『 パリの休日 − 見物はこれから − 』
「 ・・・はい、はい。 わかりましたわ。 ええ、少し落ち着いたみたいですけど・・・
はい、ありがとうございました。 はい、じゃあ・・・ 」
カタリ・・・
フランソワ−ズは静かに受話器を置くと ベッドの方をちらりと振り向いた。
− ・・・・ ああ、よかった。 大分呼吸( いき )が楽になったみたい・・・
そうっと足音を忍ばせて近寄れば。
見慣れた兄のベッドに横たわっているのは・・・ 栗色の髪の青年。
端正なその顔を幾分か紅潮させ 毛布の中にだるそうに埋没している。
フランソワ−ズは静かにベッドサイドに椅子を寄せた。
長い命がけの日々に別れを告げ、懐かしい故郷で<普通の>生活にやっと戻れたとき、
フランソワ−ズは 安堵の気持ちと同じくらい淋しさを感じていた。
− あの人が いない。 ・・・・側に いない。
突然帰ってきた自分を、なにも言わずただ涙に暮れてじっと抱きしめてくれた兄。
その温かい腕の中でも以前のように 満ち足りた思いには浸れなかった。
いつの間にか 自分にとって誰よりも身近な存在となったあの青年のことを
ふと気付けば四六時中考えている自分に ちょっとおどろくこともある。
だから 観光旅行なんだけど・・・と幾分か照れ気味な渡仏を知らせるрもらった時は
どんなに嬉しかった事か。
おずおずと兄妹のアパルトマンを訪れた栗色の髪の青年、
兄は苦笑を片頬に刻みながらも しっかりと彼の手を握ってくれた。
− 妹を ・・・・ 頼む。
数日後 ちゃんとケジメはまもれよ、と釘を刺し兄は軍務へと戻っていった。
ケジメって。 なによ、お兄さん・・・
以前の習慣とおりに 出かける兄に窓から手を振ってフランソワ−ズは呟いていた。
そんな中での急なアフリカ行きは ミッションがらみだったけれど楽しいものだった。
「 ・・・・だからね。 折角彼女のところへ行った君には本当に悪いと思ったんだけど。 」
「 あら。 そんなことないわ。 こちらに来ていてちょうどよかったわよ、ねえ? 」
「 うん。 日本から来るよりずっと近いし・・・。 」
サバンナのざわめきをすぐ近くに聞く地で 三人で焚火を囲んだ。
久し振りに会うアフリカの青年は ぐっと精悍さを増したようだった。
「 ほんとに不便なところで 申し訳ないね。 明日は僕の村に着くから・・・ 」
「 また、ご家族と暮らせて・・・ よかったわね、ピュンマ。 」
「 ・・・ うん。 」
常に冷静沈着な彼も 白い歯を見せて嬉しそうに笑っていた・・・
ミッション自体としては成功を収め、二人はアフリカの地を後にした。
大きく手を振る仲間、その笑顔の陰の哀しみをこころに刻んで。
でも。楽しかった・・・・帰りの飛行機の中でフランソワ−ズはこっそりと呟いた。
「 なんか・・・慌しかったけど、無事に終わってよかったわね。 」
「 うん、そうだね。 ピュンマも喜んでくれたし。 」
「 ふふふ・・・ こんどこそゆっくりパリを案内するわね。 お兄さんも・・・ちょうど留守だし。 」
「 こら。 叱られるぞ。 」
「 いいもん。 別に悪いコト、してるわけじゃないし・・・・ 」
「 ワルイことって・・・・・・・・ うん・・・ 」
急に言葉を途切らせ、前髪のかげで赤くなっている彼が可笑しくてフランソワ−ズは
すぐ横にあった大きな手を ちょん・・とつついた。
− ・・・・あれ・・・?
「 ねえ、ジョ−。 どうかした? ・・・・手が・・・熱いわ? 」
「 え・・・・ ううん、大したことじゃないよ。 ちょっと・・・・だるいだけ。 少し眠れば平気さ。 」
「 ちょっとって。 ・・・やだ、随分熱いわよ? 大丈夫、寒くない? 」
手を伸ばして触れた彼の額は 汗ばみかなりの熱をもっていた。
自分の毛布を取って 掛けてくれようとしたフランソワ−ズに彼はますます頬を赤らめた。
「 い、いいよ、大丈夫。 ・・・・ ありがとう。 」
「 そう・・? ああ、あと3時間くらいでシャルル・ドゴ−ルね。 はやく着けばいいのに・・・ 」
毛布をなおし、フランソワ−ズはハンケチで彼の額をそっとぬぐった。
額からずり落ちそうなタオルを取って、もう一度枕元のキュベット( 洗面器 )で濡らす。
汗ばんだ頬をちょっと拭おうとした途端に 彼の瞳がひらきフランソワ−ズを捉えた。
「 ああ、具合はどう? 」
「 ・・・・う・・・うん・・・ だい・・じょう・・・ぶ・・・ 」
「 今ね ギルモア博士に電話していろいろご指示を頂いたの。
こっちへ来てすぐにアフリカへ行ったでしょう、きっとあなたの身体がびっくりしちゃったのよ。 」
「 ・・・・ふふ・・こんな身体・・・なのに・・ ? 」
「 疲れれば、みんな同じよ。 とにかくまずは 休養が一番、ですって。 薬がないから
ちょっと辛いでしょうけど 我慢して? 」
「 ・・・だいじょうぶ ・・・ 」
フランソワ−ズはきっちり絞ったタオルを 彼のおでこに乗せた。
「 これですこしは楽になるかしら・・・。 あら、汗びっしょりね。
パジャマを着替えた方がいいわ。 お兄さんので悪いんだけど、ちょっと待ってて。 」
「 ・・・いいよ、これで・・・ 。 」
「 いいって・・・。 気持ち悪いでしょう? それに汗が冷えたら良くないわよ。 」
「 ・・・ ごめん ・・・・ 」
「 ヘンなの。 なんで<ごめん>なの? 今出すわね。
ああ、お兄さんが仕事でよかったのか わるかったのか・・・・ ええと・・・ 」
兄のクロ−ゼットを ひっかき廻しているフランソワ−ズの後ろ姿を
青年はベッドから 熱に潤んだ瞳で じっと眺めていた。
「 ほら・・・あった! う〜ん・・・ちょっと大きいかな?
はい、じゃあ、このタオルで汗を拭いてね。 わたしはお水を換えてくるから・・・・ 」
「 ・・・・ ありがとう・・・ ごめん・・・ 」
「 ほら、またぁ。 もう口癖なんじゃない?<ごめん>って。 」
熱のためだけじゃなく、ひとりで赤くなっている彼に笑顔をむけて フランソワ−ズは
兄の寝室から出ていった。
秋も半ば、深夜の水道の水はもう、かなり冷たい。
何枚かタオルを濯いでいるうちに フランソワ−ズの指は真っ赤になってきたが、
それは なぜか懐かしい感触だった。
「 ・・・ああ、そういえば。 お兄さんも子供のころよく夜中に突然高い熱をだしたっけ・・・ 」
ママンを手伝って こうやってタオルをしぼったりしたわね。
・・・ええっと。 こんな時、 ママンはどうしてたかしら・・・・?
タオルを絞る手が 次第にゆっくりになってゆく。
「 ママン・・・ どうしたの? 」
「 ああ、フランソワ−ズ・・。 お目々がさめてしまった? ごめんね。 」
「 ・・・・ 氷がいっぱい。 あ、お兄ちゃんがまた、お熱? 」
「 ええ・・・ 大丈夫だと思うんだけど。 パパがお薬を取りに行ってくれたし・・・
ねえ、フランソワ−ズ、このタオルを絞ってお兄ちゃんのおでこに乗せてあげて? 」
「 うん! 」
「 お願いね。 ママンはジャンのお薬をつくるわ。 」
「 お薬? お医者様のじゃなくて、ママンの? 」
「 そうよ。 あのね、こうゆう時に一番よく効くのは <大好きなモノ> なの。 」
「 お兄ちゃんの 大好きなモノ? 」
「 ええ。 フランソワ−ズ、あなたがお病気の時もそうでしょう?
あなたの 一番のお薬は・・・ 」
「 ママンの ミルク・プディング! 」
そうだわ・・・ 自分の一番好きなもの。
熱が高いとき、喉がひりひりと痛いとき。
ママンが大丈夫よってにこにこしながらお口に入れてくれて・・・
美味しく食べてぐっすり眠れば 次の朝には熱なんかどこかへ消えてしまってた。
お兄ちゃんもわたしも。
ママンの ミルク・プディング ・・・ 食べたいな・・・・
ぱしゃん・・・!
頬に跳ね返った水の冷たさが 彼女を一気に現実に連れ戻す。
彼が好きなものって・・・なに? やっぱり日本のモノが食べたいんでしょうねえ・・・
困ったわ、とフランソワ−ズは冷え切った手を頬に当てた。
日本のモノ、ねえ・・・。 ライス・プディング ?
でも、お米は無いし・・・・。
・・・・ いいわ! きっと彼も大好きよ、ママンの秘伝の味に挑戦するわ。
だから ちょっとだけ待っていてね。
「 ・・・・どう? 少しは楽になった? 」
大振りなトレイをかちゃかちゃいわせて フランソワ−ズはそっと寝室のドアを開けた。
「 ・・・・・・ あ、 うん。 だいぶ楽になったよ、 ありがとう・・・ 」
青年は言葉とは裏腹に まだ熱に浮かされた顔を懸命にこちらに向けた。
「 ほら、タオルを代えましょう・・・ あらお兄さんのパジャマ、似合うわね? 」
「 ・・・・ ごめん ・・・ 」
「 ほぉら、また〜。 どして<ごめん>なの、おかしなヒトねえ。 」
「 ・・・・ ご、 あ、 うん。 」
「 ふふふ・・・。 ねえ、喉が渇いたでしょう? 氷水と、ちょっとコレを食べてみない? 」
「 ・・・ごめん、あんまり食欲ないんだ・・・ 」
「 だ〜め。 なにか口にしなくちゃ。 あなた、昨日からほとんど何も食べていないでしょう?
体力をつけないと 熱はさがらないわ。 ね? 」
「 ・・・ごめ、あ。 ・・うん、じゃあ ちょっとだけ・・・ 」
「 あ、起きれる? さあ、 どうぞ。 」
けだるそうに半身を起こした彼をそっと支え、その肩に兄のガウンを羽織らせる。
そんな甲斐甲斐しい彼女の様子に 彼はますます顔を赤らめていた。
「 ・・・・・ 美味しい・・ね・・・・ 」
「 ほんとう? わあ、よかった! コレはね、兄とわたしだけの特別な<お薬>なの。 」
「 特別な ? 」
「 うん。 子供の頃、熱を出したり具合が悪い時にいつも母がつくってくれたのよ。 」
「 ・・・・ いいね・・・・ そんな思い出があるって。 」
「 コレを味わったんだもの、あなたの思い出にもなったわ。 」
「 うん・・・・ ありがとう・・・ 」
「 ね? もう大丈夫、これでゆっくり休めば明日の朝にはきっと熱は下がってるわ。」
「 ・・・・ほんとに・・・ ありがとう・・・ 」
「 やあねえ、もう。 謝ったり御礼をいったりばっかり。 病人は大人しく休んで下さい。」
「 ・・・ごめん。 あ・・・ 」
顔を見合わせ、吹き出して。
そっと触れた身体はまだ熱かったけれど 青年は頬に笑みを刻んで毛布にもぐりこんだ。
− よかった・・・・・
もう一度 額のタオルを変えてフランソワ−ズはそっと安堵の溜め息をもらした。
明日はきっと元気になるわ。
そうしたら、どこからこの街を案内しようかな。
マロニエの落ち葉がとっても綺麗だから、あの路を一緒に歩きたい・・・・
− ああ、 もう大丈夫ね。
楽しい計画に胸を弾ませ、休む前にもう一度兄の寝室を覗いたフランソワ−ズは
常夜灯だけのその部屋の中に満ちる静かな呼吸音に ほっと胸をなでおろした。
足音を忍ばせて近寄ったベッドで、 先ほどとはうってかわった穏やかな表情をみせ
青年はくり色の髪を枕に散らばせていた。
「 ふふふ・・・・ ママンの<お薬>は あなたにもしっかり効いたみたい。
ゆっくり休んで・・・ 明日はわたしに付き合ってね・・・ 」
そっと毛布をなおし フランソワ−ズは小さく話しかけていた。
ふわぁ・・・・
ちいさなアクビがひとつ・ふたつ。
ああ・・・もうこんな時間なんだわ。 ねえ、ちょっとだけ。 一緒にやすんでもいいでしょ?
ぱふん、とフランソワ−ズは半身を青年のすぐ脇に伏せてみた。
ふふ・・お兄ちゃんが病気の時、よくこうやっていて。
そのまま、ベッドに潜り込んじゃったりしたっけ・・・・
− ちょっとだけ、ね? ・・・・すぐ、起きるから・・・・
やがて 穏やかな寝息が二つ、兄の寝室に満ちていった。
「 ただいま〜。 お〜い、フラン、手紙だぞ。 例のアフリカの友達からだ。 」
夜勤明けの兄が 上機嫌で玄関を開けた。
「 今日もいい天気だな。 パリ見物にはもってこいだよ。 なんだ〜まだ寝てるのか? 」
口笛まで交えて 兄はどさり、と荷物を置き自室のドアを開けた。
「 フンフン♪ ・・・ ん・・・? !!!! お、お前たち〜〜〜〜!! 」
「 ・・・・ あ・・・ あ? おはよう・・・お兄ちゃん・・・ あれ? なんでそこにいるの? 」
「 ・・・・!!!! 」
くしゃくしゃの亜麻色の頭がベッドから起き上がり ぼんやりと戸口を見ている。
「 わたし・・・ お兄ちゃんのベッドで寝ちゃったんだ ・・・ あれ? 」
「 ふ、フランソワ−ズ!! あれ、じゃない!!なんだ、お前たちは俺の眼を盗んで
こんな・・・・! 」
「 ・・・え? ・・・・あ・・! うそぉ・・・ ジョ−・・・!! 」
「 ・・・・・・ん・・・? あ、ああ・・・・朝かア・・・ 」
怒りで身体を震わせ、戸口に立ち尽くしている兄と自分自身の状況に驚愕している妹。
そんなぴんぴんに張り詰めた空気のなかで くり色の頭がゆっくりと寝返りをうった。
「 あ〜ああ・・・・ なんかスッキリしたな〜 ・・・ ふぁ・・・・ 」
「 ・・・・じ、ジョ−・・・ あの・・・ゆうべ・・・ 」
「 スッキリだと??お前〜〜ヒトの妹を!!!! 」
− ?? う? ・・・・・ なんだ・・・ 夢かあ・・・・
自分を凝視してる二人を ちらり、と不思議そうに見て。
もぞもぞ・・・・ ふわぁ・・・・・
セピア色の瞳は ふたたびゆっくりと瞼の陰に隠れていった。
・・・・・すう・・・・・
程なくして 穏やかで規則正しい寝息がジャン・アルヌ−ルのベッドから聞こえてきた。
・・・・・ぷっ・・・・ くすくすくす・・・・
しばらくあっけに取られていた兄妹は 思わず顔を見合わせ吹きだしてしまった。
「 ・・なあ、お前・・・ コイツは大物になるぜ・・? 」
「 さあ、どうかしらね・・・。 先に朝ごはんにしましょう、お兄さん。 」
「 ああ。 怒ったらよけいに腹が減ったよ。 損したなあ〜
・・・・・ いいヤツを見つけたな、フランソワ−ズ・・・・ 」
「 ・・・・ うん! 」
−パタン
まだ笑いを収められない二人は それでも出来るだけそっと寝室のドアを閉めた。
ふわり・・・・
まきあがった風に煽られたエア・メイルが ゆっくりと眠りこける青年の上に舞い降りる。
− では どうぞ ゆっくりとパリ見物を!
そんな暖かい仲間の文字は・・・・ いつになったら読んでもらえるのやら・・・。
冬も近い柔らかな陽射しが カ−テンの隙間から微笑んで栗色の髪に纏わった。
今日も・・・・ パリは上天気!
***** Fin. *****
Last updated:
07,07,2004. index
***** 後書き by ばちるど *****
原作初期の二人ですから。 こんなもんかな??? 微少甘♪
時代的にもあの頃なんだ〜と思って読んでくださると嬉しいです。ちょっとクラシカルでしょ。
しかし。発熱状態でアフリカから〜なんて入国管理でひっかかりますよね!