『  かぜ  たちぬ  』

 

 

 

 

 

 

< 五月まつ 花橘の香をかげば むかしのひとの 袖の香ぞする >

 

フランソワーズが初めてその短い詩に出会った時、 季節はまさに花の五月だった。

穏やかなこの地域でも 一番心地好い季節 ・・・ 教えてくれた老博士はそんなことを言った。

しかし 彼女の心は正反対な時期だった。

毎夜 彼の < ベッド > の側で看取り続けた。 

危機的な状態はなんとか脱していたが まだとても眼を離すことはできなかった。

不安と心配と悲しみと ― 心労で眠ることもできない彼女に コズミ博士は一冊の本を貸してくれた。

「 お嬢さんや。  これはな ・・・ この国の古い・ふるい詩が集めてあるんじゃ。

 馴染みがないと思うが ヒマつぶしにいかがかな。

 なに、後ろに簡単な解説が載っておるでの ・・・ ははは 眠れるかもしれんぞ。 」

「 まあ  ありがとうございます。    こきんわかしゅう? 

 

その夜から 彼女は覚えたての日本の文字をひとつ ひとつ 拾い始めた。

そして ・・・ その詩にであった。

 

「 ・・・ これは きっと恋の詩 ね。  どんな想いでその花を眺めたのかしら・・・ 」

彼女の恋しいひとの意識は ― まだ戻らない。

 

 

 

 

 

 

 

     ・・・ ああ  ・・・ いい風だ ・・・・

 

ジョーは 窓辺でぽつり、と呟いた。

今まで窓を開けようとさんざん苦労していた。

両腕を同時に、しかも違う動きをさせるとは ― なんと難しい作業なのだろう・・・!

起き抜けなのに 彼は大汗を掻いてしまった。

  いや ・・・ その前に窓辺に辿りつくのも一苦労だった。

少しでも脚の機能回復に・・・と部屋の中をぎこちなく歩き やっとの思いで窓まで到達したのだ。

いや 歩いた というよりもなんとか脚を左右交互に動かすことができた、というレベルだろう。

そして またまた大苦心をしてやっと 窓を開けた ・・・

「 ・・・ あ  ・・・ふう〜・・・ やっかいだなあ。 おい お前? メカのくせにだらしないぞ ・・・ 」

ぱちん・・・と叩いた脚は 以前と少しも変わらない外見で 今は微かに痛みすら伝えてきた。

「 は ・・・ さすが博士だな。 よくできているじゃないか・・・ 

 でも これじゃ。 まだまだ <自分の身体> じゃないなあ・・ 」

窓枠によりかかり 一息つく。

もちろん 実際に息が上がったり動悸がしているわけはないだが ― ヒトとしての感覚の記憶が

ふと・・・そんな錯覚を起こさせる。

 

  ふわり ・・・ レースのカーテンがゆれる

 

ジョーは 滲むはずもない冷や汗を額からぬぐった。 

やっと ここまで身体が動くようになった・・・! いや、彼自身の意思が身体のすみずみにまで

到達するようになったのだ。

額に張り付く髪を払い、襟元をすこし緩める。

 

     は ・・・ !  冷や汗の感覚までちゃんと残っているんだな・・・

     ま、そのおかげで この風を気持ちいい、と感じられるわけだから

     感謝しなくちゃいけないのかもしれないなあ・・・

 

不快な汗の感触を 風が持ち去ってくれた。

いま駆け抜けた風の行き先を追えば ちらほらと色づきはじめた裏山がみえる。

 

     ああ  ほんとうにいい風だな。 

     うん・・・?  ・・・ もう ・・・ 秋なんだ・・・

 

今年は春の初めしか記憶にない。 季節の巡りにすら 気を回している余裕はない日々だった。

そう ・・・ あの少女と連れ立って箱根に行ったのは春もまだ浅い時期だった。

あの夜、鬱蒼と茂る木々の中で 少女の息遣いがはっきりと聞こえた。

彼女は  ―  泣いていた。  勝気な瞳をしていたあの子は 泣いていた・・・

大きな満月の夜だった。   少女の淡い髪が 月の光を集め煌いていたっけ・・・

・・・ クシュン・・・! 小さなクシャミが聞こえた・・・

 

     夜はまだ冷えるね ・・・ 僕のジャケットを羽織たまえ

 

     ・・・ありがとう ・・・ ジョー・・・

 

そんな会話を交わした。  あれはやっと春の息吹を感じ始めた頃だ・・・

ひっそりと微笑んでいたあの娘 ― 麦藁色の髪をしたあの娘は いま 地下に眠っている。

太陽が 緑のそよ風がほしい・・・と言っていたのに・・・

 

     ・・・・ ヘレン ・・・ 忘れないよ・・・ 決して

 

ジョーの記憶に残っている <季節> は そこで止まっている。

  ― そして。  闇と炎の果て 音の無い無限の世界から  ・・・ 彼は還ってきた。

そのあと、ながい長い時間をかけて なんとか < 人間 > の形に戻った。

 

やっと周りを  空を 海を 大地を 見回すことが出来たとき、自然は豊かな実りの季節を迎えていた。

 

   時間 ( とき ) が 過ぎてゆく  ― 

 

 

     ・・・ ああ   生きて・・・いるんだ・・・

     ぼくは 生きている・・・!

 

 

日に日に高く、澄んだ青をみせてゆく空に 彼は手を翳す。

ツクリモノ、とはわかっていても、意のままに動き 今、流れる清明な風を感じるこの手が愛しい。

ジョーは 全ての巡り合せに ただただ感謝していた。

 

     生きている ・・・ 生きて ・・・いるんだ・・・

 

 

頬に受ける風に 光に  耳に届く潮騒の音に 木々の葉擦れの音に ― 自分を取り巻く全てに

彼は感動し 全身で生命の熱さを感じていた。

いま ジョーはやっとぎこちなく <新しい身体> を使い始めている。

 

  

    コンコン ・・・・ 

 

形ばかりの小さなノックが聞こえ、返事をする間もなくドアが開いた。

「 お早う ジョー ・・・? 起きてる〜〜 ?  」

   ― カチャン・・・カチン カチン ・・・

フランソワーズが ワゴンを押して入ってきた。

「 ・・・ やあ ・・・ お早う フラン。 

「 ?  あら?!  ジョー・・・! え・・・ まあ! そこまで一人で歩いていったの? 」

「 え ・・・ う〜ん ・・・歩いてっていうよりも 右足と左足を必死で交互に動かした・・ってカンジかな。 」

「 やだ  ジョーったら!  一人で歩けるのね!  すごいわ! 」

彼女は戸口にワゴンを放り出し、窓辺に駆け寄ってきた。

ジョーの目は そのしなやかな脚の動きに、そして揺れる髪に ― 満面の笑みに 釘付けだ。

 

     ナンテ キレイナンダ ・・・!

 

「 ・・・ フラン ・・・ 」

「 よかった! よかったわね!  博士も喜ばれるわ! 」

「 あは・・・ そうだと嬉しいけど。 やっとなんとかここまで辿りついたのさ。

 笑っちゃうだろ? 博士が苦心して治してくださったこの身体なのに・・・

 窓ひとつ開けるのも大変でさ、 手を左右ばらばらに動かすって物凄く難しいよ。 」

「 まあ・・・! 窓も開けたのね、すごい・・・  」

「 うう〜ん・・・ まだ全然巧く使えないんだ。  我ながらいやになるよなあ。

 メカのパーツはむしろ前よりバージョン・アップしているのに ね。 」

ジョーは両手をひろげ 一本一本、指を開いてゆく。

「 ジョー・・・ メカ・・・・なんて言わないで。  あなたの身体は・・・ 」

「 いいんだよ、フラン。  うん、たとえ機械がほとんどでも。 

 ぼくは 生きている。  こうして芳しい秋の空気を吸って・・・ 生きているんだもの。 

 感謝してる・・・ 本当に・・・ 

「 ・・・ そう ・・・ そうよね・・・!  ジョーは ・・・ 生きているのよ。

 こうして ここに ・・・ 還ってきたのよ・・・! 」

寄り添ってきた細い身体は 小刻みに震えている。

「 うん。  あ・・・ きみが泣くこと、ないだろう? ほら・・・ 」

ジョーは 手を伸ばしフランソワーズの頬をつたう涙を掬いとった。

「 ・・・ や ・・だ・・・ もう、 ジョーってば・・・ 」

彼女は俯いて エプロンの端で目尻を拭った。

「 ・・・ ね? 本当に調子はいいの?  どんな具合? 痛みとかはないの。

 ああ いけない!  お薬を持ってきたの。 朝御飯の後に忘れずに飲んでね。 」

彼女はぱたぱたワゴンのところに駆けもどると 銀の小さなプレートにいくつかの錠剤を出した。

「 薬 かあ・・・ ふうん? メカにもねえ・・・ 」

「 ジョー。 博士が何回も仰っているわねよ?

 わたし達 ・・・ ロボットじゃないわ。 生身と ・・・ そうじゃない部分の<折り合い>が

 一番重要なのよ。 わたし達 ・・・<生きて>いるのですもの。

 でもね、まずは基本になる生身の部分を健康にしなくちゃ。 」

「 ・・・ ああ そうだね。  ぼくなんか脳の部分だけみたいだけど・・・ 」

「 ジョー。 あなたは ・・・ 人間でしょ。 メカじゃないわ。 」

「 うん ・・・ そうだね。 ヒトの頭脳でこの身体を巧く使ってゆかなくちゃな。

 今は ・・・ なんていうかなあ・・・新車を慣らす、みたいな感覚かな。 」

「 あのね、わたしも昔 怪我をした後って・・・ 感覚を合せるのに苦労したわ。

 身体は以前の感覚をなかなか忘れないのよ。  」

「 ふうん ・・・ そんな時、きみはどうしていた? 」

「 ・・・ そうねえ・・・ もう使ってゆくしかなかったわね。 そのうち段々慣れてゆくの。 」

「 そうか。  ウン・・・ まずはリハビリか。 」

「 そうよ。  そのためにも・・・ほら、朝御飯! 

 頑張って和食にしたのよ?  ジョーの好きな <卵焼き> ! オムレツじゃなくて。

 全部食べてね?  まずは力をつけないと・・・ 」

「 うん ・・・ ありがとう フラン。  よ・・・し。 ベッドまでまた戻るからな〜〜 」

「 あ・・・ 待って! わたしに掴まって・・・ 」

「 ・・・ 一人で歩かせてくれ。  <使ってゆくしかない> って きみ、言っただろう? 」

「 ええ。  それじゃ ・・・ わたしは朝御飯を調えておくわね。 でも・・・大丈夫? 」

「 ああ。 なにも掴まらずに一人で歩いてみる。 」

ジョーは窓枠を背に ゆっくりと向きを変えた。

「 そう? それじゃ・・・わたし、ちょっと博士にご報告してくるわ。

 ジョーが 一人で歩けます、って。  」

「 うん、頼むね。  ぼくももうちょっと頑張ってみるから、さ。 」

「 ええ! それじゃ・・・ 戻ってきてからコーヒーを淹れなおすわね。 

 あ・・・お味噌汁も暖めなおしたほうがいい? 」

「 いや・・・ これでいいよ。 ありがとう フラン。 」

「 ん ・・・ 」

見つめ合い 微笑合って フランソワーズは博士の書斎に飛んでいった。

「 ・・・ さて と。 ぼくはもうちょっと 苦労してみるかな。 」

ジョーは 寄り掛かっていた窓枠から身体を離した。

「 ・・・っ!  おい? 新米のメカ君たち・・・ 行くぞ。 」

 

 

 

 

「 博士? 入ってもいいですか? 

コンコンコン ・・・  小さなノックが立て続けにドアにはじけた。

「 ? フランソワーズ?  開いておるよ・・・ どうしたのかね? 」

朝の早い博士は もうとっくに朝のさんぽと食事をすませ、 モニターの前でデータを検証していた。

「 はい!  あの! ジョーが 」

「 ジョーが? アイツ、どうかしたのか。 」

博士は真顔で振り向くと 腰を浮かせた。

「 あ・・・いえ!  どうもしません、あの ・・・ 一人で歩けるよ・・・って。 」

「 ああ? ・・・ おお そうか! それは よかったのう・・・ さすがじゃなあ 

 うん、はやり若いモンは回復の度合いが違うわい。 」

「 え・・・ ぁ  若い ・・?  」

「 それで ヤツはどうじゃった、なにか不具合な箇所はないようじゃったか? 」

「 ・・・ あ は はい・・・ 苦戦だなあ〜って 新車を慣らすみたいだ・・・って・・・ 」

「 あはは・・・ヤツらしい比喩じゃの。  うん、そうだなあ・・・ 新しいパーツをどこまで

 自分自身の <身体> として馴染ませるか、が今後の課題じゃな。

 こればっかりはワシもバック・アップしようがない。  本人の努力が全て・・・じゃ。 」

「 馴染ませる・・・ですか。  あの ・・・ ね 年齢・・・って・・・

 わたしたちでも関係がある・・・のですか。 」

「 そりゃ 大有りじゃよ。 若ければ若いほど、新しいモノには順応し易い。

 ほれ、 外国にゆくとコドモがまっさきに現地の言葉を覚えるのと同じじゃよ。 」

「 ・・・ 若ければ若いほど・・・ 」

「 アイツはまだ二十歳前、じゃから・・・ 新しい身体への適応も早い。 

 しかしな、フラン。  お前の看病があってこそ、じゃよ。 本当にありがとうよ・・・

 長い間 よく ・・・ 頑張ってくれたなあ・・・・ 」

「 え ・・・ いえ ・・・・ 」

白い頬が淡く染まる。  大きな瞳がしっとりと潤い、目尻には涙さえ滲ませている。

温かい涙に彩られた微笑は なんと美しいことだろう。

 

      なんとまあ ・・・ この娘 ( こ ) はキレイになったことよ・・・

      ・・・ ふふん ・・・ 恋の魔法に優るもの、ナシだな。

 

博士は目を細め、愛娘にも等しい存在をこころから可愛いと思った。

「 フランソワーズ 。  ・・・お前の気持ち、 アイツもわかっていると思うぞ。 

 いや アイツの方が先に お前を想っていたなあ・・・ 」

「 ・・・ え ・・・?  先に・・・って・・・? 」

「 アイツを迎えてから とういことさ。  ジョーはいつでもお前を見ていたぞ。 

 気がつかなかったのかい。 

「 え ・・・ だって わたしは。  こんなおばあちゃんだし・・・ 」

「 なにを言っておるのかね。  ・・・ なあ フラン ・・・ 」 

博士は立ち上がり 彼女の側に行くと肩に手を置いた。

「 わしにこんなことを言う資格なんぞないが ・・・ 幸せになっておくれ。

 お前も ジョーも ・・・ああ、 お前たち 皆、 な。 

「 ・・・・・・ 

「 ジョーは いいヤツだ。  ワシは彼の直向きさ ・・・ 人間性を信頼しておるよ。 」

「 ・・・ はい。 ジョーは ・・・ 誠実なひとだと思います。

 あの ・・・ 博士。 先ほど仰いましたよね  若いほど回復力が早いって。 

 あれは ・・・そのう・・・一般的な意味じゃなくてわたし達にも当てはまるのですか。 」

「 うん?  おお そうじゃよ。 

 < 若い > とは肉体的な意味もあるが ・・・ 脳の若さ、という観点もある。

 柔軟な思考の持ち主は いつまでも瑞々しい活力を保てるさ。

 お前たちは ロボットじゃない。 脳は立派な人間じゃ。 」

「 ・・・ それじゃ ・・・ ジョーは ちゃんと18歳 なんですのね。 」

「 ああ そうじゃよ。 アイツは まだヒヨっこの 輝ける18歳さ。 」

「 ・・・ そう  ですか。 」

「 ふむ、一人で歩き始めた、と言ったな。 それでは薬の処方を変えるかな。 

 ちょっとまっていておくれ。 すぐに用意するからの。 」

「 はい・・・・ 」

博士はばたばたと地下のメンテナンス・ルームへ降りていった。

フランソワーズは すとん・・・とソファの腰を降ろした。

全身から たった今までも弾んだ気持ちが すう〜っと抜けてゆく・・・ 

 

     若さ ・・・ 瑞々しい活力 ・・・

     そう  よね・・・  彼はまだ とても若いの

     そう ・・・とても とても若いのよ。

 

     ・・・ わたし は  ・・・

     いくら見た目は若くても  <19歳の女の子> でも

     ・・・ わたし は   本当のわたし  は ・・・

 

     ジョー ・・・!  好き よ 愛してる ・・・

     でも   でも ・・・!

 

     ジョー・・・ あなたに ・・・ わたしは ・・・ 

     ・・・ ふ さわしく  な い ・・・

 

「 ・・・ふふふ ・・・  本当に哀しい時って。

 涙も零れてくれないのね ・・・ あ ・・ これが 若くない っていうこと? 」

ドアの向こうから博士の足音が聞こえてきた。

フランソワーズは ぷるん、とアタマを振り しゃんと背筋を伸ばす。

「 ・・・ しっかりするのよ、フランソワーズ。

 せめて ジョーにとって <役に立つ存在> で いなくちゃ・・・  ね ・・・ 」

淡い 淡い 微笑みが彼女の唇に 瞳に 浮かんで ― す・・・っと消えた。

「 ほい・・・! 待たせたな。  今朝からはこれをジョーに飲ませてやっておくれ。 

 朝と晩 3錠づつじゃ。  本人に渡してもな、どうせ忘れるに決まっておる、

 フランソワーズ、すまんがしっかり管理を頼むぞ。 」

「 はい 博士   早速今朝から飲んでもらいますね。 確かにお預かりしました。 それじゃ・・・ 」

彼女は薬のビンを受け取ると 静かに書斎を出ていった。

「 ・・・??  なんだ?  なにかあったのかなあ? 妙な笑顔じゃったが・・・ 

 いつもの 元気なフランソワーズ じゃないなあ ・・・ ?? 」

天才科学者も 恋する乙女の気持ちには とんと疎く、どこぞの朴念仁と大差はないと見える。

 

 

 

 

 

   コツ ・・・ ザ ・・・ コツ ・・・・ ザザ  コッ ・・・!

 

二階の一室では ジョーが文字通り 大汗を掻いていた。

まず左脚を軸に重心を置き、 右脚を浮かせ前に移動させる。  そして 次に重心を右に移す。

 そして また次に ―  右 ・・・ 左。   右 ・・・ 左 ・・・ 右 ・・・・!

彼は単調な動作に 全神経を集中させた。

 

「 ・・・ ジョー?  あ ごめんなさい・・・ 」

そっとドアが開いてフランソワーズが半分顔を覗かせた。

「 フラン?  いいよ、入ってくれ。 それで ・・・ そのワゴンのトコに立っていてくれるかな。 」

「 ええ ・・・ いいけど。  あ、 あぶない ! 」

がくん、と膝を折ったジョーに フランソワーズは慌てて駆け寄った。

「 いい ・・・ 手を出さないでくれ。 ぼくは 一人でそこまで歩くんだ。 

 きみは そっちでまっていてほしい。 」

「 ・・・ わかったわ。 」

フランソワーズは そっと彼の側を離れベッド・サイドに戻った。

 

ジョーは ゆっくりと立ち上がる。 まずは重心を両脚にしっかりと乗せる。

  ― そして。  また 右  左    右  左 ・・・ の繰り返しだ。

 

      よし・・・ 動け・・・! そうだ ・・・ よし。

      あと10歩くらいだ。  それで彼女の側に行き着く。

 

      そうしたら ― きりっと背筋を伸ばして立つ。

      そして あの白い手を取って。  あの碧い瞳を真っ直ぐに見て。

 

      言うんだ  ― !

 

         キミガスキデス  ケッコンシテクダサイ

  

       ずっと 見てたんだ ずっと 憧れて ずっと ・・・ 好きで・・・!

 

       ・・・ あと  5歩・・・・! あと 3歩・・・!  あと・・・1歩!!

 

 

 

あの日 ― 炎となってこの地に落ちてきた。

大気圏に突入し燃え盛る我が身を感じ 意識が薄れていった。 

   もう・・・これでいい、と思った

しかし最後の瞬間に ちらり・・・となぜか 碧い星 が見えた。

・・・ ああ あの瞳と同じだ ・・・ あの コ の ・・・

そして   ― 還りたい ― と思った ・・・ が すぐに全てわからなくなった。

 

 

次に目覚めた時 ・・・ 驚きと喜びはすぐに苦痛に変わった。  それからの日々は 地獄 だった。

少しづつ すこしづつ 全身の感覚のもどってゆくもどかしさ。 そしてひりひりと痛む剥き出しの神経・・・

長い長い間、 メンテナンス・ルームの保護ケースの中に浮遊していた。

永遠に続くか・・・と思える時間、ふと・・・気が付くといつもあの瞳が側に居た。

始めは 感じた だけだ。  なにかが側にいる・・・と。 そして 瞳をみつけ 次第に色が見えてきた。

いつも その瞳はジョーの側に いた。

 

      あ   あの ・・・星だ・・・! あの碧い星 ・・・

      ・・・ ちがう。 これは彼女の瞳 ・・・!

 

保護ケースから出られる前に ジョーの気持ちは固まっていた。

もう一度 生まれ直し、空気中に戻れたとき、彼の決心はさらに強固なものになった。

 

      フランソワーズ。  結婚しよう。

      いや ・・・

      ぼくと結婚してください フランソワーズ ・・・!

 

彼は幾度となくアタマの中でその言葉を繰り返し、恐ろしく単調な日々を耐えていた。

 

人々が花に浮かれる春も 降り続く梅雨も 灼熱の夏も ― 気づかぬうちに過ぎていった。

そして今。  やっと一人で 己の足で 立ち、歩けるまでになった。

   ― 気がつけば 涼風が研究所周辺を吹きぬける季節が巡ってきた。

 

 

     ズ ・・・ コトリ。  ズ・・・・ コト ・・・

 

ジョーはゆっくりとフランソワーズの元へ歩んでゆく。

 

 

     は ・・・ ! これって。 ヴァージン・ロードを進む花嫁じゃないか・・・

     ははは ・・・立場が逆だね フラン・・・

     ・・・ これじゃ かなりカッコ悪いよなあ・・・ 

     でも いいんだ。

     ぼくは 這ってでも自分の力できみの側までゆく。

     そして そこに居る。  ああ  一生 きみの側に ・・・いる!

 

     ・・・ コト ・・・!   やっと着いた。

 

「 わあ すごい。 随分スムーズに歩けるようになったわね! 凄いわ、ジョー ! 」

ワゴンの上に 心尽くしの朝食をひろげ彼女は満面の笑みでジョーを迎えてくれた。

「 さあ 召し上がれ。 ふふふ・・・ お口に合うと嬉しいんだけど・・・自信、ないわぁ

 やっぱりねえ 和食は難しいのよ。 

「 フラン・・・ 」

無邪気に喜ぶ彼女の手を ジョーは両手でしっかりと握った。

「 あら なあに? 」

「 聞いてほしいことがあるんだ。 いや お願い、だな。

  それで ・・・ うん、 と言ってくれるかな。 」

「 ?? なんのこと? 」

「 あ ・・ うん。  あの ― 」

「 ・・・・・ 

なぜか 彼女は  ― 滲むように微笑み ・・・

 

 

 

     ジョーは。  彼女から  Oui   の返事を貰うことができなかった。

 

 

 

 

この季節 夜にはギルモア邸の中天にそれはみごとな星の河が流れる。

空気が清明な時期でもあるので 所謂七夕の頃よりもくっきりとその流れを眺めることができるのだ。

ジョーは 夜になるとテラスに佇むことが多くなった。

 

     フラン ・・・・ どうして ・・・?

 

あの日以来、彼女の態度は少しも変わらない。

甲斐甲斐しく ジョーの日常生活に手を貸してくれ、この邸をしっかりと切り盛りしている。

話しかければ普通に応えるし、前をとくに変わった態度はみえない。

少なくとも 彼女はジョーのことを嫌ったり 避けたり・・はしていないのだ。

 

 ― しかし

 

彼女は彼の真摯な願いに 哀しい微笑みで首を横に振った ・・・

ごめんなさい ・・・ いくら問うても返って来る応えは その言葉だけなのだ。

 

     なにが気に喰わないのかなあ ・・・

     やっぱりぼくじゃ・・・頼りなくて、物足りないのか

 

     そりゃ 確かに年下だし ミッションの経験も足りないけど

     ・・・ あ

     それとも  他に誰か ・・・ 好きなヒト、いるのかなあ・・・

 

彼女の笑顔が眩しくて 彼女の声が愛しくて ジョーはますます引っ込んでしまう。

どうして ・・・。 なぜ。  理由だけでも聞かせてくれるかい。

彼はその言葉を 口元で飲み下してしまっていた。

 

「 ほう・・・ 秋の天の川もなかなか素晴しいものじゃなあ・・・ 」

「 博士 ・・・ 」

のんびりした声と一緒にギルモア博士もテラスに出てきた。

夏も過ぎつつあるが 博士は相変わらず浴衣にウチワ、である。

「 ふうん・・・ 夜はもう蒸すこともないなあ・・・  空気があんなに澄んでおる。 星が見事じゃ。 」

「 あ・・・ そうですねえ。  」

「 うむ この国に季節はどれも素晴しいがワシは秋が一番好きじゃな。

 こう・・・な、いろいろあって、それを乗越え豊かな実りの時を迎える・・・

 そんな季節が ゆったりと過ぎてゆく・・・ いいものじゃな・・・ 」

「 ・・ はあ ・・・ 」

「 まあなあ お前たち若いものには ピンとこんじゃろうけれどなあ・・・

 ワシの年になると やはりこの穏やかな季節が嬉しいのじゃ。

 そして 潮が引くように少しづつ 少しづつ・・・ 衰えてゆくのも いいもんじゃなあ。 」

「 ・・・ 博士?? なにを・・・ 」

「 ははは・・・ これは自然の理 ( ことわり ) ワシもいつかは 舞台から退く、ということさ。 」

「 ・・・・・・ 」

「 ジョー。  お前 なにかあったのか。 」

「 ・・・ え? 」

「 いや 最近溜息ばかりついとるからなあ、お前。 身体の調子は問題ないと見えるが。

  ― フランソワーズと喧嘩でもしたのかね。 」

「 え?! な ・・・ なんでそんなこと・・・! 彼女と喧嘩なんて そんな! 」

「 ほう? そうか。  それでは お前のその溜息合戦の原因はなにかね。 

 お前・・・最近 彼女の後ろ姿を見ては 溜息ばかりついておるじゃないか。 」

「 ・・・ そ そうです ・・・ ね。 

「 ふん・・・ まあ 悩み多き青春・・・ってことかの。 

 まあ 余計な口出しはしたくないが ― ジョーよ? 彼女の気持ち、わかってやれ。 」

「 ・・・ え!?  き 気持ちって・・・ 」

ジョーの耳には < 彼女が ・ 承諾してくれない ・ 気持ち > と聞こえた・・・・らしい。

「 ・・・や  やっぱり・・・!   博士はご存知なんですか! 」

「 ご存知もなにも・・・ 気がついておらんのは ジョー、肝心のお前だけじゃろうよ!

 他の皆もなあ・・・ 彼女の必死の気持ちを感じてイライラしておるよ! 」

「 ・・・ イライラ?!  ・・・ そんな ・・・ ぼくは ・・・ 」

「 ふん。 いい若いモンが だらしない。 

 あんな素晴しい娘 ( こ ) の気持ち、 しっかり受け止めてやれんでどこがオトコじゃ!

 しっかりしろ ジョー。 」

「 ・・・ 受け止める ・・・って  ・・・ 」

 

     ぼくに身を退け・・・ってことなのか・・・!?

     ・・・ ぼくは ・・・ ぼくは・・・・

     彼女を あ 諦める なんて ・・・でき・・・ない ・・・!

 

ジョーは 涼しい夜風に吹かれているのにくらくらと眩暈までしてしまった。

自分だけが 気がつかなかった、というのか・・・

ずっと ずっと・・・好意を持っていた女性から 実は・・・ 嫌われていたの・・・か・・・?

つつつ・・・と 背中に冷たい汗がながれ落ちる。

ジョーは 思考も身体もかちこちになり、呆然とテラスに佇むだけだ。

「 な〜にをぼ〜〜っとしておる?  お前・・・オトコならケジメをつけろ。

 ああ そうじゃそうじゃ お前に頼みがあったんじゃ。 」

「 ・・・ は ・・・い ? 」

「 うん、実はなあ コズミ君からの依頼なんじゃが。 一度訪ねていってくれんか。

 まあ リハビリも兼ねて ちょいと頼まれてくれんかの。 」

「 ・・・ はあ  なんでしょう。 ぼくにできることならんでも・・・ 」

「 来週でよいよ、お前の脚がもう少し持ち主の指令どおりに動くようになってからで な。 」

「 わかりました。  コズミ先生のお宅も ちゃんと修復されたそうですね・・・

 フランが教えてくれましたけど。 」

「 ああ。 相変わらず気楽な一人住いをしておるよ、彼は・・・

 フランソワーズが時々な、 お邪魔しているよ。 和食とか日本の生活習慣など教わっているらしい。

 ・・・ なあ?  あんないい娘はそうそうおらんぞ? 

「 え  ええ。  そうですね・・・ 」

 

     やっぱり ・・・ ぼくなんかには高嶺の花 なんだ・・・

     出自もはっきりしない 孤児なんかには・・・

     

ジョーの思考は全てが マイナーへ マイナーへと傾斜していってしまう。

再び 彼の口から溜息だけが漏れ始めた。

「 ジョー? それでは 頼んだぞ。  じゃあな、お休み。  」

「 あ はい ・・・ お休みなさい、博士。 」

ジョーはまだテラスに佇んだまま 博士が寝室に引き上げるのを見送った。

溜息まじりに また空を見上げれば  星たちの饒舌なまでの瞬きがあまりに眩しい・・・

逸らせた視線は ふらふらとテラスの並びを彷徨ってゆく。

・・・ 角には彼女の部屋が ある。

 

     もう ・・・ 寝ちゃったのかな・・・・

     一緒に 星空を見ようよ ・・・ なんて誘いたかった・・・

     いろんなこと、話したかったのに。

 

     ・・・ どうしても どうしても ・・・ ぼくじゃ だめ なのかなあ・・・

 

未練気に もう一回だけフランソワーズの部屋を眺め、やっとテラスを離れた。

  ・・・ ジョーは 知らない。

揺れるレースのカーテンの向こうで やはり彼女が溜息に埋もれていることを・・・

 

 

 

 

 

「 ・・・ え ・・・ あの 旅行、ですか。 」

ジョーは思わず 声を上げて聞き返してしまった。

「 まあ ・・・ 旅行? 」

ほぼ同時に 隣でフランソワーズも小さな驚きの声を上げていた。

「 ほっほ・・・・ そうじゃよ。  うん、旅行 といってもなあ、普通の物見遊山ではない。

 実地調査、とでも言えるかのう。 ちょいと飛鳥の地まで脚を伸ばしてほしいのじゃ。 」

「 はあ・・・ 」

「 ・・・ あすか・・? まあ! 」

白髭の好々爺は そんな二人を目を細めてながめ うんうん・・・と頷くばかり。

 

週明け、ジョーはギルモア博士の言いつけどおり、 コズミ邸を訪ねていた。

 

 

「 一人で行けますよ。  車でゆくから・・・平気だってば。 安心してほしいなあ。 」

「 ジョー ・・・! 待って・・・わたしも行きます! 」

その朝、ジョーが仕度を終え、車のキーを手にしたところに フランソワーズが階段を駆け下りてきた。

「 え・・・ これは博士の用事なんだ、大丈夫 一人で行ってくるよ。 」

「 でも ・・・ まだ完全ではないでしょう?  運転するのは ・・・そのう、・・・久し振りだし。 」

「 つい目と鼻の先だし、この辺りは交通量も少ないから。 ほんとうに一人で平気だってば。 」

「 ジョー  フランソワーズも一緒に乗せていってやってくれ。

 彼女もな コズミ君に用事があるのじゃよ。 送ってやっておくれ。」

「 博士 ・・・ はい、わかりました。  それじゃ行って来ます。 」

「 おお 気をつけてな。  コズミ君に宜しく・・・ 」

「 はい。 行ってまいります 博士。 」

なぜか満面の笑みを浮かべたギルモア博士を後に、 ジョーは車を出した。

 

「 ジョー ・・・ このまま行って大丈夫よ。  対向車は来ないわ。 」

「 あ ありがとう。  フラン、ナビはしなくてもいいよ。 この辺は空いているからね。 」

「 ええ ・・・ でも 運転、久しぶりでしょう? 」

「 うん。  いいリハビリだと思って頑張るから。  きみもコズミ邸に用があるのかい。 」

「 ええ。 わたし、ずっとね コズミ先生に、物語を教えていただいているの。 」

「 も 物語???  コズミ博士に、かい?  博士の専門は ・・・ ギルモア博士と同じ 

 サイボーグ工学のはずだよね? 」

「 ええ そうなんだけど。  あのね、物語っていっても古い古い物語なの。

 この国の ・・・ ジョーの国の 昔の人々が残した歌の物語。 」

「 昔の歌???  ・・・・ あ ああ  もしかして和歌とか短歌とか・・・ かな。 」

「 ええ。  ずっとずっと古い日本の言葉ばっかりだから・・・ふふふ さすがの自動翻訳機も

 役にたたないのよ。  でもね ・・・とっても素敵なの。  恋の歌がね 多いのよ。 」

「 ・・・ もしかして。  万葉集 とか そんな類かな。 」

「 ええ そう・・・なんか集・・・よ。  ジョー、知っているでしょ。 」

「 あは・・・ 学校でちょこっと習ったけど ・・・ もう忘れちゃったよ。

 へえ ・・・ コズミ先生はその方面にもお詳しいのか。 」

「 そうなの。 それでね・・・ こう・・・古い紙にね、すらすらすら〜〜って書いてある字の本を

 見せてくださって・・・ 勿論全然読めないわ。

 でもね  そこには素敵な恋の歌がた・・・っくさん載っているの。 

 ・・・ ほら これをテキストにしているのよ。 」

フランソワーズは そうっとうすい冊子を取り出した。

「 もちろん、複製なんだけど。  ねえ・・・ こんな優しい本って 初めて見たわ、わたし。 」

彼女はすこしぼわぼわしている表紙を 大事そうに撫でる。

ジョーも 見たことがないわけではない。  しかし実際に手に取ったことはなかった。

「 ふうん ・・・ ぼくも教わりたいなあ。 日本人だけど全然知らないもの。 」

「 あら そうなの? 日本人は皆知っているのかと思っていたわ。 

 いいわ、一緒に教えて頂きましょうよ。

 ・・・ あのね ・・・ 千年も前でも 恋人たちの想いって 同じなのよ。 

「 同じ? 」

「 そう。  わたし達とちっとも変わらないの。 ふふふ・・・どきどきしたりがっかりしたり。

 想いを込めて告げて・・・ 古い古い本の中は熱い想いでいっぱいなの。 」

 

     あ・・・ なんだか楽しそうだなあ ・・・

     ・・・ やっぱり ・・・ 誰か好きなヤツがいるのか・・・

     それで ・・・ 恋の歌に共感しているんだね

 

彼女の白い手が眩しい ・・・ 

「 ふうん ・・・ ああ もうそこを曲がれば着くよ。 」

ジョーはわざと素っ気なく話しを切り、視線を前方に戻した。

「 あ・・・ ちょっと待って! ・・・ はい、 おっけー。  そのまま直進して。 」

「 了解。 」

ジョーの車は滑らかにコズミ邸の中に乗り入れた。   

 

 

 

  それで結局 ― ジョーとフランソワーズは飛鳥の地に旅立った。

「 ジョー君 それでは先方の教授の指示を仰いでくれたまえ。

 なに、彼には詳しく話してあるでの、大丈夫じゃよ。 

 君 ・・・ 考古学とか興味、あるのじゃろう? 」

「 え ・・・ええ  まあ・・・ ただの素人の好奇心ですけど・・・ 」

「 よいよい・・・好奇心、 それが全ての出発点じゃよ。 」

「 ・・・ はあ ・・・ 」

「 フランソワーズ君? 君のお気に入りの歌の地を よく見てくるといい。 」

「 はい ・・・! ちょっと季節が違いますけど、でもすごく楽しみです。 」

「 うむうむ・・・ まあ 二人で楽しんでおいで。

 フランソワーズ君は当然じゃが ・・・ ジョー君? 君も古都など初めてなのではないかな。 」

「 はい。  修学旅行で行ったけど・・・騒いでいた記憶しかなくて。 」

「 ふぉふぉふぉ・・・・ そんなもんじゃ、コドモはなあ・・・ 

 ま ・・・ 二人とも、ちょいと気分転換してきなさい。 」

「 気分転換 ですか?? 」

「 そうじゃよ。  そうすればな いろいろ・・・・ 違った局面が見えてくる。

 別の考えもみつかるかもしれんしなあ。  ま、なんでもいい、ともかくな ぼ〜〜っとしておいで。 

 アタマの中を真っ白にすれば  ちがった風も通ってゆくじゃろう・・・ 」

「 ・・・ は はあ ・・・・ 」

「 風 ・・・ですか ・・・ 」

なにがなんだかよく判らないうちに 二人は出発した。

 

 

 

 

 

その駅を降りると ― なにもなかった。 

いや ・・・ ただ 空と何処までも続く野があるだけだった。

「 ・・・ ここ・・・? 」

「 え ・・・ うん。  ちょっと待ってて・・・ 」

さすがのジョーも 不安になり駅の案内図を眺めたりしている。

「 ・・・ ここ・・・? 」

「 え〜と・・・・ あ、こっちだ! 駅の反対側から回るみたいだよ。 」

「 そうなの?   ジョー、その荷物、持つわ。 」

「 なに言ってるんだよ、大丈夫さ。  きみのバッグ、持つから・・・かしてくれ。 」

「 ・・・あ  ・・・ もう。 強情っぱりなんだから・・・・! 」

「 強情っぱりってなんだよ、強情っぱりって。  ぼくは当たり前のことをしているだけだ。

 オンナノコに重い荷物、持たせてられるかよ。 」

「 だって ジョー。 あなた、まだリハビリ中の・・・病人、いえ・・・怪我人でしょう? 」

「 リハビリってのは。 怪我が治ったあとにするんだぜ? 

 ってことは ぼくはもう <怪我人> なんかじゃないよ。  行くよ! 」

「 あ・・・ 待って・・・  もう 〜〜 

ジョーは両手に荷物を持つと すたすたと歩いて行ってしまった。

フランソワーズも 本気で腹をたてつつ彼を追った。

 

秋の日は高く、 穏やかに道路を、その両側に広がる平野を照らしている。

ついこの前まで 始終聞こえていた蝉の声はもうどこからも響いてこない。

静かで それでいて とても満ち足りた空気が ほわ・・・・・っと天にむかって満ちていた。

 

「 ・・・ ここが ・・・ 飛鳥の地 なのね。 」

「 飛鳥地方っていっても この辺りはかなり外れだからなあ。  

 きみが憧れている <昔の物語> の舞台とはちがうと思うよ。 」

「 ジョーってば。 今日は意地悪ばっかり言うのね。 」

「 意地悪なんかじゃないよ。 史実に沿った助言をしているだけさ、パリジェンヌさん。 」

「 ・・・ もう・・・!  いいの、わたしはこのムードを感じてみたかっただけですもの。

 ・・・ 夏草が枯れていい匂いだわ ・・・ 」

「 ふん・・・ オンナノコって。 なんでもかんでもロマンチックに仕立てあげるんだな。 」

飛鳥の野を歩きつつ 二人は軽口ばかり叩いていた。

ジョーはわざと素っ気なく振る舞い、 フランソワーズも拗ねたり怒ったり・・・してみせていた。

 

      だって・・・ ここ・・・ 黙って歩いていたら ・・・

      

 

      ・・・ ここは ・・・ 静かすぎるよ。

 

 

      空も風も 草も木も ・・・ 優しすぎるわ・・・!

 

 

      ダメだ・・・なにか他のことを喋っていないと ・・・ ぼくの口が勝手に

 

 

      ・・・ そんな眼で見ないで・・・・ ああ 言葉が勝手に零れだしてしまうわ!

 

 

               好きだ( よ ) ・・・って。

 

 

二人の歩みは だんだんとゆっくりになり ― ついに止まった。

前後には延々白い道が伸び 左右には秋の陽に照らされた野原が広がっている。

「 ・・・ フランソワーズ 」

「 ジョー ・・・ 」

「 あの ・・・ この前のこと なんだけど ・・・ 」

「 ・・・ え?  ・・・あ! ジョー・・・・ お薬! お薬、飲んだ? 朝の分よ! 」

「 え・・・ あ ・・・ああ ・・・。 忘れてた ・・ かもしれない。 」

「 やっぱり!  服用処方は正確に守ってください。 ね・・・今飲んで。 」

「 え  こ ここでかい?? 」

「 ええ。 わたしのバッグの中にお水のペット・ボトルが入っているわ。 

 ここ ・・・ ほら、 ちょうど草が枯れてて・・・座れそうよ? 」

フランソワーズは歩いてきた道を逸れると どんどん野原の中に進んでいった。

「 あ・・・ おい、待てよ! 」

ジョーも慌てて 夏草の枯れ枯れを掻き分けついてゆく。

「 フラン?? どこだ〜 ・・・ 

「 こっちよ。  その先・・・左。  ね? ちょうど座れるくらいよ。 」

「 ・・・ あ こっちか。  うん・・・? ああそうだねえ。  あ! ちょっと待ってくれ・・・

 この枯れ草を敷けば・・・ きみの服も汚れないだろ。 」

「 まあ ありがとう、ジョー・・・  荷物、持っているから。 」

「 うん ・・・ ありがと。  ああ この辺りでいいなあ〜 よし・・・ 」

ジョーは枯れた夏草を倒し 少しばかりの空間を作った。

二人で座り込めば ― 微かに肩が触れる。

ジョーは 慌てて身をずらしたが ・・・ 側の木に当たってしまった。

「 ・・・  いてッ !  この樹 ・・・ チビのくせに棘がある〜〜〜 」

「 気をつけて・・・! もっとこっちに寄っていいのよ?

  ・・・あら。 これ。 柑橘系の樹じゃないかしら? 

 ほら・・・葉っぱがウチの夏みかんに似てるわ。 」

「 ふうん?  でもこの季節じゃなあ ・・・ 実が生っていてもまだ青いはずさ。 」

「 ええ ・・・ 実は ・・・ついてないわ。 まだ若い樹みたい。 

 あ・・・もしかして  花橘 って こんなののことかしら。 

「 ・・・ はなたちばな??  なんだい、それ。 」

「 ええ あのね。 コズミ先生に最初に習った歌 ― 短歌なの 」

 

      五月まつ 花橘の香をかげば むかしのひとの 袖の香ぞする

 

ちょっと不思議な抑揚で フランソワーズが日本の古いうたを暗唱した。

「 ・・・ あ  聞いたこと あるかもしれない。 」

「 そう??  ・・・ 素敵な歌 ・・・ 過ぎた恋の歌に思えるの。 」

「 ・・・ 過ぎた恋? 」

「 ええ ― 」

それきり フランソワーズは口を閉じてしまった。

ジョーも あえて問いかけない。

 

       サワサワサワ  −−−−− ・・・・

 

透明な風が 夏草の名残を揺らし 夏の香りを持ち去ってゆく。

二つの色違いのアタマは いつしか寄り添ったまま・・・前に垂れていた。

 

 

 

「 ・・・ ありがとう。  最後に逢えて ・・・ 嬉しいわ。 」

「 媛様  ・・・! 」

「 我侭ばかり言ってごめんなさい。  ありがとう・・・ ずっと今まで側にいてくれて。 」

「 ・・・ ・・・ 」

「 貴方との思い出があるから・・・わたくしはこれからも生きてゆけます。

 ありがとう・・・! どうか 幸せに ・・・ 」

「 媛・・・ 翡翠媛さま ・・・ ! 」

「 最後に ・・・ もうひとつだけ。 わたくしの望みをきいてくれますか。 」

「 ・・・ 何なりと ・・ 媛様。 」

「 手を ・・・ 引いていってください。  幼い日 ・・・ いつでもそうしてくれたように・・・ 」

「 ・・・・ ・・・・ 

「 わたくしは 貴方の ・・・ 手に導かれて宮へ輿入れいたします。 」

「 媛 ・・・ さま  」

「 さあ ・・・ 手を ・・・引いて ください。 」

「 ・・・ は。 」

 

 

     ぼくは ・・・ ! 意気地なしだ・・・! 

     彼女を浚って逃げる勇気すら ・・・ない・・・!

 

 

     わたしは・・・ ! 最低なオンナだわ・・・

     家を捨て全てを捨てて 彼についてゆく勇気すら ない・・・

 

 

「 ・・・ 丈 ・・・ 橘の樹ですわ。  この花 幼い頃、よく集めてくれましたね。

 今 これを ・・・ 貴方に。 」

翡翠媛、と呼ばれた女性は摘み取った花にそっと唇を寄せた。

「 せめて・・・ この花があなたの側にいてくれますように・・・ 」

「 ・・・ 媛さま・・・ ! 」

従う青年は 膝を折り両手で小さな白い花を押し戴いた。 

 

     さようなら ・・・  愛して ・・・ いたわ ・・・

 

     ・・・ 愛していました  ・・・ さようなら ・・・

 

青年の掌の中から 凄烈な香りが立ち昇った。

 

 

 

 

      ― ・・・ カクン ・・・! 

 

     「「 ・・・ な ・・・?? なんだ ( なの ) ???  」」

 

セピアと亜麻色のアタマが 同時に起き上がった。

「 ・・・あ?? あれ・・・・ 」

「 ・・・ あら ・・・いやだわ、わたし 居眠り・・・? 」

「 みたいだね。 あんまり気持ちがよくて。 ・・・ 夢まで見ちゃったよ。 」

「 え・・・ あ あの・・・ わたしも・・・ 」

「 ・・・ フラン、きみが ・・・いた ・・・ あれは きみ だ。 」

「 ジョー あなたが いたわ ・・・ あなた だわ、あのひと・・・ 

 同じ夢を 見ていたのかしら。  あ ・・・ ジョー。 この樹、小さな実が生っているわ。 」

「 ・・・ 花橘・・・かい。 

 フランソワーズ!  ぼくは  きみが好きなんだ。 きみに嫌われようとも きみが好きだ! 」

「 ・・・ ジョー・・・ 

 わたし ・・・ わたし、とんだおばあちゃんだけど ・・・ けど・・・・ 

 お願い、 ワガママを聞いてくれる? 

「 なに。 」

「 ジョー ・・・・ !  愛してる!! ・・・ どうしても どうしても・・・よ! 」

「 ・・・・・・・ 」

ジョーは黙って ― いや、なにも言えずに ― 彼の愛しいひとを抱き締めた。

 

 

  ひゅるり ・・・・ 秋の風が千年より昔の都の空を駆け抜ける・・・

風はいつだって 人々の想いを運んでくれるのだ。

 

 

       かぜ が 吹いた     あたらしい時間 ( とき ) が 今 はじまる    

 

 

 

 

 

***********************      Fin.    *********************

 

 

Last updated : 08,17,2010.                                index

 

 

***********   ひと言  *********

あんまり暑いので・・・早く爽やかな季節が来ますように・・・・と願って??

『 9月の雨 』 『  彼岸花 』 系列の < もうひとつの島村さんち > です。

今回は ジョー君がなんとかかんとかプロポーズに おっけ〜 をもらえるまで。

一応 平ゼロ設定 ですが 双子ちゃんたちがいる <島村さんち> とは

また 別の二人のお話です。

タイトルは ず〜〜〜〜っと前に 使っているので 今回は平仮名で逃げました(^_^;)

・・・ ジョー君? あの詩は 万葉集 じゃないよ・・・