人情噺小判一両 菊吉の共演 2006.2.11

4日と8日、歌舞伎座夜の部を見てきました。

主な配役
笊屋安七 菊五郎
小森孫市 田之助
倅・小市 男寅
凧売吉六 権十郎
浅尾申三郎 吉右衛門

「人情噺小判一両」のあらすじ
今戸八幡門前の茶店に、今日も同じ時刻に笊屋の安七が姿を見せる。安七は茶店の娘・おかよや茶店女たちを相手に、世間話をするうちに自分の身の上を語り始める。

安七には昔女房子供があったが、二人をあいついで亡くし、やけになった安七はばくちで身をもちくずした。そんな安七を心配した父は、安七に堅気になって商売でもするようにと一両の小判を形見に残して亡くなった。

それを聞いた安七は真人間に戻り、父の遺志を忘れないようにとその小判は使わずに着物の襟に縫いこんで大切に持っているのだと語り、皆にその小判を見せる。

そこへ凧屋に追われて一人の子供が逃げてくる。凧屋はこの子・小市をつかまえ、「凧を盗んだ」と散々に殴る。安七が止めに入って事情を聞けば、小市は凧屋が落とした凧を拾ったというのだ。安七は凧屋に小市に凧をやってくれないかと頼むが、凧屋は承知しないし、小市に凧をかえすように説得するが、こちらも離そうとしない。

しかたなく安七は、虎の子の一両を差し出し、これで凧を買うから釣りをくれと言う。二人が争っているのを見かねた茶店の娘・おかよは、小銭をだして小市に凧を買ってやる。

安七と凧やがなぐりあっているところへ、やってきた小市の父・孫市が仲裁に入る。いきさつを聞いた孫市は息子が迷惑を掛けたことを皆に謝る。そして浪人になったいきさつを話し、小市を連れて帰ろうとする。安七は小市を引き止め、形見の一両をもたせてやる。

小市からそれを聞いた孫市は、固辞しその金を返させようとするが、深編み笠の侍が様子を見ているのに気がつき、急いで立ち去る。

その侍は、商売に行こうとする安七を呼びとめ、どこかへ連れて行く。

てっきり試し切りされるのだと誤解した安七だが、浅尾申三郎と名乗る侍が、「自分は侍同士情をかけぬのが情だと思ってなにもできなかったが、安七が孫市になけなしの一両をやったことに心底感動した」と話すのを聞いて、「情をかけるのに遠慮はいらないはず、あなたのような人間がいるから世の中がつまらなくなる」と酒の勢いで説教し始める。

一時はむっとした申三郎だが、結局安七のいうとおりだと安七に詫び、二人は早速孫市の家へと向かう。

孫市のうちの前では小市がさきほどの凧を嬉しそうに揚げている。安七が孫市の家に入ってみると、なんと孫市はすでに切腹していた。

そばにあった書置きには「行きずりの安七に情をかけられ、わが子一人養うことが出来ない自分のふがいなさをはっきりと思い知った」と書かれていた。

安七は「侍には情をかけないのが情」という意味がやっと分かったと嘆く。申三郎は小市を自分がひきとって立派に育てようと言う。安七はすがりつく小市に「おれはお前の敵だ」と泣きながら言うのだった。

宇野信夫作「人情噺小判一両」は1936年、六代目菊五郎の安七と初代吉右衛門の浅尾によって初演されました。良きライバルだったといわれる六代目と吉右衛門のコンビ復活を期待させる、当代菊五郎、吉右衛門の共演です。

宇野信夫は江戸期の随筆集「耳嚢」にある噺を元に書き下ろしたということで、元の噺は「袖乞をしていた浪人の子が空腹を訴えるが、父親は餅を買う金もない。それを見かねた雪駄直しの職人が浪人に金を与え、ようやく餅を子供にかってやることができる。だが浪人は袖乞をして餅代をかせぐと、この金を雪駄直しに返して、親子ともども入水してしまう」という、さらに陰惨な噺です。

学生時代から落語が好きで、若い落語家たちと親交があった宇野信夫が人情噺に仕立て直したこの芝居には話芸の面白さが生かされています。宇野は1962年にはこの噺を、三遊亭圓生のために人情噺化したそうです。(筋書きより)

前半は凧売りや笊売りといった江戸の風俗が楽しく、菊五郎の笊屋・安七は「お土砂」の紅屋長兵衛を思わせるようなひょうきんな感じがぴったりと合い、面白く見られました。凧売りとのやりとりも、緩急自在でさすがに上手いなと思います。

男寅の小市も言い聞かせてもきかない子供らしかったですし、それでも嫌な子だとおもわせなかったのが良かったです。ぼろは着ていても父親を呼ぶ「おとっちゃま」という言い方が、普通の町の子とは違うということを見せていて興味深く思いました。

吉右衛門の浅尾申三郎に呼び止められ、てっきり殺されるのかとびくびくしながらも、おとなしくついていこうとする安七が、向きをかえるために担いでいた天秤棒を下におろさずにひょいと左肩から右肩へ担ぎなおしたのは、いかにも江戸っ子らしくて小粋な仕草でした。

吉右衛門の申三郎は、安七が孫市親子になけなしの一両をやったことに感激し酒をふるまいながら誉めるところに、科白がちゃんと入っていなくて、見た二日ともかけあいが滅茶苦茶になったのは残念でした(特に8日)。菊五郎はこの役が3度目なのに対して、吉右衛門は初役ということもあるでしょうが、申三郎という人物が優柔不断な性格に見えてしまいました。

菊五郎はだんだん酔ってきて、なぜ見てみぬ振りをしたのかと浅尾を責めるときなど、ちょっと魚屋宗五郎を思い出させました。

「親切が仇となる」というのは現代でもありえる話で理解できますが、孫市は武士として町人・安七から情を掛けられたことを恥じて切腹してしまうわけで、今の感覚ではなかなか納得できないものがあります。

親子づれで心中してしまう元の噺とは違って、残された子供を申三郎がひきとって立派に育てようと誓うところが唯一の救いかと思いますが、幕切れで「いっちゃいや」と引き止める小市に「おれがお前の敵だ」と泣きながら言う安七の姿には、割り切れない思いが残りました。

菊吉の顔合わせということで、夜は武士のプライドの噺、昼は町人のプライドの話とを取り合わせたのかしらと考えてしまいましたが、やはり打ち出しはもっと気持ちよく帰れるようなものの方が良いなと感じました。

この日一番華やかだったのは玉三郎と菊之助の「京鹿子娘二人道成寺」。二年前に見た時の感動は忘れられないですが、今回もいずれがあやめ、かきつばたというのがぴったりな二人の踊りでした。

しかしながら前回は、若い菊之助を終始気遣いながら踊っていた玉三郎が、今回は成長した子獅子をつきはなすように、遠慮なく自由に自分を表現しながら踊っているように見え、もちろん美しくバランスはとれてはいるものの、菊之助にとって今この踊りは厳しい修行だと思います。

玉三郎がノリが抜けて柔らかくなった着物をおもわせる、成熟した色気を見せるのに比べると、菊之助の肩から腕にかけての硬さがどうしても目立ちます。それと鐘をにらむ目つきが、玉三郎の方は見る見る怨念のこもった恐ろしい目になるのに、菊之助はそれほどの迫力がなかったと思います。

三段笠を両手にもって出てくる時の菊之助の歩く様が前傾しすぎていて、あまり美しくなかったように私には感じられました。

踊りそのもので、前回とは違ったのは、烏帽子の部分で田中傳左衛門の小鼓で乱拍子を踏み二人で謡いながら舞うところ。12月の船弁慶に続き、玉三郎は原曲の能に強く惹かれているのがわかります。

二人並ぶとどちらを見たらよいか、おおいに迷うのですが、今回はやはり玉三郎に目が吸い寄せられました。

夜の部の最初は幸四郎の「石切梶原」。梢を芝雀が演じた梢は清楚で可愛らしく、歌六が演じた六郎太夫は芝居の要となる存在感がありました。彦三郎の大庭はいかにも時代物の敵役らしかったですし、愛之助の赤っ面・俣野も科白のリズムが良く、前足の膝をまげ、後足をぐっと開いて腰をおとし刀を梶原に差し出す形もとても綺麗で、思いっきりのよさが爽快でした。

幸四郎の石きりは後ろを向いて、手水鉢に袱紗を置いてきる播磨屋型ということで、六郎太夫や梢はやや下手の離れたところに待機しています。この時も二つ胴を切る時にも、刀がヘロヘロとした動きをするのが、あれで本当に切れるのかと気になりました。

この日の大向こう

4日(土)にはたくさん声が掛かりました。会の方も一番多い時には6人ほど見えていたそうです。二人道成寺では烏帽子を取った時に「ご両人」、「鐘にうらみは数々ござる」に入る前にに「二千両」という声がかかりました。「恋の手習い」の前には「まってました」という声も聞こえ、近頃ではめずらしくいろいろな掛け声が聞けた日でした。

「石切梶原」では、例の「剣も剣」「切り手も切り手」の後は、竹本の「ウッ!ヤッ!」という掛け声で埋められ、どなたも声を掛けられませんでした。これは役者さんの注文ではないかと思いますが、なんとなく白けた感じがしました。

これと反対に8日(水)はほとんど声が掛からず、会の方は一人もいらしてなかったようです。「石切梶原」では時々ポツリと声が掛かる感じで、「二人道成寺」の最後に一階前方から女の方が低くて尻上がりの声を掛けていらっしゃいました。

歌舞伎座2月夜の部の演目メモ
●梶原平三誉石切 幸四郎、歌六、芝雀、彦三郎、愛之助
●京鹿子娘二人道成寺 玉三郎、菊之助
●人情噺小判一両 菊五郎、吉右衛門

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