狐狸狐狸ばなし 鮮かなどんでん返し  2003.12.26

20日、歌舞伎座夜の部を見てきました。

主な配役
伊之助
勘九郎
おきわ 福助
重善 新之助
又市 弥十郎
牛娘 おそめ 亀蔵
寺男 甚平 家橘
博打打ち 福蔵 市蔵

「狐狸狐狸ばなし」のあらすじ
吉原田圃で手拭屋をしている伊之助はもと上方芝居の女方。その女房おきわも元下座で三味線をひいていた女だが、酒飲みで怠け者の上、今では近所の閻魔堂に住む法印の重善と深い仲である。

ところがその重善に婿養子の話が持ち上がった。相手は上方下りの財産家「山権」の娘で世間では「牛娘」と評判のおそめ。これを聞いて嫉妬するおきわに、重善は「伊之助が気がつかないうちに別れよう」と持ちかけるが、おきわは「亭主は自分たち二人の仲を知っている」と言い出す。

こちらは重善のすむ閻魔堂。おそめとの間を仲介した福蔵がやってきて重善に婿入りを催促する。そこへおそめも忍んできて重善に口移しでお酒を飲ませたり、ベロベロ嘗め回したりしていると、おきわがやってきて刃物をふりまわし、おそめは逃げ帰る。

おきわが「いっしょに逃げて」と頼むと「それなら亭主を殺せ」と重善は言う。

伊之助のうちでは、伊之助が女房のオコシを洗濯しているところ。そこへ帰ってきたおきわと、用意しておいたふぐ鍋を食べ始める。するとちょっと頭の弱い手伝いの又市が、染め粉を買って帰ってくる。伊之助は「染め粉は毒だから注意するように」と言う。

それを聞いていたおきわは、伊之助が部屋を出た隙に、染め粉をふぐ鍋に入れる。戻ってきた伊之助はふぐ鍋を食べて、苦しみだし倒れる。

翌日、「伊之助はふぐにあたって死んだ」ということにして重善が経を読んで葬式をだし、火葬場に運ぶ。又市を番に残し重善とおきわは閻魔堂へ引き上げる。その後から亡者の姿の伊之助が付いていく。

その次の朝、二人のところへ青い顔をした又市が「だんなさんがお上さんを呼んで来いといっている」と言いにくる。たしか昨日火葬にしたはずなのにと、皆はぞっとする。そこへおきわを迎えに来た伊之助見て、重善は狂ったように木魚をたたき出す。

伊之助はどうも幽霊ではなさそうなので、重善、甚平、福蔵、又市とおきわは一計を案じ、古沼のほとりでもう一度伊之助を殺すことにする。

すると又市が「今までこき使われてきた恨みをはらしたいので、自分にやらせてくれ」と言い出し、後の連中は夜鳴き蕎麦を食べながら待つ事にする。

しばらくたって又市が「死体は沼の底に沈めた」と帰ってくる。しかしまたもやその後から伊之助の亡霊がついてくるので皆恐れおののいて逃げ出す。

閻魔堂ではおきわが重善に一緒に逃げてくれるよう必死にたのむが、重善は伊之助の亡霊から逃れたい一心で、牛娘の親の世話になることにひそかに決めている。それを悟ったおきわは重善に、伊之助に飲ませたと同じ毒を酒にまぜて飲ませ、自分もそれを飲みほす。

毒を飲まされたと知って重善はも今にも死ぬと動転するが、なぜだか何事もおこらない。しかしここにも伊之助の亡霊がやって来るので、重善は泡を喰らって逃げ出し、おきわは気を失う。

それからしばらくたったある日、伊之助の家では気のふれたおきわが庭先で三味線を弾いている。

実は伊之助を殺したはずの又市は狂言作者で、おきわの浮気に気をもんだ伊之助に頼まれて一芝居うったのだった。毒だという染め粉もわざと仕掛けた嘘だった。

何もわからなくなったおきわの口にご飯を食べさせてやる伊之助も、今ではちょっぴり後悔している。だが「もう浮気される心配もなくなった」と伊之助はおきわをおいて又市と遊びに出かける。

ところがそこへ寺男の甚平がやってくると、皆がてっきり気がふれたとばかり思っていたおきわは、なんとウキウキしながら重善からの便りを聞いているではないか。だましたと思ったらだまされていた、狐と狸の化かしあいのような夫婦だったのだ。

 

北条秀司作の傑作喜劇、「狐狸狐狸ばなし」は昭和36年に伊之助に森繁、重善に勘三郎、おきわに山田五十鈴、又市に三木のり平に当てはめて書かれた芝居。

森繁と五十鈴は大阪出身だったので元は大阪が舞台だったのですが、昭和54年に大阪中座で上演される際「江戸みやげ狐狸狐狸ばなし」と舞台が江戸に書き換えられたそうです。

福助のおきわが、野田歌舞伎のノリで個性を十二分に発揮していました。最後に三味線を弾きながら宙をみつめる目つきは真に迫っていて、「可哀想に!とうとう気が狂ってしまったのか」とこちらもすっかり騙されてしまいました。

そういえば襲名の時に巡業で福助が「藤娘」を踊ったのを見たことを思い出しました。あの時藤の木の陰から走り出てきた藤娘がいきなりニ〜ッと笑ったのにはびっくりさせられましたが、今の福助を見れば「なるほど一風変わったキャラクターの持ち主だったのだ」と理解できます。

新之助の重善は、死んだと思った伊之助が現れて仰天、ぴょんと高く飛び上がったり、あわてふためいて飛び六法で花道をひっこんだりする、とぼけた役柄ですが、武蔵と全然違ったこの役を楽しそうに演じていました。

アゴをなぜながら「おれはどうしてこう女に惚れられるんだろうなぁ」とボヤく台詞はあまりに新之助にぴったりで場内大爆笑。かぶる必要もないんじゃないかと思える坊主の鬘をかぶっていましたが、素顔よりずっと良い男に見えるのはさすが役者!

亀蔵の牛娘に口移しでお酒をのまされたり、あちこちペロペロ嘗め回されたりしてしまう新之助の重善、仕方ないなぁと言う感じで全く無抵抗でした。が後で手拭でさりげなく拭いていたのがおかしかったです。

以前牛娘を獅童がやったのだとか、こっちも一度見てみたいなと思います。しかしこの牛娘というのは歌舞伎ではちょっと他に類のない役です。新劇では女優がやる役だとか。亀蔵の牛娘はあれでもおとなしめにやったと筋書きのインタビューにありました。

福助のおきわが「どこへ逃げようか」というと「巌流島というところへ行って見たいなぁ」と新之助。福助が「のどが渇いた。お〜いお茶」とか、テレビを話題にしたギャグも。

最初は情けない男にみえた勘九郎の伊之助も、物語が進むにしたがってなかなかしたたか者だということが判ってくるしかけ。

「こんぴらふねふね」を歌いながら花道を仲よく引き上げるおきわと重善の後を、亡者の格好でチョコチョコ小走りに後を追いかける伊之助が傑作でした。

気の狂ったおきわにご飯を一口ずつ食べさせてやる伊之助。面倒くさくなってきて、ご飯が段々お結び大になり「これを食べさせたら死ぬな」とブツブツつぶやいていたのが伊之助の薄情さを感じさせました。

他の演目の最初は「絵本太閤記」の「尼崎閑居の場」。十次郎を演じた勘九郎が印象的でした。前回は新之助が十次郎をやりましたが、こういう丸本物の中で格を保ちながら存分に芝居が出来るようになるまでには、やはり時間がかかるものなのかと思います。光秀の團十郎は風邪を引いたのか、高い方の声がかすれ気味で残念。芝翫の操が歌舞伎の絵の中にぴったりはまっていました。

もう一つは橋之助の舞踊劇「素襖落」。張り切って踊っていたのですが、ちょっと頑張りすぎたのか後半、ヒューヒューと口で息をする音が気になりました。そこらへんの兼ね合いが難しそうです。

この日の大向こう

最初の「絵本太閤記」にはたくさんの方が声をかけていらっしゃいました。大向こうの会の方も6人ほどみえていたとか。しかしたくさん声を掛ける方がいる場合、どうしても掛けるタイミングが少し早くなりがちで、ちょうどいい時には、掛からなくなります。おひとり早くなると、我勝ちになってしまうみたいです。

十次郎と初菊が階段の上と下で極まるとき、「ご両人」とかかりました。

「狐狸狐狸ばなし」の時には掛け声が少なかったのですが、お客さんが笑ったり拍手したりして反応が直にわかる芝居なので寂しいということもありませんでした。「こんぴらふねふね」の時には手拍子になっていました。

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