『 白鳥の王子 』
「 ・・・そうして、エリザ姫はモトの姿にもどった兄の王子たちと幸せに暮らしたのでした。
・・・おしまい。 」
「 ・・・ねえ、お兄ちゃん。 」
「 すと〜っぷ! オマエの<ねえ お兄ちゃん>は要注意だよな。
さ、約束どおりちゃんと最後まで読んでやったんだから・・・ もう寝ろ。 」
「 あのね・・・あの。 」
「 <おしまい>だよ、フランソワ−ズ。 」
ジャンはくしゃり・・・と妹の髪をなで 上掛けをあごの下まで引っ張り上げてやった。
そして手擦れのした古い童話の本を脇の本箱に押し込むと ベッドサイドの椅子から立ち上がった。
「 さあ、電気消すぞ〜 」
「 ・・・! まって! ね、ひとつだけ・・・ 」
「 ・・・ なんだ。 」
スイッチに指をかけたままで ジャンは妹のベッドにねじ向いた。
「 あのね・・・エリザは、お兄さん達がどんな姿になっても・・・わかったのね! それで、それで・・・ 」
「 ひとつだけ、だろ? 」
「 ・・・うん・・・続きだもん。 それでエリザはずうっと待っていたのね・・・イラクサで肌着を編みながら・・・」
「 ああ、ずっとな。 」
「 あたしも。 あたしもね! お兄ちゃんのこと、ずっと待ってるから! お兄ちゃんが・・・鷲になっても
ハゲタカになっても・・・わかるわ! 」
「 はいはい、どうも。 さ、今度こそちゃんと目を瞑って! け・す・ぞ。 」
「 ・・・あ〜ん ・・・ 待って・・・ 」
亜麻色のアタマがぽすん・・・っとリネンの間に潜り込む。
「 お〜い・・・ いいか? 」
「 うん。 お休みなさい、お兄ちゃん・・・ 」
「 ・・・お休み、フランソワ−ズ 」
橙色の常夜灯に照られた部屋をちらりとみまわし、ジャンはそっとドアを閉じた。
- やれやれ・・・。
妹のお守りも楽じゃない、とため息をつこうとしたがジャンの口から漏れたのは
ちいさな微笑だった。
ハゲタカ、ねえ? くすり、と笑ってジャンはタバコに火を点けた。
いったいなんでハゲタカなんだよ・・・。 ま、そのほうがオマエを守れて便利かな。
急にしんとした居間に 紫煙が一筋ただよってゆく。
なあ、フランソワ−ズ。
オレが。 オレのほうが。 オマエがどんな姿になっても・・・判るさ。
それで・・・待つさ。 ずっと、な。
正直いって 両親亡きあとの生活は楽ではなかった。
学業を終え、軍隊に身を投じたばかりのジャンにとってまだ幼い妹を養ってゆくのは大変だった。
生活してゆくのに必死で 若者らしい遊びや交際に費やす時間もお金もなかった。
でも、なあ。
すすぼけた天井に 煙を吐きつつ、ジャンは自然と微笑んでしまう。
オマエがいたから。 オマエが微笑んでいてくれるから、オレは頑張れるんだ。
負担なんかじゃない。 それどころか、オマエがオレを支えてくれてるって思うよ・・・
ジャンは少し年の離れたこの妹が持っている不思議な魅力に気がつき始めていた。
- ああ。 待っているさ、・・・命が終わるまでも。 ・・・オレの天使。
カツ・・・カツ・・・カツ・・・
凍て付いた石畳が 冷たい音をたてる。
アタマに突き通る固い音に ジャンはいっそう寒さを厳しく感じた。
・・・ さむ ・・・
家はもう目と鼻の先だったが、彼は外套の襟を立てマフラ−に深く顎を埋めた。
待っているのは 火の気のないし・・・んと冷え込んだ部屋だけなのだ。
ずっしり重い鞄を持ち直し、そのかばんよりも重いこころと足を引きずってジャンは角を曲がった。
いつもここを曲がるときには、反射的に俯いてしまう。
本当はあの場所を、見慣れた場所を仰ぎ見たい。 かつて毎日そうしていたように。
それは・・・今の部屋に妹と共に住むことになってからずっと続いていて
彼の習慣にもなっていたから 気を許せば無意識に視線はそこへと向けられてしまう。
軍務につく朝、妹は必ずあの窓から乗り出し、手をふってジャンを送ってくれた。
当直明けで帰宅する日、どんなに遅くなっても窓の片側はカーテンが開いていた。
− お帰りなさい、お兄ちゃん・・・
そこから漏れる明かりがまず、ジャンを迎えてくれた。
それが あの日を境にすべて無くなった。
窓はいつも頑なに閉じたまま 灯りはともることがない。
毎日毎日。かすかな希望とそれと必ず背中合わせになっている深い絶望と ・・・
臓腑がよじれる想いの繰り返しに ジャンはいつの間にか慣れてしまった自分を嘲笑う。
それでも。 それでも、目を上げずにはいられない。
・・・え・・・?
一瞬、ジャンは棒立ちになった。
見まちがい、そうだ、そうに決まっている。 絶望の果てについに幻覚を見るようになったのか・・・
わざとぎゅっと目をつぶり ぶん・・・とアタマを一振り、 おそるおそる彼は目を開けた。
夢でも幻覚でも・・・ なかった。
見慣れたその窓、古ぼけたアパルトマンの最上階の角。
かつては憩いと楽しみ、そしてここ数年は悲しみと深い絶望で見上げていた、その窓に・・・
今夜は 橙色の光が点っている。
そんな・・・ バカな・・・!
あとはもう夢中だった。
まばらとはいえ、まだいくらか行き来する人々の間をすり抜け外套の裾をひるがえし
ジャンは 走った。 全力疾走なんてものじゃなかった。 地面は足の下から消えていた。
駆け上がったアパルトマンの階段は ぎしぎしと盛大に悲鳴をあげた。
・・・ごくり、と唾を呑み込み ジャンは自室のドアの前で棒立ちになっていた。
泥棒が灯りを点けるわけがない。
部屋を訪ねてくるような友人は 今は近くにいないし、深い仲の女もいない。
まさか。
震える指で ジャンはここ何年も触れていなかったチャイムを押した。
・・・まだ、鳴るかよ?
聞き覚えのある足音がぱたぱたと ドアに駆け寄ってくる。
- かちゃり。
薄暗い廊下に 温かな光がさっと漏れひろがった。
橙色の灯りに縁取られて 立つその姿は。
「 ・・・・ お帰りなさい。 お兄ちゃん・・・ 」
「 ・・・・ た・・・だい・・・ま・・・ フラン・・・ ソ ・・・ 」
声が舌が 絡みつく。 足が手が 凍りつく。
よく似た二対の青い瞳だけが 濡れ濡れと互いを見つめあっている。
「 ・・・・・ 」
「 ・・・・・ 」
・・・とん・・・っ・・・
軽い衝撃をともなって妹は兄の腕に 飛び込んだ。
・・・かさり・・・・・
衣擦れの音が一瞬きこえ、あとはただ兄妹の低い嗚咽だけがきれぎれに暗い廊下に響いていた。
「 そんなバカな! 」
努めて淡々と でも固い表情で語る妹のハナシを聞き終えたとき、
初め、ジャンは言葉が出なかった。
とても事実とは思い難い内容だったが、一方でジャンには頷ける部分もあった。
・・・ そうだ・・・ あの日。 奴等はあまりに用意周到だった・・・
ほんのわずか拘りあっただけだったが ジャンには妹を拉致していった組織の
ある意味、凄さというものを身をもって感じていたのだ。
しかし。 だからと言って・・・・
「 ・・・そんな・・・ 信じられない。 いや、オレは信じない! 」
「 ・・・お兄ちゃん。 ようくわたしを見て。 」
「 ああ、見てるよ! こんな間近ではっきりとな。 オマエはどこも変わってないじゃないか。 」
「 そうよ、どこも変わってないわ。 どこも、よ。 」
「 ・・・ だったら・・・そんな悪いジョ−クを! 」
「 お兄ちゃん、鏡を見て? ・・ほら、お兄ちゃんは・・・髪が短くなったわね。
うふふ・・・ この辺、逞しくなったね。 」
「 ・・・おまえ、なにが言いたいんだ? 」
「 わたしを見て変だと思わない? ・・・わたし、全然変わってないのよ。
あの日、お兄ちゃんを駅まで迎えにゆこうとした時から・・・・ 」
「 ・・・・ フランソワ−ズ 」
「 変わってない・・・変われないの。 ずっとこのままなのよ、わたし。
何年、何十年たって お兄ちゃんがパパが亡くなったトシを追い越しても、
カトリ−ヌや・・・わたしの友達がお母さんになっておばあちゃんになっても・・・
それでも、わたし、今と同じ姿なの。 」
アシュ・トレイに捻ったはずのタバコが ほそぼそと煙をあげている。
目を見張り、一言も発せずにいる兄にフランソワ−ズは精一杯微笑んでみせた。
「 わたし。 作り物だから。 ・・・もう、本当のフランソワ−ズは・・・死んでしまったの。 」
フランソワ−ズは微笑んでいるのに 涙が止め処なく頬を伝い足元に水玉模様を描いていた。
きゅ・・・っと目をつぶり、そしてすぐにゆっくりと開き。
ジャンは静かに立ち上がり妹の正面に立った。
長い腕が ふわり、と小刻みに震えている細い肩にまわされた。
懐かしい兄の匂いが タバコの香りがフランソワ−ズを包んだ。
「 ・・・それでも。それでもお前はお前だ、フランソワ−ズ。 」
「 ・・・お兄ちゃん・・・・ 」
「 お帰り、フランソワ−ズ。 」
「 ・・・・た・・・だい・・・ま・・・ お兄・・・ちゃ・・・・ 」
・・・なあ。 オレは待っていたろ?
どんな姿になっても、オマエはオレの妹だ。
しゃべり疲れソファで寝入ってしまったフランソワ−ズの髪を ジャンは愛しげになでる。
二度と触れることなんかできない・・・・と思ってた。
お帰り。 オレの小さな妹。
・・・そうだなぁ。 オマエが好きだったおとぎ話とはちょいと役回りが逆だったがな・・・。
今夜はこうして、このまま。
まだ 親父やお袋が生きていた頃、遊び疲れてよくこうやって一緒に寝ちまったよな。
いいじゃないか、たまには。
お袋が起こしにくるまで、二人で転寝をしようよ・・・
亜麻色のアタマを膝に乗せたまま、もう一つの同じ色のアタマが静かに前へ
傾いていった。
夜の帳が今夜ばかりはやさしくあたたかく。 質素な部屋の兄妹を包んでいった。
「 ・・・ねえ、お兄ちゃん? 」
「 なんだ? 」
「 あの・・・あのね。 ・・・紹介したい人がいるの。 」
は・・・っん?!とジャンは眉をあげ 読んでいた新聞を放り出して天井を仰いだ。
「 ・・・ったく。 おまえの<ねえ、お兄ちゃん>は! ほっんとに要注意だぜ・・・ 」
「 そんな・・・要注意、だなんて・・・ 」
ここ数日、パリの街は急に秋が深まっていた。
マロニエの葉はとうに散りつくし 黒い枝だけの樹々の間からのぞく空は灰色に垂れ込めている。
石畳の路に響く足音も 自然と忙しなくなってきている。
そんな厳しい季節を迎えながらも 兄妹の暮らしは穏やかに優しい日々を追っていた。
「 やっと帰ってきたと思ったら・・・。 」
「 ・・・ごめんなさい・・・ 」
・・・まあ、しょうがないな、と兄は肩をすくめてちょん・・・っと妹の頬をつついた。
「 ・・・で? どこのどんなヤツなんだ。 」
「 いいヒトなの! お兄ちゃんみたい。 ちょっとお兄ちゃんに似てるわ。
それでね、誰よりも強くて優しいのよ。 」
「 はん? だから・・・? 」
「 ・・・だから・・・ そのぅ・・・ 会ってくれる? 」
手を組み合わせたりほどいたり 髪の先を指に巻きつけたり。
もじもじと落ち着かない妹が 可笑しくて可愛くて・・・
ジャンは 自然と口元に昇ってくる笑みを押し隠すのに苦心していた。
「 ああ、いいさ。 連れてこい。 」
「 ・・・本当? うれしいわ、あの・・・午後にね、シャルルドゴ−ルに着くのよ。 」
「 ふ〜ん・・・ そいつはどこから来るんだ?南か北か? 」
「 ・・・東から。 」
「 東? Indochine(インドシナ) ・・・ Viet-Nam (ヴェトナム) かい? 」
「 ううん・・・あの。 日本。 」
「 Japon・・・! オマエ、そういう趣味だったのか・・???? 」
「 そうじゃなくて・・・ううん、そうなのかもしれないけど・・・でも・・・ 」
言い澱み、言葉を捜している妹の半分ベソをかいた顔に ジャンはある陰を見つけた。
「 ・・・おい。 ソイツは。 ・・・・ソイツも、なのか? 」
真剣な眼差しでの兄の問いかけに フランソワ−ズもしっかりと眼をあわせ、頷いた。
「 ・・・ そうか。 なら、いい。 」
それ以上、言葉が見つからなかった。
・・・こいつ、か?
ジャンは自分の目の前の若者を 何もいえずにただ、じっと見つめていた。
・・・誰よりも強い? オレに似ている??
妹の隣で セピア色の髪の青年が多少引きつり気味の笑みを浮かべている。
髪と同じいろの瞳が優しそうに瞬き 彼女に注がれる。
下手すれば 妹よりも年下に見えるし、とても彼女の<宣伝>どおりとは思い難い。
「 ・・・お兄ちゃん、ジョ−・島村よ。 ジョ−、兄のジャン・アルヌ−ル。 」
「 ハジメマシテ、コンニチハ。 じょー・しまむら デス。 」
少々不思議な発音でその青年は必死で暗記した台詞を発すると おずおずと手を差し伸べた。
・・・あの。 ぼくで・・・いいですか・・・?
セピアの瞳が 懸命にジャンに語りかけてきている。
その瞳はあたたかく、そして真剣だった。
彼はなにも語らなかったけれど、ジャンはこの瞳で 充分だ、と思った。
「 ようこそ、ジョ−。 ・・・フランソワ−ズを よろしく。 」
ジャンはがっしりと 彼の手を握り返した。
「 ・・・お兄ちゃん・・・ 」
「 そら、二人してなに突っ立ってるんだ? さ、入った入った! 」
「 お邪魔します・・・ 」
涙ぐんでいる妹の髪をちょいと引っ張り、ジャンはふたりの背をとん!と押した。
なあ、フランソワ−ズ。
こいつが オマエとおなじ運命を背負わされているなら。
オレは喜んで オマエをこいつの手にゆだねるよ。
オマエはちゃんとオレのところに帰ってきてくれた。 そうさ、それで充分だ。
あとは こいつに任せよう。
・・・ オレは ・・・ 最後までオマエの側にはいてやれない、から。
なあ、 フランソワ−ズ。
お伽噺の結末を知っているかい?
狭いソファに並んだセピアと亜麻色のアタマがくっ付いたり離れたり。
カフェ・オ・レの湯気ごしに ジャンはそっと呟いた。
< そうして、みんないつまでも幸せに暮らしました >
***** Fin. *****
Last updated:
05,25,2005. index
**** ひと言 ****
とにかくジャン兄様が書きたかったのです。 なんとなく平ジョ−っぽいですが
(出番ほとんどないけど・・・) 原作設定でお読みください。 『黄金のライオン』の
前ぐらい? <パリ見物>にジョ−君はやってきたのであります。
『白鳥の王子』ですが お兄さんの人数が本によりまちまちで(11人とか6人とか・・・)
適当に誤魔化しました。(^_^;)