怪談牡丹燈籠 夏の楽しみ 2003.8.21

19日に歌舞伎座で八月納涼歌舞伎の第二部をみてきました。

主な配役
伴蔵(ともぞう) 三津五郎
お峰 福助
萩原新三郎 七之助
お露 勘太郎
乳母お米 吉之丞
宮野辺源治郎 橋之助
お国 扇雀
三遊亭円朝 久蔵 勘九郎

怪談牡丹燈籠」のあらすじ
第一幕
大川に漂っている舟が一艘、舟遊びしているのは旗本飯島平左衛門の娘お露とその乳母お米、それに医師の志丈。お露は先ごろ一目ぼれした萩原新三郎という若侍に恋焦がれている。志丈はお露を不憫に思い、近いうちに新三郎と会わせる約束をする。

そこへやってきたもう一艘の舟。それに乗っているのはお露の義理の母お国と隣家の次男坊源次郎。二人は深い仲で、お国は源次郎をけしかけて夫を亡き者にしようと企んでいる。

ところで根岸に住む萩原新三郎の方もお露のことが忘れられず、志丈に仲立ちを頼むが、お露は新三郎に恋焦がれた挙句亡くなり、乳母のお米もあとを追うように亡くなったと聞かされる。

お盆の13日、新三郎がお露の菩提を弔っていると、牡丹燈籠を手にしたお米に伴われたお露が訪ねてくる。お露たちが死んだとばかり思っていたので驚く新三郎。

乳母のお米は「お露が死んだというのは、二人を別れさせようという作り話」といって「お嬢様の願いをかなえてください」と頼む。もともとお露に好意をもっていた新三郎はお露といっしょに寝間に入っていく。

ここへやってきたのが、「新三郎が幽霊にとりつかれた」と聞いた志丈と新三郎の下男・伴蔵。志丈は人魂に驚いて逃げ出すが、伴蔵はそっとうちの中をのぞく。すると蚊帳の中にはたくさんの蛍がとびかっていて、新三郎とお露の声が聞こえる。目を凝らして見ると新三郎の腕の中にいるのは、なんと骸骨!伴蔵はほうほうの態で逃げ出す。

飯島家では一人娘のお露が亡くなってしまったので、後妻のお国は隣家の源次郎を養子に迎えるよう夫・平左衛門に勧める。しかし取り合ってもらえないので、夫を殺してしまうよう源次郎をけし掛けるのだが、それを夫に聞かれてしまう。

やぶれかぶれのお国と源次郎は平左衛門を殺し、そこに居合わせた女中のお竹も殺して、出奔する。

一方ひどくおびえた様子でうちへ帰った伴蔵は蚊帳の中。お峰が針仕事をしていると行灯が薄暗くなり牡丹燈籠が庭先に浮かぶ。

お露の幽霊に取り付かれて死相が現れた新三郎は、家中に魔よけのお札をはり、金無垢の海音如来をもつようになったので、お露は新三郎に近づけなくなった。新三郎の心変わりを恨んで泣くお露を不憫に思ったお米が、伴蔵に「お札をはがし海音如来をとりあげて下さい」と頼みに来たのだ。

伴蔵とお峰は、新三郎が死んでしまっては暮らしていけないし、かといって自分たちが幽霊に取り殺されるのも困るので、これからの暮らしが立つようにと百両の金を幽霊に無心する。

翌日伴蔵とお峰は新三郎のうちへ行き、金無垢の海音如来を瓦で作った不動明王像と掏り替える。うちへ帰った二人は海音如来を後で売り払おうと土中へ埋める。すると牡丹燈籠が現れて天井から小判がふってくる。

伴蔵が新三郎のうちへ行き、高窓のお札をはがすと牡丹燈籠がその窓へ吸い込まれるように入っていく。お札がはがされたとは知らない新三郎は「お露はやはり生きていた」と思って喜ぶが、お露は新三郎をとり殺す。

第二幕
ここは野州栗橋の宿のはずれ。土手のかたわらの粗末な蒲鉾小屋からでてきたのは平左衛門を殺害して、江戸を出奔したお国と源次郎。源次郎は平左衛門に刺された傷がもとで足がたたなくなり、その上ごまの灰にみぐるみはがれて今では非人に落ちぶれている。

お国は生活費を稼ぐため酌婦として勤めに出ている。近頃は羽振りの良い関口屋の主人がお国をひいきにしているが、実はこの関口屋、幽霊からもらった百両をもとに故郷で荒物屋を始めた伴蔵だった。

一方関口屋には、お峰と伴蔵の江戸での知り合い、お六がたずねてくる。夫と死に別れたお六を、お峰は店に置くことにする。

そこへやってきた馬子の久蔵からお峰は、伴蔵が贔屓にしている酌婦お国のことを聞きだす。帰ってきた伴蔵にやきもちをやいたお峰は食って掛かる。奉公人が聞いているのにもかかわらずお峰は幽霊から百両もらったことをしゃべってしまい、その百両をもらうかわりにうちをでていくとわめきたてる。

伴蔵はなんとかお峰をなだめるが、奥でお六が幽霊にもらった百両のことや金無垢の仏様のことを言い出して騒ぎはじめる。「早く萩原様のところへいらっしゃいませ」といって手招きするお六を見て、ふるえあがる伴蔵とお峰。

お国は同僚のお梅とお絹と一緒に源次郎の住む小屋のある土手を通りかかる。ところがお梅とお絹の身の上話から、お梅は源次郎が殺した女中・お竹の妹だとわかる。それを聞いていた源次郎は罪を悔いるが、お国は悪びれる様子もない。

二人をいつしか蛍の群れが囲み、突然刀を抜いた源次郎は転んだ拍子に自らの背中を刀で貫かれる。そうとは知らないお国が源次郎に抱きつくと刀が突き刺さる。立ったまま息絶えたふたりの周りを蛍が群れ飛ぶ。

一方伴蔵とお峰はお六が口走ったことから役人につかまるのを恐れ、他の土地へと逃げることにするが、その前に伴蔵は金無垢の如来像を江戸から持ってきて埋めてあると打ち明け、掘り出すのでお峰に見張りをするように言う。

伴蔵は油断するお峰を隠し持った刀で突き刺し、雷雨の中、川に沈める。伴蔵がその場を立ち去ろうとすると見えない手に引き戻され、川の流れからお峰の手が現れて伴蔵を水の中へと引きずり込む。その後雨がやんで月が輝く川原には、蛍が群れ飛ぶばかりだった。

八月納涼歌舞伎ではよく怪談物が取り上げられ、それが毎夏の楽しみでもあります。

江戸時代には冷房がなかったので八月になると幹部役者はお休みをとりましたが、その間に若手の役者たちだけで夏芝居というものを演じたのだとか。少しでも涼しくなれるように本水(本物の水)を使ったり怪談物でゾーッとさせたりといろいろ趣向をこらしたということで、その伝統が今日まで引き継がれているわけです。

三遊亭円朝原作、大西信行脚本の「怪談牡丹燈籠」(昭和49年)はもともと新劇のために書かれた脚本ですが、昭和51年に歌舞伎新劇共演の「牡丹燈籠」を伴蔵を二代目松緑、お峰を杉村春子で上演してから、歌舞伎でもよく上演されるようになったそうです。

歌舞伎には河竹新七作「怪異談牡丹燈籠」(明治25年)というのがあって、こちらはもっと筋が複雑です。主要な登場人物にもう一人、幸助という役があり、昨年9月に上演されたのはこちらの方で、吉右衛門が伴蔵と幸助を演じました。

今回上演された「怪談牡丹燈籠」には、狂言回しとして落語家の三遊亭円朝(原作者)が登場します。その円朝を勘九郎が演じましたが、ほんの少しですが話芸を聞かせ、芸達者なところを見せました。この円朝が最初に登場するのは二艘の舟が川遊びをしている「大川の場」の終わり。

一艘残った舟の船頭が淡いスポットライトの中で、なぜか着替えを始めたなと思ったらそれが勘九郎で、船頭から落語家の円朝に早替りする趣向。勘九郎はもう一役、馬方の久蔵を演じていますが、昔巡業などでは人手が足りなかったので円朝を演じる役者がいろんな役を掛け持ちしたのだそうです。

お峰がこの馬方久蔵から、亭主伴蔵の浮気相手のことを聞き出そうとする場面では、アドリブの応酬。「弁天小僧」そっくりの「どの役者が好き」というのに続いて、「あの福助って役者は今ご機嫌なんだよね」「どうして?」「だって虎が元気だとか言ってたよ」なんて調子で、タイガースネタもあったり、怪談噺のなかで一息つかせます。

一番見ごたえがあったのは、伴蔵とお峰がお米の幽霊に「新三郎の家の魔よけのお札をはがして下さい」と頼まれてビクビクしながらも、欲と恐怖からそれを引き受けるところ。三津五郎と福助の会話がおかしくもあり、ゾ〜ッとさせたりで見ものです。

ところで牡丹燈籠というのは、大きな牡丹の花の中に灯篭をくっつけたようなもので、下に幅の広いリボンのような布がふわふわと下がっています。それを持って出てくるのはお露の乳母・お米。水の中から引き上げたようなショボンとしたその姿は、幽霊そのものの様。

声の質も粘り気があって、お米はこの人でなければというのも頷けます。勘太郎のお露もだるそうな様子が幽霊らしくて良かったと思います。お露とお米の幽霊がカランコロンと下駄の音を響かせながら、初めて新三郎の家を訪ねた時、「おあがりなさい」といわれて脱いだはず下駄がどこにも見当たりません。

と思ったら脱いだところの横に小さな窓が切ってあって、あそこから下駄を中に入れたんだと納得。下駄の音はするけれど勘太郎も吉之丞も足元が見えないように着物のすそを引きずっていました。

源次郎の橋之助は女に振りまわされる気の弱い男を、お国の扇雀はかかわる男たちを次々に破滅させていく毒婦を好演。

関口屋の店先でお国にヤキモチを焼いたお峰は大喧嘩の末機嫌をなおし、伴蔵もお国と別れてまたお峰といっしょにやっていこうと決心したかに見えたのに。

お峰は高価な品物を買ってもらって「こんなものを買ってもらえるんならたまにはヤキモチを焼くのも良いかも」といいながら二人仲良く夜道を歩いていたはずなのに、なぜかその直後伴蔵はお峰を刺し殺すのです。

「どうして?!」と殺されるお峰でなくとも聞きたくなりますが、「幽霊に百両もらったことを口走るようじゃ、危なくて生かしておけない」という伴蔵の言葉。この本水を使った殺しの場は見得の連続で堪能させます。

ついにお峰を殺して川に投げ込んだ伴蔵がその場を立ち去ろうとすると、「ドンツクドンドンツクツク」という題目太鼓がどこからともなく執拗に聞こえてきて、連理引きで引き戻されます。

ここのところの三津五郎、さすがおどりで鍛えた見事な動き。伴蔵が川に引きずり込まれた後だれもいなくなった舞台には、幽霊が出る時きまって出てくる蛍が数匹飛んでいるばかり。

伴蔵が突然人が変わったようになってお峰を殺したのも、やっぱり殺された人の霊の仕業かと思わせる幕切れでした。

この日の大向う

第二部は私が所属する歌舞伎研究会の観劇で、三階の花道真上で見ました。

先日このサイトでも「幽霊に掛け声は掛けられるか?」ということが話し合われましたが、掛けられないとすると、見事なお米役者である吉之丞に掛け声を掛けるチャンスがほとんどなく、最初の出の時が数少ないチャンスということで注目していました。

すると「中村屋!」と数人の方が掛けられた後、「播磨屋!」と掛かったので「良かった〜」とほっと一息。そうしたら後になってその掛け声の主が、なんとこのサイトによくお見えになるスーさんだったとわかって、びっくり。

ところがその後幽霊になった勘太郎や吉之丞に、どなたかが大きな声で「中村屋」「播磨屋」とお掛けになり、せっかくの静かな雰囲気が壊れてしまったのは残念でした。掛ける方には、きっとそれぞれのお考えがあるんでしょうけれど・・・

それから七之助に「二代目」という声を何度も掛けていた方がいらしたようですが、「〜代目」という掛け声は成長途中の若い役者にかける掛け声ではないとか。大名跡を継いだときに初めて「〜代目」というのが、価値をもってくるのであって、すぐに名前がかわるような若い人には似合わない掛け声のようです。連発すると安っぽくなってしまいがちなので、「〜代目」と掛ける時は厳選した場面で掛けましょう。

このお芝居の中では勘九郎が三遊亭円朝に扮して三回登場します。その第一回目の出が終わってセリが下がっていく時、「真打、ごくろうさん」。

第二回目スッポンからの出が終わって、下がっていく時「中入り!」。最後の第三回目、セリが上がってくる時「待ってました!」と掛けたのに対して、「お待たせしました」と勘九郎。そして終わってセリが下がる時、「大切り!」

これらの掛け声は、全て歌舞伎研究会の内田順章講師が掛けられました。後で伺ったところでは寄席で用いる言葉ということですが、私は初めて聴く言葉でとても面白く、またぴったりの掛け声だったと思います。

第二部は大向うの会の方が3人ほど、他に一般の方もかなりの方が掛けていらしてにぎやかでしたので、私の出る幕はないと思っていました。

最後の最後、伴蔵がお峰の亡霊に川に引っ張り込まれるところで、皆さんいっせいに声をかけられました。ですがその引っ張り合いが思ったより長かったためどなたもお掛けにならない空白ができたので、伴蔵がいまにも水に沈もうという時、一声「大和屋!」と私、声を掛けさせていただきました。m(__)m

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