無名抄 その十


 我が師の恩


全日本弓道連盟の機関誌「弓道」を読んでいると、

優勝者のインタビュー記事などに「昭和○年、○○範士に師事し弓の道に入り…」と

最初に教えを受けた先生のことが書いてあります。

私達のような、高校で弓道を始めた人間の場合、顧問の先生の名前が上げられるのでしょうか。

ただ、弓道の段を持っている先生がいる高校は、そう多くはありません。

柔道や剣道なら結構経験者や有段者がいるものですが、弓道は少数派です。

現在の一関一高弓道部には、ありがたいことに二人も弓道有段者の先生がついていて下さいます。

関高弓道部女子団体を初のインターハイへと導いた、素晴らしい先生方です。

私が高校一年の時にも、別の二人の有段者の先生が顧問として指導して下さいました。

教士七段T先生と、五段(のちに錬士五段)K先生のお二人です。

  ◆ ◆ ◆

T先生は、学校では指示棒代わりに壊れた巻藁矢(?)を手に授業していらっしゃいました。

校地から遠く離れた弓道場には自転車で指導に来られ、時には道場へ向かう部員の自転車を

「遅いぞ〜」と、追い越したりもしていました。

「あと30分で職員会議が始まるから学校に戻らないと。はやく準備して引け!」

道場から学校までは、自転車だと急いでも15分はかかります。

にもかかわらず、わずかな時間を割いてご指導下さったこともありました。

私達は、そんなT先生の厳しい指導についていこうと頑張りました。

でもやっぱり、弓道は始めたばかり、そう簡単には教えられた通りに引けません。

「お前の矢飛びだと、離してから俺が走っていって的に届く前に(飛んでいる矢を)つかめるぞ

「ちゃんと狙いを一定にしてるか?こっちで1センチ高さを変えたら、的まで28メートル飛んでいく間に

どのくらい高さがずれるか解るか。狙いや矢つがえの位置はころころ変えるな」

先生のご指導はいちいち正しく、そのとおりに引けた時は必ずといっていいほど中たりました。

「なんでいつもそう引かないんだ」「ちゃんと引けるなら大会でもそのように引け!」

T先生、なかなか誉めてはくれません。

厳しい中にも、時には楽しい出来事もありました。

冬場の弓道場の寒さは尋常ではありません。暖房設備は皆無。矢道に積雪。安土も水道も凍結。

床はビニールかゴムの廊下のようなぺたぺたした素材(木材ではありません)。

その上にじゅうたんを敷いて、なんとか足の裏の冷たさは凌いでいました。

指導に来られたT先生も、イスに座ったまま「寒い寒い」と動きません。

「じゃあ先生、あたしのコート貸してあげますよ」「俺のもどうぞ」「怪獣スリッパもありますよ!」

部員からかき集めたコートやらブルゾンやらマフラーやらにくるまったT先生は、まるでミノムシ

写真にとっておきたかった思い出その弐でした。

先生はその後、小型のホットカーペットを道場に寄贈して下さいました。

うちの弓道場は時々停電に見舞われました。何が原因だったのかよくわかりません。

となりのグラウンドで夜間照明設備を使い始めると停電になる、という説もありました。

日が短い季節に突然電気が消えては、練習は中断せざるをえません。

あるとき、車で部活に来ていたT先生。いつもの停電に対処すべく捨て身の行動に出ました。

車を道場の横につけてヘッドライトで安土を照らし始めたのです。

「先生〜そんなことしたらバッテリーがあがるんじゃ…」

「いいからはやく練習しろ〜」

練習終了後、先生の愛車は無事動き、部員一同ほっと一安心。近年は停電はないと聞いています。

先生が全国大会に出場したときに買ってきて下さるお土産も、私達の楽しみのひとつでした。

厳しくも楽しい日々は、残念ながら1年間で終ってしまいました。

T先生が転勤されることになったからです。私達一年生部員の落胆は大きなものでした。

二つ上の先輩が個人でインターハイ出場を果たしたのを見て大きな目標を見つけ、

「先生に教えられる通り頑張れば、私達だって!!」と、はりきって練習をしていた時に…

春休みのある日、T先生が「今日で最後だ」と部活に来て下さいました。

「先生、ボーリングに行きましょう!」「上手だって聞きましたよ〜」「ほんとですか、見たい〜!!」

先輩達が、練習後に言い出しました。先生は渋っておいででしたが、先輩達の粘り勝ち。

この日部活に来ていたのが少人数だったこともあって、みんなでボーリング場へ行きました。

私は生まれて初めてのボーリングで、へんてこなフォームで皆さんに笑われました。

噂に違わずT先生はとても上手で、「ターキー」というのを出して部員の拍手喝采を浴び、

にやりと照れたような笑みを浮かべていたのを思いだします。

転勤されてから最初の県大会(高総体)で、先輩の一人は気がつきました。

T先生が、関一弓道部から記念にと贈ったネクタイを締めて審判席に座っていた事に。

その後もT先生は関一弓道部を気にかけて下さり、大会でお会いするとアドバイスして下さいました。

私達が三年生になり、高総体県大会の初日半減予選を3位で通過したときには、

わざわざ宿舎までお祝いの差し入れをもっておいでになり、ものすごく感激したものです。

歳月は流れ、私は一般弓士となりましたが、地元にいるものですから、いまだに大会でお会いすると

「先生! 私、今日の射はどうだったでしょうか」と無理無理ご指導を仰いでいます。

先日、14年目にして初めて、ちょっとだけ誉められました。

これを励みとして、これからも無理無理ご指導をいただき、精進したいと思います。

  ◆ ◆ ◆

五段のK先生もまた、熱心に私達を指導して下さいました。

私の在学中ではありませんが、先生が顧問をしている時期に弓道場が大雨による冠水に見舞われ、

先生と奥様が腰まで水に浸かりながら弓具を救出した、という話を聞いたことがあります。

K先生に怒られたという記憶はありません。いつも笑顔で、基本を丁寧に教えて下さいました。

ある日、先輩が道場の床にはいつくばって、ゴルフボールの上にキン肉マン消しゴムを立てようと

夢中になっているところへK先生がやってきました。「…何してるんだ?」

危うし先輩、怒られるかと思いきや、先生も一緒に床に腹這いになってしまいました。

理科の教師の面子にかけて地球の引力と闘っておいででしたが、たしか成功はしなかったような…

また、あるとき先生が「一関じゅうのおもちゃ屋を探し回って、やっと見つけたぞ!」と言って

ゴム風船を買ってきたことがありました。

「これを膨らまして、糸に結んで割箸につけて、安土に刺して来て」

毎日の単調な練習の息抜きに、「風船割」をやってみようというのでした。

一般の弓道会で余興として行われると言われましたが、高校生の私達には初めてです。

「先生、的があんなに動いちゃ中たるわけないっすよ!」「小さすぎる!!」

「まあいいから、よく狙って風が止んだら離してみなさい」

「え〜、風が止まなかったらどうするんですか!?」「中たったら何か賞品でるんですか?」

みんなでワイワイ大騒ぎ。先生もとても楽しそうでした。

また別のある日のこと、射場から雨上がりの空を見上げると虹が三本見えたことがありました。

「先生!! 目の錯覚かな、虹が三つ見えます!!」「わぁ、珍しいな。あれは光の反射が…」

K先生はやはり理科の教師らしく何故三本見えるのか解説して下さいましたが、

文系の私にはよく解りませんでした(^^;)

K先生は一関一高時代に2回、インターハイへの引率をされています。

前にも述べた二つ上の先輩の個人準優勝のときと、私達の代の大将の個人優勝の時です。

「生徒のおかげで旅行ができたよ」と喜んでいたと、最近御家族に伺いました。

K先生が転勤されるとき、私達は大学生で離任式の日に帰省することができたので、

代表2人が花束と寄せ書きを持って予告なしに関高の職員室を訪ねました。

先生はびっくりしながらもとても喜んで下さいました。

「大学でも弓道続けてるんだってなぁ。頑張ってな!」

念願の錬士の称号も認許され、転勤後もいっそう弓道に励まれ、これから、と言うとき。

突然の訃報を知らせる電話が、元同僚だった私の親戚からかかってきました。

私は信じませんでした。似た名前の先生と間違っているんだろう、と。

同級生への連絡もせず、ぼんやりしていると同級生のからの電話が。

「後輩から電話があったんだけど…K先生が…」信じがたいけれど、事実でした。

地元に住む同級生みんなでお通夜に参列し、遺影の中でさえも笑顔でいる先生に手を合わせました。

40代の若さで、優しい奥様と、可愛いお子さん達と、大好きな弓道と別れなければならなかった先生。

どんなにか御無念だったことでしょう。 もっともっと、弓を引いていたかったことでしょう。

私は運良く健康に不自由なく生活し、当たり前のように働き、当たり前のように弓を続けています。

先生のお気持ちを思うと、本当に1本の矢もいい加減には引けません。

いつのまにか、K先生が私達を教えておいでだった時の段位に、並んでしまいました。

弓の難しさと楽しさを教えて下さったK先生のように、私も若い人達を指導していけるでしょうか?

「頑張ってな!」 先生のキーの高い声が、今でも聞こえるような気がします。

  ◆ ◆ ◆

私達、関高10代目弓道部は、たいへん恵まれた環境で弓道を始めることができました。

全国レベルの厳しいT先生、向上心あふれる優しいK先生、このお二人のおかげです。

今のところ、研修会などで「あなたは誰に教わってるの?」と問われるのは注意を受ける時ばかり、

うかつに「○先生です」と答えたらその先生が恥をかくのではと冷や汗をかいている状態ですが、

いつか誉れある場で「誰先生に教わったのか」と問われたら、迷わずに答えます。

「一番最初にご指導いただいたのは、T先生とK先生でした」と。

我が師の恩に報いる日が来るのは、いったいいつになるやら…気長に待っていていただきましょう。


2002.08.12 観

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