陳述書
1999年(平成11年)3月こ30年聞の勤務を止め、第二の人生をスタートさせたばかりの時でした。(奇しくもその年は、9月に東海村の原子力施設こおいて、あってはならない臨界事故が起き、お二人が犠牲になられ、沢山の方が被爆されました。)秋の頃、笠間市福田を通ったところ、沿道に夥しい看板。この平和な集落にどうした事だろう? ただならぬ様子に大変びっくりしました。何故なら、この地には沢山の知人もおりました。
11月になって、ガス屋さんの「お宅の裏ですよ。」の一言から、私の産廃は始まりました。 私の住まいは計画地から東へ1km余りで、ちょうど風下に当たります。この私の住む友部町上市原もこの巨大な廃棄物処分場建設に不安の声が上がりはじめ、2001年(平成13年)4月21日にやっと処分場の説明会開催の要請にいたり、その中で県の方は、「700m〜1kmの大気汚染がひどい。」又「造れるものも造れなくなるから福田の住民には黙って計画した。」ということです。ひどい話に、怒りがこみあげてきました。はじめから住民の事など念頭になかったのです。これが最初で最後、友部町当局は「県がやることだから…」といい、上市原での処分場対策もなくなり、県の行政のなすがままになっていきました。
この処分場は、表向きは住民の理解を充分得ると言いつつ、住民抜きの「はじめに建設ありき」だったのです。選定の理由も、
@砕石場跡地、
A99%が東京の地主一人、
B県道、国道に近いということでもあり、
最適地とはこういう事でした。そこには、住民の健康や食糧生産の場である60町歩の田畑も、ふじみ湖の形成した美しい景観も貴重な生物の住む湿地も考慮されていなかったのです。「基本計画策定委員会」や「環境保全委員会」に参加されている、日本をリードする学者先生がついていながら、目に入っていなかったことは残念でなりません。
茨城県は、1994年(平成6年)に千代田町の「雪入ふれあいの里」を自然公園等施設整備事業として、環境庁との補助事業で整備しました。笠間の現地と同じように砕石場跡地ですが、水が溜まっており、(三つの池に名前をつける等)千代田町が跡地を買い入れ、自然保護と住民いこいの場として、一方では保護され、こちらは無残にも80万t{地球上には14億立方kmの水があり、そのうちの97%(海水)3%(淡水)そのうちの70%(氷)利用できる淡水は全量の0,8%と言われ、飲み水に困っている人もいます。9市町村の年間給水量の9分の1に当たり、とってももったいない。}もの水を抜かれ、再々破壊が繰り返され、処分場にされてしまったのです。外国では工事中でもしてはいけないと思った時は工事を止めるそうです。テレビでの記憶で定かではないのですが、イランの遺跡を壊していた時、「これはもったいないから残しておいた方がいい」と工事の人が訴えて止まったのですが、日本の場合は何が何でもやる。尾騎行雄の娘さんで「NPO法人 難民を助ける会」の会長である、相馬雪香さんの言葉を借りれば、「日本はお金のことしか考えない冷たい国。」早く人間性を取り戻した、いい国にしたいと思います。私はこの陳述に当たり、長く苦しかった6年間を想い、夢中で記録し続けた沢山の写真、膨大な資料を今、胸痛む思いで眺めております。振り返って思う事は、どうしてこんな大きな処分場が、住民の反対の声が大きいにもかかわらず、しかも、美しい水を抜いてできてしまったのだろうかと言う事です。
アメリカの自然科学者、レイチェル、カーソンは「センス、オブ、ワンダー」=神秘を感じる心、という本を書いていますが残念ながら、この計画に携わった人すべてに、このセンス、オブ、ワンダーがなかったのが、とても悲しいです。
私の目は見ています。最後の工事まで地下からあふれてくる水で、ずうっと水抜きしていた大変な工事だったことを。
2002年5月2日〜5月8日まで、渇水による農業用水確保のためとして(直径15cm位のパイプ)で放流された時、2ヵ月ほどしてもとの水位に戻ったことを。その年は大変な渇水期で、8月頃は特にひどく、内原町のゴルフ場の池は地割れし、上市原の金山池も2m位水位が下がりましたが、ふじみ湖は全然水位が下がらなかった。
又、私は感じています。この理不尽な出来事の数々を。
・「基本計画策定委員会」や「環境調査委員会」等を傍聴しようと思っても「数に限りあ り」と書いてあり、行く意欲をさえぎられ、質間も口頭から書面で、書面から郵送とな り
・ RAS=レインボーブリッジ(NPO,NGO)という県外の組織の人が、一夜笠間の住民にな りすまし、基本計画策定委員会のときに「この処分場を造って下さい。」と言ったこと を。
・福田の現地に住民相談という名目で、「現地相談窓口」が出来た時は、悪い予感が しました。ほどなく行政主導の対策協議会が結成されたことを。
・平成13年、12月16日に開催された「知事との意見交換会」は、福田地区住民以外 の人は、寒い夜空の中、屋外で2時間置かれたこと
12月17日「環境大臣から廃棄物処理センターの指定、
12月18日「基本協定書の締結(住民抜き)と絵にかいたようなお膳立て。
・起工式の前の目かくしネット、外から何も見えない白いシェルターの中での起工式。
・300mの住民同意もいつしか不必要にされ。等々。
今、地元福田住民の人ばかりでなく、私たち周辺住民の生活は一変し、身も心も蝕まれ、亡くなっていく人もふえています。煙突の煙や、悪臭に脅えの毎日です。
私たちは、このかけがえのない地球の一部をお借りして、住んでいるという謙虚さをもちたいものです。人間の騎りに満ちた生活を是正する上でも、裁判所による建設差止めは、とても重要な意味を持っています。裁判所の皆様のカ強い適切な判断を期待して終わりと致します。
2006年4月18日
笠間市上市原1-209 小林暁子
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