鮓屋 公文協東コース 2009.6.30 W246

30日、江戸川文化センターで行われた公文協東コースの初日を見てきました。

主な配役
いがみの権太 仁左衛門
小せん
弥助実は維盛
秀太郎
小金吾
梶原平三景時
愛之助
若葉の内侍 高麗蔵
猪熊大之進 薪車
お里 孝太郎
弥左衛門 竹三郎
お米 家橘

「義経千本桜」
あらすじは場名をクリックしてごらんください。
下市村茶店の場(木の実、小金吾討死)
同   釣瓶鮓屋の場

仁左衛門の襲名時以来、ひさびさの巡業公演でしたが、初日とは思えない完成度の高さでした。

もともと仁左衛門の権太はやくざな奴ではあるけれど、家族を愛する優しい男、愛嬌があって憎めない人物として演じられていますが、今回はそれがさらに強調されていました。前半の権太の思い切った滑稽さには客席から笑い声が絶えず、それだからこそ大詰めの悲しみがくっきりと際立って胸に迫ってきます。

それに今回は今までとは違う演出が見られました。

お主の身替わりとして差し出した女房小せんと倅善太郎と最後の別れの場面で、権太が悲しみをこらえきれず、梶原から褒美にもらった頼朝の陣羽織を頭からひっかぶって地面につっぷしてしまうのす。これは一度もみたことがない型でしたので、びっくりしました。

仁左衛門は「鮓屋」を初めて見る人も十分このお芝居を楽しめるように、まず茶店の場でじっくりと権太の家族に対する深い愛情を、そして大詰めでは家族との血を吐くような辛い別れをはっきりと見せることで、わかりやすく演じてみせたのだと思います。

愛する妻や子と永遠に別れなければならない時になって、権太はむごい現実を直視したくなかったという風にも見えました。

ところで7年前にこんぴら歌舞伎でやった時のビデオと今回の舞台をくらべてみると、父親が帰ってくる前に母親と二人ですし桶に金を隠すやり方など、あとはほとんど変わっていません。

しかし維盛一家が上市村へと落ちのびる場面で、こんぴらの時は維盛がやがて梶原一行がやってくるであろう揚げ幕の方を睨みつけ拳をにぎりしめて下手へと入っていったのにくらべ、前回の歌舞伎座の時と同じようにわざわざ花道をひっこんでいったのはなぜなのか、これだけは納得がいきません。花道をひっこんだからといって特に維盛や若葉の内侍の役がよくなるわけでもないように思うので、本当に不思議です。

秀太郎が小せんと弥助の二役を演じましたが、小せんの権太とのやりとりはいかにも自然で家庭的で親密な雰囲気が出ていましたが、維盛はもう少しきりりとして弥助と差がつけば良かったと思います。愛之助は小金吾と梶原の二役をつとめましたが、見た目は似合っているのにかすかにもたつく口跡の癖が惜しいと感じました。

お里の孝太郎はこの役をすっかり自分のものにしていました。好きな男と一緒になれると思って有頂天ではしゃいでいるオチャッピーな町娘から、一転して男の好意がすべて親への義理だったとわかって悲しみにくれながらもお主の一家のために精一杯心を配るけなげなお里を確信をもって演じているように見え、存在感のあるお里でした。

権太の母・お米の家橘は今回台詞も明瞭で、だまされまいと思ってもだまされてしまう、息子に甘い母親を好演。いつもお米を演じているのに、今回弥左衛門を初役で演じることになった竹三郎の台詞が肝心の権太のモドリの場面で突然出てこなくなったは本当に残念でした。薪車は敵役大之進を真面目に務めていました。

序幕は孝太郎の舞鶴と愛之助の五郎で華やかに「草摺引」を踊りました。

この日の大向こう
一般の方が数人、ところどころでかけていらっしゃいました。大向こうさんも弥生会の会長さんがおひとりで見えていました。5~6月にかけて9回あちこちへお芝居を見に行きましたが、そのうち6回会長さんのお声を耳にしました。歌舞伎に掛け声を絶やすまいというご努力のあらわれかと思います。
公文協東コース演目メモ
「正札付根元草摺」―孝太郎、愛之助
「義経千本桜」より「下市村茶屋の場、鮓屋の場」―仁左衛門、秀太郎、愛之助、高麗蔵、薪車、孝太郎、家橘、竹三郎

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