伽羅先代萩 顔見世 2006.11.19 | ||||||||||||||||||
2日と14日に歌舞伎座の顔見世昼の部を、10日に夜の部を見てきました。
通し狂言「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)のあらすじ 頼兼がこの闇討ちを軽くいなしていると、相撲取り絹川谷蔵が駆けつけ官蔵たちをやっつけて頼兼をひとまず自分の義兄のもとへと逃がす。 そこで八汐は行方のしれない鶴千代つきの医師大場道益の代理としてその妻・小槙に脈をとらせる。すると小槙は鶴千代には「必死の脈」が出ているという。八汐が廊下でもう一度脈を取るように言うと、なぜか今度は平脈。 八汐は「これは部屋の中に若君の命を狙うものが潜んでいるに違いない」と詮議を命じる。すると屋根裏から忍びの者・鳶の嘉藤太が落ちてくる。問い詰められた嘉藤太は「政岡に鶴千代を殺すように頼まれた」と白状する。 身におぼえのない罪で告発された政岡だが、鶴千代が毅然とした態度で政岡を擁護したため難を逃れる。一行が奥へ入った後、八汐は嘉藤太に何事かを言いつける。政岡を落としいれようと画策していたのは他ならぬ八汐だったのだ。 管領夫人からの拝領の菓子を断ることができない政岡と鶴千代が進退きわまったところへ、物陰から千松がとびだしてその菓子を食べる。思ったとおり菓子には毒が仕込まれていて、千松が苦しみ始めると八汐は毒が入っていたことを知られないように、拝領の菓子を蹴散らすとは無礼だと千松を短刀で嬲り殺す。 周りの者は八汐のあまりの非道に驚き騒ぐが、政岡は鶴千代を守って顔色一つ変えない。苦しんだ末にとうとう千松は息絶える。この一部始終を見ていた栄御前は、政岡が千松と鶴千代を取り替えて育てたのだろうと思い込む。そして二人だけになったとき、悪事の一味に加担するようにと政岡に持ちかけ、連判状を政岡にあずけて帰っていく。 政岡は我が子千松の遺体を抱きしめ、主君の代わりに毒を試した千松を涙ながらにほめてやる。それを見た八汐は短刀を抜いて政岡に向かってくるが、政岡は反撃して息子の仇を討つ。するとどこからか大きな鼠があらわれ、政岡が栄御前から預かった連判状を咥えて逃げ出す。 同床下
案の定、外記左衛門方に不利な裁定がなされ、弾正方の勝利ときまる。そして宗全は外記左衛門が持っている弾正謀反の証拠「半分にちぎれた鶴千代呪詛の密書」を無理やりとりあげようとする。そこへ細川勝元がやってくる。 外記左衛門は勝元にもう一度証拠の密書を吟味してほしいと頼むが、すでに裁定は下りてしまっていると勝元はそれを断る。しかし勝元は弾正を、執権職にありながら主君の放埓をなぜ命をかけてとめなかったのかと非難し、宗全には「虎の威をかる狐」に誑かされていると遠まわしに言う。 勝元は何食わぬ顔で弾正に、鶴千代の足利家相続のための願書をかかせ印を押すように命じる。しかし罠だと感づいた弾正は髪の毛を抜いて印に引き目を入れる。この願書の筆跡と印を確かめた勝元は外記の所持する破れた密書と、自分の持つ密書の残り半分をつき合わせ、「鶴千代呪詛の密書」を書いたのは弾正に違いないと断言する。追い詰められた弾正はついに屈服し、外記左衛門らは勝利する。 そこへ現れた勝元は外記左衛門の働きをねぎらい薬湯と、鶴千代が家督を相続し何のお咎めもうけないこと書いたお墨付を与える。そして自分の駕篭を外記左衛門のために用意し、ひとさし舞っていくように言う。外記左衛門は最後の力の振り絞って舞い、勝元は外記左衛門の忠臣ぶりを褒め称えるのだった。
仙台伊達騒動をあつかった「伽羅先代萩」の現在の台本は、1777年に初演された奈河亀輔の台本をもとに「伊達競阿国戯場」(だてくらべおにくかぶき)の東山を世界とする役名や場面をとりいれ、浄瑠璃の「伽羅先代萩」からは台本と演出形式を取り入れて明治時代に整理されたものです。 「対決」は七代目團十郎が講釈を参考にして作ったもので、床下では忍術使いだった弾正がごく普通の人間になってしまうのが、ちょっとおかしく感られたりもします。 今回の「先代萩」の通し上演は歌舞伎座の顔見世らしく豪華な顔合わせが見られました。 「竹の間」では、菊五郎の政岡はおっとりとした風情で、上方言葉で脅してみたりお愛想つかったりと変化にとんだ八汐を演じた仁左衛門とのやりとりはとても見ごたえありました。三津五郎のちょっと珍しい女形・沖の井も痛快でした。鶴千代を演じた下田澪夏が上手な子役さんだったので八汐をやりこめる場面が盛り上がり、退場する時にもさかんに拍手が起こっていました。 今回「御殿の場」の飯炊きはカットされ、したがって子供たちは空腹のままクライマックスへと進んでいくのがちょっと可哀相。菊五郎の政岡はつつましく控えめな乳母という印象でした。 「床下」では富十郎の男之助が隈取した赤ッ面とカンカン響く美声で、短い間ですが荒事の楽しさを味わわせてくれました。着ぐるみの大鼠がスッポンに逃げ込むのと入れ替わりに、掛煙硝(かけえんしょう)の煙とともにドロドロと現れる仁木弾正は、少しやせてすっきりとした顔つきの團十郎。せせら笑うのでさえ無言の弾正、二歩あるいてはぐ〜っと伸び上がる、雲の上を歩くようなといわれる独特な引っ込みを歌舞伎味たっぷりに魅せてくれました。 弾正の引っ込みは三階からだとほとんど見えないのでつまらないだろうと思っていたのですが、二人の黒衣の持つ差し出しの蝋燭の灯りに弾正の影が定式幕にゆらゆらと映し出され、それはそれでなかなか雰囲気がありました。(14日) 続く「対決」では低くてどすのきいた呂(りょ)の声の弾正・團十郎と、二役目細川勝元の仁左衛門の高い甲(かん)の声が対照的。仁左衛門の捌き役細川勝元は颯爽とした持ち味にぴったりで、重苦しい雰囲気を吹き飛ばすような爽快感があり、仁左衛門も実に気持ちよさそうに演じていました。 「刃傷」では、立ち廻りで外記左衛門に足をたたかれた弾正の片足でする鷺の見得もかっこよくきまり、ついに討たれて大勢の家来たちの頭上高く支えられて大の字の姿で退場する仁木弾正には潔さすら感じました。悪が滅びる大団円に「御殿」のやりきれなさも払拭され気分はすっきり。段四郎の外記左衛門も14日には台詞も完全に入り、忠義に命をかける外記左衛門を存在感たっぷりに演じていました。 最後に三津五郎の踊りで「源太」と「願人坊主」。「源太」は風流男の梶原源太景季が、梅と箙の模様の艶のある衣装で合戦の様子や廓での傾城梅ヶ枝との痴話げんかの様子を柔らかく踊り、対照的に清元の「うかれ坊主」の元になった常磐津の「願人坊主」は半裸に黒いすけた羽織でおどけて踊りました。どちらも三津五郎の踊りの上手さが充分味わえる演目でした。 夜の部は10日に見てきました。新年の節会で雀右衛門の女帝と、長寿を願う踊りを鶴に扮した三津五郎と亀に扮した福助が優雅に踊り、雀右衛門の元気な姿を嬉しく思いました。 「良弁杉由来」は大鷲に子供が攫われるという「志賀里」や「物狂」の場はカットされ、いきなり「二月堂」からでしたが、やはり前の場からやったほうが、子供を捜して30年も乞食となって放浪する母の哀れさが自然に納得できるようで、ものたりなさを感じました。 芝翫の渚の方の台詞はかなりの部分を竹本が語っていたようでした。仁左衛門は品と徳のある良弁僧正にぴったりでしたが、真っ赤な法衣を着ていたのは初めてではないかと思います。浅葱幕が振り落とされると客席にふわっと良い香りが広がるのも、この芝居の楽しみです。 続く「五條橋」は弁慶を富十郎、牛若丸を鷹之資の親子で踊りました。今年七歳の鷹之資くんが、お父さんの抜群のリズム感を受け継いでくれますようにと願いながら見ていました。 最後が團十郎の「河内山」。團十郎が河内山を演じるのは昭和63年以来のこと。持ち前の愛嬌が出て、他の人とは違う面白さはありますが、江戸前のべらんめえでまくしたてる河内山は團十郎にあった役だとはあまり思えませんでした。 問之助が浪路だったのはちょっと意表をつかれましたがなかなか可愛らしく、弥十郎の北村大膳ははまり役。タタタタと花道を出てきて「は、申し上げます」と言う近習を演じた三津之助は、ほかの人の台詞が終わるのと七三に座るのがぴったりと合って、あたりまえのことかもしれませんが、気持ちよく感じました。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||||||||
大向こうの田中さんがみえていて、ここぞというところできっちりと気持ちよく声を掛けていらっしゃいました。途中で帰られると、それまで掛けていらした一般の方の声もだんだん少なくなって、踊りのときには全然掛からくなったのは三津五郎さんにお気の毒でした。 大向こうさんの声は一般の方の声をリードするという役目もあるのだと改めて思いました。「竹の間」の政岡の引っ込みで「政岡負けるな」という女性の声がかかったのには、びっくりしました。 14日は一般の方だけでした。三階中央付近で大きくはないけれど、味のあるお声の男性が掛けておられ、女性も2〜3人声を掛けていらっしゃいました。下手よりでかけていらした方が、政岡が鶴千代に言って聞かせる長台詞の前などに良いタイミングで掛けていらっしゃいました。先代萩の大詰では下の階からも声が掛かっていたようでした。 |
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11月歌舞伎座演目メモ | ||||||||||||||||||
昼の部 夜の部 |
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