盟三五大切 時蔵の古風な面ざし 2003.10.8 | ||||||||||||||||
2日に歌舞伎座で芸術祭十月歌舞伎の昼の部をみてきました。
「盟三五大切」(かみかけてさんごたいせつ)のあらすじ だが塩冶の家は当主の刃傷沙汰でお取りつぶしになる。三五郎は父親が旧主のために百両の金を用意しようと奔走していると知り、これを用立てて勘当を許してもらおうと考え、赤ん坊のいる女房のお六を小万と名乗らせて芸者にする。 小万は薩摩源五兵衛(げんごべえ)という浪人者に金を貢がせるが、三五郎は源五兵衛が小万にほれているのをいいことに「もっとふんだくれ」とけしかける。 深川大和町の場 この源吾兵衛、不破数右衛門というもと塩冶家に仕える武士だったが、御用金を盗まれた落度から今は浪人となっているのだ。 ここへ小万が朋輩たちを引き連れてやってくる。ふとしたはずみで小万の腕に「五大力」の入れ黒子(刺青)があるのがわかり、それが自分への心中立てと聞いて、ますますのぼせ上がる源五兵衛。 そこへ源五兵衛の叔父、富森助右衛門が百両の金を届けに来て「この百両を大星由良之助のところへ持参して亡き主君のあだ討ちに加えてもらうように頼め」と勧める。 助右衛門と入れ替わりにやってきたのは百両の金のことを聞きつけた三五郎。小万からの手紙を渡して源五兵衛を誘いだす。 第二幕 「自分には源五兵衛という相手がいる」と腕に彫った「五大力」を見せる小万。そこへ三五郎が源五兵衛を連れて乗り込む。 しかし源吾兵衛にはどうする事もできないのを見て、小万は源五兵衛の脇差で死のうとする。せっぱつまった源五兵衛は「小万を身請けする」と言って、先ほど富森助右衛門からもらった大事な百両を差し出してしまう。 ここへ八右衛門に案内されてやってきた助右衛門は源五兵衛の放埓を責め、「叔父甥の縁を切る」と言い捨てて立ち去る。 もはや仇討ちに参加して名誉を回復する望みを失った源五兵衛が、小万を連れて帰ろうとすると、三五郎が「実は小万には亭主がいてそれは自分だ」と暴露する。この身請け話も全部三五郎がしくんだ狂言だったのだ。 三五郎に切りつけようとする源五兵衛を止める八右衛門。三五郎は源吾兵衛を「間男」と罵るが、この場はこらえて立ち去る源五兵衛だった。 五人切りの場 二階では三五郎が小万の腕に彫った「五大力」の入れ黒子に手を入れて「三五大切」に書き換えている。小万は人のいい源五兵衛をだました事に気が咎めている様子。 やがて寝静まったこの家の丸窓を破って、源五兵衛が三五郎と小万を殺そうとやってきて次々に人を殺す。物音に気づいた三五郎と小万は床下から逃れる。 大詰 すると大家の弥助がやってきて「ここはつい先日まで塩冶浪人の民谷伊右衛門の住まいで、殺されたお岩の幽霊がでるのだ」と話す。だが「出て行くなら一月分の店賃をよこせ」というのでひと悶着。そこへ新しい店子がやってくるというので金を半分返すことで話がつき、八右衛門は傍の番屋で待つ事にする。 その新しい店子というのは源五兵衛から逃げてきた三五郎と小万、それに赤ん坊と里親のおくろ。ところが家主の顔を見て小万はびっくり。家主の弥助は小万の兄で以前民谷家へ中元奉公していた土手平だったのだ。 しばらくして門口に「お岩稲荷建立」の幟を手にした僧侶が立ち寄る。この僧侶は実は三五郎の父・了心で、三五郎は源五兵衛からまきあげた百両を父に渡す。父親は勘当を許し、早速旧主へこの金を届けようと立ち去る。 その後へ三五郎たちの居場所を聞きつけた源五兵衛が男芸者たちをおどして案内させながらやってくる。源五兵衛は「これからは仲良くしよう」といって酒樽を手渡す。 そこへ捕り方がやってきて殺人の下手人として源五兵衛をとらえようとすると、番屋から八右衛門が飛び出してきて「下手人は自分だ」といって身替りになる。八右衛門が連れて行かれるのを見送った源五兵衛は「小万をあきらめる」といって去っていく。 安堵した三五郎と小万が床につくと、枕元に幽霊が現れるが、なんと正体は家主の弥助。弥助は幽霊に化けては店子を脅かし店賃をかせいでいたのだ。 すると屋根裏から一枚の紙切れが落ちてくる。それは以前ここに住んでいた大工の持っていた高師直の屋敷の絵図面。弥助は源五兵衛の持ってきた酒を飲み始める。 そのときちらっと見えた弥助の腕の彫り物から、弥助こそ御用金の盗人だと知れる。すると突然弥助は苦しみだす。酒樽をわってみると中には毒蜥蜴。源五兵衛は三五郎たちを毒殺しようとしたのだ。 三五郎は苦しむ弥助に止めを刺し、小万に絵図面を了心のもとへ届けるように言って、自害しようとする。そこへやってきた父了心はそれを止め、三五郎を引越し用の四斗樽へ隠して、用心にと出刃を持たせて自分の家へ運んでいく。 そこへ源五兵衛が三五郎たちが毒酒を飲んだかどうか確かめにやってくる。隣の部屋で赤ん坊が泣き出すと、源五兵衛は里親のおくろを切り殺し、赤ん坊を抱いてでてくる。その時逃げようとした小万の腕の入れ黒子「五大力」が「三五大切」に書き換えられているのを知る。 小万は赤ん坊だけは助けて欲しいと頼むが、復讐の鬼と化した源五兵衛は小万の手を刀に添えさせて、赤ん坊を刺し殺す。そして小万の首を打ち落とし、帯にくるんで懐に入れ、雨の中を立ち去る。 愛染院門前の場 源五兵衛こそ、三五郎の父の旧主だったのだ。 知らぬ事とはいえ夫婦そろって主人をだました事を悔やみ、すべての罪を自分がかぶるので、ぜひ仇討ちに参加してくれるよう頼む三五郎。すると鬼横丁の住人に身をやつしていた塩冶浪士が仇討ちの身支度を整えて源五兵衛を迎えに来る。源五兵衛は高師直の屋敷へと仇討ちに赴くのだった。
「盟三五大切」(かみかけてさんごたいせつ)は1825年に初演された四世鶴屋南北の傑作で、並木五瓶の「五大力恋緘」(ごたいりきこいのふうじめ)の書き換え狂言です。長い間上演されていなかったのですが昭和51年に、国立小劇場で復活上演。それから人気が出て前回のコクーン歌舞伎で上演された時には、勘九郎と橋之助が、交代で源五兵衛と三五郎を演じて話題になったそうです。 この作品は南北自身の作品「東海道四谷怪談」の続編という設定になって、三五郎と小万が逃げてきた長屋が一寸前までお岩と伊右衛門が住んでいた長屋で今では幽霊が出るというところから、だんだん話が佳境に入ってきます。 この長屋の家主、弥助と源五兵衛を、初演の時は二役替わったそうです。再演された時に源五兵衛を演じた初代辰之助は、かなり弥助を演ることを嫌がったそうですが、結局は承知してすばらしい舞台を演じたと、筋書きに織田宏二さんが書いています。 小万を演じた時蔵、最初に登場する時の白地に綱と波の模様の着物や、紺地に赤い襦袢が見える着付けがとてもよく似合っていて、あでやか。金丸座で雲絶え間姫を見た時もハッとしましたが、原色の泥絵の具で書かれたようなこの芝居の中で時蔵の思いがけない面を見た思いがしました。 それを一番強く感じたのは源五兵衛に殺される時。もう自分は殺されると覚悟はしていても「赤ん坊だけは助けて欲しい」と頼んだのに、復讐の鬼となった源吾兵衛は残酷にも小万の手に刀を握らせ、赤ん坊を殺させます。かすかな望みもむなしくわが手で子供を殺してしまった悲痛な叫び。 この時まで夫に言われるまま人形のようだった小万が、突然人間に戻ったようで、捌きになった時の青ざめた顔が今まで全然似ていないと思っていた祖父三代目時蔵の写真に恐ろしいほど似た古風な面差し。 いつも綺麗ではあるけれど固い殻をかぶっているようだと思っていた時蔵の真の姿を見た思いがしました。この殺し場はずっしりと重い存在感がありました。 源五兵衛を演じた幸四郎も殺し場の無慈悲な冷酷さ、又反対に騙されたと知る前のいかにも人の良さそうなところの対比が良かったと思います。 菊五郎の演じた三五郎はお主のためにと思ってやったことが結局なんにもならなかったという、「すしや」の権太に一寸似た役柄です。しかし最初からお主のために金が欲しいということが明かされているところが、権太とは違います。 いわゆるモドリではないので、「性根を考えると出来ない役だ」という菊五郎の言葉も理解できるような気がします。その時々で悪人になったり善人になったりしても、違和感は感じませんでした。 ですが愛染院の庵室の場の三五郎が突き破ってでてくる四斗樽はいかにも不恰好で、しかも後ろにトンネルつきなのが丸見えなのはおかしかったです。 去年、同じ南北の「霊験亀山鉾」の中で仁左衛門が破って出てきた桶はもっと形がよかったと思いました。しかしこの場合は屋外に置いてある設定でしたので、屋内だと比べるものがあるだけサイズが難しいのかもしれませんが。 八右衛門を演じた愛之助は初めちょっと空回りしている感じでしたが、後になるにしたがって周りになじんで良くなったと思います。偽武士を演じた團蔵はごろつきが軽妙で面白く、肩を怒らせた役ばかりではなくこういう役もいいなぁと感じました。 小万の首を前に食事をする源五兵衛がふと首の前に食べ物を差し出すと、生首がかっと目と口を開くところはいかにも南北らしくておどろおどろしく、独特の味があります。口を開くところだけ本物の時蔵が演じているのですが、他の芝居ではこういうのを見たことがありません。 この芝居があまり上演されないのは、通しでないと面白くないからだと思いますが、江戸時代の裏長屋の生活が生き生きと描かれたこのお芝居、もっとたびたび上演されても良いのではないでしょうか。 |
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この日の大向う | ||||||||||||||||
数人の方が声をかけていらっしゃいました。適当な人数だったと思うのですが、なぜかバラバラに掛かって盛り上がらない印象を受けました。この「盟三五大切」はめったに上演されない世話物ですので、二日目ではまだ掛けどころなどが決まらないためかなと思います。 殺しの場では連続して見得がありますが、ここではどなたも声を掛けられませんでした。殺し場ではあまり声を掛けるものではないそうです。 「連獅子」の二人の僧に「ご両人」と声が掛かりましたが少々違和感がありました。「連獅子」では女の方がお一人、盛んに掛けていらっしゃいましたが、かなり高い声だったので目立っていました。 大向うの会の方が一人と山川静夫さんがいらしていたそうです。注意していたのですが、「連獅子」の後ジテで花道から登場した獅子の親子のうち、親獅子の精だけが残って七三できまった時、「成田屋!」と掛かった声が山川さんのお声ではなかったかなと思いました。遠くでしたので定かではありませんが。 |
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