「金閣寺」 期待の顔合わせ 2007.1.26 W176 | ||||||||||||||||
13日、歌舞伎座夜の部を、17日に昼の部を見てきました。
「祇園祭礼信仰記」(ぎおんさいれいしんこうき)―「金閣寺」のあらすじ 大膳は弟・鬼平太と碁をうちながら、牢やに捕らえてある狩野之介直信の妻・雪姫を呼び出し「夫の命を助けたければ夫の代わりに金閣の天井に墨絵の龍の絵を描くか、さもなくば自分のものになるか決めろ」と迫る。だが雪姫は「墨絵の龍は無くなった家の秘伝の書がないと描けないし、夫があるので大膳のものにもなれないのでいっそのこと殺してほしい」と断る。 大膳は鬼平太にまず夫の直信から殺せと命じる。そこへ家臣の十河(そごう)軍平が此下東吉を連れてくる。東吉は春永を見限って大膳に付こうとやってきたのだが、その東吉に弾正は碁の相手を命じる。雪姫は慶寿院と夫を救うため、弾正の命令を受け入れる覚悟を決める。 喜んだ弾正だが、東吉に碁の勝負で負けてしまい機嫌を悪くし、碁笥(ごけ)を井戸に投げ込み「手をぬらさずに碁笥を取れ」と命じる。東吉は金閣の樋をはずし、それを利用して滝の水を井戸へ導き、井戸の水をあふれさせて扇子で碁笥をすくい上げた。この様子を見て大膳は東吉を軍師として迎えようと決め、東吉は軍平と奥へ入る。 大膳は雪姫に墨絵の龍を描かせようとすると、雪姫は手本がないと描けないという。それでは見せてやろうと大膳が自分の刀を抜き滝に写すと、滝の中に龍が現れる。その刀こそ、雪姫の父・雪村が何者かに殺された時、奪われた奇跡を起こす刀・倶梨伽羅丸。雪姫は大膳こそ親の敵と知って、大膳の刀を奪い斬りかかる。 怒った大膳は雪姫を庭の桜の大木に縛りつけ、直信を船岡山で五つの鐘とともに殺せと軍平に命じる。連れて行かれる直信を雪姫はなすすべもなく見送る。なんとかして縄がほどけないかと必死にもがくが、縄はどうしてもほどけない。ただただ涙を流す雪姫だったが、ふと祖父の雪舟が幼い頃、縛られた縄を涙で描いた鼠が縄を食いきったという話を思い出す。 あたりに桜の花びらがたくさん散っているのを見て、雪姫が涙を墨、つま先を筆がわりに鼠の絵を描くと、雪姫の祈りが天に通じ白い鼠が現れ縄を切る。逃げようとする雪姫を鬼藤太が捕らえようとすると、東吉がこれを救う。 実は東吉は大膳の様子をさぐるために潜入した春永腹心の家来、真柴筑前守久吉だった。雪姫は倶梨伽羅丸を手に、船岡山の夫のものへ急ぐ。久吉は桜の木をよじ登り幽閉されていた将軍の母・慶寿院を助けだす。 金閣を取り囲んだ春永の軍勢を相手に大膳は長刀で戦う。十河も実は春永の家来・佐藤虎之助清正と知れるが、なおも降参しない大膳に、久吉は大膳の本城・志貴の城で又勝負しようとつげると、大膳は再会を約束して去っていく。 中村阿契、浅田一鳥ら作の人形浄瑠璃「祇園祭礼信仰記」は1757年に初演されて以来、3年にわたってロングランした人気狂言で、その翌月には歌舞伎に移され上演されました。 昨年九月「寺子屋」で12年ぶりに本格的共演が実現し好評だった幸四郎・吉右衛門兄弟が再び共演するのに加え、玉三郎が雪姫を演じるのも楽しみでした。 幸四郎の大膳は前回見た時も思ったのですが、小忌衣や王子の鬘もぴったりと似合っていて台詞廻しの陰気なことといい、情容赦のないサディスティックな国崩しの存在感充分。他の芝居とは違って、歌舞伎においては幸四郎は敵役を演じた時にその資質を存分に生かすことができるのではと強く感じました。鼻高幸四郎という立派なご先祖もいることですし・・・。 吉右衛門の此下東吉は、この大膳に対して軽妙に受けたのがとても良くて、吉右衛門の懐の深さを感じることが多いこのごろです。大膳と碁を打つ場面にも面白みがありました。 玉三郎の雪姫はどんなに苦しい姿勢の時も、その姿の美しさがそこなわれることがなく、姫が縄で繋がれる桜の木が今回金閣のすぐ下手になったため、上手から縄に繋がれた姫の夫・狩野之介直信が出てくるのを下手から縄に繋がれた雪姫が迎える図が非常に綺麗にきまっていました。 下手の木に繋がれていることによって、夫を案じる様子がリアルに表現され、よりドラマの緊迫感が増したように思えました。二人の黒衣が差出で使う二匹の鼠が縄を食いちぎり終わると最中の皮のようにまっぷたつに割れて元の桜の花びらへと砕け散るところは、本当にあざやかな仕掛だなと昔の人の智恵に感心します。 最後に桜で埋まった舞台で立ち廻りがあり、これを演じる役者さんたちは桜の花びらで足がすべらせたりしないのかしらとちょっと不安になりました。 夜の部は、まず舞踊の「廓三番叟」。「式三番叟」の詞章を廓の風景で見せるという趣向で、雀右衛門の傾城が翁、孝太郎と芝雀の新造が千歳、太鼓もちの富十郎が三番叟のふりで踊り、魁春も加わってお正月らしい華やかな雰囲気をもりあげていました。 勘三郎の「春興鏡獅子」は前シテの弥生の恥らう姿が魅力的でした。獅子頭にひきずられて花道を引っ込むところにも迫力があり、後シテの獅子の精になってからの力強さも満点でした。胡蝶の精を演じた宗生と鶴松もとてもしっかり踊っていました。最後に座ったままぐるぐる廻る苦しいところもきちんと踊っていて、まだ幼いのに偉いと思いました。 昼の部のお終いは河竹黙阿弥作「処女翫浮名横櫛」(むすめごのみうきなのよこぐし)通称「切られお富」。「「与話情浮名横櫛」の書き換え狂言で、のちに脱疽で手足を失うことになる幕末の名女形、田の太夫(たんぼのたゆう)・三世田之助のために書かれた悪婆物です。 ―絹問屋・赤間源左衛門は鎌倉長谷の妾宅にお富という女を囲っている。ところがお富は以前恋人だった与三郎と再会しこの家に呼び寄せ、与三郎への誠を示すために小指を切り落とす。 与三郎が去った後、源左衛門が子分の蝙蝠の安蔵らをひきつれて現れて間男をしたお富を責め、自分は観音久次という盗賊なのだと正体を明したあげく、お富の身体を散々に切り刻む。 死んだと思ったお富を源左衛門は蝙蝠安にどこかへ捨てるように言いつけるが、以前からお富に気があった蝙蝠安は、かろうじて生きていたお富を葛篭に入れて背負い姿を消す。 時は過ぎ、命を取り留めて今では蝙蝠安の女房となったお富は、東海道のさった峠で暮らしている。そこへ偶然通りかかった与三郎が提灯の灯を借りにやってくる。お富が体中に傷をおった事情を話すうちに、実はお富の父親は与三郎の父の家来だったことがわかる。 主家・千葉家の家宝、北斗丸を盗まれてしまった与三郎の父はその申し訳に切腹。与三郎は北斗丸を追って旅をするうちに府中の道具屋で北斗丸を発見したが、手に入れるには二百両という金が必要で、調達できない場合は死ぬ覚悟を固めているというのだ。 お富は与三郎のために、今は府中で赤間屋という女郎屋の主人におさまっている赤間源左衛門を脅して金を工面しようと決心し、夫の安蔵と一緒に出かけていく。 赤間屋では穂積幸十郎という男が見世にあがるが、源左衛門は幸十郎が侍ではないかと目をつけている。そこへお富と安蔵がやってくる。源左衛門はお富に百両貸して追い払おうとするが、お富は源左衛門が実は盗賊であるということを種にあくまでも二百両要求する。 仕方なく源左衛門は二百両をお富に与える。お富と安蔵が帰ったあと、奥から穂積幸十郎が捕り手を伴って現れ、北斗丸を盗んだ張本人である盗賊観音久次・源左衛門を捕らえようと討ちかかる。 一方蝙蝠の安蔵は、お富が二百両をゆすり取ったのは与三郎のためだと知っていて、金をお富にはやらずに高飛びしようとする。これを察したお富は安蔵を殺し、与三郎に金を渡そうとさっていく。― 福助は悪婆・お富にあっているものの、声をあそこまで地声に落とすのは少々やりすぎだと思いました。彌十郎の蝙蝠安は線が太いところは良いけれど、どことなく雰囲気が健康的。多左衛門実は観音久次の歌六は滓のようなものを漂わせていて悪党になりきっていました。源左衛門の女房・お滝の高麗蔵が嫌味な味を上手くだしていました。 源氏店の与三郎が「総身をかけて三十四箇所の刀傷」なのに対して、切られお富の「額をかけて七十五針、総身の疵に色恋も さった峠の崖っぷち」という名台詞には、黙阿弥も思い切って増やしたものだと苦笑。「源氏店」のパロディとして楽しめるお芝居です。 昼の部はまず今回新しく作られた舞踊「松竹梅」。松竹梅それぞれに違った登場人物が異なるお話を踊る盛りだくさんの踊りでした。中でも梅の巻の工藤祐経の奥方・梛の葉と大磯の虎と化粧坂の少将が踊る曽我の対面を連想される踊りが印象に残りました。 次が吉右衛門の「俊寛」。段四郎が先月の南座に引き続いて瀬尾を演じていましたが、力強くて堂々たる瀬尾でした。吉右衛門の俊寛には包容力を感じました。丹左衛門の富十郎は朗々とした口跡で存在感があり、顔ぶれのそろった見ごたえのある「俊寛」でした。吉右衛門の俊寛は、幕切れで呆然と虚空を見つめたあと、うっすらと微笑んでいました。 幸四郎の「勧進帳」。既に900回を越えているというのには、七代目幸四郎の1600回を念頭においたなみなみならぬ意欲を感じます。幸四郎の弁慶は富樫とのやりとりで細かに反応するのが、どうも目につきます。義経を金剛杖で打つ前にもあんなに感情をあらわにしてしまって良いのかと思いました。もっとどっしりしていて欲しいと思いますが、それが高麗屋の持ち味なのでしょう。 それと気になったのは、幕外の引っ込みで幸四郎はまず富樫に対して礼をするということをしませず、いきなり天にむかって頭をたれました。富樫が義経を本物と知りながら自分が腹を切る覚悟で通したという気持ちをありがたいと思うのが、弁慶として当然だと思っていたのでこれには驚きました。 芝翫の義経は登場した時の金剛杖の扱い方の美しいのに、感心しました。寂しさが身にまとわりついているようなけれども凛とした御大将でした。富樫の梅玉は勧進帳読み上げの時に覗くやり方がちょっとオーバーで、臆病口に引っ込む時の泣き上げも形が先行していたように感じました。 昼の部最後は勘三郎の舞踊「喜撰」。花道から出てきた喜撰法師の勘三郎ははんなりと色気のあるお坊さんで、顔も滑稽にせず、途中から登場した玉三郎のお梶としっくりと楽しそうに踊っていました。勘三郎は今月、舞踊が二つだけでしたが、どちらもとても良い舞台だったと思います。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||||||
前半の方にたくさん声が掛かっていました。特に「金閣寺」には大勢の方が声を掛けられ、とても雰囲気が盛り上がりました。会の方も4名、見えていたそうです。 17日は声を掛ける方はとても少なかったです。あまりに少なかったため辛抱できなくなった方でしょう、一階席奥からも声が掛かっていました。こういう日には、歓迎すべき声だなぁと思いながら聞いていました。 |
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1月歌舞伎座演目メモ | ||||||||||||||||
昼の部 |