『 So Sweet Days・・・! 』
光の二月 ― そんな言葉がぴったりの日々が続いている。
・・・ なんと豊かな明るさじゃのう・・・
ギルモア博士は書面を照らす日差しに眼を瞬かせた。
手元に集まる光はどんな人工照明にも勝り それでいてギラつく熱さはない。
こんなに明るい冬は長い人生で初めての経験だった。
いや ・・・ こんなのんびりとした日々を過すのも 彼の人生では初めてのことかもしれない。
博士は ふっと顔をあげ、陽射し溢れる室内に眼を向けた。
ああ ここがワシらのホーム、なのじゃなあ。
うん ・・・ うん ・・・ この地が なあ・・・
・・・ やっと 辿り着いた、ということか・・・
ひとり満足げに頷くと 博士は再び活字の世界に戻っていった。
太陽はそんな老人の姿を ぐるり ぐるりと照らし ・・・ やがて西の地に隠れた。
街外れの海っ端 ― そのまた崖っぷちに建つ、ちょっと古びた洋館のギルモア邸。
一見旧式な館だが 実は海に続く地下格納庫も備えた小要塞に近い。
そこには ご当主のギルモア老と 茶髪の青年、眠ってばかりいる赤ん坊 そして 金髪碧眼の美女が
穏やかに・和やかに ごく普通の日々を送っている。
最近では 若い二人は毎朝バスに乗って街に出かけて行くようになっていた ・・・
夜になれば、いつもだいたい同じ時間に三人で賑やかに夕食のテーブルを囲む。
もちろん 赤ん坊も一緒だ。
一緒にいましょうね、ネンネしてても・・・
金髪碧眼嬢は眠りこけている赤ん坊に話かけ クーファンごといつも自分の横に置いている。
この地に居を構えた頃 食事以外は皆ほとんどの時間をそれぞれの自室で過していた。
邸はただの一時的な寄宿所で 各自は好き勝手なペースで過していたのだが ―
それが いつしか ・・・
「 あ。 ぼく、 レポートがあるんだ・・・ 」
「 わたし DVDが見たいの。 博士 リビングのTV、 ご覧になります? 」
「 いいや、構わんよ。 どれ DVD用にズームを変えよう。 お前の<仕事>用じゃろ? 」
「 はい、ありがとうございます。 あ、お茶、入れ替えてきますね。 」
「 おお ありがとうよ。 」
「 あの ・・・ ぼく、ここでパソコン 使ってもいいかな? 」
「 どうぞ〜 あ、DVDの音が煩いかしら。 」
「 ううん 全然。 だってきみの <仕事用> なら音楽だけだろ? 」
「 ええ。 それじゃ・・・音、なるべく小さくするわね。 」
「 あ、いいよう、別に。 BGMがあるとかえって集中できるし。 」
「 ワシも別に構わんぞ。 お前のいいようにしなさい。 」
「 ありがとうございます、 博士。 ありがとう〜〜 ジョー。 」
若い二人はなにかと自分の作業をリビングに持ち込み ― 最近では博士も本やら資料をここで広げる。
広いはずのリビングは 常にごたごたと種々雑多なものが散らばることになった。
「 ・・・ ははは ・・・ まあ、この方が ホーム らしい、と言えるな。 」
自身、しばしば眼鏡を捜し パイプをおき忘れ あれこれ捜索に時間を費やしつつも、博士は楽し気だ。
ああ ・・・ やっと。 よせ集め が 家族になってきた かもしれんなあ・・・
それぞれの作業に没頭しつつも眼の端に入るお互いの存在にほっとしている・・・・
そんな時間をこの邸の住人たちは大切に思っていた。
昼間はたっぷりの陽射しをうけ 春とも思わせる陽気だったが日が落ちると途端に冷え込んでくる。
夜の帳がすっぽりと降りればまだまだ真冬、寒さは厳しい。
見えない冷気は ひっそりと足元に忍びよってきていた。
「 ・・・ こりゃ 少し室温を上げるかな。 ああ、なんだ カーテンが・・・ 」
ギルモア博士は よっこらしょ、と肘掛椅子から立ち上がった。
海側のテラスに面したカーテンが 半分開いたままだ。
どうもそのガラスを通して冷気が忍び込んできているらしい。
「 どれ。 ・・・ ふん、これでいいじゃろう。 しかし珍しいこともあるもんだな。
我が家の有能な主婦がカーテンを閉め忘れるとはな・・・ 」
独り言半分、ぶつぶつつぶやきつつきっちりとカーテンを引く。 博士はふとリビングを振り返った。
「 ― あ れ まあ。 」
― その夜も そんなわけで。
夕食後 三人はリビングに持ち込んだそれぞれの<しごと>に専念していた。
ジョーは テーブルに広げたノートやらプリントをひっくり返しつつキーボードを叩いていた。
背中合わせで フランソワーズがDVDをじ・・・っと見ている。 何回もストップしたり戻したり・・・
手元のノートに書き付けたり、リモコンを操作したり忙しい。
・・・っと。 あ 違ったかなあ? 数式って ここに引用するのかな?
カタカタカタ ・・・・ キーボードの音もなかなかリズミカルだ。
う〜ん・・? あ! そうか。 え?? え〜〜なに、この振り?? も いっかい!
低く抑えた音楽に ぶつぶつと独り言が混じり彼女の上体がゆらゆら・・・踊っている。
そんな <雑音> を博士はむしろ楽しんでいた。
そして何時の間にか 博士も活字の世界にのめりこんでいたのであるが。
奥の指定席で 読みふけっていた学会の論文集から ・・・ふと 寒さに顔を上げた、という訳なのだ。
「 ・・・ おやおや ・・・・ 」
改めて室内を見回せば ― 何時の間にやら ・・・
茶髪はキーボードを枕に こっくり・こっくり船を漕ぎ ― ふうん?随分と幸せな寝顔だなあ。
金髪もソファに沈没していた ― おやおや・・・ これ、風邪をひくぞ?
博士はしばらく居眠り二人組を眺めていたいが。 わざとらしく咳払いをひとつ ―
「 うぉっほ〜ん・・・! おいおい、こんなところで眠っちゃいかんぞ。 」
「 ・・・!? あ・・・いっけね! ああ・・・どこまで書いたんだっけ・・・・? 」
「 う・・・ん・・・? あら! たいへん〜〜 まだ全部振りを覚えていないのに!」
「 もうこんな時間だぞ、二人ともそろそろ切り上げた方がいい。 」
「 あら〜〜 あ! 博士、 お風呂! どうぞお先に。 わたしもうちょっとやってしまわないと・・・
ああ、 ジョーもね、先に入って〜 お風呂! 」
「 いいけど・・・フラン、きみは? 」
「 わたしね、コレ・・・ちゃんと振りを覚えないといけないから。 」
「 そうかい。 あまり夜更かしせんようにな。 それじゃお先に頂くとするか。 」
「 はい、どうぞ。 本当にこの国のお風呂って。 素敵ですね。
わたし、どんなに疲れていてもお風呂でよ〜く温まると脚がとっても軽くなります。 」
「 ほんになあ・・・ わしもじゃよ、芯から温まればぐっすり熟睡じゃ。 」
「 ふふふ・・・ よかった♪ やっぱりね〜 日本の風呂は世界一って思うな。
じゃ、ぼく、戸締りチェック、やっておきます。 」
「 ありがとう、ジョー。 ・・・ お休みなさい 博士。 」
「 うむ お休み フランソワーズ。 」
「 お休み〜〜フラン♪ 」
博士は 書籍だの書き付けたノートだの、眼鏡やらパイプを集め やれやれ・・・と立ち上がる。
おっと ひざ掛けを忘れるところだった・・・!
入り口からあわてて引き返せば。
「 ・・・おや。 これはとんだオジャマ虫、じゃったのう。 ふふふ・・・恋せよ、若者たち、というところか。 」
博士はそう〜っとドアを開け 足音を忍ばせ 書斎に向かった。
リビングの奥、ソファの端っこで ― ほやほやの恋人たちが お休みのキスをしていた。
「 ・・・ んん ・・・ あんまりさ、夜更かし、するなよ。 」
「 んんん ・・・ ジョーこそ・・・ 」
「 ん。 オヤスミ・・・ あ あのさ。 あのゥ〜〜 今夜きみの ・・・ 部屋にさ ・・・ いい? 」
「 おやすみなさい。 え なあに。 部屋がどうかしたの? 」
「 あ! う、ううん! なんでもない・・・! お オヤスミ! 」
ジョーはもう一度 ちょん・・・と彼女の唇に軽いキスを落とすとそそくさとリビングを出ていった。
「 ? ・・・ なあに、ジョーったら・・・ また真っ赤な顔して。
ふふふ でもね、 キス、上手になったわね・・・ 」
ちょっぴり火照った頬に手をあて。 フランソワーズはほんのり微笑んでいた。
「 さあて。 わたしはもうひとがんばり・・・! ペザント、頑張らなくっちゃ。 」
男性陣がリビングを引き上げたあと 彼女は灯りを落とし再びモニターの前に陣取った。
「 え〜と。 どこまでチェックしたんだったかしら・・・ 」
フランソワーズは DVDを再生しじっと画面を見つめ始めた。
彼女は最近、念願が叶い都心近くのバレエ・カンパニーへレッスンに通っていた。
「 おはよ! フランソワーズ。 」
「 あ、 おはようございます〜 みちよさん。 」
「 や〜だ、<さん> なんていらないって。 何 見てるの〜 」
ぽん、と背を叩かれ振り返れば、大きなまん丸の瞳が にこにこ・・・・ フランソワーズを見つめていた。
彼女はバレエ・カンパニーの廊下で 掲示板の <おしらせ> とにらめっこしていたのだ。
「 あ ごめんなさい。 あの ね。 これ・・・ 読んでたのだけど・・・ 」
「 え? あ〜 もう次の勉強会かあ〜〜 あ、わかる? 」
「 あの。 わたしね、お喋りはだいたい大丈夫なんだけど。 読むのはあんまり得意じゃなくて。 」
朝のレッスンに彼女はかなり早い時間に稽古場へ着いたのだが ― <お知らせ> の前で足止めを食った。
異国の言葉 ・・・ 勿論自動翻訳機を使えばほとんどの言語は理解可能だ。
しかし フランソワーズは日常の生活で ソレ を使うことは滅多にない。
この国の言葉は ジョーに教わりテレビを見たりして覚えてきた。
彼女は 今、毎日の会話にはほとんど不自由はしなくなっている。
「 あ、そうなの? フランソワーズってキレイな日本語、しゃべるから読むのとかもおっけ〜って
思ってわ。 あのね、読もうか? 」
「 ええ お願い! だいたいわかったのだけど・・・ また 練習の舞台があるのでしょう? 」
「 ぴんぽん☆ ウチのカンパニーではね、レッスン生全員参加が義務なのよ。
まあね〜 発表会ってか勉強会ってか。 海外のバレエ学校とかはちゃんと進級試験があるでしょ。
あんなカンジ、みたい。 」
「 し、試験 なの?? ・・・・ え・・・ 失敗したら 退学?? 」
「 や〜だ、そんなことはないわよ。 でも やっぱりカンパニーの正式なメンバーになりたければ
頑張ったほうがいいと思うなあ。 」
「 そうなの・・・ あの みちよ は? わたし 踊れるだけでも充分なんだけど。 」
フランソワーズはそっとみちよの顔を見た。
「 え〜 そりゃ 頑張るよ〜 フランソワーズったら欲がないのねえ。
キレイでスタイルよくて 脚とか条件もすご〜〜くいいのにさあ。 どうして??
な〜んか引っ込み思案じゃない? 」
「 ひっこみ・・・ なに??? 」
「 あ ・・・ う〜〜ん ・・・ と。 消極的ってこと。 」
「 え・・・ そんなこと ない、けど。 わたし 本当にレッスンできるだけでとっても幸せなんだもの。 」
「 も〜ったいないよう〜〜 そんなコト言ってないでさ、 ほら、頑張りなよ。
なにが回ってきたの? アタシはさ、 トロワ なんだわさ、 『 白鳥〜 』 の。 」
( 注 : トロワ → パ・ド・トロワ 『 白鳥の湖 』 第一幕で踊られる王子の友人と女友達二人の踊り )
みちよはフランソワーズとならんで 掲示してあるリストを見つめた。
「 わたし? え・・・っと・・・ あ、コレよね。 ぺ ・・・ ザ ・・・・?? ねえ、読んで? 」
「 お〜 ペザント じゃん♪ ほら、 『 ジゼル 』 の 」
ふんふんふん〜〜 とみちよはメロディーを数小節 口ずさんだ。
「 あ! あれね。 ・・・うわ ・・・ 難しいわよねえ・・・ 」
「 それだけ期待されてるってことじゃない? ちょっとフランソワーズのムードではないけど・・・ 」
「 え ・・・ そ そう?? 」
「 うん。 アナタなら 『 バラの精 』 とか 『 ラ・シル 』 とか。 ふんわ〜りお姫様っぽいのが
合ってると思うけどなあ。 村娘系ではないっぽい。 」
「 そんなことないわよ。 でも ・・・うわ〜〜大変・・・! 」
「 振りはねえ、事務所でDVDを借りて まず覚えておくのよ。 それからパートナーと合わせるの。
レッスン生は大抵プロの方達が組んでくださるはず。 」
「 そうなの? ありがとう〜〜 教えてくれて・・・ 」
「 ねえ。 いろいろさ、言葉とか・・・ わかんないこと、聞いてよね。 」
「 うん、ほんと ありがとう〜〜 うわ〜頑張らないと・・・うわ〜〜 どうしよう〜〜 」
「 ・・・ フランソワーズってさ。 なんか楽しいヒトだね。 」
「 え??? そ、そう??? 」
「 うん♪ なんか 気に入っちゃった、アタシ。 仲良くしよ♪ 」
「 嬉しいわあ・・・ ね、お友達になってね。 」
「 もう オトモダチ だってば♪ 」
「 あ、 そ、そうね。 」
二人は クスクス笑いつつスタジオに入っていった。
きゃ・・・ なんか ・・・ 思い出しちゃったなあ・・・・
こんな風に 女の子のお友達とおしゃべりして 笑って。
すっかり忘れてたわ ・・・ ああ、なんてステキなの・・・
ポアントを履きつつ彼女は自然に口元に笑みを浮かべていた。
本当に久しく忘れていた ― いや、 再び味わうとは思ってもいなかったこの雰囲気・・・
フランソワーズは 心の底から嬉しかった・・・・・!
・・・ いいのかしら。 こんなに幸せで・・・
踊れるだけでいいって思っていたのだけど。
あ。 『 ペザント 』 ・・・ ! 頑張らなくっちゃ・・・
きゅ・・・っとポアントのリボンを結ぶとフランソワーズは一息大きく深呼吸した。
彼女の新しい日々は 目まぐるしく巡り始めていた。
ザザザ −−−− ザザ −−−−
夜になると海は途端に饒舌になる。
日頃はもう気にもならない波の音が やけに耳につく。
ギルモア博士は ふと目覚めた床の中でそんな賑やかな波音にしばらく耳を傾けていた。
「 ふうん・・・ なかなか 意味深だな。 ふむ・・・言葉にも聞こえるものだな。
貝殻に海の音を聴いた詩人もおったが・・・ どれ・・・ 冷えるのう・・・ 」
やおら起き出しガウンを引っ掛け ― そっと廊下に出たが 思いの他、冷えた夜気に驚かされた。
博士は足早に洗面所に向かった。
「 やれやれ ・・・ トシはとりたくないものじゃなあ。 朝までぐっすりと眠りたいものだ。
・・・ うん? 消し忘れか・・・ 」
自室に戻る途中、 月明かりの差し込む廊下に細い灯りの帯が一筋伸びている。
「 リビングは ・・・ フランソワーズが最後に電気を消したはずじゃが。 」
博士は細めに開いていたドアをゆっくりと引いた。
「 ・・・? まだ だれか起きておるのかい。 あや ・・・・ 」
リビングに足を踏み入れ、博士はそのまま棒立ちになってしまった。
灯りのモトは つけっ放しのDVD用モニターで ― 勿論画面は真っ白だった。
肝心の観賞者は もうとっくにソファで沈没、ガウン姿の風呂上りの風情だ。
「 おいおい ・・・ 今度こそ本当に風邪を引くぞ? おい ・・・ フランソワーズ? 」
ちょんちょん・・・と肩を突いてみたが 目覚める様子は一向にない。 どうやら熟睡しているらしいが・・・
「 おや、そんなに疲れたのかい。 ・・・ うん? なんだ、これは・・・ 」
ふと 目を転じればテーブルの上には2〜3本のペット・ボトルが空になっている。
風呂上りに彼女が飲んだのだろう。
「 毎日奮戦しておるかのう。 どれ・・・毛布でも持ってきてやるか。 ・・・うん???
これは ・・・ ありゃ 〜〜〜 」
そこはかとなくアルコールの匂いが漂ってきた。 ― 要するに酒臭かったのだが ―
博士はテーブルの上に転がっていたペット・ボトルを手に取った。
「 うん? こりゃ・・・ カクテルじゃないか。 これも ・・・ こっちの缶は発泡酒じゃな。
あ〜あ・・・ お前、これを全部飲んでしまったのかい・・・ 」
暗い常夜灯の下、よくよく見れば 彼女の頬はいつもより大分赤い。
「 自分で買ってきたのかな? ・・・あ! そうじゃ〜 これはコズミ君から回ってきた お歳暮 とかで。
とりあえず冷蔵庫に突っ込んでおいたのじゃったが。 う〜ん、すっかり忘れておった・・・
おい? フランソワーズ?? おい。 」
今度はゆさゆさと肩を揺すってみたのだが ―
彼女は薔薇色の頬を見せたまま、ぐっすりと寝入っていた。
「 フランソワーズ? 風邪、引くぞ。 おい・・・? 」
「 ・・・ う〜ん ・・・? はぁい〜〜 ジュース、美味しいかったでぇ〜すゥ〜〜 」
「 え。 ジュース・・・ あ。 お前・・・ジュースだと思ってたのかい。 」
博士は 洒落たデザインのペット・ボトルを手に取った。
端っこに アルコール飲料 とか 発泡酒 と記してあるのだがあまり目立たない。
ぱっと目に飛び込んでくるのは ピーチ味! とか レモン果汁50% とかいう文字だ。
「 ・・・ こりゃ 明日は完全に二日酔いだぞ? やれやれ・・・二日酔い用の薬でも作っておくか。
おっと その前に毛布を持ってこんとなあ。 ワシではお前を運べんから。 なあ? お嬢さんや・・・ 」
博士はそっと亜麻色の髪をなでると ぱたり ぱたり 自室に戻っていった。
― こん こん・・・こん
「 ・・・・ フランソワーズ ・・? 具合はどう? 入ってもいいかなあ・・・ 」
ドアの向こうで心配そうな声がこそ・・・っと聞こえてきた。
こん こん ・・・ こん。
ごくごく控えめなノック が続く。 本当に小さな音・・・のはずなのだが。
「 う ・・・ うううう ・・・ジョー ・・・ お願い〜〜 大きな音でノックしないで・・・ 」
「 え?? なに? 入るよ! 」
― バン ・・・!
彼は おそらく最大限にそう〜〜っとドアを開けたつもり らしいのだが。
「 うわ・・・・ ジョー ・・・ そんなに乱暴に ・・・開けないで・・・ 」
ベッドの奥からくぐもった声が 絶え絶えに聞こえてきた。
「 え? なに??? どうしたんだい? 」
「 ・・・ お願い ・・・ もう少し静かに して・・・ 」
「 え? 」
「 アタマ ・・・ に響くの・・・ いたた・・・・ 」
毛布の間から そう〜〜っと亜麻色の髪が現れた。
「 なんだ・・・ よかった。 ほら 薬。 博士が昨夜ね、作っておいてくれたんだって。 」
はい、と差し出された薬とコップに フランソワーズはのろのろと手を伸ばした。
翌朝 ―
博士はけたたましいノックの音で 起こされた。
「 博士! 博士〜〜! フランソワーズが! 具合が悪くて起きられないっていうんです!!
どうしてリビングで寝てるのかな・・・ 早く 診てやってください!! 」
ジョーが がんがんドアを叩きつつ怒鳴っている。
「 ・・・ なんじゃい。 ああ ああ 今ゆくよ。 そんなに騒がんでもいい。
ジョー! おい。・・・ ドアが壊れるぞ! 」
「 え!? だって! あの元気な彼女がアタマを抑えて唸っているんですよ?
昨夜はあんなに元気だったのに・・・ ! いったい何があったんだろう!
どこか不具合があるのでしょうか。 博士〜〜 すぐにメンテナンスを・・・ 」
「 わかった、わかった・・・ おい、そうがんがん叩くのはやめろ。 」
博士がドアを開けると ジョーが飛び込んできた。
「 博士! 早く来てください! ほっとうに真っ青で・・・ あんなフラン、見たことない 」
「 おい、 ジョー。 安心しなさい。 二日酔いで死んだものはおらんからの。
ほい・・・すぐに行くぞ ・・・ 」
「 ふ ・・・二日酔い??? 」
「 そうじゃよ。 ・・・ お前、ともかく彼女を部屋のベッドに運んでやってくれ。
・・・おい? ジョー、お前 彼女に悪さをするなよ? いいな。 」
「 博士〜〜 ひどいですよ〜〜 そんなコト・・・ する ・・・わけ ない・・・ か な・・・? 」
ジョーはもごもご尻切れトンボな返事をし そそくさとリビングに駆けていった。
「 ふん ・・・ でもまあ、それが健全な青少年、というところかの。
どれ。 昨夜の薬を処方するか。 ・・・酔っ払い姫を介抱してやらねばの。 」
博士はくすくす笑いつつ 夜中に調合しておいた薬を取りだした。
特製の薬をなんとか水で流し込み フランソワーズはまた毛布の奥に潜りこんでしまった。
「 ・・・ あ ありがとう ・・・ いたた・・・ 」
「 具合、少しはよくなったかい。 なにか食べられそう? 」
「 ・・・ ううん ・・・ いい。 きもち 悪くて だめ・・・ 」
「 じゃあさ、出来るだけ水分摂った方がいいよ。 ここにペット・ボトル 置いておくね。 」
「 ・・・ ありがと ・・・ ジョー ・・・ 」
「 あの、さ。ごめん・・ カクテルとか缶チューハイとか、ジュース類と一緒に冷蔵庫に入れたの、ぼくなんだ。
ちゃんと別々の場所に分けておけばよかったよね。 」
「 ・・・ ううん ・・・ わたし、もっと注意して ・・・見れば・・・ イタタ・・・・ 」
「 ああ、ちゃんと寝てなよ。 ほら ・・・ これ、オデコに貼ってさ・・・ 」
「 なあに、これ・・・ 」
「 冷却シートさ。 発熱とか頭痛の時にいいんだ。 」
「 そう・・・ よく知ってるのね。 ジョーも ・・・ 経験 あり? 」
「 あは ・・・ 本当はマズいんだけどさ。
施設にいる頃、神父様にナイショでこっそり・・・ミサ用のワインを全部飲んじゃって・・・
翌日 すげ〜二日酔いで もうバレバレ。 」
「 まあ ・・・ 叱られたでしょう? ・・・ いたた・・・ 」
「 ううん 呆れて怒る気にならないって。 今はもうそんなことはないと思うけど。 」
「 ・・・ わたし、結構飲めるのよ。 パリでは ・・・ あの、昔ね・・・ワインとか飲んでたのに・・・
こんなことって ・・・ 初めて・・・ 気持ち わる〜い・・・ 」
「 カクテルって強いんだ。 口当たりがいいからどんどん飲んじゃうけどね。
アルコール度は高いよ。 だから悪酔いすることが多いのさ。 」
「 そうなの・・・甘くて美味しい〜〜って ジュースだと信じてたんですもの。
缶のもね、すっきりして美味しいなあ〜って。 ああ・・・あんなに飲むんじゃなかった・・・ 」
「 あのね、フラン。 二日酔いには最高によく効く薬があるんだ。 」
「 え・・・ 博士の薬よりも効くものがあるの? 」
「 うん。 それはね、 時間 さ。 大丈夫、午後には元気になってるから。
じゃあ ぼく、行くね。 博士も今日、用事があってお出掛けなんだって。 」
「 あら そうなの? あ ・・・ 朝御飯と お弁当・・・ 作れなくてごめんなさい・・・ 」
「 いいよ いいよ。 具合の悪い時にはしょうがないもの。 」
じゃ ね バイバイ・・・とジョーはひらひら手を振って 出かけていった。
「 ・・・ バイバイ ・・・か。 あ〜あ ・・・ イッテキマスのキスくらいして欲しいのに・・・
あ。 こんなお酒臭いんじゃ ダメだわ。 ・・・アタマ いた〜い・・・ 」
再び彼女はベッドに潜りこんでしまった。
昼過ぎになると フランソワーズの頭痛も大分治まり 気分もかなりよくなってきた。
ベッドを抜け出し熱いシャワーを浴びると 随分すっきりした。
「 う〜ん ・・・ 本当に 時間がクスリ なのねえ。
あら。 ヤダ、もうこんな時間〜〜 お掃除でもしようかしら。 」
食欲はまだなかったけれど、とりあえず彼女はリビングに降りてきた。
平日の午後 二月の陽射しが華やかに広い部屋に満ちている。
光だけが遊ぶリビングは 一層ガラン ・・・とした雰囲気だ。
「 ・・・ なんだか淋しいわね。 あら? 」
リビングは相変わらずごたごたしていたが テーブルの上にノートが広げてある。
「 やだ・・・ ジョーの忘れ物かしら。 ・・・え? 」
その紙面には ―
酒 発泡酒 カクテル 日本語とフランス語で記されていた。
隅の方に ビール ワイン チューハイ も書き加えてあった。
「 まあ・・・ これ 博士とジョーね? うわ〜〜嬉しいわ・・・ 」
彼女はしばらくじ〜っと 紙面と見つめていた。
「 そうよ。 ちゃんと日本語、読めるようにならなくちゃ。 お買い物だって不便だし。
いつまでもジョーや・・・周りの人たちに頼っていてはダメよね。
そうよ ・・・いつか ・・・ コドモが生まれたら名前とか日本語で書けないと困るわ。
コ ・・・ コドモ?? え・・・ ヤダ・・・! 誰のコドモなのよ・・・ 」
彼女は自分自身の発想に思わず頬を染める。
「 と、ともかく! 勉強よ! ・・・ ネットでなにか教材、探そうかしら・・・ 」
フランソワーズは そのまま共用のPCの前に座った。
「 え〜と ・・・? あら。 ニュースも見れるのねえ・・・ふうん・・・・ 」
検索を始めていて いつしか彼女はTVに画面を切り替えていた。
会話ならほとんど不自由はないので、どうしてもTVに頼ってしまう。
モニター画面には午後の番組がのんびりと映っている。
「 へえ・・・ 簡単・チョコレートのつくり方? 14日に間に合います って?
・・・ああ! ヴァレンタイン・デーね。 ふうん・・・ あら 美味しそう〜〜 」
フランソワーズはワイド・ショー的な地域番組を熱心に見始めた。
「 へえ・・・ これならウチでも出来そうね。 ふうん・・・ この国の人ってお家でチョコを作るのかしら。
チョコってやっぱり買ったほうが美味しいわよねえ・・・ 」
日本語の教材探しはすっかり忘れ 彼女はチョコの方に熱中している。
勿論 2月14日については彼女の国では恋人たちの日だった。
この国にチョコレート騒動とは違って 親しい人ともちょっとしたプレゼントを交換し楽しんだりもする。
特別に男性諸氏がチョコレートを気にする日 ・・・ではないのだ。
「 へえ・・・ 14日にねえ? ジョーってばデートに誘ってくれないかしら。
たまにはどこかステキなカフェとか レストラン に行きたいなあ ・・・ でも無理かもねえ。 」
ジョーの優しさはようく判っているけれど 未だにキスだけの彼にじれったい思いもある。
19歳のパリジェンヌは ちょっぴり溜息を洩らした。
「 ああ だめだめ。 彼は ・・・ 正真正銘の18歳なんだもの。
そうだわ! 今晩はう〜んと頑張って美味しい晩御飯、作ろうっと。
何がいいかしら・・・ ジョーの好きなもの・・・ オムライスはこの前ランチにしたし・・・
何が食べたい?って聞くと 決まって <ハンバーグ> なのよねえ・・・ 」
フランソワーズは今度は料理のレシピを検索し始めた。
「 お早う〜〜 フランソワーズ、昨日 どうしたの? 」
「 お早う、みちよ。 あの ・・・ええと・・・ 」
「 ?? ねえ、携帯、教えて? 心配しちゃったよ、風邪? 」
翌日、バレエ・カンパニーの更衣室でみちよが心配顔で話かけてきた。
「 ううん ・・・ あの、ね。 実はわたし ・・・ 」
「 女の子の日だったの? え ちがう??・・・ え〜〜 二日酔いィ??? 」
え??? 着替え中の仲間達がぱっと振り返り隅っこの二人をみつめた。
「 あら・・・ そうなの? ふふふ・・・ 可愛いわねえ。 」
「 フランスの人って 強いのかと思ってたわ。 そうなの〜〜 」
日頃挨拶をするだけの先輩や カンパニーの団員達もにこにこ笑っている。
「 ヤダ ・・・ みちよ、そんな大声で ・・・ 」
「 あは・・・ 真っ赤になって〜 フランソワーズ、可愛い〜〜 」
「 え・・・だって・・・ 」
「 あ、カレシと飲みに行ったのでしょう? 聞いたよ、茶髪のイケメン・ボーイだって。
ジュン先輩にさ、 僕の彼女ですって言ったって♪ 」
「 みちよ〜〜 お願い、 ナイショにして・・・・ 」
「 あら、皆知ってるよ? でもね、男子どもは14日のチョコ 期待してるらしいよ。 」
「 14日の ・・・ チョコ?? 」
「 バレンタイン♪ フランソワーズの国でもあるでしょう? 」
「 ええ ・・・ でも特にチョコレートを贈るってわけでもなかったの。
花束や マカロンとかクッキーとか・・・ちょっとしたものをプレゼントし合ってたわ。
あ ・・・ い、今は違うの? 」
「 今? え・・・さあ〜 いつからこんな騒ぎになったか知らないけどね〜
ともかく本命であってもギリでも友達でも。 男子どもはチョコを待ってるわけ。 」
「 ふうん・・・ そうなの。 あ・・・じゃあ ジョーも・・・待ってるのかなあ・・・ 」
「 へえ? ジョーっていうんだ、あのカレシ♪ ふう〜ん いいなあ。 今度紹介してよ。
そうだ、一応ね、リハーサル中のパートナーには チョコ上げてるよ。 」
「 え。 そうなの?? 」
「 うん、まあ お遊びだからそんなに気にしなくていいのよ、義理チョコだしね。 」
「 ・・・ そうなの・・・ 」
ぎりちょこ ?? 特別なチョコレートなの??
大変・・・! 昨日のTVでやってたみたいに手作りチョコとか作らないといけないのかしら。
そうよ、ジョーも 期待してるわね、きっと。
・・・ あ! ・・・ 学校で ・・・ 山ほど貰ってくるわ ・・・ええ 絶対に・・・!
フランソワーズの目には 先日の <がくしょく> でもジョーの姿がしっかりと浮かびあがってきた。
両側に女子学生がぴったりと座っていた。 短いスカートにきんきらのツメにくるくるなが〜い睫毛だった・・・!
お弁当の中身もしっかり覗き込んでいたっけ・・・!
・・・ 『 お姉さん こんにちは 』 ですって ?! ・・・ふん!
ま、負けないから。 誰よりも美味しいチョコ ・・・作るわ!
「 フランソワーズ?? なに ぼ〜〜っとしてるの? ほら〜〜もうすぐ始まるよ! 」
「 ・・・ え ・・・? あ!? い、いっけない〜〜 」
ドアの外からのみちよの声に気がつけば ― 更衣室の中にはもはや誰もいなかった。
「 はい! 今ゆくわ! ・・・えっと・・・・ ゴムとピン ピン〜〜〜ブラシはどこ?? 」
フランソワーズは大慌てで大きなバッグの中をひっかき回し始めた。
「 ・・・あ、いたいた! 島村く〜〜ん! 」
「 あ。 ヤマダさん ・・・ 」
賑やかな声と一緒に 化粧品の匂がうわ・・・・っと漂ってきた。
ジョーは 一瞬眉を寄せたがすぐに顔を上げた。
お昼時の学食は 試験休みに入ったとはいえ結構学生たちがうろうろしている。
「 ねえねえ 今日の授業も出た? 」
「 うん。 もうあと2回でお終いだからね。 」
「 そうだっけか? ねえ、お願い! またノート コピーさせて。 」
「 いいよ。 でも 間違えてるかもしれないよ、保証はナシだけど。 」
「 いい いい! 島村君のノートってものすご〜〜く細かいからさ、助かっちゃう〜
アタシら 補講組はさあ、レポート出さないと単位 パーだからあ。
あ ねえ? ミント味とぉ〜 ワサビ味とぉ〜 どっちが好き? 」
「 ・・・ は?? み、みんと と わさび ??? 」
「 そ。 っていうかァ 苦手 はある? 」
「 苦手?? ・・・ う〜ん ・・・ 動物全般は大丈夫だし。 昆虫も・・・ あとは、う〜ん?? 」
「 あ、食べ物よ、例えば・・・・ほら 甘い物とかでさ。 」
「 甘いもの? ・・・う〜ん??? ウチのオヤツは全部好きだしなあ。 特にないよ、苦手は。 」
「 ふうん、そうなんだ♪ よ〜かった。 あ 今日はお弁当じゃないんだ? 」
「 うん。 ちょっとね ・・・ 具合悪いっていうからさ。 」
「 ? あ、この前の美人のお姉さん? ・・・ もしかしてオメデタとか〜? 」
「 ・・・ え!??? あ ・・・ そ、そうじゃないんだ ・・・ と思う ・・・ ケド・・・」
「 ?? 14日ってさ。 向こうでは恋人たちの日、なんでしょ。 」
「 あ、そ、そうなんだ? ふうん ・・・・ 」
・・!? ってことは。
なにか ・・・ そうだよ、チョコとかプレゼント待ってるかもしれないよな・・・フラン・・・
・・・よ、よし! ぼくも ・・・!
「 あの! ヤマダさん! 」
「 な、なに。 」
「 チョコのつくり方って。 載ってる雑誌、教えてください! 」
「 え ・・・ 今なら女の子向けのなら大抵載ってるけど・・・ 島村君 ・・・ 作るの? 」
「 そっか。 それじゃ・・・生協で買って帰らなくちゃ! あ、どうもありがとう〜〜 ! 」
ジョーはがば・・・!っと立ち上がるとそそくさと荷物をまとめた。
「 ・・・ 島村君 ・・・ チョコ、作るの ? 」
「 え? あ うん! ありがとう〜〜 ! 」
笑顔満載で セピアの髪を揺らし彼は生協に飛んでいってしまった。
「 ・・・ あ ・・・ ノート・・・ しまったァ・・・ 」
「 ヨーコ! どしたの。 」
「 あ・・・ レイコ〜〜 ねえねえ 島村君って。 コレかも・・・よ? 」
「 コレ??? え・・・ ウソぉ〜〜 ・・・ でも その雰囲気、アルかも。 彼ってメンズ・モテ系?? 」
「 でしょ! 彼さあ これからチョコ作りに励むんだって! 」
「 うわ〜〜〜 マッチョな カレシ でもいるのかな?? 」
「 さ、さあ・・・ 案外 シブいお兄サマ〜〜がいたりして・・・ 」
「 うん。 興味あるね! 14日の授業、来ようかな♪ 」
「 うん♪ でもさァ ・・・ アタシもチョコ、渡したいんだけどなァ〜 」
「 や〜ん アタシもツーショットして待ちうけ画面にしたいィ〜〜 」
「 じゃ! つくろっか。 あ、買ったほうが早いよね。 」
「 うん! 作るのはメンドイもん。 」
「 じゃ さァ? 」
「 ウン? 」
キラキラネイルの女子学生たちは相変わらず 島村君 に興味津々らしい。
当のシマムラ君は女子向け・きゃぴきゃぴ雑誌をしっかりと抱え 得々として家路についていた。
「 あ! スーパーに寄らなくちゃ! でも チョコ用の材料なんて売ってるかなァ・・・ 」
彼は女子が群がる特設売り場の存在など 知るはずもなかった・・・
「 じゃあ ・・・ とりあえずやってみようか。 」
「 はい。 お願いします。 」
「 こちらこそ。 それじゃ ・・・ 7 8 ・・・ で音、出すからね〜 」
「 はい。 」
フランソワーズは強張った顔でスタジオの端で プレパレーションをした。
すぐに軽快なテンポの音楽が流れ始め男性が駆け寄ってきた。
「 ・・・と はい 次から! 」
「 はい! 」
二人はリズムに乗って一緒にステップを踏み始めた。
フランソワーズが通うバレエ・カンパニーでは レッスン生たちの舞台が近づいてきていた。
皆 それぞれに練習をしてきたが、パ・ド・ドゥ組はパートナーとのリハーサルも加わる。
「 ・・・ よく音、聞いて。 もう少しゆっくり ・・・ そうだね〜 」
彼女のパートナーはカンパニーの若手ダンサーで長身の青年だ。
「 うん ・・・ そう そのまま・・・ 力、抜く〜 大丈夫、しっかり支えているから 」
軽快なテンポの曲に乗り、二人は澱みなく踊ってゆく。
・・・・ タン ・・・!
やがて二人はフィニッシュのポーズを決め 音楽は同時にぷつり、と消えた。
「 ・・・ うん ・・・ 振りはちゃんと入っているね。 」
「 は・・・ はい ・・・・ ああ ・・・ ごめんなさい ジュンさん・・・ なんだか わたし・・・
なんだか ・・・ だめです 」
「 え? 別に君 間違えてないよ? 」
「 は・・・ はい ・・・ でも なんか。 うまくないです、わたし・・・ 」
パートナーの青年はタオルでゴシゴシ汗を拭っている。
「 うん、間違えてないし きちんと踊ってる。 う〜ん・・・あのさ、言ってもいいかな。 」
「 ・・・ は、はい。 どうぞ・・・ 」
フランソワーズもタオルの中から そ・・・っと顔を半分だけ覗かせた。
「 この踊り 『 ペザント・パ・ド・ドゥ 』 だよね。 『 ジゼル 』 の一幕の。 」
「 はい・・・ 」
「 ペザント、なんだ。 元気な田舎の、農村のあんちゃんとネエちゃんの踊りさ。
・・・ 優雅な昔のお姫様じゃない、ってこと。 」
「 ・・・ あ ・・・ は、はい・・・ 」
「 ムカシ風な こう・・・大袈裟な動きはいらないよ。 今っぽくていいんだ。 」
「 ・・・ 今っぽく・・・? 」
「 わかるかな。 元気な村娘を踊ってごらんよ。 こう・・・ピチピチした、さ。
君 いくつ。 19? それじゃあ そのまんま の元気さで踊ったらいいよ。
妙に作る必要はないと思うなあ。 19歳〜〜ってカンジで。
きっと今までの君の踊りにはない魅力が出てくると思うな。 」
「 はい ・・・ 」
「 じゃ さ。 始めから止め 止め でいってみようか。 」
「 はい、お願いします。 」
きゅ・・・っとタオルで顔を拭くと フランソワーズはスタジオのセンターに進み出た。
スタジオに 再び軽快な音楽とダンサー達の足音が響き始めた。
「 ・・・ こんなカンジかな。 うん 次までに自習しておこう。 」
「 ・・・ はい ・・・ ありがとうございました。 」
「 焦る必要、ないよ? 君、上手いよ。 ただ こう〜 表現の方法をもっと考えてみれば? 」
「 はい あ ・・・ わたし、上手くなんてないです。 」
「 僕さ、ラッキーって思ってるんだ。 君と組んでみたいなって思ってたし。
ふふふ・・・あのさ、チョコ 期待してるね。 あ、またあの茶髪の弟さんに叱られるかな。 」
「 ・・・ あ ! え ・・・いえ ・・・そのう・・・ 彼は 」
「 ははは 冗談だよ〜〜 カレシだろ? 」
「 え ええ、ソウ・・デス。 」
「 真剣だったよなァ、カレシ。 ちょっとこう・・・ 迫力があったし。 」
「 え。 そ、そうですか。 」
「 うん。 ああ、コイツ本気なんだなってすぐに判ったもの。 」
「 あ・・・ はい。 」
「 君、幸せだね。 ふふ〜ん アイツがちょっと羨ましいや。 」
「 ジュンさんったら そんな ・・・ 」
「 ともかく、君がもっともっと上手くなれるように協力するからさ。
君も頑張れよ。 いろいろあってもまた踊れるようになったんだから、さ。 」
「 え? あの ・・・わたしのこと、ご存知なんですか。 」
「 詳しいことは知らないし、興味ないよ。 聞いたのは事情があって少しブランクがあるんだってことだけ。 」
「 はい。 あの・・・ <少し> じゃない かも・・・ 」
フランソワーズはタオルを握り締めたまま 全身から汗が噴出してくる思いだった。
やっぱり ・・・ わたしはもう踊るべきじゃなかった・・・のかもしれないわ・・・
ああ いい気になっていたのが恥ずかしい
「 過ぎたことなんか もう関係ないだろ。 次のこと、考えよう。 」
「 ・・・え? 」
「 昨日の失敗をぐちゃぐちゃ悩むくらいならさ 酒でも飲んでが〜〜っと寝ちまって。
また明日 頑張ったほうがず〜っといいと思うよ。 」
「 ・・・ お酒は ・・・ もういいです ・・・ 」
「 あ? ・・・ああ! 聞いたよ〜〜 二日酔いで休んだんだって? 」
青年はついにクスクス笑い始めてしまった。
「 え! う、ウソ〜〜どうして知っているのですか・・・ きゃ・・・ 」
「 え〜 もう有名だもの。 更衣室で話せば筒抜けだよ。 ま、いいさ いいさ。
いろんなこと、やって。 元気なペザント、踊ろうよ な? じゃ・・・お疲れ〜〜 」
「 は ・・・ はい! ありがとうございましたッ! 」
フランソワーズは スタジオから出てゆく青年に深々とアタマを下げた。
カタン コトン ・・・ カタン コトン ・・・
抱えている大きなバッグの中身が 一緒に音をたてる。
「 ・・・あら。 ポアントがぶつかっているのかな。 今晩、何にしようかな・・ 」
フランソワーズは よいしょ・・・っとバッグを抱えなおした。
・・・ カッタン ・・・
靴はまたまた元気な音をたてた。
「 そっか。 元気なペザント、よね。 ぐちゃぐちゃ悩んでも・・・仕方ないわよね。
あ は。 なんだかちょびっと気が楽になってきた・・・かなあ。 」
リハーサルを終え、彼女は午後の陽射しの中帰りを急いでいた。
「 踊れるだけで幸せ、なはずよね。 ジュンさんって いい方だわ。
― そうよ! チョコ、作らなくっちゃ! チョコ!!
ジョー ・・・ きっとすごく待ってるわ。 うん、絶対に。
そうよ! ジョーは この時代のオトコノコなんだもの。 それで ・・・ うん!
わたしも ね。 この時代に生きてる女の子、なんだわ。 」
・・・ コトン ・・・
ポアントがバッグの中で応援してくれている・・・。
「 よぉし。 まずは・・・ 材料 買って帰らなくちゃ!
え〜と・・・? なんだか高そうなスーパーが こっちの通りにあったはず・・・ 」
彼女の足取りは急に軽くなり 今晩のオカズ・・・は完全に彼女の脳裏からは退場していた。
キ ・・・ ィ ・・・・
二階のどこかでドアが ― そう・・・っと開いた。
コト コト ・・・コト
そう・・・っと 静かに。 もう皆はとっくに寝てるんだから。
・・・ ガサ ゴソゴソ・・・
しッ! 手元に袋を慌てて抱え込んだ。 うん 忘れ物は ・・・ ない。
アレも コレも 。 もちろん記事もちゃんと切り抜いておいた。
いや 今日はしっかり何回も何回も読み直しもう手順は ばっちり。
あとは ・・・ 後は。 ・・・ つくるだけ・・・!
コトリ。 ドアの取っ手に手を掛けて そう・・・っと引く。
キ ・・・ ィ ・・・・
は! もう〜 ・・・ このドアってこんな音たてたっけ?? そうっと そうっと・・・
うん、 誰もいない。 こんな時間だもの、当たり前。
いつもごたごたしているリビング、障害物の間を巧みにすり抜け ― そう、これは戦士としてのカン!
目的地はもう目の前・・・ ! 電気は当然消えてるし 大丈夫、大丈夫・・・・
ん ・・・??? な、なんだか いい匂いが ・・・?
! なにか ・・・ いる! 暗闇の中に なにかが ・・・活動してる!
ようし・・・ こっそり近づいて。 電気のスイッチを ・・・ ON !!
「 誰だっ !?? あ ・・・ あああれ!? 」
「 きゃ ・・・?! 誰ッ!? あ ・・・ あああ?? 」
突然灯りのついたキッチンで ジョーとフランソワーズは鉢合わせをしてしまった。
フランソワーズの手には 湯煎にかけていた小鍋が甘ったるい匂を漂わせているし
ジョーは片手に ココア・パウダーやら板チョコの詰まった袋を抱えていた。
「 あ ・・・ あの。 チョコレート・・・作ってたの・・・ 」
「 ・・・ あ そ、そう? 偶然だね ぼくも チョコ、作ろうとおもって・・・ 」
「「 誰にあげるの 」」
「「 ・・・ァ ・・・ 」」
二人は思わず固まって お互いをじっと見つめあうばかり ・・・
「 ・・・ あの。 14日って。 オトコのヒトは チョコを待ってる日なんでしょ・・・ 」
「 バレンタインって。 恋人同士でプレゼントしあう日なんだろ? 」
「「 あ ・・・ 」」
・・・ くす・・・ッ
赤茶と碧の瞳が見つめあって笑い合う。
「 ジョー・・・ こんなチョコ ・・・ イヤ? 」
フランソワーズはおずおずと小鍋を持ち上げた。
「 わあ 良い匂だなあ。 なあ。 ぼく、この前・・・カノジョだ、って言ったよね? 」
「 ん ・・・ 」
「 花束とかの方がよかったかなあ。 ぼく チョコなんて作ったことないんだ・・・
でもどうしても何かきみにプレゼントしたくて。 ほら こんなの買ってきた。 」
ジョーは抱えていた材料を見せた。
「 まあ ・・・ ジョーったら ・・・ 嬉しい・・・! 材料だけでもすごく嬉しいわ。 」
「 え えへへへ ・・・ そう、かな。 」
「 ジョー。 あの ・・・ ね? 」
「 ・・・ うん ・・・? 」
「 ― 大好き〜〜 ! 」
「 うわ! ・・・・ うん、ぼくも ・・・ 大好きさ! 」
小鍋を持ったまま飛びついてきた彼女を ジョーはしっかりと受け止めた。
「 ・・・ なあ?本当はさ、チョコよりか欲しいものがあるんだけど・・・ 」
「 え。 なあに。 」
「 うん ・・・・ き み ♪ 」
ジョーは紙袋を置くと ひょい、とカノジョを抱き上げた。
「 そのチョコはね ・・・ 誰か他のヤツにやりなよ、 義理ちょこですって。
ぼくは ・・・ こっちがいいな♪ ぼくの宝モノだもの。 」
「 ジョー・・・ 素敵♪ 」
フランソワーズは小鍋と一緒にきゅ・・・っとカレシにしがみつき 耳元でそっと囁いた。
「 どうぞ ・・・ 味見してください。 」
「 ― ありがとう ・・・! 」
ジョーはそのまま 彼のタカラモノを大事に大事に寝室へと運んでいった。
ふう ・・・
ぽわり、と熱い吐息を 宙に放つ。
いつもと同じベッドなのに いつもと同じ夜なのに
― ううん。 全然 ちがう わ。
優しい瞳の茶髪ボーイは 圧倒的な情熱で彼女の中を煮え滾らせ・・・駆け抜けていった。
・・・ ああ ・・・
フランソワーズは 今、満ち足りた想いに全身で浸っている。
彼女は汗ばんだ身体を こそ・・・っと彼に摺り寄せた。
やっぱり ・・・ オトコノコなんだわ・・・
広い胸板が とてもとても頼もしく思えた。
・・・さっきまであんなに昂ぶっていた彼はのんびりゆるゆると腕を動かし亜麻色の髪を弄る。
「 ・・・ あの さ ・・・ 」
「 ・・・ なあに ・・・ 」
「 きみ、さ。 オメデタの日、だった? 」
「 ・・・ は?? 」
「 だって・・・気分、悪いって。 二日酔いじゃなくて本当はオメデタの日だったのかなって・・・ 」
「 お おめでた の日?? 」
「 うん。 女のコには月に一回、あるんだろ? オメデタの日って。
気分悪かったり お腹、痛かったり。 もしかして、って思って・・・ 」
「 ・・・・・ 」
フランソワーズは思わず! 半身を起こし真正面から彼女のコイビトを見つめた。
「 あ・・・れ ちがったのかなァ? そんなら いいだけど、さ・・・ 」
赤茶の瞳が屈託なく 微笑む。
・・・ これは! 基礎からしっかりとレクチュアしなくっちゃ!
再び彼のすべすべした胸に顔を擦りつけつつ フランソワーズは固く決心をした。
「 あのね、ジョー。 チョコの作り方よりも大切なこと、教えるわ! 」
街外れ ― 岬の突端に建つちょっと古びた洋館に。
当主のご老人と。 眠ってばかりいる赤ん坊、そして 茶髪の青年と金髪碧眼の美人が
穏やかに・和やかに 甘〜い日々を送っている。
・・・ そう ずうっと ・・・。
***** おまけ ( 14日 当日 ) *****
とある大学の裏門で。
人待ち顔のレンタカーに 茶髪ボーイが駆け寄って行く。
コンコンコン ・・・
窓から覗いたのは 銀髪のシブい独逸紳士・・・
「 アルベルト! ごめん〜〜 空港まで迎えに行けなくて・・・ 」
「 おうよ、構わん。 学業優先だ。 それよりな ほい、これ。 」
「 わ・・・! すごい綺麗な花束だね〜 どうしたの。 」
「 は! 今日はバレンタイン・デーだろうが。 お前、フランに花くらい贈ってやれよ。 」
「 え〜〜 わ〜〜 ありがとう! へへへ・・・ 悦ぶよ〜〜 彼女〜〜 」
「 ほら、乗れ。 ついでにお前をピック・アップしてこい、と博士の命令さ。 」
「 あ、グレートや張大人も来るって。 賑やかで楽しいなあ・・・ 」
ジョーはにこにこ花束を大事そう〜〜に抱え、車に乗り込んだ。
門の陰には花の女子学生が二人しっかりへばりついていた。
「 ちょ・・・ みた?? ヨーコ・・・! 」
「 うん、見た!! 」
「 ・・・ やっぱり! 」
「 うん! シマムラ君って。 BL系だったんだ!! 」
・・・ こうしてジョーは学業に集中できる環境を手にいれた・・・
**************************** Fin. *****************************
Last
updated : 02,09,2010.
index
*********** ひと言 **********
え〜っと。 これは 『 鬼 』 の続編であります。
つまり平ゼロ設定 で時間軸もほぼ 『 鬼 』 に続いています。
( 内容的に多少矛盾がありますが ・・・・ その辺はお目こぼしくださいませ<(_
_)> )
もじもじ・カプの その後・・・ってか ジョー君 首尾よく ゴチソウサマ と相成りました♪
相変わらず ぜ〜〜んぜんまったく 009 じゃないのですが・・・・
こんな穏やかな日々が きっと オン・エア の裏では流れていたのではないか・・・と
信じたいので・・・ついつい・・・ (^_^;) 冬の日溜り小話、と楽しんで頂ければ幸いです。
ご感想の一言でも頂戴できましたら 狂喜乱舞♪<(_ _)>