輝虎配膳 珍しい趣向 2005.6.17

8日、歌舞伎座昼の部を見てきました。

主な配役
長尾輝虎 梅玉
勘助妻お勝 時蔵
勘助母越路 秀太郎
直江実綱 歌六
直江妻唐衣 東蔵

「輝虎配膳」のあらすじ
戦国時代のこと。敵対する甲斐の国の武田信玄と越後の国の長尾輝虎は、川中島で戦をしたがが勝負がつかず、武田方は当代一といわれる軍師山本勘助を召抱えた。一方輝虎は勘助を寝返らせこちらの味方につけたいと切望し、いろいろと画策する。

ここは越後の国、長尾家の館。ここへ山本勘助の母越路が勘助の妻・お勝をともなってへやってくる。越路の娘・唐衣は長尾輝虎の家老・直江実綱へ嫁して今では勘助と敵対しているため会うことができなくなっていたが、「この世の名残に一目会いたい」という唐衣の希望を聞き入れての訪問だった。

まず唐衣の夫、直江山城守が出てきて、領主から拝領したものだと輝虎の小袖を越路に進呈しようとするが、越路は自分は古着を着たことはないといってこれを断る。

困った直江は唐衣に食事の用意を命じる。するとその膳をもって現れたのはなんと烏帽子直垂姿の輝虎だった。

輝虎は身を低くして、山本勘助の母を迎えることができたことを喜んでいると言い、お近づきの印として一献を差し上げたいと願う。しかし実は唐衣が母と会いたいというのは口実で輝虎は越路を人質にとって、勘助を味方にひきいれようという魂胆だったのだ。

これを見抜いた越路は「老いさらばえた母を餌に山本勘助を釣ろうとするなど、聞いたこともない話だ」とあざ笑い、輝虎が運んできた膳をひっくり返す。腹を立てた輝虎は刀を抜いて越路を斬ろうとする。直江は理を説いてこれを留めるが、輝虎の怒りはとても収まるものではない。

すると口が不自由な勘助の妻・お勝はそばにあった琴をもって、輝虎と越路の間にはいり、琴を弾き始める。お勝は琴の音にのせて、必死に越路の命乞いをし、かわりに自分の命をとってくれるようにと願う。

輝虎もこれを見てはさすがに越路を斬ることを止める。命が助かった越路とお勝は長尾の館を後にする。

1721年に近松門左衛門が書いた「信州川中島合戦」の全五段中三段目「輝虎配膳」は、いかにも時代物らしい風格と、変わった趣向を併せ持ったお芝居です。

秀太郎の越路は肝の据わった武家の女で、三婆の一人という越路を見事に演じていました。輝虎が運んできたお膳を刀でひっくり返す越路には命を捨てる覚悟が見えていました。

時蔵のお勝は花道の七三で初めて口を開いた時は、口が不自由なのだということがはっきりしなかったですが、琴を盛っての立ち廻り、梅玉の輝虎と琴を持ち合いながら弾くという離れ業などはなるほどこの狂言一の魅力的な趣向だと思いました。

梅玉の輝虎は出てきたところからして堂々たる武将で、ピンとはねあがった大きな八の字の髭が滑稽に見えなかったのは立派だ思います。とうとう堪忍袋の緒がきれ越路を切ろうとする輝虎が肌脱ぎになるところで、同じ白い着物を次々と筍のように三枚も脱いでいくのはちょっと愉快で、笑いが起こっていました。

歌六の直江も輝虎を押し留めるところなど、よかったと思います。花道を引っ込む越路とお勝、越路がきっとした目に涙をためていたのに対し、後から引っ込むお勝はいそいそと嬉しそうだったのが印象的でした。この狂言、関西では時々演じられるものの、歌舞伎座では33年ぶりだとか、たまにはこういう大時代なものを見るのも面白いと思いました。

その他には吉右衛門の太郎冠者で「素襖落」。吉右衛門がいかにも楽しそうにおおらかに踊っていました。

それから「恋飛脚大和往来」。「封印切」では忠兵衛が染五郎、梅川が孝太郎という若いコンビで、八右衛門を先年の代役以来ひさしぶりに仁左衛門が勤めました。染五郎は出てきたところの姿も良いし、顔もいかにもつっころばしの二枚目にむいているとは思いましたが、声がかすれているのがとても気になりました。けれど、台詞廻しはなかなか堂にいっていました。

このごろはたいてい封印切は鴈治郎型で演じられるので、今年の浅草歌舞伎で愛之助がやった仁左衛門型の封印切は珍しく、面白かったです。時間を短縮するためか、一つ場が省略されて塀の外の場に合併されていたようでした。

八右衛門を演じた仁左衛門は台詞を自由自在に操っていて、東京に住んでもう長いのにもかかわらず、普段の生活には上方ことばを使い続けていることがこういう時に真価を発揮するのかと思いました。

仁左衛門が権太を演じた時も普通と違って上方言葉でしたが、特に今回の八右衛門では上方言葉の台詞まわしの鮮やかさを感じました。

「新口村」ではいつも忠兵衛と孫右衛門の二役を替わっていた仁左衛門が今回は孫右衛門一役だったので、ちょっと寂しく思いましたが、その結果親子対面の場の忠兵衛も充分に演じることが出来、最後のところも遠見の子役を使わずに染五郎が竹やぶの中を遠ざかって行ったのも、なかなか風情があってよかったです。

この日の大向こう

会の方は1〜2人いらしていました。床が回って葵太夫が登場すると「葵太夫」という声が掛かりました。

越路の秀太郎さんの後からお勝の時蔵さんが出てくると、なぜか「大和屋」と声が掛かり、あれっと思ったらすぐ「萬屋」と掛かったので、ほっとしました。

歌六さんの直江が輝虎の短慮を諌める「正義はここでござりまする〜」という台詞の後で「萬屋」とどっと声がかかりました。

越路とお勝が幕外で引っ込むため、柝頭では「高砂屋」と主に声が掛かっていました。

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