「女暫」 羽左衛門七回忌 2007.5.18 W185

8日、歌舞伎座夜の部へ行ってきました。

主な配役
巴御前 萬次郎
轟坊震斎 松緑
女鯰若菜 菊之助
成田五郎房本 海老蔵
猪俣平六義延 團蔵
清水冠者義高 権十郎
舞台番寿吉 三津五郎
蒲冠者範頼 彦三郎

「女暫」のあらすじ
都の北野天神社へ、平家追悼で大きな功績をあげた蒲冠者範頼が、家来たちを引き連れて参拝にやってくる。

そこへやってきたのが木曽源氏の主流、清水冠者義高とその婚約者紅梅姫たちの一行。義高は近頃目にあまる範頼の傲慢なふるまいをたしなめる。一族の駒若丸らが、紛失した家宝・倶梨伽羅丸を範頼が持っているなら早く返せと迫る。

しかし範頼ははなもひっかけず以前から執心の紅梅姫をなびかせようとするが、一向にいう事を聞かないので家来の成田五郎を呼び出して、全員成敗してしまえと言いつける。

今にも、一行が殺されそうなその時、「しばらく」と言う大声が聞こえ、一人の女武者が姿を現す。この女こそ今井四郎の妹で、力自慢の巴御前。轟坊震斎や若菜が追い返そうとするが、とてもかなわなない。

すると巴御前はの範頼のそばへやってきて、何の罪もない人々を斬ろうとした範頼の行いを責め、許しもなく金冠白衣を身につけていることを非難し、義高が紛失した「倶梨伽羅丸」も所持しているだろうと問い詰める。

すると範頼の家来と見えた若葉が駆け寄って、義高の家来、手塚太郎に倶梨伽羅丸を預けてあることを明かし、手塚太郎を呼び出す。実は若葉は木曽の家臣・樋口次郎の妹若菜で、範頼の配下になったと見せかけて倶梨伽羅丸の行方を探っていたのだ。

倶梨伽羅丸を取り戻した義高一行を去らせ、巴御前は取り囲んだ仕丁たちの首を、大太刀をふるって一度に刎ねる。悔しがる範頼を尻目に、太刀を担いで巴御前はゆうゆうと引き上げる。

悪人たちをやっつけた巴御前は、楽屋番に大太刀を預け、引っ込みの六方を習って、はずかしそうに引っ込んでいく。

17世市村羽左衛門が亡くなって、もう六年がたち追善演目として「女暫」が一族総出演で上演されました。

私の記憶に残る羽左衛門は、「摂州合邦辻」の合邦や「賀の祝」の白太夫、それと「弁慶上使」の弁慶です。ことに重い鬘や衣装が体力的にも大変だっただろうなぁと思われる弁慶の、初めて会った我が娘をお主の身替りに殺さなければならなかった苦悩が深く心に残りました。

これを見た直後、歌舞伎座の外で一人でお帰りになる橘屋さんにばったり遭遇したことがありました。突然のことでびっくりしてしまって声が出なかったのですが、勇気を出して「感動しました!」と言えばよかったと今にして思えば残念です。

さて、萬次郎の巴御前はしっかりした芸に加え、凛々と響く声や、明るい持ち味が合っていて、からっとしたいかにも歌舞伎らしいおおらかな舞台でした。幕外の引っ込みの前に、萬次郎は花道付け根に座って「父の七回忌追悼に女暫の大役を演じさせていただけることを感謝します」と追善の口上をのべました。

ここからは役者・市村萬次郎に戻り、ひょっこり現れたイナセな首抜き姿の舞台番・三津五郎に六方を習って「やっとことっちゃ・うんとこな」にあわせて六方を踏んでみせ、恥かしげに引っ込むところが愛嬌一杯でした。三津五郎が刀をかつぐ大見得を「バタバタバタバタ・・バ〜ッタリ!」と言いながらしてみせ「やっとことっちゃうんとこな」と六方を踏むところでは、こちらの身体が自然に動き出すような天性のリズム感の良さを感じました。

蒲冠者範頼を兄・彦三郎、清水冠者義高を弟・権十郎が演じた他、亡き羽左衛門によく似てきた亀三郎、亀寿(紅梅姫)兄弟が出演しました。手塚太郎を演じた光はどういうわけか、台詞がモゴモゴとこもっていたように思いました。

松緑の震斎や、菊之助の若菜も華をそえていましたが、海老蔵の赤ッ面の腹出し・成田五郎が見ものでした。荒事を演じると、すっかり人が変わったように強い気を発散する海老蔵は素晴らしく歌舞伎的で、迷走する与三郎よりこちらの方がずっと魅力的です。

続いて踊りが二つ。最初が松緑の「雨の五郎」で、大せりを使って登場した松緑には若々しさが感じられましたが、衣装の色が白地に黄色の蝶というのは、あまり引き立たつ色あわせではないように思えました。かかっていく廓の若い衆が着ていた浴衣の、松と呂とたて横合わせて九本の格子の「松緑格子」がちょっと珍しかったです。

その次に三津五郎の「三つ面子守」。上手から子守の姿で出てきた三津五郎はほんとうに可愛らしいおぼこ娘。しかし本舞台で踊る前に、花道での演技が長々とあるというのは、花道が見えない席が多い歌舞伎座に向いた演出だとは思えません。

肩にかついだ笹の葉についている三つの面、おかめ、ひょっとこ、恵比寿を交互にかぶって踊るという趣向で、踊り分けの見事さや面をつけ替える手早さには見とれてしまいます。後見の三津右衛門の手際の良さも欠かせないでしょう。

最後が1890年初演の竹柴基水作「神明恵和合取組」通称「め組の喧嘩」。実際に起こった事件を題材にした芝居です。

―ここは品川の島崎楼。相撲取りの四つ車の大八とこれを抱えている葉山九郎次と三池八右衛門らが、四つ車の弟分・水引が九竜山浪右衛門と改名した祝いの宴をはっている。

踊り浮かれた力士たちが障子を倒してしまと、その隣の部屋に居合わせた、め組の鳶の者・藤松が怒鳴り込んでくる。四つ車は力士たちの非礼を詫びるが、藤松にも非があると言うので、藤松はちゃんと詫びを聞くまではここを動かないとがんばる。

そこへめ組の仲間たちもやってきて、騒ぎがますます大きくなったところへ、め組の頭・辰五郎がやってきて止めに入る。その場に出入りの屋敷の侍・葉山や三池がいるのを見て、辰五郎は不始末を詫びる。調子にのって挑発する力士たちに辰五郎は、詫びをいれたのは旦那たちの顔をたてるためと、今度の春相撲がある芝神明はめ組の持ち場所なので、人気に傷をつけないためだと言う。

引き上げようとする辰五郎は、葉山の「屋敷の抱え力士と鳶では身分が違う」という嘲りの言葉を聞いてカッとするが、女将がすかさず止めるのでこの場は立ち去る。

だが腹立ちがおさまらない辰五郎は一人、四つ車を闇討ちしようと待ち伏せる。ところがここに焚出しの喜三郎が駕篭で通りかかり、どさくさの最中に辰五郎が落とした煙草入れを拾う。

芝神明の宮地芝居の前に、息子又八を連れ辰五郎の女房お仲が伴のおもちゃの文次とやってくる。芝居小屋の中が騒がしいので、組の者ではないかとお仲は心配するが、文次はめ組のものは今日はきていないはずだと言うので、皆立ち去る。

だが酒によって芝居を見ていため組の長次郎と亀右衛門は、酔って芝居をだいなしにした酔っ払いをつまみ出す。これを九竜山が仲裁するうちに酔っ払いは逃げ出してしまう。そこで長次郎と亀右衛門は九竜山がわざと逃がしたと怒り、四つ車も出てくるので、亀右衛門たちは品川での恨みを晴らそうとする。

ここへ辰五郎がやってきて、両者はにらみ合い一触即発となるが、江戸座の座元が出てきて自分にあずけてくれというので後日の再会を約束して立ち去る。

こちらは浜松町の辰五郎の内。皆が心配しているところへ辰五郎が酔った様子で帰ってくる。一向に喧嘩に出向こうとせず横になる辰五郎にお仲は、辰五郎をつけて喜三郎のところまで行ってなにもかも聞いたと話し、そんな意気地のないことでどうすと胸倉をつかんで意見する。

子分の亀右衛門までくやしがって辰五郎を責めるが、辰五郎はお仲に水を持ってこさせ、お仲や又八にも少しずつ飲ませる。するとお仲は離縁状を出し「こんな意気地なしとは知らなかった」と又八を連れて家を出て行こうとする。

ところが辰五郎はお仲を呼びとめ、既に用意してあった離縁状を見せ、実は四つ車たちへ死を覚悟で仕返ししようと、さっき水盃をかわしたのだと語る。これを聞いたお仲は喜び、離縁状は又八が破く。相撲がもうすぐはねるころだと、お仲が切り火で送り出そうとするが、又八は自分も連れていけとだだをこねる。ついに相撲の打ち出しの太鼓が鳴り、辰五郎は駆け出していく。

既に空き地に勢揃いしていため組の鳶のものは辰五郎が駆けつけ皆で水盃をかわすと、相撲場へと出発する。

相撲小屋の前には大勢の力士が辰五郎たちを待ち構えていた。ついにめ組の鳶と力士の喧嘩が始まる。激しい喧嘩が続き、四つ車と辰五郎は一騎打ちしようとするところへ、鳶を取りしまる町奉行と力士を取り締まる寺奉行二つの法被を着た焚出しの喜三郎が駆けつける。これを見た双方は、喜三郎の仲裁で喧嘩を終えるのだった。

粋な江戸っ子の辰五郎を菊五郎が七五調の台詞もすっきりと小気味よく演じていました。菊五郎の辰五郎にはいかにもめ組の頭という包容力が感じられます。喧嘩に出かける辰五郎がクルクルと紐をほどいた刺し子の半纏のすそを持って、バッと放り上げざまに袖に腕を通すというかっこいい見せ場は、この日はどういうわけかあまり上手く行きませんでした。

口に含んだ水を霧状にして両足に吹きかけ、舞台一杯に並んだ鳶のものが喧嘩に出陣する勇壮な場面には、やはり気分が高揚します。

相撲取り・四つ車の團十郎はいかにもどっしりと肝がすわった男という感じで立派。九龍山の海老蔵はまだ下っ端というには、あまりにも堂々たる相撲ぶりでしたが、これも芝居の嘘ということで良いのかなとは思います。

息子の又八を扇雀の息子・虎之介が演じましたが、はきはきした子役でした。辰五郎内では亀右衛門の團蔵が辰五郎のしっかりものの女房・お仲を演じた時蔵と、菊五郎とでしっくりと噛み合った芝居を見せてくれました。最後にハシゴにぶらさがって喧嘩のど真ん中に仲裁に入る焚出しの喜三郎の梅玉が、とてもきりっといしていて格好良くきまっていました。

この日の大向こう

この日は比較的、掛け声が少なく感じましたが、会の方も3人ほど見えていたそうです。萬次郎さんの幕外での口上「女暫の大役を、勤めさせていただきました」の途中で「大当り」と掛かったのは、納得!と思いました。

「め組の喧嘩」のころ、あっけらかんとした明るい声が盛んに聞こえてきました。賑やかな楽しい場面にはそれでも良いのですが、辰五郎がもの思いに沈みながら花道を出てくる時や、そ知らぬ顔で妻子と別れの水盃をかわして言う「下戸は知らねぇ、味だなぁ」の名セリフの途中で、全く同じ調子の陽気で明るい声が掛けられたのは、場の雰囲気とまるで合わなくて興ざめでした。

悲しい場面や重苦しい場面にはそれなりの声を掛けていただきたいものだなぁと思いました。

5月歌舞伎座夜の部演目メモ
「女暫」 萬次郎、彦三郎、権十郎、三津五郎、海老蔵、菊之助
「雨の五郎」 松緑
  「三つ面子守」 三津五郎
「神明恵和合取組」 菊五郎、團十郎、海老蔵、時蔵、松緑、田之助、虎之介、左團次

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