日向嶋景清 吉右衛門の新作 2005.4.6

2〜3日、こんぴら歌舞伎に行ってきました。

主な配役
景清 吉右衛門
景清娘糸滝 隼人
天野四郎 信二郎
槌屋郡内 染五郎
肝煎佐治太夫 歌昇

「日向嶋景清」(ひにむかうしまのかげきよ)のあらすじ
ここは日向の国の寂しい浜辺。 かって勇壮果敢で知られた平家の侍大将・悪七兵衛景清が盲目の身となってこの浜の粗末な庵で暮らしている。景清は主君重盛の位牌を取り出し合掌しながら、頼朝の首を取り損ねたことを悔やんでいる。

そこへ一艘の舟がやってくる。それには肝煎の佐治太夫と景清の娘糸滝が乗っていた。糸滝は二歳で景清と生き別れ、乳母に育てられた。その乳母が亡くなる時、実の父景清が日向の国で盲目で生きながらえていることを聞かされた糸滝は、駿河の国の遊女屋へ我が身を売って、金をつくりそれを父に届けようと思いたつ。

遊女屋の主人は父を思う娘の気持ちに打たれ、糸滝が日向の国へ行くことを許す。情にあつい肝煎の佐治太夫とともに糸滝は父に会いにきたのだった。

舟を降りた二人は偶然そこへ来合わせた景清に、景清を知らないかと尋ねる。景清は内心ぎくっとするが、そのような人物は知らないと答え、もしや父ではとすがりつく糸滝を邪険に押しのけ「景清は昨年飢え死にした」とつげて庵へと入っていく。

泣き崩れる糸滝を励まして、佐治太夫は通りがかった里人たちに景清最後の場所はどこかと尋ねる。すると彼らは笑い出し、さきほどの盲人が景清その人だと教える。

里人が呼び出してくれた景清に、佐治太夫は糸滝が遊女屋へ身を売ったとは話さず、大百姓へ嫁入りして何不自由なくくらしていると言い、舅から言い付かって景清に座頭の官位をとらせるために金を持ってきたと財布と文箱を手渡す。

すると景清は「自分の娘ともあろうものを、なぜ百姓の嫁などにした」と怒りだし、あざ丸という名刀を投げつけ、金も受け取らずに二人を追い返そうとする。

佐治太夫は現れた里人に財布と文箱を預け、糸滝をつれて船に乗る。泣き叫びながら遠ざかっていく娘に、景清は「夫婦仲良く暮らせよ。与えた刀を父と思え」と本心を明かし、その場に崩れ落ちる。

里人が文箱を開けてみると「書置き」とあり、糸滝が父のために遊女となることが書かれていた。それを聞いて愕然とした景清は「船を戻せ」と叫ぶがすでに船は波の彼方。

嘆く景清に里人二人は実は自分たちが鎌倉からの隠し目付けであることを明かす。そして、頼朝への降伏を勧め、そうすれば糸滝が身を売ることもなく、景清もこの地で果てることもないのだと説得する。

それを聞いて景清は娘のためを思い、ついに頼朝へ降伏することを決意し、鎌倉へ旅立つのだった。

このお芝居は松貫四こと吉右衛門が、1959年実父八世幸四郎がそれまで共演を禁じられていた文楽の太夫(綱大夫)と組んで演じた記念碑的作品「嬢景清八嶋日記」(むすめかげきよやしまにっき)を元にして書き下ろしたもので、「藤戸」「巴御前」に続く三部作の最後を飾る作品。去年の「再桜遇清水」(さいかいざくらみそめのきよみず)に引き続いての試みが楽しみでした。

最初に景清が花道から登場した時の印象は俊寛に似ているなぁということで、髪の毛や髭はより黒く、着物は同じ錦のつづれながらボロボロではなかったですが、杖を手にしているのもそっくり。

紅梅の一枝を背にさし、ズダ袋を首から掛けていることをのぞいて、明らかに違うと思ったのは顔で、写真ではあまりわかりませんが、まるで鬼のような隈を取っていたことです。

これが金丸座のぼんやりとした明かりの中で見ると、ぐわっと浮き出してきて、修羅の地獄を通り抜けてきた、そして今だに苦しんでいる人なんだなという感じを受けました。

かたくなに降伏することを拒んでいた平家の武将景清が、一人の親として娘を思いやり我を捨てて源氏に下るという、派手なところがないお話で、吉右衛門が娘の本心を知ってからの心の変化を極め細やかに演じたのが印象に残りました。

糸滝の隼人は声がかなり甲高かったですが、ひたむきに一生懸命演じていて、好感がもてました。

それから二人の黒衣がそれぞれかなり大きなカモメを4〜5羽、一本の差し金につけて遣っていたのが珍しく、ユーモラスに感じれました。カモメが急にとびたつところが「二月堂」と同じような仕掛けで表現されていたのも、効果的でした。

景清が娘のために、頼朝に降伏しようと決心したあと、舞台が居所替わりで地がすりがとりはらわれ、最後に中央の岩山があおり返しで前に倒れてくると大海原になり、景清たちが鎌倉へ向かう船が真正面から見るようなかっこうで姿を現します。

この場面転換はなかなか劇的で面白かったですが、俊寛とくらべてしまうと結末が地味だという感はいなめませんでした。

第二部の幕開きは「金比羅のだんまり」。今回のために作られたものだそうで、金比羅ゆかりの人物が次々と登場します。

おそらく今では金丸座にしか見られない空井戸からぬっと人がでてきたり、殺された人がここへ消えたりするのも昔の芝居の雰囲気を髣髴とさせました。源為義の信二郎と清盛の妻時子の芝雀が最後に引き抜きで、巡礼姿になって花道を引っ込んでいくのもご当地らしくて愉快でした。

このとき昨年復元されたぶどう棚から客席に花吹雪がまかれました。スタッフが数人ぶどう棚の上に上って待機し、はなびらを撒いたあとは二階席後方にある穴からはしごを使って降りてきていました。一度上ったら簡単には降りられない構造のようです。

最後は「釣り女」。大名が染五郎、太郎冠者が歌昇、上臈が芝雀、そして醜女が吉右衛門。吉右衛門のめったに見られない女形はとても可愛らしかったです。

次の日見た第一部は最初が染五郎の六助、芝雀のお園、吉之丞の一味斎妻お幸、信二郎の微塵弾正。染五郎はかすれ声や、みょうに現代語っぽいところなどがちょっと気になりましたが、美丈夫ぶりはなかなかなもので、特に老婆の遺骸を前にして怒りを表すところが良かったです。

芝雀のお園は花道で男声でしゃべる時など、お父さんそっくり。吉之丞の存在感がお芝居に落ち着きをかもし出していました。

その次が「身替座禅」で、吉右衛門の右京、歌昇の奥方、京妙と京紫の千枝と左枝。吉右衛門の右京も見るのは初めてですが、真面目人間風な右京がこれまた一味違って面白く感じられました。

ぶどう棚
スタッフが待機しているのが見えます
空井戸
ここから人が出入りします
この日の大向こう

2日が初日だったのですが、おもったより声を掛ける方は少なく、お一人がきちっと掛けられ、あとは1〜2人が時々掛けていらしただけでした。前に地元の青年団の方が声を掛けられることもあると聞いていたので、今はどうなっているのかなと思いました。

景清の最後、柝の頭で他の方が「播磨屋」とおかけになったあと、私も風邪声でしたが「二代目!」と掛けました。

3日の昼もやはりお一人で、お茶子さんに伺ったところでは地元高松で先生をなさっていらっしゃる方だとか。身替座禅で右京が花子のところへ向かう花道七三で「いってらっしゃい!」と掛けられ、これが見事に極まっていました。

金丸座のように客席と舞台が本当に近い小屋でこそ、生きる掛け声だなと思いました。


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