大向こうから掛かる「掛け声」は芝居好きにとって、ひそかな憧れの的です。
「一度やってみたいなぁ」と思っていらっしゃる方がきっと沢山いらっしゃると思います。
でも「あれは、専門の人にしかできないんじゃないの?」「掛け方が判らないから」「恥ずかしくて」等となかなか掛けたくても掛けられないものですね。

私がこの「ご機嫌!歌舞伎ライフー素人が歌舞伎で声を掛ける方法」を立ち上げる気になった訳をお話しましょう。

1999年の6月、歌舞伎座で仁左衛門の「伊勢音頭恋寝刃」(いせおんどこいのねたば)を見た私は強い衝撃を受けました。ゆっくりとした音楽にのった立ち回り(殺陣)に江戸時代そのままの空気を感じたからです。
仁左衛門の演じる貢の、なんと美しかった事でしょう!
20年ほど前、孝夫・玉三郎のコンビがまだ若かった頃「累(かさね)」を見た時には、美しいとも何とも感じませんでしたから(こちらの年齢というファクターもあるのでしょうが)仁左衛門の磨き上げられた「芸」のもたらした「美しさ」に魅了されたのだと言えます。

その時から毎月のように歌舞伎座に通う日々、我が歌舞伎ライフが始まりました。大阪の松竹座、京都南座の顔見世、四国金丸座のこんぴら歌舞伎にも度々足を運びます。
同時に歌舞伎研究家、内田順章氏が講師をなさっている「歌舞伎研究会」に入会して、歌舞伎に関しての様々な事を教えていただきました。最近では有名な「台詞」をCDなどを聞いてその通りにやってみる「声色」(こわいろ)にもチャレンジしています。

今ではすっかり廃れてしまっているこの「声色」ですが、やってみると「間」の重要性というものがおぼろげながらわかってきます。
もうこの世にいない十一代目團十郎、勘三郎や六代目歌右衛門の素晴らしい「源氏店」は私の一番のお気に入りです。

そしてお芝居の素晴らしさもさることながら、もう一つの素晴らしいものにとてもとても気を惹かれました。
それは掛け声だったのです。

これぞ「江戸前の粋」という形容がぴったりの十一代目の「切られ与三」の台詞をいろどる、まるであちこちでたかれるフラッシュのような「掛け声」。それがお芝居を盛り上げていくのが、CDを聞いていても目に見えるようなのです。

ところで2年ほど前でしたか、吉右衛門が「熊谷陣屋」の熊谷を歌舞伎座で務めた時のことです。
最後に花道引っ込む時に言う、このお芝居で最も有名な場面の一つで「十六年は一昔、ああ、夢だ、夢だ。」という大事な台詞がまだ終わらないうちに「は〜り〜ま〜や〜」という、なんともしまりのない声が掛かってしまったのです。

吉右衛門もさぞかし無念だったでしょう。そこに至るまでに積み上げてきたものが、一瞬にして台無しになってしまったんですから。
この時から私は「このまま一部の方しか『掛け声』の事を知らないのは良くないのではないか」と思うようになりました。

しかしこういう無残な例があるにもかかわらず、「掛け声」の掛からない芝居ほど寂しいものはありません。テレビで博多座のこけら落としを見ていましたら、見得のときも全く「掛け声」が掛からず役者に気の毒でした。それに加えて気になるのは、近頃「掛け声」のパターンがとても限られてしまっているという事です。残念ながら40年昔に比べても「掛け声」の生き生きとした魅力は年々薄れて来ていると言わざるを得ません。

せっかく有望な若い役者が出てきているのですから、彼らが20年後に壮年期を迎えた時、彼らの祖父が味わったような「嬉しい」雰囲気の中で芝居をして欲しいものです。

お芝居は決して役者だけが良ければいいというものではありません。
役者の気分が高揚するようなそんな「見物」が良い芝居を一緒に作っていくものなのです。
幸い「歌舞伎研究会」の内田順章講師は一時大向こうグループ「寿会」に所属していらした経験がおありになる観劇暦66年の極め付きの大向こう。十一代目全盛期の「大向こう」の事や「掛け声」について貴重なお話を伺うこともできました。

私はこのサイトを歌舞伎に興味がある中・高校生にもぜひ見ていただきたいと思っています。そして『いつか「掛け声」をかけてみたいなぁ』と思っていただければこれに勝る幸せはありません。それではごゆっくりとご覧になってくださいませ。

                                       2002年9月8日    yuki
                                                 

              

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