義経千本桜 凄絶な碇知盛 2003.2.19

18日、歌舞伎座昼の部を見てきました。

義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)ー知盛編のあらすじ
渡海屋(とかいや)
ここは摂津の国、大物浦(だいもつのうら)の船問屋、渡海屋。頼朝に追われている義経一行は船で落ち延びようと、天候が回復するのを待っている。弁慶が外出しようと、寝ているこの家の娘をまたごうとすると足に強い痛みを覚える。

そこへ頼朝方の武士と名乗って相模五郎らがやってくる。この家の女房お柳に無理難題をふっかける二人。そこへ主人の銀平が帰ってくる。二人に理を説くが納得せずに襲い掛かってくるので、さんざんに懲らしめ追い返す。

奥から出てきた義経一行に銀平は、悪天候をおして船出する事を勧める。お柳は亭主が天気を読む名人だと言って一行を安心させる。一行が出立した後、銀平が白糸威しの鎧で奥から現れる。

銀平、じつは新中納言平知盛は、平家の恨みをはらすため義経一行に悪天候に船出させ、隙をついて襲撃し、平家の亡霊たちが襲ってきたと思わせる計略。もし沖の船の明かりが全て消えたら負け戦だから、覚悟するようにと言い置いて知盛は出て行く。

大物浦(だいもつのうら)
渡海屋の奥座敷、お柳、実は典侍の局(すけのつぼね)たちは正装して娘、実は安徳帝を守って沖での戦いの様子を見入っている。そこへ実は知盛の家来だった相模五郎が注進にかけつけ、「義経たちが応戦してきた」と伝える。

沖を見ていると船の松明がいっせいに消え、知盛敗北の知らせ。そこへ第二の注進、入江丹蔵がきて最後の覚悟を促す。海の中にも都があって、懐かしい人々と再会できると安徳帝に言い聞かせる典侍の局。

幼い安徳帝は和歌を読んで死の覚悟を決める。官女たちは次々と海に身を投げ、安徳帝を抱いた典侍の局もまさに身を投げようとしたその時、義経の家来がやってきて押しとどめる。

一方大物浦では知盛が体中に手傷を負って凄惨な有様で、大勢の敵を相手に戦っている。そこへ義経一行が安徳帝と典侍の局を伴ってやってくる。降参を勧める義経だったが、知盛は平家の恨みをはらそうと、なおも襲いかかろうとする。

その時安徳帝が「これまで自分を助けてくれた知盛の情けに感謝するが、今自分を助けてくれた義経の情けをあだに思うな」と述べる。それを聞いた典侍の局は義経に後を頼んで、自害する。

知盛はもはやこれまでと安徳帝に別れを告げ、義経に後を託し、自らの身体に大碇を巻きつけて海へと沈んでいく。弁慶は知盛の死をいたんでほら貝を吹き鳴らし、義経一行は安徳帝と共に、西国へと旅立っていく。



吉右衛門の銀平じつは平知盛、台詞回しが高低緩急自在で聞いていて実に気持ちが良かったです。知盛の最後で、目まで赤く充血させて、義経に対する平家の恨みを表しているような様は凄絶でした。幽霊の衣装の白と血みどろの赤が、大きな舞台の真ん中にいる知盛に全ての観客の目を釘ずけにしていました。

芝翫も、前半の世話女房と、後半の位の高い女官典侍の局の両方とも良く、存在感と落ち着きが感じられました。「いかに八大竜王、恒河の鱗(うろくず)、安徳帝の御幸なるぞ、守護したまえ」のところも絶叫しなかったところが、典侍の局の意思の強さ、位の高さを感じさせました。

三津五郎の相模五郎、魚尽くしの台詞が大変上手くて、面白く聞きました。後半のご注進のところも、きびきびとした所作が気持ち良く、会心の出来でした。

團蔵の弁慶、「鳥居前」では荒事の弁慶も演じたのですが、顔も柄も立派で声も良い團蔵には、はまり役です。これから先どんどん重い役で登場して欲しい役者だと思います。

梅玉の義経、タイトルロールであるにもかかわらず地味な役回りの義経ですが、品格と言うてんで申し分なく良い義経でした。

最後に安徳帝をやった子役の原口知子が長い台詞をしっかりと最後まで言ってのけ、拍手をあびていました。

この日の大向う

最初の「鳥居前」の時は、大向うさんはほとんどゼロ。 「渡海屋」になってから数人の方が声を掛けていらっしゃいました。

ところで突然ですが、私歌舞伎座で本格的大向こうデビューしてしまいました。この日は私の所属している歌舞伎研究会の観劇会で30人あまりのお仲間と、大向う歴67年の内田順章講師がご一緒で、三階で見ていました。

「渡海屋」が終わった時に斜め後ろに座って入らした師匠が「知盛が入水する時、僕が『中納言』と掛けるから、続いて『播磨屋』と掛けて御覧なさい。」と言って下さったんです。

そう言われた途端、心臓バクバク、体中が心臓になったみたいにドキンドキンし始めました。これではいかんと、落ち着けるようにまずお腹に空気を入れて胸に持ち上げ、さらにそれをお腹に戻してしばらく保つと言う、おまじないの深呼吸をして、その時に備えました。

舞台はどんどん進んで行きます。演じている役者さんと同じ緊張感が保てるように気力を充実させながら、同時に身体が緊張しないように背中に呼吸を入れ、肩の力を抜くようにしていました。

知盛が碇を投げ入れてもう直ぐ飛び込みと言う一番のクライマックス、師匠がドッシリとした声で「中納言」と掛けられたので私も続いて「播磨屋」と精魂こめて掛けました。

甲高い声にならないようにしたい!と思ったのですが、ちょっとしゃがれ声になったようです。前もって出してみる事が出来ないのが辛いところです。というわけで第一声はこんな感じでした。

その後師匠が「弁慶の引っ込みも掛けてみたら」と勧めてくださいました。
弁慶が花道で最後にほら貝をふいて知盛の死を弔った後、揚幕の方へ向き直って極まった時に、師匠がキューを出して下さったので、気合を入れて「三河屋」と声を掛けました。

この時掛けたのは私一人!團蔵さんはいい役者だとかねがね思っていたので、声を掛ける事が出来てとても嬉しかったです。この声は大体思ったような声で掛けられたと思います。

私の大向うデビューは師匠のお力添えで、無事にスタートできました。ですが声を掛けるというのはオーケストラの楽器でいえばシンバルのように、ずっと出番を待って待機する感じです。その間気を抜く事ができません。

芝居を楽しく鑑賞する事、ウォッチングを書くこと、そして大向うを掛けること、この三つを同時にやることは今の私には至難の業です。師匠は「慣れれば出来るようになる」とおっしゃって下さいますが。

一緒に観劇した歌舞研のお仲間も「良かった!」と言ってくださったので、2月18日は私の記念すべき大向うデビューの日として、一生思い出に残ることでしょう。

大和屋ご贔屓の師匠は大物浦の相模五郎、三津五郎さんの引っ込みで、「十代目」と掛けられていました。普通ならこういう場合は「大和屋」ですが、当代は「十代目」といわれるのが事の他お好きだと言うことで、色紙にも必ず「十代目」と書かれるのだからだそうです。

それから銀平が頼朝の家来(実は自分の家来)をやっつけるところでは、「名調子」と掛けられていました。

トップページ 目次 掲示板

壁紙&ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」