すし屋 仁左衛門流権太 W69 2004.3.9

3月6日、歌舞伎座夜の部を見てきました。

 
主な配役
権太 仁左衛門
小せん 秀太郎
弥助実は維盛 梅玉
若葉の内侍 東蔵
小金吾 愛之助
鮓屋弥左衛門 吉弥

女房お米

鐡之助
娘お里 孝太郎
梶原景時 左團次
  

義経千本桜
「木の実」「小金吾討死」「すし屋」のあらすじはこちらをご覧下さい。

 

一昨年の金丸座、そして昨年は松竹座で、仁左衛門の権太を見ましたが、今回もその生き生きとした魅力にすっかりひきつけられました。(前回のウォッチングと合わせてお読みください。)

この権太は上方式とばかり思っていましたが、仁左衛門自身がインタビューに答えて語るところによれば「上方式と江戸式の両方を拝借し、自分なりの工夫も加えて作っている」のだそうです。(3月7日、日本経済新聞「人語る」より)

なによりも権太のしゃべる上方言葉が芝居の流れを軽快にしていて、ポンポンと飛び交う言葉がまるで達者な漫才のようだと思える場面さえあります。セリフの雰囲気は文楽に近いかなと思いますが、去年文楽で簑助が遣った権太は、見かけはもっさりしたおじさんのようで、目はギョロ目。仁左衛門流のすっきりした権太とは大分違いました。

「木の実」では権太のしぐさも調子が良く、わざと小金吾の荷物と自分の荷物を取り替えておいた後、「入れておいた二十両のお金がない、ない、ない」と言いがかりをつけ、両手に持った荷物で地面をたたきながら中腰のままぐるっとその場を一周したりするところなどは、江戸型にはあまりない愛嬌が感じられます。

その後、強請りに掛かるところのイキのよさは、大和の小悪党なんですがまるで江戸っ子のようです。

権太の女房小せんの秀太郎も柔らかな物腰が似合っていて、遊女だった小せんと若かりし日の権太がなれ初めたころの話などが実に自然でした。権太が子供を背中におぶって、三人そろって家へ帰る途中、ふざけて小せんの着物のすそを足でめくったりして、仲の良いところを見せます。

「すし屋」では母親をだましてちゃっかりと金をせしめ、その膝に甘えて頭を乗せるところなど、仁左衛門の権太像がはっきりと浮き彫りになっています。母お米の鐡之助がいかにも息子に甘いおばあちゃんを好演。

権太のために進んで身替りになった女房子供が鎌倉方に連れて行かれるとき、善太郎が父親の方へ戻ろうとするのを小せんが身振りで止めるのですが、そんな様子を見ていられず、うつむいてじっと涙をこらえる権太です。

愛する女房と子供を身替りに差出してまで、お主を救おうとしたのは、何とかして真人間になって父親に受け入れてもらいたいからなのに、理解してもらえないままとうとう父親に刺されてしまう権太。

最後に、息子の形見となった赤い袋にいとしげに頬擦りし、その紐をくわえて死んでいった権太が本当にあわれでした。せっかく善人に戻った息子を、それと知らずに我が手で殺してしまった父親弥左衛門の吉弥は、権太が死ぬ時に、頭をかきむしって嘆き悲しんでいた姿が印象に残っています。

弥助じつは維盛、この役について六代目菊五郎は「何にも考えるな」と言ったそうです。弥助、若葉の内侍、六代は他の人たちとは身分が違うので、犠牲はあたりまえと考え、お里のことについても罪悪感がない、可哀想とは思っていないというのが性根だとか。(「芝翫芸模様」小玉祥子著より)

梅玉の維盛は、権太が今にも死にかけていると言うのに、ちょっと冷たすぎるのではと感じたのですが、これを読んで「なるほど、そういうものか」と思いました。

孝太郎のお里は、おちゃっぴーという感じでしたが、「すし屋」の場の前半を明るくしていました。左團次の梶原は堂々たる押し出しで立派でした。

この他には幸四郎の「大石最後の一日」。新歌舞伎のためか、幸四郎のセリフが明瞭で安心してみていられました。ところで最後の引っ込みで、幸四郎は花道七三で大声で笑いましたが、あの笑いは私にはかなり違和感がありました。

磯貝の信二郎はいかにも二枚目のこの役にぴったり。おみのの孝太郎は、この芝居の中では声が少し甲高いのが気になりました。

もう一つは東大寺二月堂のお水取りを主題にした「達陀 」。最初に花道から登場する大松明が、今月行われる「お水取り」を彷彿とさせる季節感豊かな踊りです。前回南座で見たときと同じ菊五郎、菊之助親子が演じました。

五体投地などの荒行を表した群舞は、大変激しいエネルギッシュなものですが、菊五郎が軽々と踊っていたのには感心しました。それを二回繰り返した團蔵は、歯をくいしばり、気迫で頑張っていましたが、いかにも荒行と言う感じが出ていたと思います。

菊五郎の集慶を迷わせる青衣の女人(しょうえのにょにん)を菊之助が演じましたが、美しく幻想的で、「二人椀久」の松山太夫を見てみたいと思わせました。

この日の大向こう

「大石最後の一日」で幸四郎さんが初めて登場した時、三階全体からたくさんの声がどっと掛かりました。会の方も8人いらしていたそうで、私が遭遇したなかでは最多でした。

磯貝の信二郎さんが切腹の場に赴く花道の引っ込みで、七三では声が掛からず5〜6歩くらい進んだところで、「萬屋」と掛かりました。深刻な場面ではこのような配慮をするのだなと思いながら、興味深く聞いていました。

大石の引っ込みでは本釣がなったとき、「高麗屋」と声が掛かりました。しかし最初の出のときほど多くはなかったようです。

ところで中にお一人、何と掛けていらっしゃるのかがまるで判らない方がいらして、大変気になりました。

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