沼津 播磨屋勢揃 2010.9.21 W277

演舞場で秀山祭九月大歌舞伎夜の部を2日に、昼の部を5日と16日に見てきました。

主な配役
十兵衛 吉右衛門
平作 歌六
お米 芝雀
安兵衛 歌昇
池添孫八 染五郎

「沼津」―「伊賀越道中双六」のあらすじはこちらです。

今月は第五回目となる初代吉右衛門をしのぶ秀山祭。今回を期に昭和46年に三世時蔵の念願だった屋号の「萬屋」へと変わっていた歌六、歌昇兄弟の屋号が再び「播磨屋」へ戻ることになり、昼の部の「沼津」の劇中口上で披露されました。

歌六も歌昇もいまでは吉右衛門の芝居を支える力強い味方でもあり、今回の播磨屋復帰でご兄弟の御子さんたちへの芸の継承など播磨屋一門のますますの発展が期待されます。

「沼津」は幕開の茶店前を通りすぎる旅人たちの様子が愉快に描かれていて、おにぎりを喉につまらせる大きなお腹を抱えた妻と優しい夫を演じた歌江と桂三、茶店の前でわらじの紐を切ってしまう若い男の吉之助、茶店の女の吉之丞などのベテランが浮世絵が動き出したようなひなびた雰囲気を醸し出していたのがとても素敵でした。

吉右衛門の十兵衛はなによりも人柄が良いということが前面に出ていて、前半はウキウキとした気分が横溢した舞台でした。昨年の7月に巡業で吉右衛門は歌六の平作、芝雀のお米と同じ配役で演じていますが、その時と比べて今回の方が練れてきたと感じました。ポンポンと台詞が飛び交う世話物はあまり得意とは思えない吉右衛門ですが、昨年は後半の方が良いと感じたのに対して、今回は前半が平作とのやりとりが雰囲気があって面白かったです。

ところで初代吉右衛門の「吉右衛門自伝」には十兵衛を重兵衛としてあり、門のところへかけて置く笠も山形に重の字になっていて、当代の吉右衛門もその笠を使用しているようです。

お米が印籠を盗んだとわかった後半は、。それぞれが存分に芝居をするのは見ごたえがあって良いのですが、歌六の平作の口跡が重すぎたように感じられました。このお芝居は平作の年老いて枯れた味が全体のバランスを整えるように思います。荷物持ちの安兵衛を演じた歌昇のほどの良さが光っていました。芝雀のお米はもと傾城という雰囲気がかすかにただよい、いかにも十兵衛が一目ぼれしそうな愛嬌のある美人でした。

平作住居の場で、安兵衛の歌昇が戻ってきたところで吉右衛門、歌六、歌昇、芝雀の四人が舞台の前に並んで座り劇中口上。歌六歌昇兄弟とその子弟が播磨屋に復帰することが披露され、満場の温かい拍手を浴びていました。

昼の部の最初は梅玉の在原業平と魁春の小野小町で「月宴紅葉繍」(つきのうたげもみじのいろどり)。魁春には王朝時代の拵えがとてもよく似合っていて、はかなくて優雅な雰囲気がありました。梅玉の業平はちょっとくったくありげな表情でしたが、観月台に出た二人はすがすがしく澄み切った秋の夜の空気を感じさせました。

三幕目は真山青果の江戸絵両国八景「荒川の佐吉」。仁左衛門のあたり役である佐吉は、幕開の三下奴のところが見た眼にも今の実年齢とかけ離れているのが、前回はやはり気になり今回も4日に見た時は気になりましたが、16日に見た時は意外にも全く気にならかったほど、全てが自然だったのに驚かされました。

実の親や家族に捨てられた盲目の子供を、心からいとしげに抱く佐吉は涙を誘います。何年かたって子供を返して欲しいと迫られた時、本当の母親に向かって子育てに苦労した日々を語り心情を吐露し、相手を罵倒する場面は4日は、いくらその後の場で子供のためにと決心して親に返すことになっても、あまりにも手厳しすぎてこれでは佐吉の印象が悪くなるのではなかろうかとさえ思いました。

しかし16日に見た時はこの場面に素直に感動をおぼえました。それには吉右衛門の相政が素晴らしかったためもあるかと思います。4日は吉右衛門はこの場面で、口ごもることが度々あってやきもきさせましたが、16日には相政の度量の大きさがにじみでて、文句のつけようのない出来。切りあいの最中に駕籠でやってくる相政の登場は「鈴が森」の幡随院長兵衛そっくりですが、吉右衛門はこういう大親分のふところの深さや存在感を出すのには当代一の役者だと言えるでしょう。

大立者が二人がっぷりと組んで演じる、これこそ歌舞伎の醍醐味のもっとも大事なもののひとつですから、今後もこういう試みを絶えず見てみたいものだと思います。敵の成川郷右衛門の歌六は、粘りのある声がこの役の不気味な感じにふさわしく、とても良かったと思います。

前回と同じく佐吉の親友辰五郎を演じた染五郎も佐吉との実に間のよい台詞のやりとりで人情に厚いこの人物を好演。この人が将来佐吉を演じる姿が目に浮かぶようでした。今回盲目の子供卯之助を千之助が演じましたが、卯之助を抱きしめたい気持ちをこらえて旅立っていく佐吉を見えない目で必死に追い求める姿が涙を誘いました。卯之吉が、自分を守るために人を殺してしまった佐吉にすがりついて泣くところもとても自然に感じられました。

父親がお金目当てで姉の子供を自分に世話させようとしていると知り、かっとして佐吉に子供を押しつけて家を出てしまう娘お八重の孝太郎は、この役によく似合っていました。卯之吉の実の母の福助も追い詰められた心情をよくだしていました。鍾馗の仁兵衛は段四郎。

昼の部の最後は藤十郎の「寿梅鉢万歳」(ことぶきうめばちまんざい)。藤十郎の紋「星梅鉢」からつけられた題名。人形浄瑠璃の景事四季変化舞踊の「花競四季寿」のうち春の部の「万歳」だけが独立して演じられるもので、万歳が美しい女娘におきかえてあるのが特徴。引き抜きが鮮やかで、はんなりとした色気が感じられたのはさすがでした。

2日、夜の部の最初は舞踊「猩々」。芝雀の酒売りに梅玉と松緑の猩々。初日のためか梅玉、松緑二人のイキがまだ合っていなかったようで残念でした。

次が吉右衛門の「俊寛」。吉右衛門の俊寛には風格があり、瀬尾に歌六、丹左衛門に仁左衛門とまわりをしっかり固めたのにもかかわらず、後半はちょっと眠くなってしまいました。こういうどっしりと重いお芝居は中を流れる空気が速くなければ重くなる一方です。幕切で俊寛のかっと虚空を見つめる目が印象的でした。

夜の部の三幕目は芝翫の「鐘ケ岬」と富十郎の「うかれ坊主」。「鐘ケ岬」では三味線を弾きながら唄うのがなんともいえない情緒があって素敵でした。「うかれ坊主」の富十郎はこの踊りを隅々まで知り尽くしているといった余裕があり、以前のような軽やかさは望めないものの楽しませてくれました。

夜の部の最後は「引窓」。染五郎の十兵衛と松緑の濡髪という新鮮な配役でした。隠居所は母屋とは離れた下手に設定してありました。

このお芝居はアンサンブルが大切なお芝居だと思いますが、今回の印象としては「全員が濃すぎる」と感じました。全員が一生懸命というのは良いようでいて、見ている方はくたびれます。この日は初日ということもあり、おそらくこれからどんどん良くなってくるだろうと思いました。

この日の大向こう

初日2日の夜の部は声を掛ける方もたくさんいらして、大向こうさんも7~8人はいらしていました。秀山祭とあって法被を着た大向こうさんもいらっしゃり雰囲気をもりあげていました。

富十郎さんの「うかれ坊主」ではT会長が他の方たちとは違う独自のポイントで数回掛けておられましたが、富十郎さんの踊りにぴったりだと感じました。

「引窓」では十次兵衛の台詞「こういうわけでござりまする」の間で高麗屋と声が掛かっていましたが、ここは切れ目がないのでよした方が良いのではと思いました。

5日昼の「沼津」では劇中で口上があり、歌六さんと歌昇さんご兄弟と御子さんたちが播磨屋へ復帰なさることが吉右衛門さんによって披露されました。「すみからすみまでずい~と」「播磨屋」「こい願い」「秀山祭」「あげたてまつりまする」という具合に声が掛かっていました。

「荒川の佐吉」では卯之助の千之助さんの出で「豆松嶋」とかかり、佐吉がなかなか寝付かない赤ん坊の卯之助を抱いて外にあやしに出る場面では、柔らかい声でそっと「松嶋屋」とかかったのがこの場の雰囲気に合っているなと思いました。

9月演舞場演目メモ

昼の部
「月宴紅葉繍」―梅玉、魁春
「沼津」―吉右衛門、歌六、芝雀、歌昇
「荒川の佐吉」―仁左衛門、吉右衛門、孝太郎、福助、染五郎、千之助、歌江、吉之丞、歌六、段四郎、高麗蔵、錦之助
「寿梅鉢萬歳」―藤十郎
夜の部
「猩々」―芝雀、梅玉、松緑
「俊寛」―吉右衛門、染五郎、東蔵、福助、段四郎、仁左衛門
「鐘ガ岬」―芝翫 「うかれ坊主」―
富十郎
「引窓」―松緑、染五郎、孝太郎、東蔵、種太郎、松江

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