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          (笠閉市編旧の採石場跡地の自然保護運動の経緯)

                           ふじみ湖原告団 渡辺重行

ふじみ湖とは

 茨城県の中央西部に位置する笠間市は、周辺の常北町や七会村などと、同じような地層でできた低い山にかこまれた盆地の中にある。

この地帯は、良質の砕石が採れるところとして、昭和40年代に盛んに採石業が進められ、、61年の倒産まで10数年操業をしていたが,湧き出し続ける水に悩まされていたと言う。倒産後はここを管理する者もいないことで、湧き出した水は湖となり、採石場をオーバーフローした水は、低い所を求めて流れ出し、約1ヘクタールの湿地を造ることになったが、その存在は、地元のほんの一部の人と、時おり訪れる釣り客が知るだけだつた。一般の人たちが、この採石場跡地の自然的価値に気づくようになったのは、平成11年9月に茨城県が、新聞紙上でここに公共関与の産業廃棄物最終処分場」と「高温溶融炉の中間処理施設」を造ると発表したことによる。
 この発表に関心を持った人たちが、現地を訪れて見たものは青く澄んだ美しい湖と、湿地の上を飛ぶたくさんのトンボたちでした。それは訪れる前に持っていた「採石場跡地は荒廃した所」と言うイメージを打ち消し、自然の創り出したすばらしい芸術に、深い感銘を受けることになりました。
この自然に感動した人たちは、どうしてもこの豊かな自然を残したいと考え、もともとは地元の人たちが、お富士山と呼んで「富土浅間神祉」をお祀りしていた山を削って出来た湖なので、「ふじみ湖」と名づけて保護活動を進めている所である。


笠間市福田の採石場跡地の自然

採石場跡地の形の変化

 国土地理院発行の地図や航空写真から、昭和45年にはまだ採石業は行われてはおらず、県道の脇には水田があり、奥に向かって針葉樹が生えている。昭和49年には一部採石を始め、昭和55年には現在のほぼ半分くらいまで採掘が進み、昭和60年には現在の形状になっていることがわかる。61年に採石業者が倒産をして採石業は中止となり、現在に至っている。

湧水の状況

 採石場が営業していたころ、従業員として現場に山入りしていた人からの話によると、昭和58年ごろ、現在湖の奥に見える大きな岩の下のを掘り進んだ時、白い上質の石灰岩の下のほうから湧水が出たと言う。水量は12時間で5.60アールの湖面の水位が7.80センチメートル上昇する状態で、砕石を採るためには直径150ミリ(100ミリと言う人もいる)のポンプ(おそらく単純な水中ポンプと思われる)で、24時間汲み続けなければならなかったと言う。
昭和57年の航空写真を見ると、採石場中心部に水が溜まっているのが見える。平成4年の写真からは、ほぼ現在の状態になっていることがわかる。
 湖面から流れ出す水量は、県の調査資料によると渇水期(冬季)で毎分40リッター.
豊水期(降雨後以外の夏季)は毎分1O0リッターとなっている。
 水質については、平成12年11月に、湖水の電気伝導度などの簡易水質検査を行ったが、電気伝導度が475ms/cmとかなり高い数値を示し、ぺ一ハーも8.5とアルカリ性を示した。反面、生物による汚染を示す、アンモニア性窒素、亜硝酸性窒素、硝酸性窒素、CODは、ほぼOに近い状態だった。この結果はその後県が行った水質調査と一致するもので、ここの水が周辺の水と違うことを示している。県の調査報告書でも、「湖水はCaS04型(坑内水温泉タイプ)で沢水や河川水と比ベイオン濃度が高く水質形態も明瞭に異なる」と記載されている。
 これらの観測結果から、ここの水は県の言うような“たまり水”ではなく、石灰岩と係わりのある湧水と考えるのが妥当であろう。

植物について

 県の資料によると、シダ植物以上の確認された植物は122科648種とされている。
うち、『茨城における絶滅のおそれのある野生生物(植物編)』に記載された種は、4科7種である。これは、周辺の範囲まで調査をした為で採石場跡地内はスゲの類とイヌドクサが多いのが目立つ。その一部に絶滅危倶種に記載されているシランが生育している。
 ここの湿地はボーリングデータなどから見ると、7メートルくらい砕石などの残土を埋めて現在の地盤が造られているようで、湿地を潤す水は湖からの表流水と地下から供給される地下水である。この水はきわめて栄養のない水のために、長年にわたってスゲやイヌドクサなどの成育を肋けてきた。
 周辺斜面はススキやクズが地面を被い、赤松の幼生やヤシャブシ、リョウブなどが点在し周辺の2次林の植生に戻りつつある。

動物について

 動物の全体像については、県の資料を参照し、ここでは、オオタカとハッチョウトンボ、オゼイトトンボについて述べてみる。
オオタカについては、国の「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」で、国内希少野生動植物種に指定され、「レッドリスト」では、絶滅危惧U類に、さらに、「茨城における絶滅のおそれのある野生生物〈動物編〉では、危急種にランクされていて、大変注目されている野鳥である。
 採石場周辺で頻繁に飛行が見られることや、採石場内の平場でキジ、カルガモ等の羽が散乱していることから、近くに営巣地があると思われていた。県の調査からは、今回調査範囲からわずかに離れたスギの木で営巣と育雛が確認され、調査地内の樹林の中で幼鳥の鳴き声が多く聞かれたと言う。
これらのことから、この採石場跡地はオオタカにとって、目常的な狩場としてばかりではなく、幼鳥の狩りの練習の場として、非常に重要な位置を占めていると考えられる。

 ハッチョウトンボは、日本のトンボの中では一番小さな形をしているトンボとして有名である。
ミズゴケ、モウセンゴケ、サギソウなどの生育する湿地に生息していたが、各地で開発や森林荒廃で生育環境が悪化し、現在は県の「茨城における絶滅のおそれのある野生生物〈動物編〉で、希少種にランクされている。
 この採石場跡地では、湖周辺や平場のスゲ類のある所に、非常に多くの個体を見ることが出来る。
 
 オゼイトトンボは、尾瀬で発見されたのでこの名がつけられたと言われている。きれいな水のある湿地に生息していて、県内では山間部の湿地で見ることができる。県中央部や海岸部の沢水の流れる所でも生息していたが、生息地が開発されるなどで個体数も激減したため、前種と同じような指定を受けた。
 ここでは、湖の西側の斜面近くと、湿地の最下流部の斜面近くで数個体を見ることが出来る。

採石場跡地の自然をどう見るか?

 福田周辺の自然を植生的に見ると、潜在的には佐白山周辺に見られるような、ヤブコウジ、ズダジイ群集に属すると考えられるが、人家の周辺のためスギ、アカマツ、ヒノキなどの植林された林と、コナラ、クヌギなどの2次林、畑、水田などがモザイク状に混在する、いわゆる典型的な里山といえる。
 この採石場跡地も昭和45年代までは、周りと同じような水田と植林のある沢地だった。昭和61年の航空写真を見ると、まさに草一つ生えていない不毛の地となっている。それから16年後の現在は、山の斜面はクズ、ススキ、アカマツ、ヤシャブシなどの光を好む植物が生え、岩の間から湧き出した水は、透明度の高い水をたたえた湖と湿地を造った。
 ここの自然の特徴を考えるとき、この水に重大なポイントがある。もしこの水が周辺の雨水を集めただけのものとしたら、晴天が続く時は湖面からの蒸発で、湿地への水の供給は止まり乾燥に耐えられない植物は生息できなく、湿地周辺は乾燥に強いものだけの生えるもっと単純な植生になっていたと思われる。反対に栄養豊當な水が流入していたならぱ、極端に言えばアオコが発生するような水の場合は、湖水は濁り流れ出した所の湿地はツルヨシやガマに覆い尽くされていたことだろう。
 そうならなかった最大の理由は水質にある。水質調査からもわかるようにここの水はCaイオンとSO4イオンが多い坑内水や温泉タイプの水で、かつ水温が一年中一定を保っている。さらに栄養のない水のため、植物が巨大化するのを妨げ、スゲ類やイヌドクサなどの群落を安定して存在させられることになった。これで県内の各地で見られた湧水を持つ沢地の再現になった。
 その結果として、採石場を始める前から生息して、採石場操業中は周辺の山際のわずかな湿地で細々と生きてきた、ハッチョウトンボやオゼイトトンボを含めたトンボ類が、植生が回復したために、県内では珍しく種類も個体も大変多く生育できるようになり、県もここの湿地を保護することを決定せざるを得なかった。
 ここの自然を一口にいえば、人為によって破壊された自然が、自らの治癒能力で再生してゆく過程をまじかに見られる、きわめて特殊な所といえる。わずか16年でこれまでに回復した自然を、人間がまた破壊し、人類の負の遺産の産業廃棄物を捨てる場所にして良いのだろうか。人間の良識が間われている、トップページへもどる