極付幡随長兵衛 吉右衛門の長兵衛 2009.6.24 W245

15日、歌舞伎座夜の部を見てきました。

主な配役
幡随院長兵衛 吉右衛門
女房・お時 芝翫
息子・長松 玉太郎
出尻清兵衛 歌六
唐犬権兵衛 梅玉
坂田公平 歌昇
近藤登之助 東蔵
水野十郎左衛門 仁左衛門

「極付幡随長兵衛」(きわめつきばんずいちょうべえ)のあらすじはこちらです。

吉右衛門自身「好きな役の一つ」と語っている幡随院長兵衛。花道で水野の家来が狼藉を働いているあいだに客席中央の通路を通って悠然と登場し、通路わきの観客の握手に応えてみせる愛嬌も、自然で嫌味がありません。

人柄の良さ、懐の深さを感じさせる吉右衛門の長兵衛はこの親分のためならと思わせる大きさがあり、息子に決して自分のまねをしてこんな商売をするなと言い聞かせる台詞には心情があふれていて、時代と世話を使い分ける見事な台詞まわしに惚れ惚れと聴き入りました。女房お時の芝翫が侠客の妻らしく、悲しみを抑えて演じていたのがすがすがしく感じられました。

水野十郎左衛門は仁左衛門。この芝居、いつも水野という男は卑怯な奴で何を考えているんだかわからないと思っていたのですが、今回仁左衛門が演じたのを見て、なにがなんでも長兵衛を殺さなくては自分の顔がたたないと思いつめて狂気のさたにおよぶ次第が理解できました。

ちなみに原作では水野は、忠臣・水野主膳が腹を切ってまで悪行をいさめるのを、せせら笑いながら見ている冷酷非情な人物として描かれています。

また大詰めはいつも上演されないので、「長兵衛が殺された後すぐに水野が切腹させられることになり、町奴と旗本奴のけんかもようやくおさまる」ということがわからず、長兵衛の殺され損のように思えますが、彼はそういう成り行きを予想して自らの命を捨てたわけです。

そういえば殺される寸前の台詞に「おお、殺さば殺せ旗本とて非道に殺さば天下の政道、上より咎めのあるは必定、重くて斬罪軽くて遠島、屋敷へ草の生えるのを、冥土へ行って見物しょう」というのがありますが、これが長兵衛の本音でしょう。町人である長兵衛は自分を殺させることでしか七千石の旗本である水野を葬ることができなかったということで、「男をたてるために死ね」のは、まるで理解できませんがこういう理由なら十分わかります。

長兵衛内の場の語りは葵太夫でしたが、この場によく合う渋い声がしっとりとした雰囲気をだしていました。

夜の部はまず幸四郎の孫で4歳になる金太郎の初舞台「門出祝寿連獅子」(かどんでいおうことぶきれんじし)で始まり、「極付幡随長兵衛」と「髪結新三」、ふたつの黙阿弥物が上演されました。

金太郎はまだ4歳になったばかりだそうで、初めのうちは足どりもおぼつかない感じでしたが、親子三代揃って獅子の毛を振るところになると、自分の身体くらいの長さの赤い毛を堂々と13回も振ったのには感心しました。そもそも毛を振るのが好きだという金太郎のためにこの狂言は作られたそうですが、立派な役者になってほしいという幸四郎、染五郎親子の切なる願いが感じられる舞台でした。劇中の口上には村の長で登場した大叔父の吉右衛門ほか、梅玉、芝雀、福助なども祝いの言葉を述べていました。

最後が幸四郎の「梅雨小袖昔八丈」。幸四郎の新三にはうっそりとした陰があり、やくざ者の雰囲気を最初から色濃くただよわせています。かっこいい江戸っ子の新三ではなく、すごみのある「上総無宿の入墨新三」。こんな人に忠七がみすみすだまされるかしらとは思いますが、これはこれで面白いなと思いました。大金を出して鰹を買うのも、無理して粋な江戸っ子になろうとしているように見える新三です。

台詞を時代に言って、ぱっと世話にくだける具合に、幸四郎ならではの味があってこの新三にあっていると感じました。

忠七の福助はほっそりときれいで、お熊が惚れるのも不思議はない格好よさ。めったに立役を演じないので難しいのでしょうが、声をかぶせるように無理に低く抑えなければ、もっとよかったのにと思います。福助は夜の部、すべての演目に出演。

お熊の高麗蔵は町でうわさになるような美人というには、あまりにも地味でした。そういえば時間短縮のためか、大工たちが材木を買いに来て「この家の美しい娘を一目見たいものだ」と言うところがカットされ、幕が開くともう仲人が座っていたのにはちょっとびっくりでした。

大家の彌十郎は新三との掛けあいが調子よく、何度もくりかえされる「いいな、わかったな、鰹は半分もらったよ」も退屈にならず、笑いを誘っていました。強欲なおかみさんの萬次郎は、ユーモラスな持ち味がぴったりと似あっていました。

ところで新三が大家さんにすごんでみせる台詞に「干物の頭なんぞばっちょろがって食わねえ」というのがあって、どういう意味かと思っていましたが、ばっちょろがってというのは「飛びついて」という意味だと教えていただきました。

東京創元社版「名作歌舞伎全集」第十一巻には同じ場面で「今お前さんに突き出されて再び行っても羽目通りで、干物の頭を拾って喰うしがねぇ目にも逢わねえが」とありますが、「ばっちょろがって」という言葉のうさんくささと耳を刺激する巻き舌の語感とで、こちらの方がずっと面白く思えます。

勝奴の染五郎は達者ですが、すごみのある新三の子分としては明るすぎるよう。魚売りの錦弥は、もっと遠慮なく演じるほうがよいと思いました。弥太五郎源七の歌六はきまじめな印象でしたが、この役の屈折した思いというのが出ると良かったと思います。劇中で新三を呼びに来た小僧役の錦成が、幸四郎の部屋子になったというお披露目がありました。

今月はどういうわけか昼夜ともに世話物ばかりだったのが気になりました。さよなら公演とはいえ浮足立たないようしっかりと演目を組んでいただきたいと願っています。

この日の大向こう

序幕の「門出祝寿連獅子」は幼い金太郎君の襲名を祝って、数人の方が声をかけていらっしゃいました。

「幡随長兵衛」の長兵衛内の場で、長兵衛の「後に残った女房子の泣きをみるのが、あぁ不憫だなぁ」の間で声が掛かりそうだと思って聞いていましたが、吉右衛門さんの情のこもった台詞を味わうように、どなたも声をおかけにならずそのためしんみりとした雰囲気が維持され、掛けないことを選択するのも大事なことだと思いました。

会の方もおふたりみえていて、気合いの入ったお声が聞こえていました。「髪結新三」の「永代橋の場」で新三にひどい目にあわされ、途方にくれる忠七の後で、本釣が三度なりますが、3回目に声がかかることが多いので注目していましたら、忠七が手を揃えるようにして軽くきまるのと、この後忠七がちょっと長めの台詞を言うきっかけになっていることに気がつきました。

この件について知り合いの大向こうさんに伺ったところ、やはりそういう理由でここで掛けられるか、もしくは2回目の本釣が鳴った時の忠七の姿が美しいので、そこで掛けられることもあるというお話でした。

六月歌舞伎座夜の部演目メモ
「門出祝寿連獅子」―幸四郎、染五郎、金太郎、吉右衛門、魁春、芝雀、松緑、高麗蔵、友右衛門、福助、梅玉
「極付幡随長兵衛」―吉右衛門、芝翫、玉太郎、歌六、松緑、松江、亀寿、亀鶴、男女蔵、種太郎、福助、児太郎、染五郎、梅玉、仁左衛門
「梅雨小袖昔八丈」―幸四郎、歌六、彌十郎、萬次郎、高麗蔵、福助、彦三郎、家橘、錦吾、錦成、染五郎、福助、

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