源氏物語 御園座顔見世 2004.9.22

12日、御園座昼の部を見てきました。

主な配役
光源氏 海老蔵
頭中将 松緑
朧月夜の君 菊之助
葵の上 亀治郎
六条の御息所 扇雀
藤壺 時蔵
桐壺帝 鴈治郎

「源氏物語」のあらすじ
第一幕
桐壷帝の御子・光の君は幼い頃に母・桐壷更衣を亡くし、後ろ盾のないことを案じた父帝は光の君を臣下とし、源氏の姓を与える。

成人した光の君は、面差しが亡き母に良く似ていると聞いた父帝の女御・藤壺の宮への思慕がつのる一方で、ついにある夜藤壺の宮の元へ忍んでいく。藤壺の宮は最初は拒むものの、光の君の激しい恋心と自らの光の君に惹かれる気持ちにまけて一夜の契りを結んでしまう。

数日たった雨の午後、光の君が参内せず、部屋にとじこもっていると、妻葵の上の兄で無二の親友でもある頭中将が様子をみにやってくる。そこで藤壺も体調が悪いと聞いて光の君は気もそぞろとなる。

藤壺の宮は犯した罪に思い悩んでいるが、そこへ桐壷帝が見舞いにやってきて、やさしくいたわるので身の置き所がない。

六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の館ではとりまきが集まって、光の君の最近の女性関係の噂話をしている。それを漏れ聞いた六条御息所は心おだやかではない。前の東宮妃という尊い身分だった彼女は、他の女性たちと同じように噂されるのが耐えられない。

その夜泊まりに来た光の君に、本当に好きなのは藤壺の宮ではないかと、またそのほかの女性関係についても問い詰める。

その頃左大臣家では葵の上が産気づき、無事に男の子を出産する。だがその直前に車争いで葵の上の家来に恥をかかされた六条御息所は、生霊となって葵の上を苦しめる。光の君と夫婦としての幸せを味わったのも束の間、葵の上はその生霊のために命を落とす。

第二幕
宮中の花の宴の夜、酒に酔った光の君は桐壷帝の妻・弘徽殿女御(こきでんのにょうご)の妹、朧月夜の君と強引に関係をもってしまう。もうすぐ東宮に入内することが決まっていた朧月夜の君は、これが原因で入内できず内侍局(ないしのかみ)として宮中につとめることになる。そのため光の君は弘徽殿女御から、いっそう恨みを買う。

一方、宮中では藤壺の宮が産んだ若宮の五十日の祝いがおこなわれ、今は近衛大将となった光の君も祝いの席に連なる。帝が若宮が光の君に似ていると言って喜ぶと、藤壺の宮は狼狽する。実は若宮は光の君との間にできた子供だった。

帝は東宮に帝位を譲り、若宮を新東宮にたて、その後見役として光の君を指名するがその後、桐壺帝はにわかに崩御。それを機会に藤壺の宮は尼となり、光の君は藤壺の宮がもはや会うこともできない、手の届かぬ人になってしまったことを嘆き悲しむ。

第三幕
弘徽殿女御の息子である東宮は即位して、朱雀帝となる。妃には迎えることが出来なかったが帝が愛する朧月夜の君と、光の君の仲はいまだに続いていた。しかしとうとう情事の証拠となる帯と畳紙を朧月夜の父・右大臣に握られてしまう。

今や帝の母となった弘徽殿女御は、「新東宮は藤壺の宮と光の君の間に出来た不義の子だ」という噂を利用し、光の君が帝位を狙っていると言いたて、その失脚を企てる。

人生に翳りを感じた光の君は、自ら身をひき、須磨に蟄居することを決意する。

光の君追放の噂を聞いた藤壺は光の君と会う。藤壺は「光の君と、二人の間に生まれた東宮を守るために尼になった」と打ち明け、別れを惜しむ。

出立の日、見送りにやってきた頭中将は、帝の計らいで朧月夜を伴ってきていた。「もし光の君が望むなら、朧月夜を須磨に連れて行ってもかまわない」という帝のお言葉だったが、光の君はこれを断り朧月夜の君に「帝に真心をこめてお仕えするように」と言い聞かせ、須磨へと旅立っていく。

瀬戸内寂聴脚本「源氏物語」は海老蔵が新之助時代に前編後編にわけて演じていますが、前編にあたる今回の脚本はその時とは違うものでした。なによりも紫の上が、話の中で出てくるだけで実際に登場しないのが一番の違いです。

前回紫の上を演じた菊之助が朧月夜の君を演じましたが、やはり藤壺と並んで光源氏にとって特別な存在である紫の上が出てこないのは、主の不在という感じがいなめず、全体に地味な印象を受けました。これなら、なぜ前回のままではいけなかったのだろうかと疑問に思います。

海老蔵の光源氏は憂いのただようボ〜ッと光り輝くような美しい貴公子そのもので、光源氏は実際このような人ではなかったのかと思われるほどの、現在海老蔵の他のだれかが演じることなど考えられない成田屋代々のあたり役です。

しかしこのお芝居で使われている言葉が現代語なので、ちょっとおかしなところもありました。細かいことですが、「見れる」という言葉はやはり変でしょう。日常使っている言葉というものは、ふとしたはずみで出てしまうものですから、現代の若者とはいえ、役者は日ごろから言葉遣いにも注意すべきだなぁと思いました。

時蔵の藤壺は品がよく優美でしたが、あまり横顔を多用するのは損だと感じました。松緑は直情径行型の頭中條にぴったりだと思います。

葵の上の亀治郎、生霊に取り殺される時のえびぞりの美しさは印象に残りました。鴈治郎の桐壺帝はちょっと帝としては肉感的すぎるように思います。朱雀帝の信二郎は優男の感じがぴったりで、田之助は嫉妬深くて、権力志向の強い弘徽殿女御を人間的に演じていました。

前回の上演の時にも問題になりましたが、第一幕が8場、第二幕が6場、第三幕が4場、そのほとんどが暗転というのは、大変目が疲れるものです。もうちょっとなんとか工夫はないものでしょうか。音楽は第一回目と同じ東儀秀樹でこれは雰囲気によくあっていました。

いずれにしろ新作歌舞伎は必ずしも上手く行くとは限りませんが、歌舞伎が存続していくためには欠かせない分野なので、海老蔵には今後もチャレンジし続けて欲しいと思います。

ところで11日に夜の部を見ましたが、「熊谷陣屋」では鴈治郎家では71年ぶりという、珍しい初代鴈治郎型を見ることができました。鴈治郎の熊谷の出の裃は、橋之助の演じた芝翫型とも違う、明るい色合いの錦織の亀甲模様で、制札の見得の制札の持ち方も文が書いてある方が下でした。

相模は平舞台、熊谷は二重の上で小次郎の首をしばらく一緒に持ちあって、嘆きあうところなどが特徴で、時蔵の相模は初役。相模のわが子の首に対する思いは複雑で、無残な姿になったわが子を見たくないという気持ちもあるのかもしれないという様にも見えました。

肌脱ぎになった我當の弥蛇六の襦袢には平家の武将の名前ではなくて「南無阿弥陀仏」という文字がちらしてありました。

最後は熊谷は二重の上で兜をぬぐと、おかっぱのように髪を切っていて、「十六年は一昔、あぁ夢であったなぁ」と二重の上で言うのも芝翫型と同じです。

相模もそれを見て髪を切り、二人で一緒に花道の引っ込みになりましたが、これは初めて見る型でした。一丁の三味線が閉まった幕の前上手側で弾くなか、まず相模が引っ込み、あとから熊谷が揚幕へ走り込みました。鴈治郎は一部を除いては思いのほかきちんと楷書で演じていました。

それから海老蔵襲名の口上があり、夜の部の最後は「助六」で、菊之助初役の揚巻がとても堂々としていて美しかったです。玉三郎に教えを乞うたものか、とてもよく似ていましたが、まずは完全に教えられた通りにやるのが礼儀とか、それでよいのだと思います。

花道を酔って登場するところはまだちょっと硬いと感じましたが、悪態の初音などは毅然とした態度で吉原の女王の風格がありました。次代の揚巻役者として申し分のない出来だったと思います。

揚巻の白い打掛は今回梅の木をデフォルメして花を大きく金泥で描いたもので、裏が下の胴抜きとおそろいのオレンジ色の錦で上身ごろの紅色とあいまって、若い菊之助にとてもよく似合っていました。

―この菊之助さんの白い打掛ですが、前田静邨画伯の描いた歌右衛門さん所有の打掛を、模写したものです。オリジナルの絵はかなり傷んでしまっていてはいるものの、見事な梅の枝ぶりが今も見る者を圧倒的するとか。

幹や枝は墨絵で、梅の花は金泥で描かれているこの絵は、長い年月がたっているため金泥がかなり退色してしまっています。そこで模写するにあたって、金泥は金粉を混ぜる量で光沢がかわるので、光沢を変化させて梅に陰影をつける際に、若い菊之助さんに似合うよう明るめにと、ご苦心なさったそうです。(このお話は模写された方から伺いました)―

御園座は舞台が歌舞伎座などと違って狭いせいか、並び傾城も4人と縮小されていて、ちょっと寂しかったですが、かんぺら門兵衛の富十郎の上手さが光りました。段四郎の意休は科白はさすがと思いましたが、敵役という雰囲気は薄く、捌き役のようでした。

白酒屋新兵衛の松緑は、声が和事の声じゃないなぁとおもいましたが、しり上がりに良くなりました。亀治郎の白玉は傾城というには雰囲気がちょっと地味でした。通人の松助は北島を真似て平泳ぎで股をくぐり、懐から金メダルを取り出して見せたりしました。

助六の海老蔵は、特に花道の出端などは6月の時より、さらにふっくらとした色気が増したように感じました。7月と同様、あまり高音や低音を使わずに、中音の良い声をたっぷりと出していたのが印象的でした。

この日の大向こう

11日夜の部、12日昼の部ともに3〜4人の会の方が見えていたそうです。一般の方も適度に声を掛けていらしたようです。

名古屋には「八栄会」(やえいかい)という大向うグループがあるということが今回行ってみて分かりました。週末には東京からもいらっしゃるのでにぎやかだということです。

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