お祭り 團十郎の復帰 2004.12.9 W94

4〜5日、京都南座顔見世の夜の部と昼の部を見てきました。

主な配役
鳶頭成吉 團十郎
芸者お京 雀右衛門
鳶孝次 海老蔵

「お祭り」―「再茲歌舞伎轢」(またここにかぶきのはなだし)のあらすじ
今日は赤坂・日枝神社の山王祭。一人の美しい芸者に威勢の良い鳶の者が絡む。

そこへ粋な鳶頭がやってきて、挨拶をかわす。振る舞い酒でほろ酔い気分の鳶頭は、芸者を相手に、去年の山参りの帰り道で馴染みとなった女との惚気話を始め、都々逸を唄ったり、狐拳の様子を見せたりする。

すると若いものがやってきて、喧嘩を吹っかけるが鳶頭はなんなくこれを追い払う。芸者と若い鳶と三人でにぎやかに引く物尽くしの踊をみせる。

そうして、若い鳶たちが見送る中、芸者と鳶頭は二人で、去っていく。

5月に海老蔵襲名公演半ばで白血病で倒れた團十郎の復帰第一声は、南座の顔見世で聞くことができました。ちょっとふっくらしたかなと思うほどで、声にも目にも以前と同じ力強さが感じられ、團十郎の存在は舞台がほのぼのと明るくするようにさえ思えます。

1826年初演された「お祭り」は三変化舞踊の中の一つで、「申酉の」という出だしの歌詞から通称「申酉」と呼ばれています。山王祭りでは猿と鶏の山車が先頭になるところからきたものだそうです。

「申酉の〜」の清元の後、浅葱幕が振り落とされると、雀右衛門の芸者と後ろ姿の絡みの鳶が一人。芸者に声が掛けられて鳶がこちらを向くと、なんとそれはほとんど素顔に近い海老蔵です。

そして海老蔵が揚幕に向かって呼びかけると、花道から團十郎の鳶頭成吉が登場。花道七三で客席に向かって病気から復帰した挨拶を述べます。その時、パリ公演での海老蔵のフランス語での口上にふれ、促されて本舞台で海老蔵がひざをついて、簡単にフランス語で挨拶して見せたのはご愛嬌。

團十郎は「三升」ではなく「寿の字蝙蝠」(じゅのじこうもり)の首抜きを粋に着こなしていました。

●夜の部の「梶原平三誉石切」では、仁左衛門の梶原が颯爽と気分良くこのお芝居を見せてくれました。人間を二人重ねて試し切りする「二つ胴」などという残酷な話はお芝居の中だけのことだろうと思っていたのですが、この間テレビで実際に切れ味の証明として、「二つ胴」と刻まれた日本刀が登場したのには驚きました。

普通は嫌われ者の梶原ですが、このお芝居だけは別で、仁左衛門の梶原が刀の目利きをしたり、裃をキュッと指でしごき上げるところなど、本当に綺麗で見とれてしまいます。真っ二つにした手水鉢の割れ目から前へ飛び出してくる羽左衛門型の派手なやり方も仁左衛門には良く似合います。

團蔵の囚人・剣菱呑助の、スコッチや現代の銘柄も取り入れての新手の酒尽くしには笑いが起こっていました。

「隅田川」の鴈治郎の持って出てきた枝が、普通は柳ではないかと思いますが、白い小さな花がたくさんついた枝で、正気を失った斑女の前の鴈治郎は子供をあやすようにその枝を抱いたりします。

口上には海老蔵とベテランの役者さん13人だけが並び、菊之助など若手は出ず、ちょっとがっかりでした。

「助六」では海老蔵の気合の入った出端がやはり大変印象的でした。くわんぺら門兵衛も團十郎が演じるとしっくりと絵の中に溶け込んで違和感がありません。

菊之助の揚巻は今回もとても美しかったです。今回も並び傾城が4人といつもより少なかったですが、物足りないとは感じませんでした。

菊五郎の新兵衛、左團次の意休ははまり役。名物男の通人、松助は今回休演で亀蔵が替わりました。ヨン様と松ケンサンバがこちらにも出てきました。

昼の部の最初は珍しい「箱根霊験誓仇討」(はこねれいげんちかいのあだうち)で、「誓」というところは本当は「足が悪い」という意味の言葉なのだが差別用語ということで修正したと中村梅玉ホームページにありました。梅玉は以前「敵討天下茶屋聚」(かたきうちてんがちゃやむら)でも、いざり車にのった伊織役をやっていたのを思い出しました。品の良い、けれども生活力のないこういう役が似合う役者さんです。

幽霊となっても夫を助ける初花を秀太郎が演じましたが、願掛けのため瀧に入ろうというとき、幽霊だからということでエレベーターのようなものに乗ってすーっと斜めに崖を登る今回の仕掛には、思わず笑ってしまいました。敵役の滝口上野を我當が演じましたが、この役にぴったりだと思いました。

夫と母のため自分の身を犠牲にする決心をした初花が、半分解けた帯を引き綱がわりに花道を引っ立てられていくところは、他の狂言にはみられない演出です。

非人・月の輪の熊・実は奴筆助の翫雀は、いかにも義太夫狂言らしい三人上戸を面白く見せてくれました。

「暫」では花道七三でのツラネが、ご当地ネタを取り入れた面白いものでした。女なまずは菊之助で「誰かと思ったら成田屋の孝俊ちゃん」と言ったのに対して、海老蔵の方は「音羽屋の菊ねえさん」と応えていました。海老蔵の声は相変わらず深々とした本当に良い声だと思いましたが、高い音が少しかすれていたのが、気になりました。

海老蔵の暫ががんばって声を出しているそばで、富十郎の時平はらくらくとよく響く声を聞かせ、海老蔵が富十郎に「どうやったらそんなに良い声がだせるのか」と聞いたという気持ちがわかるように思えました。

菊五郎の右京、仁左衛門の奥方玉の井の「身替座禅」。仁左衛門は顔を真っ白にぬって、口はおちょぼ口に描き、鼻の穴の周りを黒く塗って滑稽さを思い切って強調。楽しんで演じているように見えました。

玉の井に追いかけられた右京が座禅衾をかぶって逃げ回るところでは、たいていの奥方は右京と顔を合わせるまで衾に気がつかない様子ですが、仁左衛門は衾をちゃんと見ていました。やはりあんな大きなものが目に入らないふりをするのは不自然だと思ったのではないでしょうか。仁左衛門の玉の井は目がとても効いていると思いました。

菊五郎の右京はとても表情豊かに、面白く演じていました。

そして昼の部最後は、團十郎復帰の「お祭り」でした。

この日の大向こう

海老蔵襲名公演ということもあって、たくさんの声がかかっていました。

「石切梶原」では梶原が手水鉢を切った後、「斬り手も斬り手、剣も剣」に続き「役者も役者」という掛け声がきれいに極まりました。

前回はこれを掛けられるスペースがおそらくお三味線の方の「ハ〜ハ、ハ、ハ、」という掛け声で意識的に埋められ、掛けられないようになっていましたが、今回はあらかじめ予定されていたようで、お三味線の掛け声はなく、仁左衛門さんも「役者も役者」を晴れやかな表情で受けていました。

やはり「役者も役者」という掛け声そのものが役者さんに嫌われているわけではなく、中途半端な掛け方が良くないのだなと改めて思った次第です。しかしこの掛け声を上手く極めるのは、なかなか難しそうです。

今回「お祭り」では、5月以来ご病気だった團十郎さんの復帰をお祝いする意味で「待ってました!」と掛けたい方が沢山いたのではと思います。

しかし成田屋の「お祭り」は普通の振り付けと違ってぐるっと一周する振りがないので、どこで「待ってました」と掛けたらよいのか、きっかけがわかりづらかったです。

それでも一人の方がぎりぎりのタイミングで「待ってました」と掛けられ、間髪を入れず「待っていたとはありがてぇ」と團十郎さんが応えられたので、やれやれと安堵しましたが、皆が待っていたという気持ちを表わすには程遠いもので、残念でした。

ですが、これから日を追って掛けどころが知られ、「まってました」と掛ける方も段々増えていくのではと思います。

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