元禄忠臣蔵 幸四郎の内蔵助 2006.12.19

15日、国立劇場で「元禄忠臣蔵V」を見てきました。

主な配役
大石内蔵助 幸四郎
仙石伯奢守 三津五郎
堀内伝右衛門 左團次
おみの 芝雀
磯貝十郎左衛門 信二郎
堀部安兵衛
荒木十左衛門
歌六
間十次郎 高麗蔵

「元禄忠臣蔵V」のあらすじ
「吉良屋敷裏門」
第一幕 吉良上野介屋敷裏門前
―内匠頭の刃傷から2年ほど後の元禄十五年12月未明、赤穂浪士たちはついに吉良邸に討ち入る。―

吉良邸の裏門から、吉良に一番槍で切りつけた間十次郎がよろよろと出てくる。そこへ心配してやってきた近松勘六の下僕に、堀部安兵衛はすでに吉良の首を討ちとり、やってくるはずの上杉勢を迎えうつところだと告げる。

後から浪士が次々と現れ、武林唯七と間十次郎はどちらが先に吉良を討ったかと言い争いを始める。そこへ不破数右衛門が出てきて、一同は門の中へと入っていく。

内蔵助の命令で浅野家に討ち入りの報告をする手はずになっていた足軽の寺岡平右衛門は、同志と行動を共にしたいと必死で願うが、遅くなると道がとめられるとせかされ、断腸の思いで立ち去る。

内蔵助は裏門前に浪士たちを集めてねぎらい、これから泉岳寺まで堂々と歩いて行き、墓前に吉良の首をそなえようという。

「泉岳寺」
第二幕 芝高輪泉岳寺浅野内匠頭墓所
なき主君の墓前に内蔵助は吉良の首を供えて、焼香する。次に焼香に呼ばれたのは間十次郎、その次は武林唯七だった。さきほど功名争いをしていた二人は気恥ずかしい思いをする。焼香をすませると皆は内蔵助に「申し合わせどうりこの場で全員切腹しよう」と願い出る。

しかし内蔵助は別な考えを持っていた。「天下の罪人となった今は、泰然として公儀の御沙汰を待つべきではないか」という内蔵助の意見に、皆は賛同する。

皆が本堂へと座を移した後へ、討ち入りへ参加できなかった高田郡兵衛が、せめて追い討ちをかけてくるであろう上杉勢と戦うことで、仲間へ入れてもらえないかと焦ってやってくるが、親友の堀場安兵衛はこれを嗜め、別れの言葉をかける。

「仙石屋敷」
第三幕 仙石伯奢守屋敷玄関
同 大広間
同 元の玄関
吉田忠左衛門と富森助右衛門、二人の浪士は、泉岳寺へ向かった仲間と別れ幕府大目付・仙石伯奢守の屋敷を訪れ、仇討の一部始終を公儀へ届け出る。玄関へ自ら出てきた伯奢守は、天下の裁きを受けたいという浪士たちの言い分に感服し、二人を屋敷に招きいれ歓待する。

検分のために仙石屋敷へ連れてこられた浪士たちは、四つの大名屋敷にあずけられて公儀の裁定を待つことになる。赤穂浪士に好意的な伯奢守は内蔵助と対面し討ち入りの様子を問いただす。そして火事を慮って松明を使わなかった配慮をほめ、吉良が見つからなかった間の浪士のあせりに同情をよせる。

炭小屋で吉良を発見した件では、間と武林がお互いに功名を譲ろうとし、浪士たちは仲間の功績を褒め称えるので、伯奢守その心根に満足し、年少の主税にも言葉をかける。

だが役目として、「江戸城下で徒党を組んだこと」を問い詰める伯奢守に内蔵助は堂々と反論する。また「幕府が浅野を切腹させたのだから、吉良を敵と狙うのは誤りではないか」との問いに、「この仇討は天下の法に従って浪士となった者が、ただ家来として主君の最後の一念を晴らさんがために鋭意してきた結果だ」と述べ、役人一同はこの明白な申し開きに納得する。

仙石屋敷の玄関では別れ行く主税がしきりに父・内蔵助を振り返り、安兵衛らに未練だとたしなめられる。内蔵助はその様子を見て、安兵衛たちに主税のことを頼む。しかし主税が父に言いたかったのは、「最後を迎える覚悟はできている」ということだった。父子は顔をじっと見合わせたのち、主税は立ち去る。

伯奢守に暖かい言葉を掛けられた内蔵助は、丁寧にお辞儀をして悠然と去っていく。

「大石最後の一日」
のあらすじはこちらです。
第四幕 細川屋敷下の間
同 詰番詰所
同 大書院
同 元の詰番詰所

三ヶ月にわたって通し上演された「元禄忠臣蔵」の最後の内蔵助を幸四郎が演じました。幸四郎は時々裏返る声をふるわせながら仇討をなしとげ初一念を貫いた内蔵助を熱演しました。一文のお金も無駄にしなかったという実務家としての内蔵助の一面を強調したのかもしれませんが、私には少々感傷的すぎるように思え内蔵助という人物がこじんまりと見えてしまいました。しかし「大石最後の一日」ではまわりからすすり泣きの声が聞こえ、最後までゆるむことなくひっぱっていったのはさすがだと思います。

「吉良屋敷裏門前」では、既に仇討をなしとげ放心状態になった浪士たちの様子が興味深く描かれていました。「泉岳寺」では申し合わせでは、墓前で焼香の後全員切腹ということになっていたのが、内蔵助の「静かに公儀の御沙汰を待とう」という一言に皆が従う様子、討ち入りに参加できなかった高田郡兵衛の後悔など「仮名手本忠臣蔵」には描かれていない浪士たちの人間的な側面がとりあげられています。

「仙石屋敷」では仙石伯奢守役を演じた三津五郎は口跡も爽やかで、この場の主役となる存在感がありました。主税の巳之助がすっかり大人になって控えめながらしっかりと演じていたのも頼もしく感じました。

「大石最後の一日」では磯貝十郎左衛門を演じた信二郎が役にぴったりでしたが、以前見た時よりも少し声を高めに出しているような気がしました。おみのを演じた芝雀も「偽りを誠に返す」というひたむきな気持ちが充分に表われてました。細川内記の梅枝も若いながら台詞に味があって将来が楽しみです。堀内伝右衛門の左團次は、ひょうきんな持ち味を生かしながらも、情深い人物を好演していました。

こうして「元禄忠臣蔵」を通しで見てみると、「大石最後の一日」を見ただけではわかりづらい「初一念を貫く」ということが、はっきりと浮き彫りにされてくるように感じました。「元禄忠臣蔵」は当初予想していたより、はるかに面白い芝居で、10月と12月は満席となるなど観客の反応も大変良く、国立劇場40周年記念公演にふさわしい好企画だったと思います。

ちなみに10のお芝居が出来た順番は、昭和9年に「大石最後の一日」、続く6年間で「江戸城の刃傷」「第二の使者」「最後の大評定」「伏見撞木町」「御浜御殿綱豊卿」「南部坂雪の別れ」「吉良屋敷裏門」「仙石屋敷」が次々と上演され、左團次が亡くなった翌年昭和16年に「泉岳寺」が上演されて全部が揃ったということです。

この日の大向こう

大向こうの会の方はどなたも見えていなかったようで、一般の方2〜3人が声を掛けていらっしゃいました。

「仙石屋敷」で伯奢守の三津五郎さんの「何と申す!」という台詞の後で「高麗屋」と声が掛かったので「あれ?」っと思いましたら、そこから幸四郎さんの重要な長台詞が始まったので、こんな知られていない話でもちゃんと台本をご存知の方がいらっしゃるのかとちょっと感心しました。

12月国立劇場演目メモ

●元禄忠臣蔵V
 「吉良屋敷裏門」
 「泉岳寺」
 「仙石屋敷」
 「大石最後の一日」 幸四郎、左團次、三津五郎、芝雀、信二郎、高麗蔵、歌六、門之助、


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