井伊大老 白鸚追悼狂言 2004.10.22 W92

16日、歌舞伎座夜の部を見てきました。

主な配役
井伊直弼 幸四郎
側室・お静の方 雀右衛門
正室・昌子の方 芝雀
長野主膳 梅玉
仙英禅師 段四郎

「井伊大老」のあらすじ
序幕 
井伊大老邸の奥書院
桜田門に近い暗い濠端
元の奥書院
安政六年冬、ここ霞ヶ関の井伊家奥書院では正室昌子の方と腰元たちが、放火された江戸の町の赤く染まった空を不安げに見ている。そこへ千駄ヶ谷の下屋敷から側室お静の方の生んだ子供、鶴姫の容態が悪くなったと知らせが来る。心優しい昌子の方は、直弼が帰宅したらすぐに千駄ヶ谷へ行かせようと考えるが、周りのものは反対する。

大老である直弼は尊皇攘夷派の水戸藩の侍たちと対立し、反対派の公家や武士を罰し、志士たちを処刑したため、反直弼派の侍たちに命をねらわれているからだ。

このようなことになったのは側近の長野主膳の強硬な態度のためだと、昌子の方が心配するところへ、直弼が鉄砲で襲撃されたとの一報が入る。しかし直弼は無事で、一同は安心する。

その頃桜田門に程近い濠端では、井伊直弼の行列が駕籠を下ろしていた。鉄砲で直弼を狙ったのは、直弼の幼馴染の水無部六臣であった。人払いして二人きりになると、六臣は直弼の政策を批判し、大政奉還し、大老を辞すようにと迫る。

これに対し直弼は「尊王派の公家と水戸斉昭が共謀して、自分のみならず帝まで暗殺する計画がある」と話す。「真相を知らないのに、尊皇攘夷を唱えて、若者をあやまらせてしまった」と六臣は後悔し、どうか若者たちの処刑を思いとどまってくれるように直弼へ嘆願する。

一方、昌子の方の下へ鶴姫危篤の知らせが届き、昌子の方は千駄ヶ谷へと急ぐ。六臣を連れて屋敷にもどった直弼は、長野主膳に「なんとか若者の命をすくってやることは出来ないものか」と相談する。主膳は「後の世のためにも心を鬼にして対処するべきである」と、涙ながらに訴えて、席を立つ。

そこへ鶴姫逝去の知らせが届き、亡き娘を思って直弼は号泣する。

第二幕
井伊家下屋敷 お静の方の居室
今日は鶴姫の四度目の月命日。直弼がまだ若かった彦根時代から側室として使えてきたお静の方のところへ、ふたりを昔から良く知っている仙英禅師が訪れて、お経をあげている。

「出家の望みを持ちながら正室昌子の方に対する嫉妬からのがれられない」とお静の方は禅師に話す。すると禅師は傍らにある屏風に目をとめ、これはだれが書いたのかと尋ねる。七日前に直弼が書いたと聞くと禅師は「その墨痕には逃れられない険難の相があるから、その悩みも長くは続くまい」と告げるので、お静の方は悲しみにくれる。

そこへ直弼来訪が知らされると、禅師は「一期一会」と書き記した笠を残し、いずこへか立ち去る。

その笠を見た直弼は、禅師が自分に別れを告げていったのだと悟り、華やかに飾られた雛人形を見ながら、お静と二人で酒を飲み始める。彦根時代の貧しくても楽しかった昔を思い出し、あの頃に帰りたいと心から願う直弼は、藩主になった結果、お静に悲しい思いをさせていることをわびる。

そして自分が正しいと思ってやったことが後世の人に理解してもらえないのではないかと思い、苦しんでいることを打ち明ける。するとお静の方は「正しいことをしながら、世に埋もれたままの人もある」と慰める。それを聞いて心が晴れた直弼は、己の信じるところを貫き、「石の如く死ねばいい」と決心する。

そして「お前だけが私をわかってくれる、次の世も又次の世も決して離れまい」とお静の方の肩を抱きしめる。庭には桃の花が満開、珍しく雪がちらつく、ひな祭りの前日のことだった。

北条秀司作の新作歌舞伎「井伊大老」は昭和31年、先代幸四郎の直弼、歌右衛門のお静の方で初演されました。また先代松本幸四郎が当代に名跡を譲り、初代白鸚を名乗った襲名興行の2ヶ月目に上演された演目で、上演半ばに倒れ、文字通り最後に演じた役でもあります。

この芝居は井伊大老暗殺の前日までのエピソードを綴ったもので、暗い話の上に、政治情勢についての説明的な場面が初っ端から続き、見るほうは辛抱をしいられます。

しかし雀右衛門のお静の方が登場する「お静の方の居室」では途中から、次の間の雛段に飾られたお雛様が披露されると、その緋毛氈のほんのりとした明るさが場の雰囲気をガラッと変えてしまったのには驚きました。

「マッチ売りの少女」がマッチをする場面のように、その明るさは昔の幸せを象徴しているようで、しかも直弼とお静が越し方行く末を話し合っている最中に、一つ一つその雪洞が消えていき、とうとう残りが3つになってしまい、直弼の命がつきようとしているのを象徴している様で、さりげないけれど見事だと感じました。

雀右衛門のお静の方は、出家しようかと迷いながらも本妻の昌子にやきもちを妬くのをやめられない正直で可愛らしい女性。悩む直弼に深い理解を示すところを雀右衛門は細やかに演じていました。雀右衛門はまさにお静の方そのもののように見えました。

この場では幸四郎の直弼は、政治的に大きな責任を負った現在の立場にいるよりも、昔お静の方と一緒につつましく暮らした彦根での生活に「埋木舎(うもれぎのや)に帰りたい、帰りたい」と願う言葉に切ない気持ちがあふれていて、ほろっとさせられました。幸四郎は時代物よりも、こういう新作歌舞伎の方がずっと自然で、科白も聞き取りやすいです。

しかし直弼は「未来も一緒に暮らしたいのはお前だけだ」とお静に言っていましたが、芝雀の演じる正妻の昌子がおっとりとして人柄が良いだけに、それじゃぁあんまり奥さんが可哀相じゃないのと思ってしまいました。昌子の方の腰元を、京蔵、京妙の二人の京屋のベテランの女形が演じて、しっかりと芝雀を支えていました。またお静の方の老女、雲の井は大柄でこれまたベテラン女形の歌江が、個性的な味を生かして演じました。

「実盛物語」。仁左衛門が歌舞伎座では初めて演じる実盛は、瑞々しく鮮やかな口跡と所作が気分の良い舞台でした。眼目の物語では、糸にのった仕方話も臨場感があふれていて、仁左衛門らしい上手さを感じさせます。明朗できっぱりとした動きの大きい実盛で、音遣いの高低差が大きく自由自在で、義太夫狂言の醍醐味を味わわせてくれました。扇の扱いも見事で思わず見とれてしまうほど。

仁左衛門が孝夫時代に書いた「とにかく芝居がすき」という本に、実盛の物語りの中で小万が「浮いつ沈みつ泳ぎ来る」のところの扇子の使い方についての記述がありますが、見ていてとてもよく理解できました。

―有名な團蔵型では扇子が水面を表し、浮いつで扇子を高く、沈みつで低くするのですが、私はこの口伝とは逆に『浮いつ』で水面に顔を出した小万を指す心で遠くの一点を指し、『沈みつ』で扇子を下に向け、上体を伸び上がらせて、水中に姿を消した小万を探す心になります。性根の違いからだけでなく、その場の様子を物語る形容の違いから来る型の違いもあるのです。―片岡孝夫著「とにかく芝居がすき」大和書房より抜粋

太郎吉が覗き見しようとするのを何度も止めたりするところは世話場らしく、男の子が生まれたと分かった瞬間は、思いっきり喜ぶところなどは、人が変わったかというような大きな変化を見せました。

太郎吉を演じたのは男寅で、瀬尾の左團次とは実の孫の祖父。左團次も前半は完全に敵役に徹していたので、もどりになってからのあわれさがいっそう引き立ちました。実盛が太郎吉を馬に乗せて歩くところでは糸にのって馬を歩かせていたのも微笑ましかったです。

最後は「雪暮夜入谷畦道」通称「直侍」で菊五郎の直侍に時蔵の三千歳。菊五郎の直侍はこの役が完全に手に入っていて安心感があります。時蔵の三千歳も「一日会わねば千日の」からの流れも自然で、「いとど思いの増鏡」できまったところもとても綺麗でした。蕎麦屋の場では世話物の楽しさを充分に味わうことができました。また清元がお芝居とよくかみ合っていて、効果満点だと思いました。

この日の大向こう

「井伊大老」の仏間の場で、全員が後ろを向いている時に、「京屋」と掛かったのにはちょっと違和感を感じました。やはりこちらに向き直り、顔が見えた時の方が良いように思います。この日は会の方は3人ということでした。

21日にもう一度見た時には、昼の部の「都鳥」や夜の部の「直侍」といった世話物で、さかんに「〜代目」とかかっていてちょっと違和感を覚えました。しかし掛け声の種類がとても少ない昨今では、「〜代目」と掛けることで変化をつけたいと思う方がいても仕方がないのかなとも思います。

「都鳥」では同じ方が「御両人」と続けて二回掛けられていましたが、これもここぞという時一回にしたほうがいいのではと思いました。「直侍」では清元の「一日会わねば千日の〜」の前に「まってました!」と声が掛かっていました。

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