「蘭平物狂」 三津五郎の蘭平 2009.2.16 W237

歌舞伎座で公演中の二月大歌舞伎昼の部を5日に、夜の部を7日にみてきました。

主な配役
蘭平実は伴義雄 三津五郎
蘭平の息子・繁蔵 宜生
在原行平 翫雀
水無瀬御前 秀調
与茂作実は大江音人 橋之助
おりく実は明石 福助

「蘭平物狂」(らんぺいものぐるい)―「倭仮名在原系図」(やまとがなありわらけいず)のあらすじ
在原行平は須磨に流されていたが、罪を許されて都にかえってきた。だが行平は須磨で恋に落ちた海女・松風が忘れられず、うつうつと暮らしている。奥方の水無瀬御前は奴の蘭平に命じて、松風にそっくりのおりくという女を連れてこさせる。

蘭平はおりくとその夫の与茂作を連れて戻り、行平を上手くだませるかどうか不安がるおりくに何を言われても「はいはい、左様左様」と答えるように言いきかせる。

奥から出てきた行平はすっかりおりくを松風とおもいこみ、近くへ呼び寄せる。ちょうどその時、曲者が逃げ出したという知らせがあり、行平は蘭平の息子・繁蔵(しげぞう)に捕まえるよう命じる。だが蘭平はなぜ自分に捕まえよと命じてもらえないのかと不満を訴える。

実は蘭平は「刀を見ると乱心する」という奇病を持っているので、行平は繁蔵に捕り物を命じたのだ。繁蔵は勇んで捕り物に出かけ、蘭平は心配そうにその後をいつまでもじっと見送っている。

一方行平は松風と思いこんでいるおりくが持参した自分が形見にやった烏帽子と狩衣を、蘭平に命じて持ってこさせようとするが、蘭平は繁蔵のことに気をとられてまったく気がつかない。怒った行平が蘭平を成敗しようと刀を抜くと、たちまち奇病がおこって蘭平はその場に倒れる。

おりくに介抱されて気がついた蘭平は、わけのわからないことを言いながら踊り狂い、再び刀を見て気を失う。やがて正気を取り戻した蘭平は行平に詫びるが、行平は蘭平を不憫に思って許す。

そのあと行平がおりくに琴を所望するので、おりくが困っているところへ、蘭平が曲者を討ちとった繁蔵を連れて意気揚揚とやってくる。行平は繁蔵の働きをほめ、繁蔵を武士にとりたてようと約束するので、蘭平は大変喜ぶ。

繁蔵が立ち去ると、物陰に隠れていた与茂作が行平に斬りかかる。蘭平がこれを捕えると、与茂作は「行平は親の敵だが、こうして捕まってしまったからは早く討て」と居直る。

だが行平はそんな覚えはないと与茂作の縄をとくように蘭平に命じる。与茂作と潔く立ち会いたいが自分には禁裏の重宝を探すという役目が残っているので、代わりに蘭平に戦えと命じる。蘭平は奇病が出るからと辞退するが、行平は許さず、おりくとともに奥へ入って行く。

蘭平と与茂作が斬りあううちに、与茂作の刀が名刀・天国だということがわかり、蘭平は自分の所有する天国の刀を見せて、与茂作の素性を尋ねる。この蘭平、実は行平に討たれた伴実澄(ばんのさねずみ)の子で義雄と言い、在原の家に入りこんで仇討の機会を狙っていたので、奇病も行平を油断させるための仮病だった。

父・実澄がわが子に形見として天国を残したと聞いていた義雄は、同じ天国を所有する与茂作こそ弟の義澄に違いないと再会を喜ぶ。そして二人は力を合わせて行平を討とうと奥へ入っていく。

だがその計画はすぐに知られてしまい、蘭平は敵に取り囲まれる。傷を負いながらも蘭平はわが子・繁蔵の姿を探しまわる。そこへ行平と水無瀬御前、小野篁の家臣・大江音人とその妻・明石が姿を現す。

行平の病は仮病で、与茂作実は大江音人は禁裏の重宝探索のために身をやつし、蘭平の弟と名のったのも蘭平の素性を確かめるためだったのだ。なおも抵抗しようとする蘭平を捕るように命じられたのは、なんと息子の繁蔵。だが繁蔵は父親に縄をかけることがどうしてもできず、蘭平も繁蔵を斬ることができない。蘭平は持っていた禁裏の重宝を繁蔵に渡し、これを差し出して手柄にしろと言う。

行平はこれを見て繁蔵の手柄をほめたたえ、伴の家を再興させることを約束する。蘭平は行平の配慮に感謝して、またの日の再会を約束して去っていく。

夜の部の最初の、浅田一鳥他作「蘭平物狂」は1752年に大阪で時代浄瑠璃として初演され、翌年には歌舞伎でも上演。昭和28年に二世松緑によって復活上演され、坂東八重之助の工夫による大梯子を使った殺陣はダイナミックで、殺陣の代表的なものとして名高く、今では全五段のうち四段目にあたる「蘭平物狂」だけが歌舞伎で上演されます。

三津五郎の蘭平は5年前にみて以来ですが、役者ぶりが一段と大きくなったなぁと思いました。ちょっとした動き一つにしても存在感と花のある蘭平でした。5年前は殺陣の華やかさがなんといっても印象に残りましたが、今回は蘭平の物狂いの踊りが生き生きと魅力的で、面白く見られました。

繁蔵を演じた宜生(よしお・7歳:橋之助の三男)はしっかりと演じていて頼もしく感じましたが、役の上の父親・蘭平が繁蔵を見ていないのに、舞台上にいる実のお父さんとおじさんはずっと見つめているというのはどうなんだろうと思いました。しかし時としてお芝居に現実が入り込んでくる歌舞伎の特性からいえば、それもありなのかもしれません。

与茂作の橋之助は最初本当の身分を偽って出てくるため、声を高く作っているのが昼の部の加茂堤でもそうでしたが、どうにも気になりました。おりくの福助はどうしたら良いのかと、とまどう風情がなかなか良かったです。

花道で大ぜいがよってたかって斜めに立ちあげた大梯子の一番上で出初め式のように逆さにぶら下がる演出は、スリルがあって華やかでお祭りのよう。奥庭の殺陣は今回も素晴らしかったですが、三津五郎が立ち廻りの最中に刀をとり落としたのにはぎょっとしました。幸いすぐに拾えて何事もなくすみましたが、いつも危険と隣合わせなのだと改めて思います。

夜の部の二幕目は「勧進帳」。吉右衛門の弁慶は骨太で大きく、富樫との対決では腰をぐっと落として迫っていく様には力がみなぎっていました。品格を感じさせる菊五郎の富樫はそういう弁慶をがっちりと受け止めていて、問答の場面は大変見ごたえがありました。

義経の梅玉は義経を演じて定評のある役者さんですが、「判官御手を取り給ひ」で泣きあげた姿がはっとするほど流浪する義経の心情を見事に映し出したのには拍手が沸き起こっていました。

四天王も染五郎、松緑、菊之助、それに段四郎と役者が揃った今回の「勧進帳」は、さよなら公演ならではの充実ぶりで、堪能させてくれました。

夜の部の最後は玉三郎のお嬢吉三、染五郎のお坊吉三、松緑の和尚吉三で「三人吉三―大川端の場」。玉三郎のお嬢はおとせを川に蹴落とす前の、大店のお嬢様風は完璧な美しさ。盗人の本性を現してからも、裾捌きなどに以前のようなぎこちなさは減って、美貌の不良少年といったところ。声をいささか無理して低くしようというのだけが、もうちょっと自然になれば真女形のために書かれたこの役を、玉三郎こそが完全に表現することができるだろうと思いました。

「月も朧に白魚の~」というお嬢の厄払いも、ちょうど節分の今月聞くと一層雰囲気がもりあがり玉三郎も堂々とかっこよく演じていました。

和尚の松緑はよく響く声で台詞まわしも良かったのですが、花道七三で争うお嬢とお坊を見つけ片足を踏み出してする見得が、今一サマになっていないと残念に思いました。壮士頭の真ん中をそりあげたような一つ竈も似合っているとは言えません。

染五郎は姿かたちは御家人崩れのお坊にぴったりと似あっているものの、発声に難があるのが惜しまれます。ところでおとせを演じた新悟は、短い時間の中でおとせの現在の境遇を表していて良かったと思います。お嬢に襲われる前に金の包みを落とすのも、わかりやすかったです。

後先になりましたが、昼の部の最初は「菅原伝授手習鑑」より「加茂堤」と「賀の祝」。お芝居全体の序幕となる「加茂堤」ですが、文楽だとまだ仲が良い松王丸と梅王丸の兄弟が、のんびりと昼寝をしている牧歌的な場面から始まるのですが、桜丸しかでないというのは残念でした。

橋之助の桜丸はことさら若衆らしい高くて元気の良い声を作っているのが気になりましたが、「賀の祝」になると沈痛な調子になるために落ち着いてきました。八重の福助も余計なことをせず、シンプルな演技が良かったと思います。刈屋姫の梅枝はしっとりとした風情があり、斎世親王の高麗蔵も立った姿に十代の若者らしさが出ていました。

「賀の祝」でも後から起こる悲劇をまったく予想もさせずに、嫁たち三人が楽しげに祝いの膳の用意をするところはカットされて、春と千代が三本の木に陰膳を据えるところから始まります。全部演じるのはたしかに長いと思いますが、この芝居には伏線があちこちに用意されているわけなので、見てみたいと思いました。

ところで桜丸が肩でのれんを分けて奥から出てくる重要な場面で、のれんがわらびではなくて桜の周りに松の丸と梅の周りに松の丸がずらっと並んだ柄なのに気が付き、そちらに気をとられてしまいましたが、わらびの方が良いなぁと思いました。^^;

白太夫の左團次は、前半は軽妙な持ち味が役にあっていました。松王丸の染五郎は少し線が細く感じましたが、梅王丸の松緑は荒事に向いていて、俵をつかった喧嘩などでは子供っぽい雰囲気が出ていて秀逸でした。

昼の部の二幕目は「京鹿子娘二人道成寺」。5年前に初演して大きな話題を呼んだ玉三郎と菊之助の二人の花子もすでに3回目となり、最初は玉三郎に庇護されているようだった菊之助も、いまや控え目ながらも十分に肩を並べて踊れるまでに成長。

玉三郎がすっぽんから登場する場面や、二人がたてに重なって登場するところでは花子の中に住むもう一人の女のようにも見え、菊之助がまじめに踊ると、玉三郎はいたずらっぽく仇っぽく踊るといった風で、なかなか見あきない面白さがある踊りです。いずれも当代きっての美しい女形だけに、見るだけで幸せを感じたりもします。

昼の部の最後は「人情噺文七元結」。菊五郎の長兵衛はいかにも江戸の町にいそうだと感じさせるはまり役。女房のお兼の時蔵も汚れた格好が板についてきて似合いの女房ぶりでした。娘お久を右近が演じましたが、最後に晴れ着を着て駕籠から現れるところなど娘らしさがにおい立つようでした。

このお芝居も配役が大変豪華で、左團次が大家を演じたり、吉右衛門がちょっとだけ出てくる鳶頭をごちそうで演じましたが、戸口で大きな身体のおき所がなくて困惑しているという感じに見えてしまいました。團蔵も角海老の番頭・藤助を演じていましたが、どうも一癖ありげに見えてしまい、オールスターキャストで豪華なら良いというわけではなく、その役にぴったりの配役がやはり一番おさまりが良く見ていて納得がいくと思いました。

この日の大向こう

5日は声をかけられる方はあまり多くなかったですが、大向こうさんはお一人いらしてました。「二人道成寺」の「恋の手習い」で玉三郎さんがお一人で踊られている時に、一般の方がお二人ほど「大和屋」と声を掛けていらっしゃいましたが、玉三郎さんは特に踊りには掛け声を好まれないようですので複雑な気持ちがしました。

ところで以前からどうなんだろうと思っていた桜丸の切腹の場面での声の掛け方について、知りあいの大向こうさんに伺ってみました。

―声を掛けるときは客席の雰囲気なども考えながらアドリブ の側面も強いのですが、次のようなことを意識して賀の祝 はやっています。

桜丸の出は、暖簾口を出てすぐに掛けるのではなく、最初の「女房どもにはさぞ~」のセリフの後で掛けるよう にしています。

これは八重が気づくタイミングを意識しているためです。 また桜丸も権太のように駆け出してくるわけではなく、死を目前にして悄然と出てくるので「登場=掛け声」という ものではないと考えています。

幕切れでは当たり前ですが、桜丸には声を掛けません。権太のように幕切れと同時に事切れる場合は良いですが、すでに亡くなっているのを梅王が手を合わせてやるわけ   ですから。幕切れのチョンは白太夫が最善だと思います。

また、悲劇の幕切れなので、無理に舞台にいる全員に声を掛けようとは思っていません。私は白太夫だけか、あえて掛けるなら八重までです。

やはり私はお客様にも余韻を味わっていただきたいので、 最後になって元気に片端から声を掛けてしまうのは興ざめ だろうと考えております。―

しんみりとした場面を壊さないようにと、いろいろと考えて声を掛けていらっしゃるのがわかり、とても参考になりますね。

7日は土曜日だったので、大向こうもにぎやかで、会の方はおよそ5人ほど見えていました。私の席がちょっと聞こえにくい位置だったのが残念でしたが、宜生ちゃんが得意げに鼻をこすりあげて引っ込む時にすかさず「成駒屋」と華やかにかかったのが、微笑ましく感じました。「豆成駒」ではなくてちゃんと「成駒屋」と皆さん、掛けていらっしゃいました。

「勧進帳」では「ついに泣かぬ弁慶も一期の涙ぞ殊勝なる」の前で「まってました」とお二人ほど掛けられましたが、長唄の聞かせどころではあるものの「じゃあ、今までは何だったの??」といいたくなり、私の好みとしてはここには「まってました」はない方が良いと思いました。

花道の飛六方では、手拍子になったりせず暖かい拍手と「播磨屋」の声につつまれて吉右衛門さんは引っ込んでいかれました。

2月歌舞伎座演目メモ
昼の部
「加茂堤」「賀の祝」―橋之助、福助、高麗蔵、梅枝、松枝、松緑、染五郎、扇雀、芝雀、左團次
「京鹿子娘二人道成寺」―玉三郎、菊之助
「人情噺文七元結」―菊五郎、團蔵、時蔵、右近、芝翫、團蔵、時蔵、菊之助、三津五郎、左團次、吉右衛門
夜の部
「蘭平物狂」―三津五郎、宜生、橋之助、福助、翫雀、秀調
「勧進帳」―吉右衛門、菊五郎、梅玉、染五郎、松緑、菊之助、段四郎
「三人吉三巴白浪」―玉三郎、松緑、染五郎

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