「暫」 こんぴら歌舞伎 2008.4.12 W213

香川県琴平町で開催されている第24回こんぴら歌舞伎の、6日夜の部、7日昼の部を見てきました。

主な配役
鎌倉権五郎景政 海老蔵
照葉 右之助
鹿島入道震斎 亀寿
小金丸 右近
成田五郎 男女蔵
加茂次郎義綱 松也
清原武衡 市蔵

「暫」のあらすじはこちらです。

今回は海老蔵が座頭で若手が顔を揃えた公演でしたが、とてもチームワークが良くエネルギッシュで楽しめる舞台でした。

襲名公演で演じて以来4年ぶりの海老蔵の暫、張りのある「しばら〜くぅ」という声が揚幕から響いてくるとそれだけで気分が高揚してきます。歌舞伎座で見てもあの拵えは大きいと感じますが、現れた鎌倉権五郎は小山のようで、金丸座のほの暗い花道を進んでくる姿は予想を越えた迫力。

通路というものがない金丸座でお客さんの頭上をかすめて伸子をいれた大きな素襖の袖をゆっくりと広げる様はまるで巨大な蛾のよう。ひさしぶりに見る海老蔵の暫は「嫌だ」とプイと顔を背けるところなど子供のような心でという荒事の真髄をとらえているように思え、満員の観客は海老蔵の動きに見とれ、ご当地ネタもまじえたツラネの台詞に反応して自由に笑ったり手をたたいたりして、完全に魅了されていました。

「三代目豊国が描いた暫の絵の雰囲気を味わってもらいたい」という海老蔵のもくろみ通り、江戸の雰囲気を色濃く残す金丸座に「暫」は見事にはまっていて、まさに大当たり。ウケの清原武衡の市蔵、ナマズの亀寿、女ナマズの右之助、義綱の松也、成田五郎の男女蔵など脇もきっちりと固めていました。

昼の部の最初は市蔵の濡髪長五郎、松也の長吉と与五郎の二役早替わりで「角力場」。松也の長吉は声はちょっと高めだけれどなかなか力強く、濡髪に勝って有頂天という心持ちが良く出ていたと思います。替わってつっころばしの与五郎は最初の出の「なんじゃい、なんじゃい」というところが難しいですが、違うキャラクターを演じ分けていました。市蔵の濡髪は大きさは充分でしたが、ちょっと表情が厳しすぎるように見えました。

次は男女蔵の盗人、亀寿の田舎者、菊十郎の目代で「太刀盗人」。男女蔵のすっぱの九郎兵衛が田舎者の言うことを必死で盗み聞きして真似しようとするところが愉快で、田舎者万兵衛との連舞も熱演でした。

夜の部の最初は海老蔵初役の「夏祭浪花鑑」。住吉鳥居前ではもじゃもじゃ眉毛で髭面の団七が床屋で変身して「だれでもねぇ。おれでぇす。」と出てくるところの格好の良いことと言ったらなく、出てきた時はだれだろう?と思った松也の徳兵衛も少し線は細いけれどもしっかりとした男前の徳兵衛で、二人して美しい立ち廻りを演じました。

三婦の男女蔵は、若い人たちのお芝居では老け役を演じることが多いようですが、少しずつ風格が備わってなじんできたように思います。

三婦内では、めったに見られない海老蔵の女形・お辰。ぱっと見た時、黒っぽい帷子の返し襟をした襟もとが深く開きすぎているようで気になりましたが、それ以外に特に違和感はなかったです。この返し襟は古い写真で見る限り梅幸はやっていず、役者さんによるようですがどういう理由で返すのか知りたいなといつも思います。お辰の長台詞の最後の「立ててくだんせ。ねぇ、三婦さ〜ん」というところは何と言うか海老蔵風。海老蔵は夏祭を勘三郎に習ったそうですが、勘三郎の言い方とも違っていたように思いました。

お辰が焼けた鉄弓を頬に当てる時、手に持った鉄弓をフーフー吹くと火の粉が舞い飛び、本当に焼けているようでドキドキしました。

泥場では花道のつけ際にある空井戸の蓋があけられ、ここに義平次の死体を投げ込むという金丸座ならではの演出でした。たまたま席が空井戸のすぐそばだったので中を覗いてみましたら、泥だらけになっても良いようにビニールシートで養生されていて泥の入ったバケツがおいてあり、深さは1メートルちょっとで奈落の方へ抜けられるようになっていました。

これに関する初代吉右衛門の芸談が白水社の「歌舞伎オンステージ」第3巻に出ていて、「・・・私は平舞台を使用いたしまして、花道の付近―昔、空井戸と称した場所―へ、田圃の心で泥舟を作らせまして、観客席を泥田と見ます装置にいたしております。」とありました。

義平次を殺す場面になると、風呂敷大のビニールが何枚か配られたにもかかわらず(それで「被りつき」というそうですが)いきなり頭から水を浴びてしまったのはまいりました。しかし団七の有名な最後の台詞「悪い人でも舅は親。許して下んせ」を海老蔵は空井戸に片足を踏みこんで言うので、手を伸ばせば届く所で見たその姿は忘れがたく、やはり幸運だったと思います。

義平次の体をまたいでとどめを刺した団七が刀をそのままでぱっと飛んで後ろ向きになる見得を「飛び違いの見得」といって、突き刺した刀が動いてしまいやすいためにたくさんの見得の中でも一番難しいそうですが、海老蔵は抜群の運動能力でやすやすと綺麗にきめていました。逃げようとあせる団七が浴衣をぱっと上に放りなげ落ちてくる時に袖に手を通すところなども鮮やかでしたが団七がそうするのをはじめて見ました。

ところで今まで団七という役はどちらかというと痩せ型よりもぽっちゃり型の役者に似合うのかと思っていましたが、鍛えられた肉体をもって演じられた海老蔵の団七には目をみはるような新鮮な魅力が感じられました。義平次の市蔵は今一つあくの強さが足りない気もしましたが、団七とのやりとりの間はとてもよかったと思います。

海老蔵の団七はしかたなく義平次を殺すにいたる成り行きがよくわかります。だんじりのお囃子にあおられるような殺しの場の見得の美しさには忘れがたいものがありました。この場では花道七三と空井戸の団七を空井戸の中からスポットライトのように照らしていたのが、コクーン歌舞伎を思い出させました。

夜の部はその後に舞踊「供奴」。右近が少年らしく元気一杯に踊りましたが、思い切りバンバンと所作舞台を踏みならすなど最初からちょっと飛ばしすぎのように思いました。あちらでご一緒したさちぎくさんに伺ったところによると一部割愛して踊ったとのことです。

役者さんの数は決して多くはないのですがほとんど全員完全に台詞も入り人手が足りないということを全く感じさせません。年かさの市蔵、右之助はもちろんのこと、今まで比較的女形が多かった松也が立役で立派に脇を支えていたのが、印象的でした。お弟子さんたちも菊市郎、菊史郎、升寿などが大活躍。中身の濃い舞台を心ゆくまで堪能してきました。

この日の大向こう

6日夜の部は一般の方が2〜3人ほど声をかけていらっしゃいました。でもここぞと思ったところでかからなかったので会の方はいらっしゃらなかったようです。「供奴」の最後で前の方の女性の方が「音羽屋」と威勢の良い声を掛けていらっしゃいました。

7日は男性はあまり声を掛ける方はいらっしゃいませんでした。「暫」では客席もおおいに盛り上がり前の方からも女性の声がたくさんかかっていましたが、それがとても自然に感じられました。

金丸座の演目メモ

昼の部
「双蝶々曲輪日記」より「角力場」 市蔵、松也
「太刀盗人」 男女蔵、亀寿、菊十郎
「暫」 海老蔵、市蔵、松也、男女蔵、右之助、右近、亀寿
夜の部
「夏祭浪花鑑」 海老蔵、松也、市蔵、右之助、男女蔵

「供奴」 右近


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