『 蝉しぐれ 』
そのドアを抜けると ― 圧倒的な光に包まれた。
「 きゃ ・・・ 」
思わず目を瞬き バッグの中の日傘を探った その時・・・
ミンミンミン 〜〜〜〜 シャシャシャ 〜〜〜
思いがけないほどの音量が アタマの上から降ってきた。
「 ??? な なに 」
フランソワーズは思わず耳に手を当て辺りを見まわした。
あ ・・・ セミ ・・・?
そこはちょっとした廃園を模した場所で 左右には背の高い木々が揺れている。
「 すっご〜〜い ・・・ こんなに鳴いてるのって初めて ・・・ 」
亜麻色の髪を撫でてゆく風は 暑い。
白いハンカチで額を拭う。 気付かぬうちに しっとりと濡れていた。
「 ふう ・・・ えっと ここをまっすぐ ね 」
日傘を差し 足元に落ちる濃い影の中に身を縮めつつ 歩いてゆく。
平日の、それも 猛暑日 といわれる日の真昼間、 周囲に人影はみえない。
「 ・・・ ふふ ・・・ こんな日に出歩くヒトなんて いないわねえ 」
薄い笑みすら浮かべ 彼女はすたすた進んでゆく。
石作りの門柱を左右に見て 港の見える丘 を 通りすぎ
夏花が ちらちら・・・ 咲いている薔薇園をぬけてゆく。
盛夏に残る花は 暑さに喘いでいるみたいで 余計に暑苦しい感じがした。
「 ふう ・・・ 暑いこと ・・・
この国の夏って こんなに暑かったかしら 」
薔薇園を通りすぎ 川のない橋を渡ると 目的の建物がようやっと見えてきた。
神奈川近代文学館
木々の間に看板が埋もれそうになっていた。
「 ここ ね ・・・ ! 」
フランソワーズは入口へと脚を速めた。
******************
ぱたぱたぱた ・・・ たたたた ・・・
「 ね〜〜 おか〜〜しゃん ね〜〜 」
小さな手が きゅっとスカートを引っ張る。
「 はいはい なあに すぴかさん。 」
「 ね〜〜 あのね〜〜〜 おそと、いきたい! 」
「 あら 今 ごはん 食べたばかりでしょ もうちょっと大人しくしていましょ 」
「 もうちょっと 〜〜? 」
「 そうよ、今 お外で走ったら ごはんさん がびっくりしちゃう 」
「 ごはんさん? すぴかのごはんさん もういない 」
「 すぴかのポンポンの中にいますよ〜〜 」
「 やだ〜〜〜 おそと いく〜〜 」
きゅる きゅる 〜〜 スカートは千切れそうだ。
「 ほら オトナにして ・・・ ?
ね すばるはまだごはん たべているでしょ? だからしばらく待っててね 」
「 え〜〜〜 すばる〜〜〜 おそ〜〜い〜〜〜 」
「 おっと ・・・ 」
食卓に駆け寄りそうな娘を彼女はむんず、と捕まえた。
「 すばるは今 ごはん中。 すぴかさんは ご本でも読みましょうか 」
「 やだ。 おそと 」
「 今は ごほん よみましょ 」
「
や〜 や〜〜〜 ! 」
「 おかあさん が 読んであげるから ね? 」
「
や〜 おそと〜〜〜 」
すぴかは 強硬に主張する。
「 ・・・
おか〜しゃん よんれ 」
スカートの反対側が きゅ・・ っと掴まれた。
「 ? まあ すばる。 ごはん おわったの? 」
「 ん〜〜 ごほん〜〜 」
すばるがご飯をちゃんと食べ終えたか ・・・ は アヤシイけれど
フランソワーズは今どうしても 読み聞かせ がしたかった。
「 さあ ご本 よみましょ
なにがいいかな〜
きかんしゃ と〜ます かな? 」
「 ・・・ぼく ぷ〜さん 」
すばるは片手にあの黄色いクマのぬいぐるみをぶら下げている。
それはジョーのお土産で 今 彼のブームになっていて・・・
寝食を共にしている。
すぴかは 例の著名なネズミのぬいぐるみをもらったが お気に召さないのか
彼は部屋のすみっこに隠居している。
「 はいはい じゃあ クマのぷ〜さん にしましょ 」
フランソワーズは本棚から結構厚い本を取りだした。
低いソファに座ると ぴとん・・・と すばるがくっついてきた。
「 アタシも〜 アタシも〜〜 」
すぴかが ぐいぐい割り込んできて三人は団子状態だ。
ふふふ ・・・ これでいいわ
母はほくそ笑み ゆっくりと本を広げた。
「 ぇ〜〜と・・? むかしむかし といっても先週の・・・ 」
もぞもぞもぞ ぐいぐいぐい 〜〜
母の両側は ほんのひと時だって静寂は訪れない。
「 ねえ 二人とも? ちゃんと座りましょ 」
「 すわってるも〜ん 」
「 も〜ん 」
「 じゃ むじむじ動かない。 いい ? 」
「 「 は〜〜い 」」
「 ・・・ で。 えっと はちみち・・・と ぷ〜さんは 」
「 ぷ〜さん
はちみち? 僕もはちみち〜 たべたい〜〜 」
「 はちみち じゃないもん はちみつ だよっ 」
「 ぷ〜さんは はちみち ! ね おか〜さん え みる 」
「 え? ああ 挿絵のことね。 はい どうぞ。 」
母は本を大きく子供たちの前に広げた。
「 どれ どれ?? ぷ〜さん! 」
「 ほら これよ? ぷ〜さん と こぷた。 」
「 ・・・・・・ 」
「 ね カワイイわね? 仲良しさんの二人ね 」
「 これ ・・・・ ぷ〜さん ? 」
「 そうよ。 」
「 え〜〜 この ぷ〜さん
きいろじゃない〜
こんなの ぷ〜さん じゃないもん〜〜 」
すばるが ぶんぶん首を振る。
「 あら これが本当のぷ〜さんなのよ 」
「 ちがうもん! ぷ〜さん きいろいもん! ほら〜〜 」
黄色いぬいぐるみを引きずりつつ すばるはなんだか涙声になってきている。
「 あらら ・・・ ねえ これはもともとのぷ〜さん なのよ。
すばるが知ってるぷ〜さんは 後からアニメになったぷ〜さんなの。
ね この絵のぷ〜さんも ・・・ ほうら カワイイでしょう? 」
「 か〜いく ないもん 」
「 きいろじゃない〜〜〜〜 ぷ〜さん じゃない〜〜 」
「 じゃあ 絵 みないで聞いてて 」
「 う〜〜 」
「 きいろじゃない・・・ 」
母はぶつぶついう子供たちを きゅっと両側によせる。
彼女は再び 本を取り上げた。
「 それで ・・・あら すぴかもすばるも。 お話 聞きましょう? 」
ぐいぐい もぞもぞ ごん。 がさごそ ごん。
「 だあってぇ〜〜 すばるがあし〜〜 」
「 す すぴかが えいってやった〜〜 」
「 やってないもん〜〜 」
「 やったもん! 」
もう読み聞かせどころじゃない。
「 すと〜〜〜〜っぷ。 二人ともすとっぷ。
あんよはちゃんと下におろす。 静かに聞いていられないなら
お母さん ご本を読みませんよ? 」
「 い〜〜もん! ね〜〜〜 おそと! アタシ おそと いく〜〜〜〜 」
「 ぼ 僕もっ! ぷ〜さんとおそと〜〜〜 」
「 ・・・・・ 」
ぱたん。 ふか〜〜〜いため息と共に フランソワーズは本を閉じた。
「 わかりました。 お母さんはもうご本をよみません。 」
「 ね〜〜〜 おとそ〜〜〜〜 おそと〜 」
「 僕もぉ〜〜 ね〜〜 ぷ〜さん? 」
「 ・・・ 二人とも。 お帽子をかぶっていらっしゃい。
すばる ぷ〜さん はお部屋にいてもらって 」
「「 は〜〜〜い 」」
ちび達は ばたばた・・・ 子供部屋に駆けあがっていった。
ふ 〜〜〜〜 ・・・・
フランソワーズはまたため息だ。
「 子供たちと一緒に本を読む・・・って ず〜〜〜っと憧れたのに・・・
わたし、小さい頃 ママンに本を読んでもらってとても楽しかったわ。
時たま パパが読んでくれる時なんか ドキドキわくわく・・・
パパはいつだって勇ましい冒険ものを読んでくれたっけ 」
遠い 遠い 記憶が鮮明に蘇る。
「 ・・・ 子供って 読み聞かせが大好き・・・って思ってたのになあ
あ わたしの発音とか ・・・ ヘンなのかしら 」
手にしていた厚い本を そっとなでる。
この国に住んで この国の青年と一緒になり子供達に恵まれて・・・
この国にもうすっかり馴染んだ、と思っていたのに。
ふう ・・・ また 溜息が漏れてしまった。
やはり 夫も
彼の子供達も
― 外国人 なのだ 。
彼女が育った文化とは 全く無縁のヒト達なのだ ・・・
・・・ じんわり ・・・ 涙が滲む。
「 ・・・? 」
ふと。 手元の本に視線が落ち ― 訳者の名に吸い寄せられた。
あ ・・・? この方の ・・・・
確か 市のお知らせ で見た かも
「 え〜〜と たしか ・・・ 」
フランソワーズは ソファの横の雑誌用ラックを探った。
「 ・・・ あったわ! 市のお知らせ。 後でゆっくり読もうと思って
取っておいたのよ。 え〜〜と ・・・ あ あった! 」
探していた記事は
本を読む楽しみ という展示会のお知らせだった。
「 えっと ・・・ 神奈川近代文学館 あ ここならわかるわ!
近くにあるこの公園 行ったことがあるもの。 行きたいなあ ・・・ 」
その展示会は かなりの期間、開催しているらしいのだが ―
「 ・・・ チビ達は連れてゆけないし ・・・
二人でお留守番 なんてとても無理よねえ ・・・ だめ かあ ・・・
ああ でも 行ってみたいなあ ・・・ 」
またまたまた 溜息 だ。
ドタドタドタ〜〜〜 バタバタバタ 〜〜〜
「 おか〜〜さん おそと! おぼうし かぶったっ 」
「 おそと〜〜〜〜 」
チビ達がリビングに駆けこんできた。
「 はいはい ・・・ ああ ちょっと待って。
ここを片づけて ・・・ あ すばるのご飯の後も片づけなくちゃ 」
「 いく〜〜〜〜〜 おそと〜〜〜〜 」
「 行きますよ ちょっと待ってちょうだい 」
「 やだ〜〜〜〜 いく〜〜〜 」
「 いく〜〜〜 」
「 すぴかさん。 そんな大きな声じゃなくてもお母さんは聞こえます。
じゃ このご本を本箱に入れてきてちょうだい。 」
「 うん! 」
「 すばるくんは 二人のおくつを御玄関にならべて? 」
「 うん! 」
・・・ ご飯の後片付け には目をつぶった ・・・
ああ やれやれ ・・・ あ わたしも帽子、被らなくちゃ・・・
もう 日に焼けて真っ黒だわ
お母さんは 一日中ため息ばかり だ。
一日中纏わりつく子供たち。
愛しいし可愛いし タカラモノだ。 けど 時には煩わしくも感じてしまう。
ふう ・・・・ はぁ ・・・・
そんなわけで 最近フランソワーズは気がつけばため息を吐いていた。
取っておいた市のお知らせ を開いてぼ〜〜っと眺めている。
「 ねえ ぼくが見てるから。 でかけてきたら ? 」
「 ・・・え ・・・? 」
ジョーは 仕事から帰り遅い晩御飯の食卓に着いている。
「 ごめんね いつもきみだけにチビ達の世話をおしつけて ・・・・ 」
「 ジョー ・・・だって ジョーにはお仕事が 」
「 ごめん。 明日はぼくが相手してるから。 行っておいでよ 」
「 え ・・・ 」
「 ずっと行きたい催しモノがある・・・って言ってただろ? 」
「 え ・・・? 」
「 ほら ヨコハマの方でやってる、って 」
「 あ ああ・・・ ええ そうなんだけど 」
「 行っておいでよ。 気分転換になる。 きみに必要だよ。
チビ達はぼくが引き受ける 」
「 ・・・ ジョー せっかくのお休みなのに ・・・ 」
「 休みだから〜 チビ達と一緒に過ごしたいのさ 」
「 あのね 言っておくけど ― 大変よ〜〜〜 」
「 うん いいよ。 あは ぼくってすぴかとすばるとたいして変わらないからさ
三人で団子になって遊んでるよ 」
「 ・・・ ジョー・・・ 」
「 あ そうだ。 チビ達にゲデゲデになってもいいような服、
だしておいてくれる? あ〜〜 ぼく達の古着でもいいな 」
「 それなら ・・・ ジョーの古いTシャツとか わたしの緩くなった
稽古着とかあるけど 」
「 うん それでいいよ〜う あと・・・ タオルと雑巾もね 」
「 ・・・ ジョー なにするつもり? 」
「 あは もう〜〜 真っ黒になって遊ぶ!
そうだな〜〜 庭で水遊びしてもいいし〜〜 ホースでびじゃ〜〜〜♪ 」
「 うふふ・・・ 楽しそうね、 お願いします。 」
「 任せて〜 あ 最後はちゃんと一緒に風呂にはいって
ゴシゴシ洗っておくからさ 」
「 お願いしま〜〜〜す! あ 美味しいオヤツを作っておくわね。
オーツ・ビスケットとミルク・ジュレ はどう? 」
「 わっほほ〜〜〜♪ ぼくが大歓迎〜〜〜 」
ジョーは 本当に楽しそうなのだ。
・・・ ジョー ありがと ・・・
「 あの さ。 ひとつだけ お願いがあるんだけど 」
「 ? なあに。 」
「 あの〜〜 さ。 ぼくにも読んでくれる? 」
「 ? なにを 」
「 そのう ・・・ 『 クマのぷーさん
』 」
「 え〜〜〜 ジョー 読んだこと、ないの? 」
「 ぼくはアニメが先なんだ。 きみと結婚してからこの本、知ったんだ。
それに ・・・ 読み聞かせ って なんか憧れでさ 」
「 ・・・ いいわ。 よろこんで。
あ そのかわり 大人しく静かに よ? 」
「 はい、お母さん 」
「 それじゃ 」
フランソワーズは 分厚い 『 クマのプーさん 』 を取り上げ
ページを開いた。
***************
そして 盛夏をすこし 過ぎるその日の午後。
蝉がうるさいほど鳴く木々の中を通り 目的の文学館にやってきた。
目的の催し物は ― ある女流作家の生涯とその業績 である。
彼女は児童書の普及と新しい物語の創作に邁進した方なのだ。
そして また 『 くまのプーさん 』 の訳者としても
つとに著名でもある。
「 ・・・ ん〜〜〜 」
ドアの中は くるり、と水中にでも潜ったみたない涼しさだった。
明るすぎる外からは すぐに目が慣れなくてフランソワーズはしばらく
立ち止まっていたほどだ。
・・・あ? 図書館の匂い ・・・?
ちょっと懐かしいみたいな香りに誘われチケットを買い
展示スペースに入ってゆく。
ほとんど人影はなく 森閑としていた。
あら・・・。 人気の展示だと思っていたのに ・・・
まあねぇ この暑さですえもの
皆 お家にいるのかな ・・
ゆっくり見学できるわ、と彼女はワクワクしつつ歩んでゆく。
し ・・・ん と冷たい館内には 古い資料が沢山展示してあった。
黄ばんだ紙、 色あせたインクの文字 ・・
しかし そこに込められた想いには 今でもキラキラした熱が溢れている。
す ごい ・・・ !
これ ・・・ 70年以上前のものでしょう・・・?
なんて なんて 輝いているヒトなの ・・・!
古い手書きの日本語は読めなかったけれど とても優しい字体にみえた。
意味はわからないけれど それをしたためたヒトの気持ちは 感じることができる。
やがて 古い時代の絵本も展示の中にあらわれる。
あ〜 これ 読んだわ! 私も〜 こっちの絵だった〜
少し前の方にいた三人連れの、もう若くはない女性たちが声を上げている。
懐かしさに 弾んでいるのかもしれない。
じきに彼女らは 見学を終え出ていった。
カツン カツン ―
薄暗い展示室の中 フランソワ―ズの足音だけが響く。
ふと 気づくと ― 洋装の物静かな老婦人が ゆっくりと見学していた。
丸いメガネの 柔らかな笑顔が印象的だ。
あら ・・・??
なんか懐かしいファッションね
ママンがお気に入りだったスーツに
似てる・・・
また ああいうのが流行ってるのかしら
老婦人の邪魔にならないよう そっと横を通りすぎ ―
「 Bonjour ? 」
「 Bonjour Madame 」
フランソワーズは咄嗟に母国語で返事をしていた。
それほど 耳慣れたやわらかい響きだったのだ・・・
「 ああ やっぱり。 きっとフランスの方だと思っていましたわ 」
「 あら ・・・ 」
「 うふふ・・・ ほら バッグの新聞 ・・・ 」
「 あ ・・・ 」
ヨコハマ駅のキオスクでLe Mond紙を見かけ つい買っていたのだった。
「 あ ・・・ はい。 パリから来て・・・
今は こちらに住んでいます。 」
「 まあ ・・・ あら 失礼しました、マドモアゼルではなくて
マダム ですね 」
老婦人はフランソワーズの指輪に気づき にっこりしつつ詫びた。
「 あ は はい ・・・ 主人は日本人です 」
「 まあ まあ ・・・ 私たちの憧れのお国の方ですのね。 」
「 あの・・・ パリにいらしたことがおありですか? 」
「 ええ もう ・・・ 何十年も前のことですけれど ・・・
私も なんでも吸収しよう!って期待いっぱいで海を渡ったのです 」
彼女は 展示の中の < そのヒト > を振り返る。
そこはちょうど 戦後、その方が奨学生となり留学した頃の資料にあふれていた。
「 ・・・ あの 失礼ですがお若いころでしたら・・・
その・・・いろいろ 大変でしたでしょう? ご苦労なさった? 」
「 ふふふ ・・・ 今とは全然事情が違いますものねえ
でもね 若かったし情熱だけは誰にも負けない!って思ってましたから
ちっとも苦労だ、なんて思いませんでした。 」
「 ・・・ この方と同じですね 」
「 ふふふ 毎日がもうキラキラ・・・ 本当に楽しかったですわ。 」
「 ステキ ・・・ 」
「 貴女も 今 ステキな日々を送っていらっしゃるのでしょう?
愛する方がご一緒なのですもの 」
「 え ・・・ ええ ・・・・ 」
「 ・・・・? 」
老婦人は 少し首を傾げ優しい視線を送ってくれる。
フランソワーズは 初対面のヒトに思わず口が解けてしまった。
「 わたし ・・・ 子供が二人 いるのですが ・・・
わたしの国のコトバは まったくわかりません。
でも ・・・ やはり知ってほしくて ・・・ 」
「 まあ まあ お可愛いでしょう ? 」
「 それは ・・・ でも でも ・・・・
絵本とか読んであげたいのに ・・・ 走り回ったり暴れたり
わたしの言うことなんかちっとも聞いてくれないんです。 」
「 そんな年頃ですよ 」
「 でも ・・・ 『 クマのぷーさん 』 も ちが〜〜う・・・って。
プーさんは黄色なんだって 言って ・・・ 」
「 まあ うふふ・・・ 今の時代のプーさんは黄色ですわねえ ・・・
ああ そうだわ そんな活発なお子さんなら
『 いたずらきかんしゃ ちゅう ちゅう 』 は いかが? 」
「 え・・・ ごめんなさい、わたし 知らなくて・・・ 」
「 いいのよ いつの時代も男の子たちが夢中になって読んでいましたわ。
お嬢ちゃんでも 楽しいわ きっと 」
「 はい。 帰りに図書館に寄ってみます 」
「 そうね。 あなた とても優しいお声だわ
そのお声で フランス語で読んでさしあげればいかがかしら 」
「 でも・・・ 子供たちは全然わかりません 」
「 いいんですよ お母さんの優しい声は心に残りますもの
まだ お小さいのでしょう? 」
「 はい やっと三才 ・・・ 」
「 それなら大丈夫。 お母さんの声で お母さんのお国のコトバを
聞かせてもらったことは 心の中にず〜〜〜っと残ります。 」
「 そうでしょうか ・・・ まったくわからなくても 聞いてくれるでしょうか 」
「 なんだろう? って 目を輝かせて聞いてくれますよ。
それに子供の記憶力って素晴らしいですから 必ず覚えます。 」
「 え・・・ 」
「 だって赤ん坊は そうやって言葉を覚えますでしょ? 」
「 あ ・・・ そうですね! そうですよね。 」
「 ふふふ 笑顔になりましたね 」
「 え ・・・ あ ・・・ 」
「 よかったこと ・・・ お母さんの笑顔は子供にとっては太陽ですもの。 」
「 ・・・ ああ わたしったら。 ずっと顰めっ面したり
子供たちを怒ってばかりで ・・・ ダメですね 」
「 ほ〜ら そんな風に思わないで?
そんな日もあります、でも 一日一回は笑いましょうよ?
特に小さなヒト達の前では ね 」
「 はい。 あのう ・・・ 保育とかのお仕事の方ですか 」
「 私は ― 本を読む喜びを 皆に知って欲しいな って。
ず〜〜〜っと願ってきたのです。 」
「 まあ そうなんですか。 この ・・・ プーさんの訳者さんと
同じですね。 」
「 小さなヒトにも オトナにも。 本の向こう側には
とてつもなく大きな世界が広がっています。 」
「 はい ! そうですね !
プーさんの 100エーカーの森 みたいに ・・・ 」
「 そうです そうです ・・・
あなた ・・・ どうぞ お幸せに ね 」
「 ありがとうございます。 どうぞお元気で ・・・ 」
フランソワーズは その初めて会った老婦人と温かい抱擁を交わした。
お先に ・・・と会釈をし、展示室を後にした。
「 ふう ・・・ ステキな方。 展示も本当に素敵だったわ ・・・ 」
「 ありがとうございました。 」
出口では 係の女性が軽くアタマを下げた。
「 素敵な企画ですね。 とても面白かったです。 」
「 よかったです、ありがとうございました。 」
「 あ 中でちょっとおしゃべりをしてしまって・・・
煩かったですか? ごめんなさい。 」
「 ? 今の時間はお客様だけですけれど・・? 」
「 ― え ・・・ ? 」
降り返れば ― 展示室の中は ひっそりと熱い日々の軌跡が眠っているばかり。
あ ・・・? あの方 は ・・・・
ふ・・・っと 目に留まったのは 100歳を過ぎ地上を去った
あの訳者さんの写真だった。
あ。 この 笑顔 !
・・・ そうか そうなのね
大切なのは 笑顔 ― はい ありがとうございます!
忘れません。
「 教えていただいた本、借りに図書館に寄ってゆくわ。 」
フランソワーズは しゃっきりと背筋を伸ばし ふわり、と笑みを浮かべた。
シュ。 ドアが開き建物を出ると 白く熱い光が降ってきた。
カナカナカナ ・・・・・ カナカナカナ ・・・
蝉の声が彼女を取り巻く。
パチン。 日傘を広げ歩きだす ― 愛しい者たちの元へ。
カナカナカナ ・・・・・ カナカナカナ ・・・
蝉しぐれ ― 鳴く蝉は 蜩 ( ひぐらし )
今年の 暑い夏が ゆっくりと闌けてゆく
**************************** Fin. ***************************
Last updated : 08,21,2018.
index
************** ひと言 ************
先にいた三人連れ が 私達で〜す〜〜〜 (^.^)
半分 体験記 かな ・・・ ステキな展示です、
まだやっていますよ、首都圏の方 是非☆