『 雨だれ 』
「 ・・・ おい。 またかよ。 」
アルベルトのうんざりした声に 新聞の陰からグレ−トがうんうん・・・と首だけで返事をした。
「 ったくなあ。 いったい何回・・・ いや何百回おなじコトを繰り返せば気がすむのか・・・ 」
・・・ わからんよ。 我輩にきくな。
グレ−トの眉毛が そんな返事を送ってきた。
「 ふん。 犬も喰わないなんとやら・・・ってなあ、この事だ。 」
独りごちめいて、そのまま二階の自室へ行こうとした ・・・ その時。
「 犬も喰わないって なにがかしら。 」
すずやかな声がばっちりと銀髪のドイツ人の襟首を押さえつけた。
「 ・・・・ あ? 」
「 お帰りなさい、アルベルト? 」
「 ・・・ ただいま。 フランソワ−ズ・・・ 」
もはや逃亡を諦めたドイツ人は 腹を括って振り向いた。
そして
< 妹 >の頬にご挨拶のキスを献上した。
「 ・・・ あ・・・あの! ぼく、ちょっと・・・その・・・出かけてくるから! 」
待ってました!とばかりに、ソファの隅から茶髪の青年が勢いよく立ち上がった。
たった今まで身を縮め雑誌に首を突っ込んでいたとは見えない俊敏さである。
「 ア・・・アルベルト ・・・ またあとで・・・ 」
「 おい? ジョ− 」
「 ジョ−。 晩御飯までには ちゃんと帰ってちょうだい。 」
「 ・・・あ ・・・う、うん ・・・ それじゃ・・・ 」
青年は床ばっかり熱心に見つめ、蚊の鳴くような声で返事をすると、
大急ぎで戸口からすべり出て行ってしまった。
・・・ ったくなあ。
溜息を飲み込んで アルベルトはまだ揺れているドアに向かってつぶやいた。
「 メンテナンス時期でもないのに・・・ 珍しいわね。 」
妙に明るい声が 背後からくっきりと響く。
「 ふん・・・・ たまにはオレにもこの邸でのんびり過させてくれ。
それとも お邪魔ムシだったか? 」
「 ・・・ はい? なにか仰いまして? 」
空を切り取った瞳が ひた!とドイツ人に向けられた。
・・・ ! ば、バカヤロ〜〜〜 なんでわざわざ虎の尾っぽを踏むのかよ!
マズった・・・! 援護射撃を頼む。
へ。 ご遠慮申し上げる。 我輩もこれからちょいと外出せんとな。
おいおい、冷たいじゃないか〜〜〜 天下の名優さんよ?
なんとでも言い給え。
・・・あ、おい〜〜〜 敵前逃亡は銃殺だぞ〜〜
ぱちん、と無情にもチャンネルは閉じられてしまった。
「 マドモアゼル? すまんが、ちょいと出かけてくる。
なに、小生も夕食までには戻ります。 」
「 そう? 行ってらっしゃい。 ・・・あ、傘を持って行ったほうがいいみたいよ。 」
「 ご心配、忝い。 されど、小生も英国紳士の端くれ。 常に傘は身近にありますゆえ。 」
「 あら、そうだったわね。 じゃ・・・ 気をつけて。 」
「 ・・・ しばし お暇を。 」
グレ−トはフランソワ−ズの手を取り、慇懃に口付けをして悠々とリビングから出て行った。
「 それで? アルベルト。 」
「 なんだ? 」
開き直って逆に問いかけてみたが、そんな小手先細工でこのレディを誤魔化せるわけもなく、
再び青い瞳がきっちりとこちらを見つめている。
「 ( ・・・ ち! ) ・・・だから、原因はなんだ。 」
「 原因? なんの。 」
「 お前らの。 ジョ−とお前の痴話喧嘩の原因だ! 」
一気に吐き出した言葉に 亜麻色の髪のマドモアゼルは心底驚いた顔をした。
「 まあ。 誰がそんなことを言ったの?
痴話・・・喧嘩ですって? ちょっとそれは失礼じゃない。
それも ・・・ ジョ−とわたしが、ですって? 」
「 なあ。 オレにまで恍けなくていい。
いったい何年の付き合いだと思っているんだ?
ヤツの情けない顔と お前さんの眉間の縦ジワ。 それに ・・・ この空気。 」
「 ・・・ 縦ジワなんかありません! 」
ぴりり・・・と眉が信じられないほど吊りあがった。
「 いや、それはその・・・ モノの例えだが。
このぴりぴりした空気が すべてを物語っているぞ。 」
「 ・・・・ そんな・・・ 喧嘩なんて ・・・ して ・・・・ 」
「 フランソワ−ズ? 」
「 ・・・ だって。 ジョ−が無神経なんですもの! 」
ぼそ・・・っとひと言、その言葉と一緒にぽろり・・・ と涙が一滴飛び出した。
「 ・・・ あ ・・・ 」
しまった・・・!とちょっと頬を染めたその顔が、子供っぽくてなんとも可愛い。
・・・ そんなことを言ったらまた睨まれそうだ。
アルベルトは心の中でそっと首をすくめ、何食わぬ顔で訊いた。
「 ・・・ ふん? あの朴念仁がなにか気に触ることでも言ったのか。 」
「 ・・・ ううん ・・・ そんなんじゃなくて。 」
「 あのな。 」
もうこうなったらその場逃れは諦めよう・・・
そう決心して、ふくれっつらのプリンセスにきっちりと向き合った。
「 アイツの性格はもう充分すぎるほどわかっているはずだろう?
今ではお前が<一番長い付き合い>じゃないか。 」
「 それは・・・ そうだけど。 」
「 だから、いい加減で慣れろよ。 べつにアイツには悪気があってのことじゃ・・・ 」
「 だから!」
「 ・・・ ? 」
珍しく相手の言葉を遮った彼女に、アルベルトは少々驚きの視線を向けた。
気候と同じく、なんとな〜く曖昧な社会のこの国にもすっかり慣れた。
ここにはここのやり方があり、波風を立てずに生きて行く・・・というのも、また一つの生き方だ、
とアルベルトは最近思うようになっている。
・・・ アイツはそんな国で生まれ育ってるんだからな。
ぼくはべつに。 ごめんね、なんでもないんだ。
ぼく達はべつにそんな・・・・ きみの好きにしていいよ。
自分の意見ははっきりと主張し、そのかわり相手の言い分もきちんと聞く。
そして双方納得がゆくまで話合う・・・ そんな文化の中で生まれ育ってきたものにとって
セピア色の髪をした少年の性格は 理解しがたいものだった。
最強の戦士、最新型のサイボ−グ。
それまでの実験体の成功例をすべて取り込んだという<完全体>
そんな振れ込みで 彼は8人の前に現れた。
最も何が何だかさっぱりわからない・・・・と呆然自失の態だったけれど。
まあ、無理もない。
今はまだ 本来の彼自身ではないのだろう。 しかしあの曖昧な笑みの下、真の姿は、
きっと恐ろしくアタマの切れる、冷静沈着・合理的なヤツに違いない。
・・・ 全員がそう思っていた。
それから。
否応なしに巻き込まれた闘いの日々、逃亡の果て、様々な騒動の後・・・
彼らはこの地に、この少し古びた岬の洋館に落ち着いたのだが。
・・・ 9番目の仲間は 相変わらず・・・の調子だった。
やがて。
ヤツはああいう性格なんだ。
裏の意図やら底意地の悪さなんぞは微塵も持ち合わせちゃいない。
ただ、優しいのさ。 ・・・ それだけだ。
理解が不可能なら、丸呑みするしかない。
ヤツは、セピアの髪の青年、島村ジョ−は。 そういうニンゲンなのである。
理屈が通らないことには断固拒否反応を示すドイツ人が
そんな心境になったころ、他の仲間達はとっくにジョ−の性格に慣れていた。
平穏な日々を 共に暮らしてゆくにはごく自然な対処法だったのかもしれない。
ただ 一人を除いて。
「 またぞろ他のオンナに目を向けたのか。 」
「 そんなんじゃないわ。 そんなんじゃ・・・ 」
「 だったらいいじゃないか。 真面目で誰にでも親切で優しい正義の味方〜 」
「 ・・・ だから ・・・ イヤなの・・・ 」
息巻いていた口調は急に勢いを失い、ご本人はぼすん、とソファに腰を沈めてしまった。
「 ・・・ だから。 悪気がなくて本気じゃないのが・・・ イヤなの。 」
「 はん?
ああ、もう! 溜め込んでいるコトを吐き出しちまえ。 オレでよかったら聞き手くらい務まるぞ。 」
「 ・・・ ありがと。 なんて言えばいいのかしら・・・ 」
「 何でもいいさ、お前さんがぐちゃぐちゃ抱えているコトを片っ端から言っちまえ。
鉄壁の守秘義務と完璧な記憶喪失症を持ち合わせているんだ、オレは。 」
「 ・・・ ふふふ ・・・ なあに、それ。
なんだか 頼りないわねえ? 」
「 おう、頼りなくて結構。 オレは聞いて ・・・ 右から左〜だ。 」
大きな青い瞳が殊更大きく見開き、アルベルトに向けられた。
「 ・・・ そう・・・? ・・・ あの ・・・ ね・・・ じつは・・・ 」
「 ほっほ〜〜い♪ 偉大なるシェフ、張大人のお出ましアル〜〜〜♪♪ 」
バタン、とドアが大きく開き、ちょいと調子はずれなハナウタとともに
丸まっちい姿が飛び込んできた。
「 ・・・ あら ・・・ 大人! いらっしゃい。 」
「 フランソワ−ズはん! おお、アルベルトはんも〜〜♪
美味しい晩メシ、作るアルよ! 楽しみにしたってや。 」
太っ腹のシェフは もうさっそく腕捲くりを始めている。
「 すごく嬉しいけど。 お店の方はいいの。 張々湖飯店も忙しい時間になるでしょう? 」
「 なに・・・ 今日は臨時休業アルよ。
ワテもなあ、たまにはのんびり・・・ あんさん達とお茶でも飲みたいアル。 」
「 まあ・・・・ なんだか申し訳ないわね。 」
「 下の国道にでる角でジョ−はんと会ったさかい、買出しを頼んだアル。
おっつけ戻って来なはるやろ。 」
「 ・・・ え、ああ ・・・ そう、そうね。 」
「 そやから。 」
大人は相変わらずの笑顔でフランソワ−ズをながめ、ちっこい目を無理矢理瞑って
アルベルトにウィンクを送ると、懐から なにやら紙をとりだした。
「 フランソワ−ズはん。 これ。 ジョ−はんと行ってきなはれ。 」
「 なあに? 」
「 地元の飲食店の寄り合いでお得意様に出しているご招待券アルよ。
家にばかりおらへんで、たまには足を伸ばしてきなはれや。 」
「 え・・・ まあ、どこへ? えっと・・・ あら、変った紙ねえ。 」
フランソワ−ズは手渡されたチラシを拡げた。
珍しく和紙をつかったパンフレットには夜の闇濃い風景の写真が載っている。
「 え ・・・ この光、点々としてるの、なにかしら。
えっと ・・ 【 鄙びた温泉・貴生川の里へようこそ 】 」
「 ほう・・・ これはまた偉く山奥なんじゃないか? 」
声を出して読み上げているパンフレットを、アルベルトも覗き込んだ。
「 ねえ、これ、なにかしら。 随分変ったライト・アップねえ? 」
「 ・・・ ふ ・・・ん ・・・ ? ああ これは人工物じゃない。
確か、ホタル、とかいう昆虫だ。 」
「 昆虫??? え・・・ この光、電気とかじゃなくて? 」
「 ほっほ♪ そうアルよ〜〜 これはホタル、ホタルはオシリが光る虫アルよ。
ささ。 是非行ってみなはれや。 」
「 え・・・ でも・・・ 御飯の支度やイワンの世話もあるし。
家のこと、放ってはおけないわ。 」
「 晩飯なら大人がわざわざ出向いてくれている。
イワンの世話くらい、オレがやるさ。 行ってこい、ヤツと一緒に。 」
「 ・・・ でも。 だって・・・ 」
「 ただいま・・・ あの ・・・ 大人、頼まれた買い物・・・ 」
タイミングよくリビングのドアがあき、茶髪ボ−イがおずおずと顔を覗かせた。
両手は一杯の荷物で塞がっている。
「 お〜〜 ジョ−はん、おおきに! お疲れさんやったなあ。 ほな。 」
張大人は身体に似合わず意外と敏捷に戸口に駆け寄ると、ジョ−の手から荷物を受け取った。
「 ほな、な。 このまま、まわれ右、や。 」
「 え〜〜〜 ?? まだ、どこかへ買い物?
もしかして ・・・ またいつかみたいに日本中を駆け巡るの・・・? 」
「 あはは・・・ 今日はそんなコトあらへんがな。
フランソワ−ズはん? 用意はいいアルか。 今から出れば充分ホタルに間に合いまっせ。 」
「 ・・・ ホタル??? 」
ジョ−はリビングの入り口に突っ立ったまま、目を白黒させているばかり。
・・・・ 相変わらずのヤツだなあ・・・
アルベルトは苦笑を噛み殺し、フランソワ−ズを差し招いた。
「 おい、コイツが解凍して車のエンジンをかけている間に
大急ぎで準備してこい。 レディは着の身着のまま・・・ってわけにはゆかんだろう。 」
「 ・・・ アルベルト ・・・ でも ・・・ あの ・・・ 」
「 い ・ そ ・ げ。 エプロンのまま、外出したくはあるまい? 」
「 ・・・・・・・ 」
こっくり頷くと、フランソワ−ズは戸口にいるジョ−の脇をすり抜け
二階の自室へと駆け上がっていった。
「 ・・・ な ・・・? どこへ行くの。 だれが? 」
「 さあさ。 ジョ−はん、ココへな、フランソワ−ズはんと行ってきなはれや。 」
「 あ ・・・ でも ・・・ あの ・・・ 」
「 ふふん! 返事まで同じコトを言ってやがる。
さ。 お前はともかく車のエンジンをかけて待ってろ。 それで・・・上手くやって来い! 」
「 ・・・? え ・・・う、うん ・・・ 」
何が何だかわからない・・・という顔つきはどうもジョ−の専売特許らしい。
そんな彼を眺めて、アルベルトは妙にほっとしている自分に気がついた。
ふん・・・! この表情が懐かしい・・・なんて思うのは
オレもヤキが回ったぜ。
「 ・・・ 行け! 」
「 うん ・・・ ??? ・・・わ! さんきゅ。 」
ばさり、と投げられたジャケットを受け取り、島村ジョ−はまだ首を傾げつつ
ガレ−ジへと向かった。
「 グレ−トはんから連絡をもらっていたアルよ。 」
張大人は湯気の立つ皿をワゴンに満載にして運んできた。
「 な〜るほど。 連携プレ−、お見事。 ・・・ お いい匂いだな。 」
「 ほっほ。 おっつけ紹興酒が、いやナニネ グレ−トはんが酒持って
戻るよって・・・ 今晩は宴会アル。 」
「 お子サマはいないし。 それじゃ心行くまで飲むとするか。 」
「 ただいま。 ほい、お待ち。 」
がちゃり、とリビングのドアが開き、暢気な足取りで禿頭がご帰還である。
グレ−トは大きな甕にも似た酒瓶をどん・・・とテ−ブルに据えた。
「 ヤツらは? 」
「 ああ。 今頃・・・・ ナントカの里、だ。 」
「 ・・・ 作戦は成功裡に遂行された由・・・ こりゃ祝杯もんだ! 」
「 ほな。 大人の宴会を始めまっか。 ・・・ そうや、博士と坊は? 」
「 イワンはまだ<夜>だ。 博士は・・・ いかんな、ちょいと研究室を覗いてくる。 」
「 たのんまっせ。 」
やっとどうやら雨があがり、まばらながら雲の合間からは星空が見えてきた。
ギルモア邸は今晩賑やかになりそうだった。
「 ・・・ なんだか ・・・ なんにもないわ? 」
「 ウン。 」
「 でも、こっちでいいはず・・・よね? 」
「 ウン。 」
「 え・・・っと。 ず〜〜っと道はあるけど・・・ ねえ、これは田んぼ、でしょ。 」
「 ウン。 」
「 ここが貴生川の里、なのかしら。 確かに水音がするわ、沢があるみたい。 」
「 ・・・ ウン。 」
「 ジョ−。 」
ちらちらとこちらを見ていた青い瞳が、ついにきっちりとジョ−の顔を見つめた。
「 いい加減で生返事はやめてちょうだい。 」
「 ウン・・・あ! ち、違うよ、生返事だなんてそんな・・・ 」
「 じゃあなんなの? ・・・ わたしと出かけるの、そんなにイヤなわけ? 」
「 ち、違う、違ってば! ぼくも初めての場所だし、よく判らないんだ。 」
「 だったらちゃんとそう言って。 うん、うん・・・ばかりじゃ
それこそ何にも解らないわ。 」
「 ウン・・・あ、ちがった・・・ ごめん。 」
「 ねえ。 」
一応謝っておいたのに、今日は青い目のマドモアゼルは簡単には納得してくれなかった。
「 ねえ、ジョ−。 どうして謝るの。 言いたいことがあったら、ちゃんと言って。 」
「 う・・・、あ ・・・あの。 ごめ・・・あわわ・・・そのう・・・ 」
ジョ−はしどろもどろとなり、ついに対向車も歩行者も見えない田舎道で車を止めた。
一応舗装はしてある道路の両側には 青々と一面の田んぼがひろがり、
曇りがちな空のもと、また稚い稲穂がさわさわと風に揺れている。
「 ごめん。 あのさ・・・余計なコト言ってきみの気に障ったら悪いな・・って思って。 」
「 わたしは。 曖昧に濁されるほうが全然イヤだわ。
どんなことでも言って欲しいの。 わたし・・・ 口に出してもらわなくちゃわからないわ。 」
「 ・・・ うん ・・・ ごめん。 ぼくってズルイよね。 」
「 ずるいなんてそんな。 ・・・ ジョ−、あなたの優しさはよくわかってるわ。
でも・・・ でもね。 わたしには何でも言って欲しいの。 」
「 ・・・ うん ・・・ ごめん。 」
「 ・・・・・ 」
・・・ 本当にこのヒトは。
フランソワ−ズはこころの中で盛大に溜息を漏らした。
彼の優しさ。 それはよく、わかる。 そして そんな彼だからこそ、愛した。
でもその、曖昧な優しさは ・・・ 自分以外の誰にでも向けられるのだ。
困っているんだもの、力になって上げたい。
可哀想じゃないか。 放っておけないよ。
・・・ ぼくらだって同じだ、いつも一人に怯えているんだよ。
そんなジョ−の <優しさ> が、時にフランソワ−ズを苛立たせる。
「 ・・・ あら。 あの角のとこに看板があるわ。 【貴生川温泉】 ・・・ 」
「 あ! そこだよ、きっと。 」
ジョ−はほっとした様子でエンジンをかけた。
・・・ ちょいと剣呑な雰囲気は解決しないまま、車は田舎道を進んでいった。
「 さあさ。 どうぞ。 ちょっと早目の晩御飯ですけど。 」
紺絣の着物姿の仲居さんは ホタル見物をするなら食後にゆっくり・・・と勧めてくれた。
「 あ・・・ はい、どうもありがとう。 」
「 ありがとうございます。 」
「 ・・・ わあ〜〜 すごいね ・・・ 」
「 ほんとう・・・! どれから頂いたらいいのか迷ってしまうわ。 」
なんとか辿り着いた 【 貴生川の宿 】、二人の目の前には山の幸がトコロ狭しと並んでいる。
フロント・・・、というか掃き清められた玄関で 大人からもらった【 ご招待券 】 を差し出すと、
早速この日本間に案内された。
川の水音が聞こえるお座敷には 爽やかな風が吹き抜ける。
純和風の室内を珍しげに眺めているフランソワ−ズにジョ−が頼りない説明をしているうちに、
あっという間に料理が並んだ。
【 山の幸・御膳 】 を味わい、暗くなってからホタルを鑑賞し、一風呂あびて ・・・
というのが 【 ご招待コ−ス 】 の内容らしい。
「 正式な懐石料理やらコ−ス料理とは違いますよって。
おうちの晩御飯、と思って頂いて・・・ お好きなものから召し上がってください。 」
どうみても外国人のカップルに、仲居さんはゆっくりと説明してくれた。
「「 いただきます。 」」
二人で仲良く声を合わせて、箸を取る。
「 ・・・ わあ ・・・ このお吸い物・・・ 美味しい♪ 」
「 ・・・ うん、そうだね〜。 あ、このサカナ・・・鮎かなあ? 」
初めて口にする山の幸に、二人は自然と口もほぐれ、気持ちも和み、
今日は朝から引き摺っていた険悪モ−ドはどこかへ消えていった。
「 ・・・ 晩御飯、美味しかったわね。 和食って・・・すごいわあ。 」
「 うん。 かなりボリュ−ムがあったね、ちょっと驚きだったな。 」
かっころん・・・と二人の足元で木製のサンダルが音をたてる。
し・・・んとした夜道、それは結構大きく田んぼの間に響いて聞こえた。
「 ふふふ・・・ 足りないかな〜とか思ってた? 」
「 うん。 でもね、焼き物に揚げ物、炊き物・・・ 御飯にデザ−ト ってすごいよね。
ぼく、お腹いっぱい。 」
ジョ−は笑って自分のお腹をぽんぽん・・・と叩いてみせた。
かっころん・・・ かっころん ・・・
二人は手をつなぎ、ゆっくりと歩んでゆく。
「 ジョ−ったら・・・ あなたの国のお料理じゃない? 」
「 う〜ん・・・ でも普通はあんなにいろんな種類を食べないよ。
きみが作ってくれる晩御飯、あれって立派な<日本の晩御飯>さ。 」
「 そう? ・・・ 嬉しいわ。 いつも何にも言ってくれないから美味しくないのかな・・・って・・・ 」
「 あ ・・・ ごめん。 でもいつも全部きれいに食べてるだろ。 」
「 そうだけど。 でも ・・・ でもね、ジョ−。 」
「 ・・・ あ! あれ・・・・ 」
「 え? ・・・・ わあ ・・・ あれ ・・・ もしかして ホタル? 」
「 ・・・ そう だ・・・・ね? 」
宿で教わった通りの道を沢に向かって降りてゆく途中、
すでに目の先で淡い光の饗宴が 始まっていた。
「 ・・・ すごい ・・・ ! 」
「 すごいわ ・・・ 明るいけど、冷たい光 ・・・ 」
ジョ−とフランソワ−ズは手を繋いだまま、ただ呆然と沢の岸に立っていた。
「 もう少し近くへ行ってみようか。 川下の方ならホタルの邪魔もしないよ。 」
「 そうね。 」
「 ・・・ あ ・・・ ほら。 」
「 え? ・・・ まあ・・・ 」
蒼白い光がひとつ、フランソワ−ズの袖に留まっている。
「 素敵なアクセサリ−だね。 そのブラウス、ちょっと葉っぱみたいな模様だから 」
「 ・・・ ふふふ ・・・ 間違えたのね。
ホタルさん・・・? 仲間のところにお帰りなさいな。 」
そっと腕を動かすと ふわふわと光の主は尾を引いて離れていった。
「 足元・・・ 気をつけて。 」
「 ええ。 ああ・・・ここからだと目線が低くなるから また違った風に見えるわ。 」
「 うん。 」
「 ・・・ ジョ− みたい。 」
「 うん? 」
「 ふわふわ ・・・ 手を伸ばすとす・・っと消えちゃう。 するっと逃げちゃうの。 」
「 ぼくが? 」
そう・・・と暗闇のなかでほの白く浮き上がる顔がこくんと頷いた。
「 わたし、言ったでしょう。 あの ・・・ さっき車の中で
なにか思うことがあるなら ちゃんと言って欲しいって。 」
「 ・・・ ごめん。 ・・・あ、また言っちゃった・・・ 」
「 あのね。 何でもないって言われるの、わたし、すごくイヤ。 」
「 ・・・ うん。 」
「 ほら、ホタルみたいでしょ。 見えるんだけど 手を伸ばすとふわふわ・・・って。
・・・ わたし ・・・ 何でもなくて・どうでもいい 存在なの? 」
「 ・・・ ! 違うよ! そんなコト、絶対に違う。 」
「 でも ジョ−、あなたは・・! ・・・? きゃっ!! 」
「 あ! 危ないっ! 」
・・・ ばっしゃ〜〜ん ・・・・
山間の静かな沢の水音が 派手なしぶきとともに渓中にこだました。
ホタルの群れは一瞬ぱあ・・・っと四散したが すぐにふわふわと舞い戻ってきた。
そして。
また穏やかな流れとなった沢の中に シリモチをついた人影が ふたつ。
「 ・・・ 大丈夫かい。 」
「 ・・・ え、ええ・・・ 」
「 このサンダル〜〜 わ! 石がぬるぬるで ・・・ よいっしょ・・・! 」
ジョ−はなんとか立ち上がると、フランソワ−ズに手を差し伸べた。
「 掴まって。 ほら ・・・ 」
「 ありがとう。 」
フランソワ−ズは髪まで濡らし、ぽたぽた雫を振りまいてやっと立ち上がった。
「 ・・・ や ・・・ 怪我とかない? 」
「 大丈夫・・・みたい。 だけど ・・・ ぐちょぐちょ。 」
「 ぼくもだ。 まだ水が冷たいね、早く戻ろう。 風邪をひく。 」
「 ええ ・・・ ハックシュ! 」
「 ほら〜〜! えっと、上着を ・・・ あ〜こりゃダメだ、ぐっしょりだ。 」
ジョ−は慌てて上着を脱いだが、一緒に水が飛び散った。
「 ぼくも濡れてるから ・・・ ごめん。 でも少しはマシかな。 」
「 ・・・ あ。 」
ぴたり、と濡れた身体を引き寄せると、ジョ−はほとんど抱きかかえる格好で
すたすたと沢辺の小路を上っていった。
「 ・・・はい、はい。 明日、戻りますから。 それじゃ・・・ あ!
フランソワ−ズがイワンのミルクとお風呂をって ・・・ ああ、アルベルトが・・・ はい。 」
チン・・・と音をたて、ジョ−は受話器を置いた。
「 博士? なんて・・・ 」
「 ゆっくりしておいでって。 あ、イワンの世話は大丈夫、アルベルトが引き受けるってさ。 」
「 そう ・・・ よかったわ。 」
「 電話の向こうでさ、皆わあわあ笑ってるんだよ。 まいった〜 」
「 ふふふ ・・・ わたし達、かなりドジだったもの。 」
「 そうだよね。 きみ、怪我しなくてよかったね。 あ〜あ ぼくの携帯、水没でパ−だぁ。 」
「 あらら・・・ ねえ、どう? この面白いキモノ、似合う? 」
フランソワ−ズは温泉上がりの浴衣の上に厚手の半纏をひっかけ 笑っている。
「 ・・・ うん ・・・ すごく ・・・ 」
いろっぽい、と言いそうになりジョ−はぐ・・っと言葉を飲み込んだ。
「 ・・・ また ・・・ <何でもない> なの。 」
「 フランソワ−ズ 」
声からも笑みがきえ、固い光を湛えた青い瞳が じっとジョ−を見つめている。
「 はっきり言って。
・・・ わたし、そんなに魅力ない? あなたにとって ・・・ なんでもない存在なの。 」
「 フラン・・! そんなことないよっ 」
「 だって・・・! いつも なんにも言ってくれない。
いつも わたしのこと、見てくれない。 いつも ・・・ いつ・・・ も ・・・ 」
「 ・・・ フランソワ−ズ ・・・ そんなコト ・・・ 泣くなよ。 」
「 泣いてなんか ・・・ いな ・・・ 」
ぱたぱたぱた ・・・
糊の効いた浴衣に 涙の粒が降り注いでゆく。
ホタル鑑賞からずぶぬれで戻ってきた二人は、宿の人たちにそのまま温泉に引っ張って行かれた。
「 う〜んとあったまりなされ。 ほんなら風邪も逃げてゆきますわ。
どうぞ お泊りやして・・・ のんびりなさってくだされ。 」
担当の仲居さんは湯上りのフランソワ−ズに浴衣まで着せてくれた。
そして し・・・ん と静まり返った山里で
ジョ−とフランソワ−ズは向き合い、いまやかなり険悪なム−ドの真っ只中にいるのだった。
「 そんなこと、ないよ。 ぼくには ・・・ きみが ・・・ そのぅ 一番大切なんだ。 」
「 違う、ちがうの。 わたし ・・・
・・・ いやなの。 ジョ−が・・・ 他所見をしてるの、とても ・・ いや。 」
「 他所見 ? 」
「 嫉妬深いイヤなオンナって思われてもいいわ。
わたし ・・・ ジョ−の一番、じゃなくて。 たった一人、になりたいの。 」
「 おなじだろう? 」
「 ちがう ・・・ ちがうわ、全然違うのよ・・・ 」
「 ・・・ フラン ・・・ もう、泣かなくていいから。 」
ジョ−は細い肩を引き寄せた。 そしてイヤイヤをする彼女をきゅ・・・っと抱き締める。
「 おかしな子だね。 なにを駄々こねているのさ。
一番好きなヒトだから ・・・ 一番大切なんだ。 わかるだろ? 」
「 ・・・ そうじゃな ・・・ あ ・・・ 」
「 ほら、もう泣き止んで? ・・・・ んんん ・・・ 折角二人きりなんだ、
今晩は ・・・ 寝かさないよ。 」
「 ジョ− ・・・・ や ・・・ あ ・・・ んんん 」
ジョ−は口付けで彼女の口を塞ぐと そのまま抱き上げた。
襖を開ければ、奥の間には夏蒲団が二組並べて延べてある。
「 ・・・ たまには日本間も いいね。 ・・・ ね? 」
「 ・・・ あ ・・・ ぁぁ ・・・ ゃあ・・・ 」
八つ口から忍び込んだ手はすぐに頂点の蕾を探り当てた。
「 フラン ・・・ 一番好きだよ ・・・ 」
「 ・・・・ ずるい ・・・ ひと ・・・ あ ・・・ぁぁ ・・・ 」
ジョ−は肌蹴た浴衣をそのままに、彼の<一番大切なひと>を
そっと夏蒲団の上に横たえた。
きみの傍らから離れては生きられない!
そんなことを言っていた ・・・・ 気がする。
いつまでも生きて生き抜いて欲しい。
そうも願っていた ・・・ ようだった。
ジョ−はぼんやりと目を開いた。
目の前には いつもの見慣れた自室のではなく、
涼しげな網代で組んだ天井が高い。
・・・ そうだ、ここは ・・・ 貴生川の里・・・
二人で ・・・ 沢で転んで ・・・
ふ・・・っとすぐ横で動く気配がした。
馴染んだ香りが ジョ−を仄かにつつむ。
・・・ この香り ・・・ ぼくは ・・・ あの星の上で
胸いっぱいに吸い込んだ。
もう、最後だと思ったから。 もう ・・・ 会えないって・・・
柔らかな髪がジョ−の胸をくすぐる。
そっと手を当て、引き寄せた。
「 ・・・ ジョ− ・・・・ 」
「 フランソワ−ズ ・・・ きみ、あそこに居た、ね? 」
「 ・・・ ええ。 ジョ−と一緒に ・・・ 」
「 うん。 ・・・ 一年に一度しか会えないって ・・・ 言ってた。 」
「 そう・・・ね。 ジョ−が生きているから ・・・ 生きてゆけるって 泣いてたわ、わたし。」
「 ・・・ごめん。 その ・・・ さっき。 」
「 ・・・ わたしこそ ・・・ ちゃんと言ってなかったわ ・・・ 」
「 ぼく達は ずっと一緒に居られるのに。 」
「 ええ。 あの星のわたし達は ・・・ 年に一回しか会えないのに。 」
「 ・・・ 愛してるよ、フランソワ−ズ。 」
「 ジョ− ・・・ わたしも。 」
ゆっくりとどちらからともなく腕を絡めあい、頬をすりよせ ・・・ 唇を合わせた。
「 雨 ・・・ 」
「 え? 」
「 雨の音・・・ もう夜明けかしら ・・・ 」
「 いや。 まだもうちょっと。 雨なら夜明けはきっともっと遅いよ。 」
ジョ−は枕元の時計に目をやった。
「 ・・・ まど、開けてもいい。 」
「 うん。 」
フランソワ−ズはジョ−の傍から蒲団を抜け出した。
随分とシワシワになった浴衣を懸命に身体に巻きつけている。
・・・ 可愛い ・・・
ジョ−の目線はほっそりした後ろ姿に張り付いたままだ。
障子を開け、廊下の窓のカ−テンを払い細目にガラス戸を引く。
「 ・・・ 雨よ。 まだ暗いわ。 」
「 あ・・・ いい匂い・・・ 森の木のにおいかなあ。 」
「 ほんとう・・・ この雨でホタルさん達ももうお家に帰ったわね。 」
「 そうだね。 」
ジョ−も起き出し半纏を引っ掛けた。
廊下に二人、並んで腰を下ろす。
「 寒くない? ・・・ ほら。 」
「 ・・・あ、 ありがとう。 ・・・ふふふ・・・ あったかい♪ 」
一つの半纏に二人で包まった。
「 ああ・・・ ほんとだ、雨の音だ ・・・ 」
「 ええ。 」
ぽつぽつぽつ ・・・ とととと ・・・ ぽつりぽつり ・・・
山里の雨は気侭に密やかに落ちてくる。
「 ねえ。
空の上でもね。 おそくに雨だといいわね。 」
「 ・・・ ? 」
「 だって。 そうすれば・・・川が渡れなくて・・・ 帰れなくなって・・・
やっぱりこんな風に二人して雨の音を聞いていられるでしょ。 」
「 あは。 そうだね。 ・・・ そうして こうやって一緒に雨だれを聞いているのかな。
いろんな内緒話をしながら・・・ 」
ジョ−はもう一度、傍らにいる愛しい人に口付けをする。
「 愛してる ・・・ きみだけ。 きみだけだよ。 」
「 ジョ−・・・。 わたしも。 」
白い手がするするとジョ−の首に絡みついた。
・・・ 雨がやむまで。
やさしい雫がぽつぽつと降り注ぐみたいに。
ゆっくり話そうよ。
小さな雨粒が やがて大きな川になり海原に注ぐみたいに
・・・ そんなゆたかな年月を二人ですごしてゆけたらいいね。
山間の木深い里は まだまだ夜の帳に身を隠しているようだった。
「 ・・・ なんだ、みんな沈没か。 」
不意に波の音が高くなった気がして、アルベルトはリビングを見回した。
どうもすこしばかり居眠りをしていたらしい。
さっきまでぶつぶつなにやら独り芝居をしていたグレ−トはグラスを抱えて突っ伏してしまった。
博士はとっくにソファで高鼾、一応食器を下げた所で大人は紹興酒の甕を枕に討死している。
「 ふん ・・・ 皆口ほどでもねえな。 おっと ・・・」
立ち上がった拍子に、ゆらり、と足元がゆれる。
自分もかなり酔いが回っているらしい・・・・
アルベルトはそろそろとテラス側のフレンチ・ドアに向かった。
「 ・・・ ふう ・・・・ 」
からり、と開いた窓から漂うしっとりした夜気が心地よい。
まだ夜明けまでにはいくらか間があるのだろう、東の空は相変わらず夜の色だ。
ぽつぽつと細かい雨粒が飛び込んで来た。
「 ・・・ あいつらも雨に遭っているかな。 」
ふらつく足でリビングを横切ると一番奥にあるピアノの蓋を開ける。
「 こんな夜に 」
ぽろり・・・ぽろりと酔った指が鍵盤を辿った。 やがて・・・
柔らかな音色が酔っ払いどもの鼾に混じって流れてゆく。
・・・ なあ、お前。 聞こえるかい。
こんな夜に ・・・ この曲はあまりに通俗的かな
まあ、今晩は大目にみてくれ。
・・・ 川を隔てて お前の許にも届いてほしい・・・
星々の彼方で 山間の鄙びた里で 天と地で
雨だれは 柔らかに・穏やかに。
恋人達に 降り注いでいた。
ショパン プレリュ−ド・第15番
********** Fin. **********
Last updated : 06,26,2007.
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***** ひと言 *****
はい、あのお話の < フランちゃん参加バ−ジョン > であります。
3贔屓といたしましては、遠い星の恋人達よりも
この星でいちゃいちゃしてる二人が書きたくて ・・・・
貴生川の里 で雨宿りをしてもらいました。 ( 一泊旅行〜〜♪ )
B.G.M. に 『 雨だれ 』 を♪
名ピアニスト・アルベルトの演奏で お聴きくださいませ。