肖像画を見るまで、誰にも言わぬことだ」
 マーチャーシュ王は、次に、こうたずねた。
「ところで、三頭の雄山羊を騙すことができるか?」
「できますとも」
 やがて、マーチャーシュ王は城に戻り、高い位を求める家臣たちに、老人が人生をどのように分けたか、つまり、どのように三を六で、六を九で分けたかを解き明かすよう命じ。もし解けなかったなら命はない、と告げた。 家臣たちは老人を探すため、国中に散った。ある日、家臣の一人が老人を見つけ出し、たずねた。
「これこれ、しかじかの謎を解けるだろうか」
「そりゃ、解けますよ。だが、ただで教えるわけにはいきません」
 交渉が繰り返され、家臣は結局金貨千枚を払うことになった。金貨を手渡したその直後に、また別の家臣がやってきて、これこれ、しかじかの問題を解けないかとたずねた。
「そりゃ、解けますよ」老人はそう答え、この家臣にも、金貨千枚で解き明かした。
 そこへ、三人目の家臣もやってきて、老人は同じように金貨千枚で解き明かした。
 三人は、その足でマーチャーシュ王のところへ行き、謎を解いてみせた。話を聞いたマーチャーシュ王は老人を呼び出した。
「じいさんよ、私の肖像画を見るまでは、答えてはならないと言ったはずだ!」
「王様、わしはあなたの肖像画を、一度ならず、三千回も見ましたよ」
 老人は金貨三千枚を見せて、マーチャーシュ王に、どのように三頭の雄山羊を騙したか説明した。 つまり焼いて三日目のパンよりやわらかいものは食べず、六年目の葡萄酒より新しいものは飲まず、九ヶ月に一度だけ、かみさんと夜を過ごしたのさ、と解いたということだ。