十一代目の思い出

今日はyukiさんのリクエストにお応えして十一代目團十郎のことをお話しましょうかね。

若い頃、私は十五代目羽左衛門を贔屓にしていました。十五代目のセリフ廻しはそりゃもう天下一品でしたから、蕎麦屋の直ちゃんとあきずに声色を練習していましたね。けれど十五代目は終戦の年に亡くなってしまいまいました。

戦争から帰ってきて暫くの間、私は東宝へ勤めていたんです。戦後初めてみた芝居は六代目菊五郎の「銀座復興」という現代劇で、GHQの隣にあった旧帝劇で上演していました。それを舞台裏から、見てたんですよ。出る前の役者の緊張がどんなものか、裏方がどういうふうに働いているかとか、よく見ることが出来ましたね。

そのころ、東宝劇団は出来たばかりで、寿美蔵(寿海)、蓑助(八代目三津五郎)、もしほ(勘三郎)、そしてまだ海老蔵だった後の十一代目團十郎が在籍していて、有楽座というところで芝居をしていました。

東宝って会社はもうけ主義だから、役者が休んでいる時の給料は払わなかったんだね。それで結局上手くいかなくて東宝劇団はウヤムヤになってしまったんです。私も他の映画会社に移りました。

十一代目を初めて見た時の印象というと、「パッとしたところがなくて鬱屈したような芝居をする役者」と言う感じでしたね。まだ高麗蔵だったころには、セリフが聞き辛くて大根と言われたこともありましたし、メリハリがはっきりしすぎていて、ふんわりした雰囲気ってものがなかったんです。もっとも、もしほもその頃はモッサリしていたけれど。(笑)

ですから初めて「助六」をやった時は、この人にこんな芝居ができたのかと本当にビックリしました。それからというものは「内に秘めたものを抱えた未完の大器」というかんじで、新しい役をやるたびにグングン良い役者になっていったんです。

十一代目で良かったなぁと思い出すのは「直侍」や、生締が良く似合った「盛綱陣屋」、それから大仏次郎の「若き日の信長」。ことに信長は、こういう味もだせるのかと驚きました。華やかな役をやっていても、どこか屈折した感じがいつも漂っていた役者でした。

もうひとつ同じ大仏次郎の「江戸の夕映え」という菊五郎劇団の芝居で、十一代目は主役の落ちぶれていく旗本を演じたことがあるんです。この役が十一代目の鬱屈したところにまさにピッタリだったので、今でも印象に残っています。

十一代目は独特の癖のあるセリフ廻しをする人でしたが、なんてったって姿かたちが本当に良い役者でしたねぇ。海老様に対する、ことに4〜50代の女性の思い入れは大変なものがありましてね。

「助六」で花道を出てきたときなんか、ジワがすごかったんですよ。重いものを背中にしょっていて、それを払いのけるような意気込みというか気合のようなものがひしひしと感じられて、十五代目羽左衛門の助六とは又違った、「男くささ」を感じさせる助六でした。

お客は皆美味しいものを食べるように十一代目の芸を味わったもんです。

ずうっと後の話ですが松緑さんにお会いした時、「上の兄貴にあのしなやかな細い指でたたかれると本当に痛かった。でもこん畜生ともおもわなかったなぁ。なにしろ男っぷりがいいし、もてるし、私にとっては上の兄貴は雲の上の人でしてね。いろんな意味で話題の多い人でしたよ。」と思い出話を聞かせてくれました。

十一代目はどこまで大きくなるかわからないような、期待をいだかせる役者でした。團十郎襲名後たった三年で亡くなったときは本当にがっくりきましたよ。もう芝居を見るのを止めようかと思ったくらいにね。

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