袖萩祭文 2006.1.31

24日、歌舞伎座昼の部を見てきました。

主な配役
袖萩 福助
安倍貞任 吉右衛門
安倍宗任 歌昇
八幡太郎義家 染五郎
平{仗直方 段四郎
妻浜夕 吉之丞

「奥州安達原」(おうしゅうあだちがはら)のあらすじ
環宮明御殿の場(たまきのみやあきごてんのば) こちらもご覧下さい。
平{仗直方が傳役を勤めていた帝の弟・環宮が何者かに誘拐され、期日までにその行方が知れないときは直方は責任をとって切腹しなくてはならないこととなった。

直方には二人の娘があり、妹娘の敷妙は八幡太郎義家のもとに嫁いでいたが、姉娘の袖萩は親の反対を押し切って浪人者と駆け落ちし、子までなしたが捨てられ、今では盲目の瞽女となって祭文を語って娘のおきみとようやくその日を暮らしていた。

そしてとうとう直方が切腹しなくてはならない日がやってきた。ここ雪の降る環宮明御殿の庭外に、父の災難を聞いた袖萩が両親に一目会いたいと娘に手をひかれて訪ねてくる。父直方は袖萩に気づくが、女中たちに追い払うよう命じる。母の浜夕は娘を哀れに思うが、夫が許さないので中に入れてやることもできない。

せめて祭文で願い事を言う様にと促すと、袖萩は泣きながら不孝を詫び今の身の上を語り、娘おきみを両親に一目合わせたいという。両親とも本心では孫に会いたいと思うが、直方は恥しらずと袖萩をなじり、妹の敷妙は八幡太郎義家という立派な侍の妻になったのに、袖萩の相手は素性もしれない浪人者で性根までいやしくなり下がったのかと言う。

それを聞いた袖萩は夫も元は侍だったと、夫からもらった書付を父に見せる。それを読んだ直方は袖萩の夫こそ、朝敵として源義家に滅ぼされた安倍頼時の子・安倍貞任だと知る。そして環宮を誘拐したものから来た手紙とそれが同じ筆跡だったことから、犯人は貞任だと悟るが、袖萩には何も言わず妻を伴って奥へと入る。

親の許しを得られなかった袖萩は悲しみのあまり癪を起こす。それを必死に看病するおきみは雪が降る中、自分の着物を脱いで母親に着せ掛ける。やがて苦痛が治まった袖萩は娘が一枚しかない着物を脱いで自分に掛けてくれたのに気づき、このように親孝行な娘をもったことに感謝しつつ、みじめな自分の境遇を嘆く。この様子を陰で見ていた浜夕は二人を哀れに思い、自分の打掛を与えて立ち去る。

ここへ義家の命を狙おうとしてわざと屋敷にとらわれていた男が現れ、自分は貞任の弟・宗任だとなのる。そして袖萩の息子千代童が死んだことをつげ、貞任の妻ならば直方を殺せと懐剣を手渡す。

奥から出てきた義家は宗任を呼びとめ、関所の切手を与えて逃がす。

やがて切腹の時刻がやってきて、直方は上使の持ってきた梅の枝の矢の根で腹を切る。ちょうど同じころ、門の外では袖萩がさきほどの懐剣で胸を突いていた。いまわの際で直方が、来世で親子対面をしようというのを聞いて袖萩は許されたことを喜ぶ。

そこへ上使の桂中納言教氏が姿を現し、直方の切腹を見届け立ち去ろうとすると、俄かに陣太鼓がなり、奥から出てきた義家は桂中納言の正体こそ貞任と呼びかける。義家は宗任が詠んだ歌から二人の正体に気づき、環宮を誘拐したのも、兄弟の父・頼時の大望を果たさんが為だろうと喝破する。

全てを見破られた貞任は義家に討ちかかろうとするが、義家はそれを止め、瀕死の袖萩とおきみに対面させる。そこへ弟の宗任も駆けつけ、三人はまた戦場で会おうと約束をかわして、別れる。

近松半二他作「奥州安達原」は1762年初演の時代浄瑠璃。「環宮明御殿の場」は三段目の切にあたるので略して「安達三」(あださん)とも言われます。

私は今回初めて見ましたが、筋書きを読んだだけでは「袖萩祭文」と言われるこの「環宮明御殿の場」は、盲目の袖萩が親にも許されず雪の中で自害するという、救いようのない暗い話だと思っていました。

実際福助の演じた袖萩は姿は絵のようで申し分なかったけれど、出てきてから死ぬまで声をあげて泣きっぱなしで、眼目の祭文も三味線をひくだけでほとんど竹本が語っていたのはなんだか拍子抜けでした。

ただ子供のおきぬがわずかな着物を脱いで自分に着せ掛けてくれていたと気がつき、おきぬの優しさ、我が身のみじめさに泣くところでは哀れさが胸をうち、私自身も涙がでましたが、周りにもたくさんすすり泣きしていた方がいらっしゃいました。

ここがとても良かったと思っていたので二度目に見た26日にも注目していたのですが、どういうものか哀れさがあまり感じられず全く涙がでませんでした。24日には袖萩はおきみの着物に触った途端泣き始めたのに、26日にはその着物を脱いで手で触って確かめてから泣き始めたようで、たったそれだけのことでこんなに印象が変わるのものかとつくづく思いました。

おきみを演じた山口千春はやることも科白もたくさんあるこの役を立派に勤めていました。この芝居も子役がよくないとどうしようもないお芝居の一つだなと思います。

ところでこの袖萩の元夫で、袖萩の父親が切腹する原因となった環宮を誘拐した張本人・安陪貞任を演じた吉右衛門が、このお話の前半の救いがたい陰惨さを払拭するかのように、後半ケレンを駆使したいかにも義太夫狂言らしい派手な芝居をしたのには、想像もしていなかっただけにびっくりしました。

宮廷からの上使に化けていた貞任が、袖萩の妹の連れ合いである源為朝に見破られ、後ろ向きに捕り手二人に両手をとられて座らされながら、実は着物から手を抜いてぶっかえる準備をしたり、抜いた刀を早うちガンマンのように一度放り上げて柄を持ち直したり、驚きの連続。

極め付きは客席にむかって蜘蛛の糸を投げるように長い赤旗を投げるのですが、客席5列目頭上くらいまで飛んで来たように見えたその旗が次の瞬間ヨーヨーのように吉右衛門のところに戻っていったのには拍手喝采でした。

24日は1階の前の方で見、26日は幕見席からこれを見たのですが、上から見ると何が起こったかよくわかりませんでした。もしかしたら26日はそれほど上手く旗が飛ばなかったのかも知れません。

それに一度ぶっかえった吉右衛門が、また元の姿に戻るというのも初めて見て、面白いなと思いました。

吉右衛門が筋書きのインタビューでも語っているように、播磨屋の型として袖萩と貞任を早替りで演じる方法があり、平成13年には国立劇場で実際に演じられましたが、そうであればこのお芝居の前半の暗さはだいぶ感じが変わってくるでしょう。今度はぜひ吉右衛門の二役で見てみたいものだと思いました。

直方の段四郎と浜夕の吉之丞は、ともに存在感があり親の情が充分に感じられました。歌昇には矢の根の五郎がかついでいるような綱が、染五郎には小忌衣がよく似合っていました。

昼の部の最初は舞踊「鶴寿千歳」。梅玉と時蔵の雄鶴、雌鶴が白に赤い縁どりの衣装で、美しい冨士の山と松林を背景に優雅に踊るのは、お正月にぴったりの出し物でした。これが昭和天皇即位の時に作られたもので、詞章に昭和という元号が読み込まれているということも興味深く思いました。

次が「夕霧名残の正月」。南座で見た時とは幇間が一人しかでてこなかったことで、そういえばもう一人の愛之助は今大阪だったと思い出しました。今回夕霧は袖の壁の隙間から出てきたようです。

「奥州安達原」のあとは福助と扇雀で舞踊「万才」。

最後が「曽根崎心中」。九平次を橋之助が演じましたが、意地の悪い性格というのは橋之助には似合わないように思いました。

この日の大向こう

会の方は3人ということでしたが、一般の方もたくさん掛けていらっしゃいました。

「夕霧名残の正月」で花道に出てきた伊左衛門に一度「四代目」と掛かっていました。どなたかが口上でも説明なさっていましたが「四代目でなく『平成の藤十郎』と呼んで欲しい」という記事を思い出し、もしかして四代目と掛かってもご本人は嬉しくないんじゃないかしらなどと思ってしまいました。

歌舞伎座1月の演目メモ

昼の部 24日観劇
●「鶴寿千歳」 梅玉、時蔵
●「夕霧名残の正月」 藤十郎、雀右衛門、我當、秀太郎
●「奥州安達原」 吉右衛門、福助、段四郎、吉之丞、染五郎
●「万才」 福助、扇雀
●「曽根崎心中」 藤十郎、翫雀、橋之助

夜の部 14日観劇
●「藤十郎の恋」 扇雀、時蔵
●「坂田藤十郎襲名披露口上」
●「伽羅先代萩」御殿、床下 藤十郎、梅玉、吉右衛門、幸四郎
●「島の千歳」「関三奴」


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