『 雨のおとが聞こえる 』
§ 兄 と 妹
昨日から ずっと雨が続いている。
少女は曇った窓ガラスを ぼんやりと見あげた。
「 ・・・ 雨 ・・・ 止まないわねえ・・・・ 」
つつ・・・っとガラスに指を走らせれば 水滴がガラスを伝って落ちるだけ。
ガラスの向こうはやっぱり白っぽい灰色で覆われたままだ。
「 ・・・ つまんないの ・・・ 」
彼女は窓際で頬杖をつき 濁った空を見上げた。
「 これじゃなんにも見えないもん ・・・ 」
・・・ ふうう ・・・ さっきから何十回目かの溜息がガラスに当たって散らばってゆく。
「 つまんな〜〜い・・・ 今日はおけいこの日じゃないし。 雨だから公園にも行けないし 」
少女は部屋の中を振り返る。
先ほどまで広げていた針仕事もきっちり終らせて、明日の用意 ― お気に入りのレオタードと
タイツにタオル、そしてシューズもきちんとバッグに仕舞ってある。
「 ふ〜ん・・だ ポアントのリボンも縫いつけたし ・・・ あ♪ ちょっとだけ履いてみようかしら。 」
少女はサテン地の袋から ポアントを取り出すとそうっと履いて丁寧にリボンを結んだ。
「 ・・・・ 絨毯が傷つくからだめ・・・ってママンがいうから ナイショよ?
え・・・っと。 この前習ったステップはねえ・・・ 」
トン ・・・ ! 軽い足取りで 少女はゆっくりと踊り始めた。
軽くメロディを口ずさみ 髪につけた白いリボンを揺らし ・・・ 少女は雨の精なのかもしれない。
ふんふんふん ・・・・
どんよりした気分は消え少女は踊りに夢中になってゆく。
雨降りの陰気は部屋は たちまち雨の精が舞う虹色の空間にかわった。
雨・・・? ええ そうね わたしは雨の精なの ほら ほら ほら・・・
「 ― みつけた。 」
いきなりドアのところから声が飛んできた。
「 ? あ 〜〜〜 お兄ちゃん!! 」
雨の精 はぱっと消え 妹は兄にとびついた。
「 おかえりなさ〜〜〜い ♪ 」
「 ・・・ 見たぞ? おい、ママンから部屋ではソレ、履くなって言われてるだろ。 」
「 ソレ、じゃないわ。 ポアントっていうの! 」
「 名前なんてどうだっていい。 ソレ、 やめとけ。 」
「 だって〜〜 退屈なんだもん。 雨だからな〜んにもできないし。 」
「 だからって部屋の中で踊るなってば。 ほらほら・・・ママンに見つかったら 」
「 ― わかったわよ。 ねえ ねえ お兄ちゃん〜 トランプ、しない? 」
「 やだ。 俺、忙しいんだ。 リセアン ( 高校生 ) に小学生の相手なんかしてるヒマ、ない。 」
「 ふ〜〜んだ。 意地悪〜〜〜 」
「 ああ 俺、意地悪なんだ。 知らなかったのか〜? 」
「 もう〜〜〜 お兄ちゃんってば〜〜 」
「 ファンション? ジャンも帰っているのでしょう? 」
兄妹ケンカの中に母の声が飛んできた。
「「 ・・・あ ・・・ 」」
兄と妹は 顔を見合わせている。
「 ― ファンション? ジャン? 聞こえていないの? 」
リビングへのスウィング・ドアが開いて 母が顔を出した。
「 は〜い ママン? 」
「 ああ よかったわ。 ねえ マルシェ ( 市場 ) までお使い、お願い。 」
「 ・・・え ・・・ だって雨なのよ? 」
「 知ってますよ。 だからお願い。 パパのために温かい晩御飯、
用意しておきましょう? 春になったけど、まだまだ寒いし・・・・ 」
「 あ ! そうね。 パパ、お仕事で帰りも遅いんですものね。
ねえねえ ママン〜〜 アタシ、 ブイヤベースがいいわ〜 」
「 この時間ではもう無理よ。 あれは一日以上、煮込まないとね・・・
今からだったら骨付きチキンが使えるわ。 でも急いでほしいの。 」
母はメモ書きを息子に渡した。
「 わかったよ、ママン。 ほら、ファン、 仕度してこい〜 出かけるぞ。 」
ジャンは妹の足元をさり気無く隠してやった。
「 あ ・・う うん ! ちょっと待っててね、 お兄ちゃん! 」
「 ああ 早くしろ。 そ〜っと行けよ? ナイショでその靴、履いてるんだろ? 」
「 うん! 」
妹はぱっと身を翻し駆け出し ― カンカンカン ・・・!
硬い靴音が派手に響き渡る。
( いらぬ注 : ポアント、つまりトウシューズは爪先部分がカチカチに固めてあります )
「 ・・・あちゃ・・・・ 」
「 ふふふ・・・ いいのよ、ジャン。 ファンション、淋しそうだったし・・・
可愛い雨の精だったわよ? 」
「 ママン ・・・ 見てたの? だって絨毯が傷つくんだろ? 」
「 ええ ・・・ まあたまにはいいわよ。 あの子、本当に踊るのが好きなのね。 」
「 うん。 」
「 お兄ちゃあ〜ん!? アタシ、もうとっくにお玄関にいますけど? 」
玄関から妹の甲高い声が聞こえてきた。
「 ・・・ あ〜〜 もう・・・ ! それじゃ イッテキマス。 」
「 はい、お願いね。 」
バタバタバタ ・・・・ 兄は玄関へと急ぎ やがて二つの足音が出ていった。
「 やれやれ ・・・ ほんとうにいつまでたっても賑やかねえ・・・ あら? なにかしら ・・・ 」
子供たちがいなくなったリビングは 俄かに静まりかえった。
ふと ・・・ なにか密やかな音に気づきマダム・アルヌールは耳を澄ませた。
「 ・・・ ああ。 雨の音がきこえる のね ・・・ 」
§ 茶髪の少年 と 茶色毛の犬
昨日から ずっと雨が降り続いている。
「 ・・・ まあ 今日も雨なのね ・・・ お洗濯ものがちっとも乾かないわ 」
003は灰色の空を見上げてぼやいている。
「 うむ ・・・ この時期はなあ。 寒さが本格的になる前の雨、というところかの。 」
ギルモア博士も本から顔をあげ 細かく煙る雨空を眺めた。
「 この国って雨期があるのですか? 」
「 う〜む、雨期 というほど明確ではないが ・・・ 春の菜種梅雨 夏前の梅雨・・・
そんな風な名前が付いている時期があるそうだ。 」
「 素敵な名前ですね。 ・・・ でも〜〜 もうすぐ冬になるっていうのに ・・・ 」
もう一度 003はうんざりした顔で空をみている。
「 ははは ・・・ まあ 洗濯モノは乾燥機に任せるんだな。
おおそうじゃ! 新型の乾燥機を開発しよう! うむ、それがいい。 」
ちょっと研究室へ・・・と博士はそそくさとリビングを出ていってしまった。
「 あら ・・・・ 博士ってばすぐに夢中になってしまうんだから・・・ でも ・・・ 」
彼女はまたもや空を見上げる。
「 乾燥機は そりゃ嬉しいけど。 でも お洗濯モノはやっぱりお日様に干したいの。
ぱりっと乾いてお日様の匂いがするのが いいんだもの。 」
ふうう ・・・・ 彼女の灰色の吐息がガラスをますます曇らせれる。
ワンワンワン 〜〜〜 あははは ・・・ キュウ〜〜ン ・・・
えらく賑やかな音が雨の向こうから響いてきた。
「 ・・・? 009? ・・・ 犬? クビクロかしら!!?
帰ってきたの?? まさか いえ、そうならいいのだけれど・・・
でもどっちにしろお雑巾とボロ布は用意しておいた方がいいみたいね。 」
彼女は肩をすくめると 納戸へと出ていった。
― 003の予想はぴたり、と当たっていた。
「 ただいまあ〜〜 ねえねえ〜素敵なお客さんなんだ〜 」
ほどなくして、009が帰ってきた。 スニーカーはぐじゅぐじゅ、ジーンズは下から
変色し、マフラーもジャンパーも そして 髪からも盛大に雫が垂れている。
「 あら・・・ まあ〜〜 濡れ鼠じゃないのオ〜〜 ほらほらタオル! 」
003は玄関に飛んでゆき、009にぽ〜んとタオルを投げた。
ゥワン ・・・!!!
玄関のタタキで 雑種の成犬がひと声吼えた。
「 ・・・・? あら・・・ もしかして・・・ クビクロ・・・? 」
「「 ワン! アタリ ! 」」
主従が一緒に吼え・答え た。
パタパタパタ 〜〜〜 !!
茶色毛の犬が盛大に尻尾を振り 003を見つめている。
キュウ〜〜〜ン ・・・・ 甘ったれた鳴き声をたてるのだが
自分自身が濡れていることがわかっているのだろうか・・・ 飛びついてこない。
「 まあ・・・! クビクロ〜〜 お前、どこに行ってたの?? 」
「 そうなんだ! 国道の向こうで見つけてね、 ずっとウチに向かって歩いてたんだ
帰ってきたんだよ〜〜〜 なあ クビクロ〜〜 」
009はものすごく嬉しそうに とんとん・・・と相棒のアタマを軽く叩く。
「 クゥ〜〜〜〜ン ・・・・ 」
ごめんなさい、という眼差しでクビクロは彼の主人を見上げ 小さく鳴いた。
「 ウン 怒ってなんかいないさ。 けど・・・ もう勝手にいなくなるなよな?
あ・・・ 003、悪いだけど ・・・ 」
「 はいはい、ゴハンでしょ? え〜と ・・・その前にミルクがいいかしら? 」
「 あ〜 そうだよね。 コイツ、犬のくせにミルク好きだものなあ。 ・・・ 頼める? 」
「 勿論よ。 あ ・・・ そうだわ、ちょうどね、煮込み用に牛筋を買ってあるわ。
あれをあげましょうね。 」
「 わあ〜〜 よかったなあ、クビクロ〜〜 じゃあ ゴハンの前にちょっとキレイに
してやるよ。 さ ・・・ 来いよ。 」
「 ゥワン! 」
ぱたぱた尻尾を振り 彼は彼の主人の後を追ってテラスへと出ていった。
「 ふふふ ・・・ あ ジョーォ? お湯、 いるのじゃないの? 」
「 あ・・・ウン。 身体、拭いてやりたいんだけど・・・ 」
「 お風呂の残り湯、使えるわよ? どうぞ。 あと ボロ布〜〜 」
「 ありがとう! 」
底冷えのする冬の日、その日の晩御飯は牛肉の煮込み。
岬の家の家族は ― 久々に帰ってきた番犬も含め 美味しい晩御飯でお腹の底から
温まったのだった。
「 ・・・ ほう? クビクロはなんだか精悍な面構えになったのう? 」
博士も相好を崩し ぽん、と彼の茶色毛に手を当てる。
「 そうですか? もう・・・どこで何をやっていたんだろう・・・・ ホントに! 」
「 まあ 犬もな、人間と同じでふらり、と旅に出てみたくなるのじゃろう。
おや? ・・・ これは火傷の痕ではないか? 」
博士の手が止まり、犬の毛皮を分けてそっとなでている。
「 え・・・ 火傷? お前 どこかで火事にでも遭ったのか? 薬、塗って ・・・ 」
「 いや もうこれは完全に治っておるよ。 動物の怪我はすぐに治るからな。
まあ 今夜は彼からゆっくり諸国漫遊の記でも聞くといい。 」
博士の冗談口に 009は生真面目な顔で頷いた。
「 はい。 なあ クビクロ。 明日の朝はまた一緒に海岸を走ろうぜ? 」
「 あら ・・・ まだ雨が残っているかも、よ?
それに最近 なんだか物騒な事件が続くから・・・ 気をつけてね。 」
「 あ そうだねえ。 貨車やらトラックが襲われているよね。 新聞にも随分載ってた・・・ 」
「 うむ・・・ 犯人は皆目わからんそうだ。 一体なにが狙いなのかのう。 」
「 そうですよね、ぼくも気になるので見回りをしているんです。 」
「 まあ そうだったの? ・・・ 本当に気をつけてね。 」
「 またまた〜 ホントにきみは心配性だなあ〜 003。
クビクロと一緒なら大丈夫さ。 な? 」
「 ・・・ ウワン! 」
「 ふふふ・・・ そう? それじゃ クビクロ、009をお願いね? 」
「 クゥ〜〜〜ン ・・・・ 」
・・・・え? お前 なんでそんなに哀しい瞳をしているの?
003は クビクロの深い淋しい瞳にチリリ・・・と胸が痛んだ。
「 じゃあ 今晩は早く寝るよ。 明日の朝は海岸で日の出・・・は無理かな。
でもちょっとくらいな雨なら平気だよな〜〜 走ろうぜ! 」
「 ・・ゥワン ! 」
茶色毛の主従は ふざけあう仔犬同士みたいな様子で寝室に引き上げていった。
ふふふ ・・・ 楽しそうねえ・・・
あ・・・でも明日は朝から雪になりそうって天気予報で言っていたし・・・
古いタオルを出しておきましょうか・・・
003もほっこり温かい気持ちになっていた。
この雨は明日には雪に変わるだろう。 雪の中 ・・・ 少年と犬は。
・・ それまではしばし しばし優しい時間を・・・
「 うん? ああ 雨の音が聞こえる わね 」
§ 彼氏 と 彼女
昨日から ずっと雨が降り続いている。
古ぼけたアパートの一室 ― 最低限の家具しか置いてないので余計に寒々とした雰囲気だ。
― その片隅で
「 ・・・・ そっち、スプリングが当たるだろ? もっとこっちこい ・・・ 」
「 うん ・・・ ありがと、 アルベルト ・・・ 」
「 ほら ちゃんと毛布 掛けろ・・・ 」
「 ・・・ん 大丈夫・・・ こうしていれば ・・・うんとあったかいわ・・・ 」
「 ・・・ ばァか・・・ 」
彼女は もぞもぞとリネンの海を移動して彼氏の腕の中にすっぽりと収まった。
― ギシ ・・・・ 古い寝台のスプリングが大きく軋む。
「 んふ ・・・ 私って・・・最高に贅沢な女かも ・・・ 」
彼女は彼氏の腕に頬を寄せ 満足気に目を閉じる。
「 贅沢? なんでだ? この部屋には満足な暖房もないだぞ? 」
「 うふふふ・・・暖房なんてそんなケチ臭いこと、どうでもいいわ。
私はねえ? ・・・ 天才ピアニスト・アルベルト・ハインリヒの腕を枕にして黄金の指と
戯れているのよ・・・ ね? 手に負えない贅沢モノでしょう? 」
「 ・・・ ふふん ・・・ このォ〜〜 」
長くしなやかな指が つつつ・・・っと彼女の白い肌を手繰る。
「 ・・・ きゃ ・・・ あああ ん ・・・・ 」
「 俺こそ最高の贅沢をしてるさ ・・・ お前とこうして・・・ ヒルダ ・・・ 」
「 んんん ・・・・ もう ・・・・ あ ・・・? ねえ なにか音がするわ? 」
「 ― 音? 」
「 ええ。 とん とん とん・・・って ・・・ 」
「 ? ・・・ 別に聞こえないぞ? まだ雨漏りはしないはずだしな ・・・ 」
「 え ・・・でも 聞こえるの ほら ・・・ 小さな音だけど・・・ 」
「 聞こえな ・・・ あ。 わかった 雨じゃない。 」
「 それじゃ 何の音? 」
「 ふふ ・・・ 」
くしゃり、と長い指が彼女の褐色の髪を梳る。
「 お前がこんなトコにいるから聞こえるのさ ・・・ 俺の心臓の音 だろ 」
「 あ ・・・ ふふふ ・・・そっか・・・ いい音ね♪ 」
「 ま な。 とっとと動いてくれてなくちゃ困るからな。 」
「 ・・・・・・・ 」
彼女はしばらくそのまま黙って彼氏の胸に頬を寄せていた。
とん とん とん ・・・
凍て付く部屋に 密やかな音だけが聞こえる。
「 ・・・ ねえ。 明日も 雨かしら 」
「 ああ らしいな
・・・ なに、心配はいらないさ。 きっとうまくゆく。 」
「 あら。 心配なんかしていないわよ?
私が気にしているのは 傘を持っていったほうがいいかなあ?ってことよ。 」
「 ふ ん。 <現地>まではクルマで御案内、だからな 傘は不要だ。 」
「 あ ・・・ふふふ そうだったわね。
それじゃ・・・ 私は足を濡らすこともなく <現地> に到着、というわけね。 」
「 当然さ。 まあ 〜 最高級車・・・って訳にはゆかないが。
ベンツでなくちゃいやだ、なんて言うなよ? 」
「 ふふ〜〜ん ♪ どうしようかしら? さっきも言ったでしょう?
私は贅沢な女なのよ ・・・ 」
「 おい。 」
「 なァ〜んて〜 う ・ そ♪ アナタと一緒ならなんだっていいの、アルベルト。 」
「 ・・・ 俺もさ。 雨上がりの空を眺めるのは ―
西 だ。 」
「
そう そうね ! 次の雨の日には やっぱりこうやって一緒に雨の音、ききたいわ。
― 自由の地で ・・・! 」
「 ああ。 ・・・さあ もう寝よう。 明日は ― ちょいとばかり強行軍だから。 」
「 そうね。 お休みなさい ・・・ アルベルト。 」
「 お休み ヒルダ・・・ 」
二人は故郷での最後の眠りにゆっくりと入っていった。
案の定 次の日になっても雨は止まない。 灰色の空が重くのしかかる。
夕方には雨足はひどくなる一方だ。
「 ・・・ アルベルト ! 」
人混みに紛れて彼女が駆け寄ってきた。 ごく普通の恰好だ。
「 ― ヒルダ! 」
「 ・・・ そんな顔、しないで。 これは私の一生の望みなんだから。
アナタと自由な空の下、愛し合うの。 それは ― 明日の予定 なの。 」
「 そうだな。 ・・・・ 俺の手帖にもしっかり記入済み、さ。 」
「 でしょ? ― じゃ。 のちほど。 」
「 ああ。 ヒルダ? 」
「 はい? ・・・あ ・・・・ んん ・・・・ こら。 キスの続きは 」
「 ・・・ ふふん、 のちほど だろ。 」
「 キス♪ 」
彼女は投げキスをすると トラックの荷台に消えた。
・・・ 雨はますます激しくなっていた。 彼氏は慎重にクルマを発車させた ・・・
単調なエンジンの音だけが耳にとどく。
― トラックは一旦停止した。 雨の音に混じって会話が聞こえる。
「 ・・・ 検問所 ね ・・・ 」
彼女は顔を強張らせた。 積荷の陰で小刻みな震えをとめることができない。
やがて トラックはゆっくりと発進し ― 彼女はほっと一息ついた が。
ギュウ −−−− ン ッ !!! 急発進した。
キ ・・・! キキキ −−−−− キュルキュル 〜〜〜 !!
車体は左右に激しくゆれ合間に銃撃の音が追ってきた。
「 !? な ・・・ バレたの?? アルベルト !!
ぐ ぅ ・・・っ!
激しいショックは初めだけ あとは ― なにかが身体を焼きつくしてゆく のみ。
― ・・・・ ! ・・・・・ ア アルベ ル ・・・ ト ・・・・
もう痛みは感じなかった。 彼女は次第に薄れてゆく意識の中で あの音だけを聞いていた。
不思議と安らいだ気持ちだった ・・・ そう 今は 彼の腕のなか なんだわ ・・・
「 ・・・ ねえ ・・・あなた
雨の 音が き こ え る わ ・・・・ 」
§
お父さん と お母さん
昨日から ずっと雨が降り続いている。
「 もう〜〜・・・ 一体 いつになったら止むのかしら! お洗濯ものはすっきり乾かないし
家中じめじめしているし ・・・ ちょっと油断しているとすぐにカビが発生するし! 」
バン ・・・! キッチンのドアを閉めてフランソワーズはぶつぶつと言いどおしだ。
この極東の島国に暮らすようになって数年が経つが 未だにこの季節は苦手だ。
― ふうう ・・・・ 溜息が灰色の空へと昇ってゆく
「 ・・・6月 か。 ああ パリならば最高に素敵な季節なのに ・・・
薔薇が咲いて ジャスミンが香って ・・・ 街中がウキウキするのよね 」
彼女はそっと目を閉じて懐かしい故郷の街へと、懐かしいあの日々へと 想いをとばす。
「 そうよ、その年初めての半袖を着て、明るいお日様に腕をさらすの。
ファンション? お帽子を被らなければだめよ? って ママンの口癖だった ・・・
街に ・・・ 公園に 明るい光が満ちて ― ほら・・・教会の鐘が聞こえるわ?
きっとまた結婚式ね? そうよ、この季節は花嫁さんを一番キレイにみせるから。 」
ほう ・・・っと懐かしい吐息が漏れる ・・・
「 それでもって 素敵な彼氏を腕を組んで街を歩くわ。
そうよ〜 たとえ雨が降ってもね、軽い雨なのよ。
明るい色のレイン・コートにお揃いのレイン・ブーツ♪ 二人で一緒の傘に入って・・・
腕組んでお散歩よ。 雨の中のお散歩も素敵よね、いつもよりくっつけるし♪
傘の中で こそ・・・っとキス キス キス♪ なぁんて〜〜 ♪ 」
― けど。 今はどう・・・? こんなジメジメの中で ・・・!
洗濯物とゴハンの心配してるなんて ・・・
ぼすん。 洗濯籠を蹴飛ばしてしまった。 山盛りの衣類が ・・・ 崩れた。
「 ・・・ あ! ・・・ もう〜〜〜〜 ! 」
零れ落ちた汚れ物を拾い ついでにぽいぽいと洗濯機に放り込んだ。
それに。
夢は勿論 バレリーナ だったけど。 それと同じくらいにず〜〜っと憧れていた。
え? なにに・・・って。
素敵な結婚をして可愛いお家をもって。 愛する夫と可愛い子供たちに囲まれて。
そう、 女の子の夢はいつだって素敵な奥さんに優しいママンになること。
「 ふう ・・・ そうよねえ・・・ 雪みたいなマリエを来て 6月の花嫁になって・・・
( あ・・・ そういえば5月だったけど・・・・ ) 旦那様に子供が二人・・・
確かにちっちゃなファンションの夢は ― 適った・・・ってことよね。 」
そうなのだ。 彼女は <理想の未来> をちゃんと手に入れた ― はずなだけど。
― けど。
「 毎日毎日 朝から 雨! 子供たちは毎日げでげでになった帰ってくるし!
ちょっと油断していたらパンに黴が生えてしまったし! お家の中も湿気っぽいし!
・・・・ もう〜〜〜 ・・・ なんだってこんなトコで暮さなくちゃならないのっ 」
ぶつぶつぶつ・・・のつもりが ついつい高声を上げてしまった・・・
「 ― ただいま〜〜 ? どうか したかい? 」
リビングのドアが開き、彼女のご亭主が暢気な顔をして入ってきた。
― あ。 ・・・・ 聞こえちゃったかしら・・・
「 あ あら お帰りなさい、ジョー。 早かったのね? 」
ヤバ・・・と思いつつ、そこは短くはない結婚生活の知恵で彼女は満面の笑みで応える。
「 ウン ・・・ たまにはゆっくりしたいし・・・チビ達とも遊びたいしさ。 」
「 まあまあ ・・・ もうすぐ帰ってくるから 相手してやってね。 喜ぶわ〜 」
・・・ ふうん? わたしとゆっくり・・・はしたくないわけ?
なんだかどんどん気持ちが捻じ曲がってゆく・・・わかってはいるのだが、
自分自身を止めることができない。
「 ウン。 ねえ? さっきなにか言ってたかい? 」
「 え? ・・・いえ ・・・ あ〜〜 よく降るなあ〜って言っただけよ。 」
「 なんだ そうか〜 ふふふ 本当によく降るねえ・・・
あ・・・ ねえねえ? ちょっと来てごらんよ。 」
彼女のご亭主は相変わらずのほほん・・・とした笑顔全開である。
・・・ この笑顔 ・・・ ヨワいのねえ わたし・・・
「 なあに? あ! サッシの隅から雨漏りでもしている?? 」
「 え? ああ そうじゃないよ、サッシはなんともない。
ねえ ほら? 見てごらん ? 」
「 ・・・・・ ( なんだっていうのよ・・・忙しいのよね、わたし ) なあに 」
「 ほら こっち。 ここに来てごらんってば。 」
彼はにこにこしつつも 熱心に彼女を手招きしている。
「 ・・・・? 」
笑顔を保つのにかなり努力をしつつ・・・ 彼女は夫の側まで行った。
「 なあに? なにがあるの。 」
「 いや・・・ べつになんいもないけどさ・・・
ほら ・・・ ねえ 見てごらんよ? 海に降る雨って素敵だねぇ 」
「 .え。 ( だからそれが・・・! ) 」
爆発寸前・・・と思ったのだが。
灰色の海に そめそめと雨の細い束が吸い込まれてゆく ・・・
あ? ・・・・ あ あらら・・・?
・・・ なんだか ・・・ 気持ちがすう〜っとしてきた・・・かも・・・
「 な? なかなか いい眺めだろう? 」
「 ・・・ ええ ええ そう ね・・・ 」
ことん ・・・と彼女は夫の肩に頭を預けた。
「 ふふふ・・・ 自然ってすごいよね。 なんかさ いろんなこと、呑み込んでくれる ・・・ 」
「 ええ ええ ・・・ ごめんなさい ・・・ 」
「 ? なにが。 」
「 ・・・ ううん ちょっと ね。 ふふふ・・・ ジョーがいてくれて・・・ よかった・・・ 」
「 ?? 可笑しなフランだなあ 」
「 いいの。 ・・・ あ。 ウチの台風がお帰りのようよ? 」
「 え。 ああ ・・・ 」
ジョーは一瞬怪訝な顔をしたが すぐに にま・・っと笑った。
ほどなくして ―
ただいまあ〜〜〜 お母さん〜〜 おかあさ〜〜ん ただいま〜
ねえねえ お母さん アタシってば 雨なの〜〜
お母さん〜〜 僕、 雨〜〜〜
甲高い声と一緒に しめっぽいカタマリが飛び込んできた。
「 はい はい お帰りなさい、二人とも。 」
「 お帰り〜 すぴか お帰り すばる。 」
「「 わあ〜〜 お父さんっ!! 」」
子供たちは しめっぽい服のままジョーに飛びついた。
「 あ らら・・・ お父さんの服が ・・・ 」
「 いいよ いいよ。 ぼくだって湿っぽいからね。 」
子供たちはジョーに抱きついたり窓辺で飛んだり撥ねたり・・・大はしゃぎである。
ねえ ねえ お父さん お母さん アタシ雨なの〜〜
僕も〜〜 あめ あめ〜〜〜
ね! ぴったん ぽったん ぴったん ぱったん
「 あは ・・元気だねえ 二人とも。 じゃ お父さんと一緒に温室に行こう! 」
「「 おんしつ? 」」
「 そうさ。 温室で今晩のオカズに使う野菜、採ってこようよ。 」
「「 うわ〜〜い♪ 」」
「 ・・・ ジョー ・・・ 」
「 ウルサイのは引き受けるから。 美味しいメシを頼む♪ 」
彼女の夫は両腕に子供たちをぶらさげつつ ・・・ すい、とキスを盗んでいった。
「 ・・・ もう ・・・ ふふふ ジョーってば♪ 」
さっきまでのどんよりした気持ちは どこかへ消えていた。
いや 雨が溶かしてくれたのかもしれない・・・
― ずっとほしかったもの、 今 全部 持っているのに。
わたしってば ・・・ 文句ばっかり ・・・
「 ― さ。 素敵なママンとしては! とびっきり美味しい晩御飯をつくるわね♪ 」
あら。 雨の音が聞こえる。
この幸せの素敵な伴奏みたいだわ・・・ ふっと笑みがこぼれる。
彼女は上機嫌でキッチンへと消えていった。
§ 姉 と 弟
昨日から ずっと雨が降り続いている。
トントントン ・・・・ やっと階段を登り終えた。
「 ひゃあ
… こんな雨ってウソでしょう〜 ・・・ったく〜〜 」
― ばん!
すぴかは悪態を吐きつつ ― ただし母国語で ― アパルトマンのドアを開けた。
「 …
あちゃ〜 ・・・ また向かいのアルマン婆さんが文句タレにくるかな〜 」
予想外なドアの音に 彼女は首を竦め じ〜っと耳を澄ませ気配を窺った。
「 ・・・・ん?? 婆さんは ・・・ 出てこないわね。 」
どうやら耳が少々遠い婆さんには聞こえなかったらしい。
「 あ〜〜 よかった〜
ア・・・ 」
すぴかはぐしょ濡れのバッグを ぼすん、と床に放りだした。
「 ったくさあ〜 いちいちウルサイんだよね〜〜〜 ふん ! 」
― バン ・・・! こんどはかなり加減してドアを蹴飛ばす。
すぴかさん。 ドアは静かに閉めなさい。
すぴかさんッ!! なんですか、足で! 女の子が!
不意に耳の奥に懐かしい声が聞こえた。
「 ・・・ あは は。 は〜い ごめんなさ〜い おかあさ〜ん ・・・・ 」
小声で <ごめんなさい> をすると 彼女はバッグを取り上げ濡れた服を着替えに行った。
こっぽ こっぽ こっぽ ・・・・
熱い湯気がマグカップから陽気な音と共に立ち昇る。
「 ・・・ふう ・・・? あれ ?? 」
彼女はテーブルの前で耳を澄ます。 聞こえてくるのは ―
「 ふん。 ちこっと大きすぎるなあ〜 雨の音が さ・・・ 」
目をあげれば 家族の写真がすぐに見える。 父と母、そして彼女と弟が笑っている。
皆 とっても とっても幸せそうに 楽しそうに笑っている。
後ろにはあの懐かしいがけっぷちの洋館が少し見える。
家族の写真 ― 随分と若い両親、 金色のおさげの少女と茶色のくせッ毛の少年 ― それは
大切に飾られて久しい。 端っこが捲れあがりところどころ色褪せている。
そう ・・・ これを撮ったのは 二十年近く前なのだ。
すぴかが母の祖国に住むようになって かれこれ・・・十年が経つ。
・・・・ 帰ろう かな。 帰ろう アタシ、 帰るよ!
トン。 彼女は意を決して立ち上がる。
そうだ・・・ ワタナベ君も 帰国してるはずだしね〜 懐かしいじゃん。
「 雨の音 か。 うん、コレはやっぱりウチで聞くわ。 」
はっはっはっはっ ・・・ やっと坂を登り終えた。
「 ふひ〜〜・・・ ああやっぱ当直明けには きっつぅ〜〜〜〜・・・! 」
― どごん。
すばるはひ〜こらいいつつ、玄関にバッグを置き カチャカチャと鍵を探る。
「 あ・・・ 庭に水、撒いたほうがいいなあ・・・ スプリンクラー、まだ動くかな。
あ!! その前にテラスだ〜 じい様の盆栽 盆栽〜〜〜 忘れちゃアカンぜ! 」
やっと家にはいると 青年は少しクセのある金髪をゆらしどたばた・あたふたと家中を駆け巡る。
駆け出し新米医師は病院勤務に大忙しなのだが。 帰宅しても ― もっと忙しい。
「 えっと・・・ 洗濯物 洗濯物〜〜〜ああ 乾いてるな〜 よかった・・・
植木鉢、場所、換えるかなあ・・・ おっと食料、 冷蔵庫につっこんで、と・・・ 」
スーパーのレジ袋を とりあえずそのまま冷蔵庫に突っ込んだ。
「 ・・・んん? ナンだ〜〜 ヘンは匂い、するけど ・・・
うわあ〜〜〜〜 キュウリがゲル化してるぅ〜〜〜〜〜 」
今度はキッチン・ハイターと雑巾、ゴミ袋をもちだしあたふた冷蔵庫の野菜室に頭を突っ込んだ。
すばる。 そんなにごしごし拭かなくても大丈夫よ?
すばる〜〜 温室のぷち・トマト! 摘んできてくれって お母さんが ・・・
突然、頭の中で優しい声 ・ 穏やかな声 が聞こえてきた。
「 そうだったよね〜 かあさん。 ああ 忘れてたよ、とうさん ・・・ 」
すばるはささっと掃除をすませると、勝手口から裏庭へと出ていった。
こぽ こぽ こぽ こぽ ・・・・
サイフォンの中で褐色の液体が踊っている。
「 やれやれ・・・ プチ・トマト は ただのトマト になっていましたとさ。 」
目の前の皿にはそのトマトと不恰好だけど真っ赤に熟した苺が山盛りだ。
「 これを晩飯に食え、というのか ・・・ う〜ん ・・・
ウン? ・・・ 雨の音ってこんなに響くんだっけかなあ〜 」
すばるは大きく椅子を後ろの引いて伸びをした。
「 ウ〜ン・・・ やっぱ一人で一軒家を切り回すのは なあ ・・・
でも ここ・・・俺ら皆の家だし。 すぴかだってここが 巣 だもんなあ〜 」
そっくり返った目には 部屋の隅にある家族写真が映る。
古びた写真では ぴっかぴかの一年生 が二人、両親の間で笑っている。
「 早く・・ほら早くしなさい ・・・が毎朝のかあさんの口癖だったよなあ
よし 行くぞ〜 ってとうさんはいつも笑って一緒に走ってくれたっけ 」
帰ってこいよ、 たまには さ。 ・・・ すぴか
ことん。 彼はマグカップを置いた。
「 俺さ。 結婚する。 彼女とさ。 決心したんだ。 だから姉貴 帰ってこいよ。
雨の音はさ 家族で聞きたいんだ。 」
岬の家に 賑やかな声が響くのはそう遠くない日 ・・・にちがいない。
ねえ? ほら。 雨のおとが聞こえる
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― ド −−−−− ン ・・・・・・ !!!
遠くで激しい爆発音が鳴った。 あまりの激しさに大地もびりびりと震えたほどだ。
「 ・・・ ああ ・・・ 終った ・・・な ・・・ 」
009は 低く呟いた。
・・・ もう身体が動かない。 いや、全身のメカがひとつひとつ機能停止してゆく。
「 ふ ・・・これでヤツラとおあいこってことか・・・ 」
脳波通信のチャンネルをフル・オープンにした。
― 仲間全員からの返答は 機能停止のゼロ波のみ。
「 ・・・ 003 ・・・ きみが先で ・・・ よか・・・った ・・・ 」
爆風で飛ばされ地にうつ伏せになったまま 009は小さく笑う。
「 ・・・ これで やっと ・・・・ 」
サイボーグ009は しずかに しずかに目を閉じた。
最後に彼の耳に届いたのは ―
・・・・ ああ ・・・ 雨の音が きこえる ・・・
****************************** Fin. ****************************
Last
updated : 04,24,2012.
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************* ひと言 *************
フィジカルに多忙な日々のために長いモノが書けません・・・・
オムニバス形式で 短編です、すみません <(_ _)>
ラストのBGMは勿論♪ かの 『 I do 』 であります♪