伊勢音頭 三津五郎の貢 2005.8.23

23日、歌舞伎座で「八月納涼歌舞伎」第一部と第二部をみてきました。

主な配役
福岡貢 三津五郎
万野 勘三郎
お紺 福助
料理人喜助 橋之助
お岸 七之助
万次郎 勘太郎
お鹿 弥十郎

「伊勢音頭恋寝刃」(いせおんどこいのねたば)のあらすじ
第一場
伊勢古市油屋店先の場
阿波の家老の息子、今田万次郎は奪われたお家の重宝「青江下坂」の刀をようやく取り戻したにもかかわらず、悪人にそそのかされて質入し、折紙(鑑定書)も人に騙し取られてしまい、家来筋にあたる伊勢の御師(おんし)・福岡貢をたのみにこの二品を取り返そうとしている。

伊勢参りの人でにぎわう古市の遊郭・油屋へとやってきた万次郎は、恋人の遊女・お岸から、貢が毎晩のように万次郎を探してここへ訪ねてきていたことを聞かされる。

しかし仲居の千野がお岸をせきたてるので、万次郎は大林寺へと立ち去る。その後から貢があたふたとやってくる。「青江下坂」を手に入れた貢は、さっそく万次郎を探しに行こうとするが、行き違いになるからとお岸に説得されて、油屋で万次郎を待つことにする。

貢が、この家に逗留している阿波の客が所持しているという折紙を取り戻す思案をしていると、奥から仲居の万野が出てくる。御師である貢は、仕事柄お金をはらわずにこの店を利用しているので、万野はあからさまに迷惑がる。貢が恋人の遊女・お紺を呼んでくれと頼んでも、今はいないとにべもない返事。

それではここで待つというと、替わりの遊女を呼べと迫る。しかたなく貢が承知すると、万野は廓の習慣どおり刀を預かろうという。ところが大事な「青江下坂」をおいそれと人に預けることは出来ない貢は渡さない。言い争っていると、貢の家来筋の料理人・喜助がでてきてこれを預かると言うので、貢はこの刀が実は「青江下坂」であることをひそかに喜助に打ち明ける。

この話を立ち聞きしていた、阿波の客・藍玉屋北六(実は岩次)は自分の刀と青江下坂の中身を入れ替える。だがこの様子を見ていた喜助は、このままにしておいて貢には本物の青江下坂を渡そうと決心する。

貢が待っているところへ、顔見知りの遊女・お鹿がお紺の代わりにやってくる。貢にほれているお鹿だが、「貢から恋文をもらって嬉しかった」と話すので、身に覚えのない貢は当惑する。

そこへいないはずのお紺が、岩次や北六たちと連れ立って姿を見せる。お紺はお鹿を呼んだ貢を責めるので、万野に言われて仕方なく呼んだのだと貢が言うと、お鹿は腹をたてて、「お金を借りておいてその言い方はひどい」と泣き出す。

驚いた貢が問いつめると、仲立ちをしたのは万野だと言うので、万野が呼び出される。しかし万野はたしかに貢に金をとりつだと言いはるので、嘘だとわかっていても、それを証明できない貢は必死で怒りを抑えつつ、明日は阿波の客に身受けされるというお紺に、自分と一緒になって侍の妻になってくれと頼む。

御氏は仮の姿で、貢は実は武士。しかしお紺は満座のなかで、自分は侍の女房になるつもりはないとこれを断る。思っても見なかったお紺の裏切りに加え、遊女に金をかりて返さないという濡れ衣に、貢は歯をくいしばって耐え、刀を喜助に出させて、立ち去る。

貢が帰った後岩次は、貢に愛想尽かししたお紺を信用して折紙をあずける。そして岩次、北六、万野たちは上手く行ったと大喜びでだましとった「青江下坂」を見てみると、なんとそれは取り替えたはずの岩次のなまくら刀。

渡す刀を間違えたと、喜助に刀を取替えに行かせる。だが喜助が貢の家来筋だったことを思い出した万野は、喜助にだまされたと悟り、後を追って駆け出していく。

一方、途中で刀が自分のものでないことに気がつき、油屋へとって返した貢に、お紺は二階から包みを投げる。中をあらためると、それは貢が捜し求めていた折紙。

そこへ帰ってきた万野は刀をかえせと迫る。もみあっているうちに、刀の鞘がわれ、万野は傷を負う。騒ぐ万野を見て貢は、もうこれまでと万野を斬りてすてる。

すると妖刀・青江下坂は血を求めて、貢に次々と殺人を犯させていく。

第二場
同 奥庭の場
奥の座敷では伊勢音頭の踊りの真っ最中。そこへ今や刀に操られて人を斬る貢は、血だらけの姿で乱入する。その貢の前にお紺が走り出て、さっきの愛想尽かしは折紙を取り戻すための狂言だったとわけを話す。

我に返った貢は、大勢の人を殺してしまったと悔やみ、腹を切ろうとする。それを喜助が押し留め、貢の持っている刀こそ、青江下坂なのだという。お家の重宝「青江下坂」とその折紙、両方を取り戻すことができ、大喜びする貢であった。

1769年近松徳三作「伊勢音頭恋寝刃」は現実に伊勢の遊郭・油屋で起こった事件が題材になった「際物」(きわもの)。貢は「ぴんとこな」という、上方和事の優男ですが、「つっころばし」と違って芯はしっかりした人間という役柄です。

御師というのは他の神社では「おし」と読み、伊勢神宮にかぎり「おんし」と読む下級の神職ですが、伊勢神宮におまいりする人に宿を世話したりする一種の旅行代理店兼伊勢神宮出張所。廓にとっては商売上のお得意なのでお金はとらなかったのですが、仲居万野にとっては、ただのお金を払わない客にしか見えないというのが、この話の肝心なところ。

三津五郎初役の貢の、白絣の着物に透けた黒の羽織という姿は二枚目らしく、すっきりしとしていて綺麗でした。最初のころのセリフがはっきりせず声が曇った感じでしたが、芝居の進行とともに段々はっきりしてきて、セリフ廻しの上手さを堪能させてくれました。勘三郎の万野との掛け合いは、がっぷり四つの緊迫したもので引きつけられました。

「万呼べ万呼べ、万野呼べ」は小気味良く極まりましたが、「身不肖なれども福岡貢。女をだまして金とるような所存はない。ババ馬鹿な」という名セリフを、あまり張らず半ば独白のように言ったのは、ちょっと物足りなく感じました。三津五郎の貢はいかにも優男といったところが少なく、実事師という感じが強かったように思います。

勘三郎の万野は、さすがに上手いなと思いましたが、万野にしてはちょっとかっぷくがよすぎて声も高すぎるように私には感じられました。

今回のように貢が殺しの場で花道から登場するのは、仁左衛門型の丸窓を破って出るのに比べてやはり地味です。とくに三階からだと、刀に憑かれた貢が夢遊病のように登場するところがほとんど見えないので、なおさらそう思えるのかも知れませんが。

今回の演出でちょっと気になったのは、お紺が二階から折紙を投げるところで、違和感がありました。「盟三五大切」の源五兵衛のように、貢はそのあと二階に岩次たちを殺しにいくのですが、そのときお紺はいなくなっているのもなんだか変な気がします。合理的でないのが歌舞伎とはいえ、仁左衛門型の「殺しの後でお紺が折紙をもってくる」ほうがずっと自然に感じられます。

しかし三津五郎の貢が、まるで刀にひっぱられているような動きを強調したのは、一連の殺しは妖刀のたたりのせいなのだとよく理解でき、納得がいきました。

お鹿は普段立役の大柄な弥十郎が初役で演じましたが、女形の田之助が演じるのとは違ったぎこちなさが滑稽で、笑いを誘っていました。

第一部の演目は「金閣寺」「橋弁慶」「雨乞狐」。「金閣寺」ではこれも初役の三津五郎が、豊かな声で色気のある大膳を演じました。三津五郎の発声はいつも安定していて、どんな役でも安心してみていられます。

特に碁盤をはさんで弟・鬼藤太とのやりとりが抜群に面白かったです。しかし後半になると、王子の鬘に小忌衣という大膳の拵えは、三津五郎にはやはり似合わず、損だなと思いました。

福助の雪姫は、夫・直信との別れのところがしっとりしていてよかったと思います。雪姫が最初に登場した時の首を斜めに傾げていたようですが、この間の桜姫と同じようで、幼さをかんじさせました。雪姫は人妻なのでちょっと違うのではと思いました。

染五郎の東吉は、一生懸命やっていましたがやはりまだ軽い感じで、これからだと感じました。橋之助の赤っ面の正清は、最初から悪人という感じではなかったものの、堂々としていてよかったです。橋之助にはシリアスな時代物をこれから積極的に演じて欲しいと願っています。

「橋弁慶」では、獅童が弁慶を演じました。目にとても魅力のある人で、歌舞伎にどんどん出てよくなっていってほしいものです。七之助はいかにも身が軽くて、牛若にはぴったりでした。

「雨乞狐」はバレエのローラン・プティを連想させる面白い踊りでしたが、後で筋書きを見たら梅津貴昶の振り付けだったので、なるほどと納得しました。勘太郎は若い身体を存分に駆使して、五変化を軽快に楽しげに踊っていました。最後に中央のセリから2メートル以上かと思われるほど高く跳んで登場したり、いかにも若者らしくて好感がもてました。

この中で提灯を演じたのはさきごろ勘三郎の部屋子になった鶴松こと清水大希。下駄でもぐらついたりせず、しっかりした演技でさかんな拍手を浴びていました。この「雨乞狐」の初演時には、勘九郎が五役の他に、提灯まで演じたそうです。

第二部は「伊勢音頭」「蝶の道行」「京人形」。「蝶の道行」は、お主の身替りとなって死んだ恋人同士が蝶となってめぐり合うが、幸せも束の間、地獄の責め苦にあうというお話。染五郎が助国、孝太郎が小槙を踊りました。舞台の巨大な花や赤い照明を見て、先年孝太郎が演じた「斑雪白骨城」の夢の場を思い出しました。

「京人形」は左甚五郎が彫った太夫の木像が動き出すという愉快な踊りです。橋之助の甚五郎、いつも笑っているようにセリフを言うのがいささか単調に聞こえ、もっと浮かれ気分を抑えたほうが本来の面白さがでるように感じました。

この日の大向こう

一部の「金閣寺」も、二部の「伊勢音頭」も声がかけやすい演目ということもあってか、たくさんの声が掛かっていました。一部に4人、二部には2〜3人、会の方がいらしていたそうです。

「金閣寺」では雪姫の花道の引っ込みに注目していました。福助さんが花道に出て刀を鏡の変わりに髪を直したあと、一歩後ろへ下がりながら、後ろ足をトンと踏んだ時「成駒屋」と言う声がすかっと極まりました。

「橋弁慶」では若衆の牛若の花道の引っ込みで、七之助さんが笛をピーッと強く吹いた瞬間、いっせいに声がかかりました。女形も若衆も大きな見得がないので、なるほどと思ってみていました。

「伊勢音頭」では貢を演じた三津五郎さんに盛んに声が掛かっていました。「万呼べ万呼べ、万野呼べ」では大勢の方が「大和屋」とおかけになりました。「身不肖なれど福岡貢、・・・・・ババ馬鹿な」の前に「まってました!」と掛け、終わった後で「十代目」と極めたのは、うちの師匠。三津五郎さんが「十代目」と声を掛けられるのがお好みなので、あえてということです。

万野が殺されて舞台から姿を消すとき、「中村屋、ごくろうさん」と声がかかり、どっと笑いが起こってました。「ごくろうさん」というのは子役や陽気なお芝居には合うのかもしれませんが、シリアスな芝居や殺しには合わないと感じました。

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