噂音菊柳澤騒動 百年ぶりの復活 2004.11.8 | ||||||||||||||||||
4日、国立劇場へ行ってきました。
通し狂言「噂音菊柳澤騒動」(かねてきくやなぎさわそうどう)のあらすじ すると次の間から綱吉に寵愛されている柳澤弥太郎が出てきて、下の句をあざやかに読む。その後も桂昌院の出した難題を見事にとんちで切り抜ける弥太郎に、綱吉は大いに喜び、その場で側用人にとりたて出羽守を名乗らせる。 この様子を見ていた桂昌院はひそかに柳澤を呼び、「亡兄の子綱豊に将軍職を譲るため女子には手を付けないといっている綱吉だが、なんとか大奥へ足を運ばせ、実子をもうけられるようにしてくれないか」と頼み込む。 二幕目 廓の揚屋へと姿を変えた奥座敷では、家臣たちが台屋、消炭、辻占売りなどに扮し場を盛り上げる。そして登場したのはおさめの方の扮する高尾太夫の花魁道中。吉保もお大尽に扮して高尾太夫を達引きしたりで、綱吉はすっかり、おさめの方のとりことなる。 ところは変わって、こちらは柳橋の出羽屋という船宿。この家の女房おりうは、亭主忠五郎の元の主人で、店をもたせてもらった恩人でもある武蔵屋徳兵衛と浮気の真っ最中。それを周りの皆も知っているという有様である。 三幕目 ここは出羽屋の別宅。不倫カップルの徳兵衛とおりうは同じ夢を見る。それはかたわらの衝立に描かれた朝潮作「朝妻船」の光景そのままの夢だった。この絵のモデルは綱吉とおさめの方という噂。 ここへおりうの亭主忠五郎がやってくる。忠五郎はおりうと徳兵衛の仲を承知していて、実は徳兵衛の子である徳太郎も育てている。近頃では徳兵衛を良い金蔓としか思っていない忠五郎は、今日も又おりうに金を無心させる。徳兵衛は忠五郎に千両の地面の沽券(こけん)を気前よく与える。 綱吉は「朝妻船」が自分とおさめの方を描いたものと聞いて、烈火のごとく怒り、朝潮の処罰を厳命する。 秋のある日、吹上茶屋に参内した井伊掃部頭(いいかもんのかみ)に綱吉は「養子の綱豊を廃してわが子を世継にしたい」と打ち明ける。しかし掃部頭はわざと「綱豊へ家督を譲るのは賢慮だ」とほめる。 自分のいうことを聞こうとせず、とぼける老臣に綱吉は激怒するが、掃部頭は「親子の情におぼれるのは徳川家の存亡にかかわる」と言い残して去っていく。 四幕目 ある日、吉保の家老、曽根権太夫が密命を携えて三間家を訪ねてくる。明日の茶会で主人を務める右近に、「綱豊を暗殺するように」という吉保の命令。だが恩ある吉保に右近は逆らうことができない。自らの死を覚悟して、右近はこれを承知する。 息子が将軍のお茶会で主人を務めると聞いた右近の母おせつは大喜びするが、右近の浮かない様子を気がかりに思う。そこへ友人の加納大隈守が明日の茶会での綱豊の身を心配して右近に配慮を頼みにやってくる。しかし暗殺を引き受けてしまった右近は、表向きは承知し、ひそかに大隈守に別れを告げる。 右近は母のお気に入りの下女おしづに妻になってくれるように頼む。後に残していく母が気がかりで、おしづに託したいと考えたのだ。本当は右近に惹かれているおしづだが「下女を妻にするのは武士の恥」といって、泣いてこれを断る。 右近は茶室に入り、父の肖像にむかってこの世で最後の茶を点てる。すると母おせつが自分の胸を短刀でつき断末魔の姿で現れる。右近は母に綱豊卿暗殺を命じられたことを告白し、自分も腹を切る。 そこへかけつけた大隈守に右近は秘蔵の茶杓を渡す。この茶杓の銘は「高野」といい、毒殺を暗示していた。大隈守は出羽守吉保の企みを悟り、このことを井伊掃部頭へ伝えることを請合う。 大詰め 操の前はこれまで夫の所業を見てみぬふりをしてきたことを恥じ、綱吉を殺害する覚悟を表す。 やがてやってきた綱吉は「柳沢家の子供が実は自分の子である」と打ち明け「明日世継として披露する」と切り出す。操の前は必死でこれを諌めるが、綱吉は怒り出し、二度と来ないと席をたとうとする。すると操の前は短刀で綱吉の胸をつき、激しくあらそったのち、とどめをさす。 賢女の誉れ高い操の前は、すぐに綱豊を将軍職につけるように手をうつが、自分も自害する決意であった。 綱吉急病の知らせで駆けつけた吉保は、大隈守らによって既に綱豊が次期将軍となり自分は蟄居させられ、天下を奪う計略が失敗におわったことを知る。 同じ日、武蔵屋徳兵衛が突然死に、家督は養子の豊太郎がつぐことになった。木場ではいかだ乗りたちが、徳兵衛をたらしこんだ悪いヤツだと、忠五郎を懲らしめようと派手にやりあう。 そこへおりうが、徳兵衛の女房からの手紙をもってくる。それには「うらみは全て水に流すので、沽券は徳太郎に譲り、出羽屋をつがせるように」と書き綴ってあった。 これを見て、心を打たれた二人は真人間になることを誓あう。おりうは尼になって徳兵衛の菩提をとむらい、忠五郎は早速沽券を武蔵屋に返そうと決意するのであった。 河竹黙阿弥作「噂音菊柳澤騒動」は「裏表柳團画」(うらおもてやなぎのうちわえ)という題で1875年(明治8年)、九代目團十郎によって初演されました。今回の菊五郎と同じように四役をつとめて大評判になったそうですが、それが約100年ぶりに陽の目を見たというわけです。。 この作品は巷談の人気作が写本の形で民間に流布した「実録本」を脚色劇化した「実録物」で、実在の人物の名前を使いながら内容には大幅な創作が含まれているそうです。(筋書きより) 武家社会の出来事と、それにそっくりの町人社会の出来事を交互に見せるという趣向が珍しく、それぞれに違った結末を迎えるというところも面白いと思いました。 柳澤邸を「吉原に見立てた遊び」の場では、おせんべいのようなものを割っておみくじを取り出す「恋の辻占」など吉原の風俗を紹介しながら、まともだった綱吉がだんだんと吉保の計略にはまって堕落して行く有様を上手く見せていて、秀逸でした。 ここで菊五郎の柳澤が扮した廓のお大尽、松井源助にちなんだ「松ゲンサンバ」(三番叟から)を全員で踊るという愉快なアイデアも、この場に無理なく収まって、客席は拍手喝采でした。 一人何役もやるというのは、人が足りないからではないかと思ってしまうこともたまにありますが、今回は菊之助がめったに見られない立役を演じたのが、とても新鮮でした。将軍綱吉、若旦那、女中おしづの三者三様を見て、なるほど役者のいろいろな風情を見せるためだったのかと納得できました。 菊五郎の吉保、忠五郎、右近、掃部守という四役も変化があって面白かったですが、やはり町人の忠五郎が菊五郎には一番似合っていて、絵になっていました。 時蔵はおさめの方、おりう、操の前の三役、田之助も桂昌院、おせつ、岡本の局の三役を演じました。右近の母おせつとして死に、すぐに岡本の局に替わって花道から出る早替わりは、目立ちませんが大変だっただろうと思います。 夢の中を表している「朝妻船遊興の場」では、真っ暗な舞台の高い位置に柳澤が浮かびあがり綱吉とおさめの方を操り人形にみたてて動かす場面が、幻想的で美しく、又人間関係を上手く表わしています。 今回国立劇場文芸室の大胆な補綴によって脚本がすっきりと整理されたそうで、冗長な場面というのがないお芝居だったと思います。大詰めの綱吉暗殺も柳澤の失脚も原作にはないのを、実録本を元に今回書き足したそうで、これで最後がきりっと引きしまって、大成功でした。 御台所の操の前が、夫の綱吉を殺してしまうのには度肝を抜かれましたが、実際には天寿を全うした綱吉の死の翌月に続いて正室が亡くなったので、こんな風説もたったのだとか。 陰謀が暴かれた吉保はまるで「刃傷」の仁木のようで、紙燭を手にした大勢の武士にとりおさえられるのですが、ここも視覚的に印象に残る場面でした。 大詰め雪景色の木場の材木置き場での立廻りは、大変独創的で見事でした。 隅田川に浮かんだいかだの上での立廻りで、材木が流れていったり、雪をかぶった材木の山が音をたてて崩れ落ちたり、その雪景色の中で真っ赤な襦袢に紺の着物の菊五郎が大活躍。歌舞伎美とはまさにこういうものという豪華さです。 最後に材木を組んだ山車が数個出てきて、柝の頭で一斉に材木のてっぺんに登ったいかだ乗り達が出初式のように逆さまになるところなどは、まさに圧巻でした。 忠五郎とおりうが花道を、気持ちよさそうに愛嬌をふりまきながら引っ込んでいくのも、いかにも気分の良い芝居を見たなぁと言う余韻を感じさせました。 |
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この日の大向う | ||||||||||||||||||
だれも見たことのない芝居ということもあってか、最初のうちは時々上手から声が掛かるだけという寂しい状態でした。ツケ入りの見得が少なく、チョ〜ンという柝で極まるのですが、それが微妙に遅くて、その前にたいてい声が掛かってしまっていました。 大詰めになってから大向うの会員とおぼしき方が三階下手に現れて、バンバン掛け始められました。今までの分を取り戻すかのようにたっぷりと掛けられて、ちょっと大盤振る舞いすぎるかなと思うくらいでしたが、威勢の良い掛け声で気分がすっきりしました。 「松ゲンサンバ」に合わせて、二階客席から「オ〜レ!」という掛け声が集団で掛かり、お祭り気分を盛り上げていました。それから四幕目の松緑さんの花道の引っ込みに「松音羽!」と声が掛かりました。 |
壁紙&ライうン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」