勧進帳 120周年記念 2007.5.8 W184

3日に歌舞伎座「團菊祭」の昼の部をみてきました。

主な配役
弁慶 團十郎
富樫 菊五郎
義経 梅玉
亀井六郎 友右衛門
片岡八郎 家橘
駿河次郎 右之助
常陸坊海尊 團蔵

「勧進帳」のあらすじはこちらです。

明治20年に、麻布鳥居坂の外務大臣井上馨邸で初めて行われた天覧歌舞伎から今年で120年。今月は歌舞伎にとって重要な意味を持つこの公演を記念して、当時も上演された「勧進帳」が上演されました。

当時は弁慶を團十郎、富樫を初代左團次、義経を五代目歌右衛門というメンバーで上演。4月26日から4日間に渡って行われたこの催しの演目は、「勧進帳」の他、九代目團十郎の「高時」、五代目菊五郎の「操り三番叟」、舞踊劇「漁夫の月見」「元禄踊」、天皇御所望の「山姥」「夜討曽我」、「寺子屋」などだったと、河竹登志夫氏が筋書きに書いていらっしゃいます。

おりしも「欧米にはない花道、黒衣、竹本、後見などは廃止すべし」という極端な演劇改良運動の真最中で、非難攻撃の的となっていた河竹黙阿弥は招待もされなかったというエピソードを興味深く読みました。

ところで3月にパリオペラ座で勧進帳を演じるという大仕事を成し遂げた團十郎は、顔つきも精悍に引き締まり、声も朗々と響き、気力も充実しいて、とても明快で魅力のある弁慶を演じました。特に偽の勧進帳を読み上げる途中、富樫とにらみ合うところの気迫のこもった「天地人の見得」には強烈な波動を感じました。

菊五郎の富樫は、脇に徹して奥ゆかしさを感じさせ、富樫が強力が義経であることを悟りながら見逃がすのだということを一瞬にして表わす「泣き上げ」も、ことさら強調せずすっきりとしたものでした。菊五郎の富樫は当代松緑の襲名の時以来ですが、新鮮に感じました。梅玉の義経は当代一の義経役者らしい落ち着いた品格がありました。

昼の部の序幕は山本周五郎原作の「泥棒と若殿」。上演記録によると32年ぶりの再演です。

―ここは鬼塚山の荒れ果てた屋敷の門前。この地方の領主・松平大炊頭(おおいのかみ)が病に倒れ、家老の滝沢図書助(としょのすけ)は大炊頭の長男・成武が病身なのを幸いに、これに家督を継がせ実権を握ろうと図り、次男・成信をこの荒れた屋敷に幽閉してから三年がたった。

この屋敷へ伝九郎という男が盗みに入ろうと様子を伺っていると、成信に昔使えていた弥平が食べ物を差し入れにくるが、見張りの侍たちにすげなく追い返されてしまう。成信が食べ物もろくに与えられていないという噂は村にも届いていたのだ。

そんなこととは知らない伝九郎は、夜こっそりとこの屋敷へ忍び入る。あばら家の奥には若殿・成信が時々襲ってくる刺客に眠りをさまたげられながら横たわっていた。

3日間何も食べていないという成信の話を聞いて、すっかり同情した伝九郎は自分が人足として働き成信に食べさせようと決心する。それから一ヶ月あまり、伝九郎は成信と生活を共にする。伝九郎のこれまでの不幸な人生の出来事を知るうちに、成信は「市井の人間に悪人はいない」と思うようになる。

ある夜、警備の侍・鮫島平馬が現れ、大炊頭が亡くなって幕閣の評議の末に跡継ぎは成信と決まり、家老・滝沢が失脚したことを告げる。だがこれまでの刺客が、成信を擁護する梶田重右衛門の敵を欺くための策で、伝九郎が人足としてわりの良い賃金を稼げたのも全て梶田の指示だったと聞かされ、権謀術数にみちた武士の世界に嫌気がさした成信は、城には帰ることを拒否する。

平馬が去った後成信は伝九郎にどこかで一緒に暮らそうともちかけ、伝九郎はすっかりその気になる。

夜更けに今では家老となった梶田重右衛門が家来を連れて姿を見せ、成信に城へ戻ってくれるように頼む。だが成信は権力争いの道具になりたくないと、これを断る。

梶田は領民やお家のことを考えてほしいと、成信が生まれながらに持っている責任を全うするように説得する。とうとう成信は城へ帰ることを決心する。

翌朝、伝九郎が目を覚ますと成信が自ら朝御飯を用意して待っていた。驚く伝九郎に、今までとは違って立派な身なりの成信は、食事が終わったら訳を話そうという。

そこへ城から迎えにきたので、成信はそっと立ち去ろうとする。呼びとめる伝九郎に成信は、武士として生きたくなったので行かせて欲しいと頼む。成信と暮らすようになって、人間としての生きがいを感じることができるようになった伝九郎はひき止めるが、成信は人間にはそれぞれの道があると言い残して行く。

後を追って来た伝九郎の「立派に出世していつか会いに来てくれ」という餞の言葉を聞きながら、別れの悲しみに堪えて成信は去っていく。伝九郎は泣きながらいつまでもその姿を見送るのだった。―

三津五郎の若殿、松緑の泥棒は三津五郎自身も筋書きに書いているように、最初のうちは役柄が逆ではないかと思いましたが、話が進むにつれ、人生をあきらめて餓死を待つだけの若殿の人柄が三津五郎ならではの面白さで演じられ、松緑の明るくてひょうきんな持ち味も人の良い伝九郎にぴったりだと感じました。

見張り役鮫島平馬たちの成信への惨い仕打ちは、後で狂言だったということがわかるわけですが、それにしてはちょっとひどすぎるのではと思えました。最後にちょっとだけ出てくる梶田重右衛門の秀調、成信を翻意させる穏やかな雰囲気が印象に残りました。ふと昨年こんぴらで見た秀調の「浮世柄比翼稲妻」の浮世又平をもう一度見てみたいと思いました。

三幕めが海老蔵の与三郎と菊之助のお富で「与話情浮名横櫛」。3年前に大阪で同じ配役で上演されましたが、今回はどう変わっているかと楽しみでした。海老蔵が祖父十一代目團十郎の与三郎の映像を見て感銘を受け役者になる決意を新たにしたという話はあまりにも有名です。

海老蔵の与三郎は「木更津海岸見染の場」では、いかにもお富がひとめぼれしそうなほど美しく、充分に甘さのある大店のボンボンで、徹底した和事師ぶりです。台詞は残念ながらまだ独自の台詞廻しを模索中といったところで全体にかなり上ずっていたのが気になりました。

与三郎がお富の後ろ姿にぼんやり見とれて落とす「羽織落とし」はお富が花道七三で台詞を言っている間に海老蔵が左袖を下にひっぱっているのが見えました。ここは難しいところですが、本人がしゃべっていない時でも見ている人はいるのですから、後ろを向いている間にできないものかしらと思ってしまいました。ちなみに薄紫の羽織の模様は小さな白い牡丹の小紋のようで裏の模様は数輪の牡丹の花でした。

「源氏店」ではお富に背を向けて座っている姿はとても綺麗でしたが、お富に「ご新造さんへ」と近寄っていくところで渡世人が仁義をきるかように中腰に身をかがめていたのは(リアルなのかも知れませんが)形が良くなかったです。帰り際に玄関の外に立ってお富と見つめあう様子には、二人が本当に惚れ合っているということが切ないほど感じられました。

最後に蝙蝠安と別れた与三郎が家の裏へ廻るつもりで下手に引っ込み、そのままお富と会うこともなく幕になるのはなんだか尻切れトンボのようで、戻ってお富と抱き合って再会を喜びあうラストの方が収まりが良いと思いました。

菊之助のお富は瑞々しい美しさで、番頭をからかう件もだれることなく演じましたが、少しせわしないような気もしました。与三郎に弁明する長台詞も与三郎への変わらない想いとしっとりとした雰囲気があふれていて良かったと思います。

お富の使う手拭は、私はあまり見たことがない三升を斜めに切ってちょっとずらし縞に並べたようなもので、着物の裏は流水?に菊の模様、奥の部屋に掛かっていた浴衣は音羽屋のトレードマーク「斧琴菊」(よきこときく)でした。

和泉屋多左衛門の左團次もどっしりとした風格があって場がしまりました。蝙蝠安の市蔵は凄みには欠けるけれど憎めない小悪党といったところ。「なんだかこいつぁ、さっぱりわけがわからねぇ」の台詞はもうちょっと聞かせても良いかなと思いました。番頭の橘太郎も好演。

昼の部の切は芝翫の舞踊「女伊達」。からむ二人の男伊達は翫雀と門之助。助六に憧れ尺八を後ろ腰にはさんだ女伊達・木崎のお駒の芝翫は淀川の千蔵、中之嶋鳴平や大勢の若い者をかるがるとあしらうという、華やかな踊りで幕になりました。

この日の大向こう

休日のこの日は、たくさん声を掛ける方がいらっしゃいました。会の方も5〜6人いらしていて、時々他にだれも掛けないところで変に気の抜けた声が聞こえるのは玉に瑕でしたが、おおむね締まった声が掛かっていてよかったです。

「泥棒と若殿」で三津五郎さんの若殿が家臣に説得されて自分の道を行こうと決心するところで「伝九、俺はかえるぞ」と万感をこめて言ったあとに、ちょっと高めの声がその気持ちをしっかり受けとめたような気合で「大和屋!」と掛かり、まさにこういう風に掛けて欲しかったとうなずいてしまいました。

また一階席の後ろの方から、時々良い間でご年配の女性の声が掛かっていました。「勧進帳」では弁慶の石投げの見得で皆さんが「成田屋」と掛けた直後に「大成田」と掛けられたのは、なかなかきまっていました。「大〜」についてはいろいろご意見があると思いますが、この時は抵抗なく受け取れました。

普通一階ではあまり声を掛けるものではないと言われていますが、この方はほんの少ししかお掛けになりませんでしたし、いずれも納得できるところで掛けられたので許容範囲だったのではと思います。

歌舞伎座昼の部演目メモ

泥棒と若殿」 三津五郎、松緑 
「勧進帳 」 團十郎、菊五郎、梅玉
「与話情浮名横櫛」 海老蔵、菊之助、市蔵、左團次、橘太郎
「女伊達」 芝翫、翫雀、門之助


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