盛綱陣屋 大顔合わせ 2003.11.23

15日、歌舞伎座夜の部を観てきました。

主な配役
佐々木盛綱 吉右衛門
母・微妙(みみょう) 芝翫
高綱妻・篝火 雀右衛門
盛綱妻・早瀬 秀太郎
小四郎 種之助
小三郎 男寅
和田兵衛 左團次
北条時政 我當
信楽太郎 歌昇
伊吹藤太 東蔵

盛綱陣屋のあらすじ
源頼朝の没後、その跡目をめぐって争いが起った。近江の佐々木家では、兄の盛綱は実朝を擁する鎌倉方の北条時政に仕えており、弟の高綱は京都方の頼家に軍師としてむかえられた為、兄弟は敵味方に分断された。だが形勢は京都方に不利となり、まもなく決着がつきそうな状況。

ここは近江坂本にある盛綱陣屋。おりしも初陣した盛綱の息子小三郎が、高綱の息子小四郎を捕らえる手柄をあげた。時政は小四郎を殺さずに生かしておいて高綱をこちらの陣営に引っ張りこもうともくろむ。その小四郎を渡せと京都方の和田兵衛がここ盛綱の陣屋へ軍使としてやってきている。

盛綱が「大将の意見を聞かなくては返答が出来ない」と断ると、和田兵衛は時政に直談判をしに出て行く。

盛綱は熟考の末、母の微妙を呼び、「高綱ほどの知略に優れた武将が親子の情に迷って寝返るなどということがないように、小四郎に切腹するように説得して欲しい」と頼む。微妙は盛綱の武士として高綱を思う気持ちに打たれ、それを引き受ける。

夜も更けて、陣屋の外に小四郎の母、篝火(かがりび)が和田兵衛の供まわりにまぎれて忍んでくる。小四郎に会いたい一心で篝火は矢文を陣屋に打ち込むが、これを盛綱の妻・早瀬が見つけ、「親子そろって捕まり夫の名前を汚すような事をするな」と矢文を打ち返す。

母が来ているのを感じた小四郎が奥からでてくると、祖母微妙は「父のために切腹するように」と言い聞かせる。しかし小四郎は命が惜しいと逃げ惑う。孫を手に掛けねばならないことを嘆きながら、微妙が刀を振り上げた時、高綱討ち死にの知らせが入る。

まもなく時政一行がやってきて、盛綱に「影武者が多い」という高綱の首実検を命じる。

盛綱が首桶のふたを取るや否や、あれほど死ぬのを嫌がっていた小四郎が「わしも後からまいります」と言って刀を腹に突き立てる。動揺しつつも盛綱が首をよくよく検めてみると、それは明らかな偽首。

全ては、敗色の濃い京都方の軍師、高綱の「一子小四郎を犠牲にしても、再起を図ろう」と言う策略だったのだ。そうと悟った盛綱はしかし父のために命をかけた小四郎を想って、「高綱の首にまちがいなし」と時政に言上する。時政は喜び、褒美に鎧櫃を置いて引き上げていく。

その後盛綱は身を潜めていた篝火を呼び出し最後の別れをさせて、潔く命を捨てた小四郎を誉めてやる。そして自らは、主を裏切った詫びに切腹しようとする。

そこへ隠れていた和田兵衛が現れ、手にした短筒で時政の置いていった鎧櫃を打ち抜く。鎧櫃の中には時政の家来がひそんでいた。時政は盛綱を信用せず、スパイを残していったのだ。

和田兵衛は「今切腹したのでは、小四郎の死は無駄死だ。切腹するのは高綱が改めて挙兵したときでも遅くない」と盛綱を説得する。盛綱は小四郎の追善のために、切腹を思いとどまり、和田兵衛と戦場での再会を約束するのだった。

 

「盛綱陣屋」は1769年に初演された近松半二、三好松洛らの合作による浄瑠璃「近江源氏先陣館」の八段目。大阪冬の陣を題材にとってあって、佐々木盛綱、高綱の兄弟は真田信幸、幸村、和田兵衛は後藤又兵衛、北條時政は徳川家康がモデルです。

重厚な時代物であるこのお芝居を今回初めて見たのですが、ドラマとしてよく出来ていて面白く大変見ごたえがありました。

今回は顔見世ということでそれぞれの役にふさわしい豪華な配役だったので、退屈する暇が全くなかったというところです。

特に印象に残ったのは陣屋の中では祖母微妙が小四郎に切腹するように説得していて、陣屋の外には母の篝火が小四郎に会いにきているという場面。

微妙は芝翫で、いつもより柔らかな風情で三婆の一つのこの重要な役を演じていました。篝火は雀右衛門で、花道の出には、片肌脱いで鉢巻をし弓を手にもっている姿に緊迫感がただよいます。後でわかるのですが、門の外にやってきた篝火は既に高綱の計略を知っているのです。

つまり息子小四郎が自ら命を絶つつもりであり、万に一つも助からないのをよく知っていたわけです。この辺の事情は寺子屋の千代にも似ているなぁと思いました。納得ずくで死におもむいた子供の母親です。

篝火は「小四郎を死なせたくない。何とか助けたい」という一心に見えるのですが、実際には小四郎が死ぬためにこの陣屋へきている事をよくわかっているわけで、難しい役どころだと思いました。もしかしたらこれは高綱の計略の一部なのでしょうか。けれど私にはそうは見えませんでした。

おいつめられた母親の切ない気持ちが自然に伝わってきて印象に残りました。微妙が小四郎に切腹するように話している時、雀右衛門は客席に背を向けて門の側でずっと蹲っているのですが、つねに全力で演技する雀右衛門に熱い役者魂を感じました。

盛綱の吉右衛門は定評のある上手い台詞廻しで聞かせました。しかし首実検の時、偽首と知った後小四郎の自害とあれやこれや考えあわせた末、高綱の計略とわかり、莞爾と笑うのですが、あんなに長々と笑っていたら、後ろにいる時政にばれてしまうのではとちょっと思ったくらいです。

切り首を持ち上げる時、当時の習慣なのでしょうが、小柄を耳の穴に差し込んでもちあげたのには仰天。あんな仕草、初めて見ました。

小四郎を演じた種之助(歌昇の次男)はしっかりと演じていましたし、小三郎を演じた男寅(男女蔵の長男)もとてもかわいらしかったですが、こちらはまだじっと座っている事が出来ないようです。

左團次の和田兵衛は最後にもう一度出てきて、スパイをやっつけたりする儲け役。このお芝居に出てきた全員がみな役にはまっていたため、厚みのあるお芝居が見られました。

「河庄」は鴈治郎の治兵衛と富十郎の孫右衛門のやりとりがあうんの呼吸で、非常に面白かったです。でも鴈治郎のズーという呼吸音はどうしても気になります。女形をやる時はあんな音は聞こえませんので、意識的にされているんだと思いますが、決して美しいものではありません。

時蔵の小春、とてもきれいでしたが上方の女方の「糊がすっかり抜けてしまってなじんだ着物」のような感じとはちょっと違うと思いました。時蔵にはやっぱり江戸の芸者が似合います。

他に菊五郎の舞踊「女伊達」と「うかれ坊主」。かっこいい女伊達とほとんど裸同然の願人坊主という対照的な二役を替わりました。男伊達は松助と秀調でした。

この日の大向こう

盛綱陣屋にはたくさんの声がかかりました。やはりツケの入る見得がたくさんある時代物には声が掛けやすいのだと思います。会のかたも2人ほど見えていたようです。最初に吉右衛門が奥から襖を開けて出てきた時、上手から掛かった声が小気味良くきまりました。

小三郎を演じた男寅の花道の引っ込みに「豆滝野」と声が掛かりました。

踊りになると大分掛け声は減ってしまい、「河庄」になると幕見のお客さんも寂しくなって、掛け声もポツリポツリで、最後に柝の頭になってようやく数人がいっせいに掛けらていました。

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