『  いとしい人 ― (2) ― 』

 

 

 

 

   パン ッ !  

 

真っ白に洗いあげたリネンを 両手で広げる。

「 う〜〜ん  すっきり洗えたわね〜 

 いいお天気だし ―  この分ならパリっと乾くわ 」

彼女は空を見上げ にっこりした。

「 ここは本当に暮らし易い地域ね。

 それにこのお家はとてもよくできていて 気持ちがいいわ。

 お庭も広いし・・・ 特にこの洗濯モノ干し場は最高だわ 」

 

   パチン パチン パチン。  洗濯ハサミでしっかり留めて。

 

洗いあげたタオルやらリネン類を乾してゆく。

「 う〜〜ん いいわねえ この眺め〜〜

 ロンドンでは こんな天気の日ってあまりなく て ・・・ 」

 

    あ ・・・?  ロンドンの空って

    ・・・ どんな色 だっけ?

 

    空 ・・・?  そ ら ・・・

 

「 ・・・ 」

突然 得体の分からない不安が湧いてきた・・・

「 え ・・・ 私の故郷の空は ・・・ 空 は 」

しっかりと顔を上に向け 水色の空の向うに故郷を思い浮かべて ・・・

 

     ・・・・・ !!!

 

突如 真っ暗な閉鎖された空間が < 見えた >

 

    これが お前の故郷の空 だろうが!

 

「 ! ・・・ そんな  ああ でも・・・ でも!  」

 

真っ暗な闇の奥に ぼう〜っと薄暗い灯がともる。

その回りに 多くのヒトが蠢いている。

・・・申し訳程度に布を身体に巻きつけ 皆 無言だ。

虚ろな瞳 生気のない目 投げやりな眼差し ・・・

 

 ― 次は 誰の番 ・・・?

 

ぶるり と身体を震わせ 皆 ますます縮こまり 

その日 をただ ただ 恐れている だけ。

 

     我々は  食用肉 だから

 

あの鉄格子が開く時は 誰かが < 使われる > のだ。

 

「 ウソよっ!!  そんなこと ウソ ・・・ 」

 

   パンッ !!!  なにかがアタマの中で弾けた。

 

「 ・・・ う ・・・ 」

カタン。  彼女は モノ干し場で思わず 膝を突いてしまった。

 

 

   カタカタ カタ ・・・!  

 

サンダルの足音が 駆け寄ってきた。

「 ヘレンさん!!! どうしました?? 

大きな手が そっと彼女の背を支えてくれた。

「 ・・・ あ ・・・ ジョー さん ・・・ 」

「 気分 悪いですか? あ 無理に立たないで・・・ 」

「 ・・・ ご ごめんなさい・・・・ 大丈夫・・・ 」

「 でも  眩暈? 」

「 え  あ そう  あのう あんまりお天気がよくて

 気持ちいいので お日様 見てたら ・・・ 眩しくて  」

「 まぶしい?? 本当にそれだけですか 」

「 ええ ごめんなさい  ご心配かけて ・・・

 うふふ  あのね ロンドンってなかなかこんなに綺麗に晴れた日って

 ないんです。 ここは ・・・ 素敵ですね 

「 そう ・・ ですか   本当に大丈夫? 」

「 はい。  ほら 〜〜 お洗濯モノ〜〜

 きっちり乾せましたわ。  いい眺め 〜〜〜 」

彼女はしっかりと立ち上がると 物干し場に向かって両手を広げた。

「 ああ そうですね。 今日は天気がいい ・・・ 」

「 素敵なトコロに素敵なお家があって・・・

 ジョーさん 幸せですね 

「 あ ・・・ あ〜〜 確かにここはいい土地柄です。

 あのう もう本当に大丈夫? 」

「 はい。 元気です! 」

「 そっか よかった ・・・

 あのう すみません ぼく、午後から出かけます。 」

「 え お出かけ・・・?  ジョーさん だけ? 

「 アルベルトも出掛けます。 一週間はかからない と思うけど 」

「 え 一週間?  ・・・ 国外? 

「 ウン。 ぼくは フランスからアフリカへ 

 アルベルトは国内だけど   ちょっといろいろありまして 」

「 そう ・・・ お仕事ですのね?

 あの ・・・ アルベルトさん って ちょっと怖いわ 」

「 ・・・ 彼の手のこと? 」

「 手? いいえ そうじゃなくて・・・

 なんか・・・ 私のこと、嫌いみたい。 」

「 え  そんなこと ないですよ 」

「 ・・・ だっていつも不愛想だし ・・・

 それに ・・・最初に会った時から 私のこと、気に入らないみたい 」

「 あ 〜 もともと誰にも不愛想なヤツで 」

「 ・・・ 疑ってるわ 私のこと 」

「 疑う?? 」

「 ええ ・・・ なにかの目的があってこのお家に

 入り込んできたのだって ・・・ 」

「 なにか言われた? 」

「 いいえ ・・・ だってほとんど口をきいてくれないもの 」

「 ・・・ すいません。 悪気はないんです。

 ただ ・・・ これまでにいろいろと あったので ・・・

 疑心暗鬼になってて 」

「 いいんです だって私 ・・・ ジョーさんに拾ってもらったんですもの

 疑われて当然です  」

「 拾った だなんてそんな 」

「 だってその通りでしょ? 」

「 そりゃ ・・・ まあ そうだけど 」

「 いいんです ― ジョーさんが 信じてくださるなら 

「 え  あ  あは  ぼ ぼくは信じてます ! 」

「 ・・・ ありがとうございます ・・・・

 あの ちゃんとお留守番してますから 」

黒目がちな瞳が まっすぐにジョーを見つめた。

「 ・・・ あ  うん。 留守を頼みます 」

「 はい。 ここのキッチンは素晴らしくて ・・・

 私でも簡単にお料理ができてとても楽です。 」

「 いやあ ヘレンさん、料理お上手ですよ

 あ ほら この前作ってくれたクッキー、ピリッとしてて

 とても美味しかったです 」

「 あ 気に入っていただけましたか? 

 嬉しい!  あれはジンジャー・ビスケットなんです、

 ・・・ 父の大好物なの。 父の ・・・ 」

すうっと 笑顔が曇った。

「 ・・・あ すいません ・・・ そのう〜 

「 ご ごめんなさい ・・・ どうぞ気になさらないで・・・

 あ 気をつけて行ってらっしゃい 」

「 う ・・・ ん  ありがとう ・・・

 なんか ・・・ いいな いってらっしゃい って

 言ってもらえるって ・・・ 」

「 ・・・・ 」

彼は はにかんだ笑顔を残し 出発していった。

 

     ふ・・・ふふふ ・・・

     かなり いいセン、ね?

     好印象じゃない? 

 

     ― さあ 次は。 

     こちらは 正攻法で行くか・・・

     

     ふ ふふふ ふふふふ ・・・

 

彼女は 慎ましく伏せた視線の下でほくそ笑んでいた。

 

 

「 あのう ・・・ お気に召しました か 

朝食の席で 彼女は心配そうに博士に尋ねた。

「 あ? ああ ああ とても美味しいですよ。

 いやあ〜 ポーチド・エッグとは 懐かしいですなあ 」

博士は 熱心に食べていた手を止めた。

「 まあ よかった・・・ !

 ・・ あの 父が好きだったメニュウを作ったのですが 」

「 おお〜〜 ドクター・ウィッシュボンが?

 それは それは〜 このトーストも彼の好みですかな 

「 はい。 パリっと焼いたのがいい って 」

「 いやあ 懐かしい味です。 とてもウマイですよ 」

「 嬉しい! ありがとうございます。 」

「 ・・・ 父上の論文にはかねてから興味を持っていました 」

「 まあ そうなですか! 

「 先日の ○○についても・・・ 是非 お話したいと 」

「 あの 私も父の研究室の一員なんです。

 ほんの少しですけど ・・・ 父の論文のデータを集めるとか・・・

 手掛けているのです 

「 おお ・・・ 貴女も?? それはすごい 」

「 いえ ・・・ ほんの少しですわ 」

「 いやいや では ○○の仮説については 

「 父の仮説は 」

彼女は歯切れのよい口調で 理路整然と語る。

「 ・・・ ほう? 貴女はお父上の研究を本当によく

 理解なさっている ・・・ ! 」

「 いえ ・・・ そんな ・・・

 あ 父の受け売りですわ 」

「 いやいや ・・・ 先ほど △△のチャプターについては

 貴女自身の見解を述べられましたね 」

「 ・・ やだ お判りになりました? 」

「 ワシは お父上の論文を全て ― 公表されているものだけですが

 検証していますのじゃ  」

「 まあ ・・・! では 父の、いえ ドクタ―・ウィッシュボンの

 理解者 でいらっしゃいますのね 」

「 ふむ お父上の研究全容にとても興味がありますな。

 それと同時に ミス・ヘレン。 貴女の論説にも じゃ 」

「 え 私の?? 」

「 貴女も将来はお父上の跡を継がれるかの? 」

「 そう願っています が 」

彼女の表情がさっと曇った。

「 ・・・ おお これは ・・・ 心配させてしまったな

 ドクタ―・ウィッシュボンの○○○についても ご存知かな 」

「 はい。  ○○○への検証は 

「 ふむ ふむ ・・・ 」

娘は淀みなく話し始めた。

 

      ・・・ 大層な知能の持ち主じゃな

      さすがドクタ―・ウィッシュボンの娘御じゃ・・・

 

      研究所の助手、と言っておったが

      どっこい主席研究員 だろう

 

ウィッシュボン博士の研究について語り合い ― 

ドクター・ギルモアは すっかり彼女を信用してしまった。

 ― それ故 あまりに流暢すぎる話ぶりを 疑うことも  なく。

 

 

 

 ― 時間は少し 先になる。

 

   カタカタカタ  ガヤガヤ  ガサガサ  

 

その大部屋楽屋は賑やかだった ― 昨日までに増して・・

 

「 う〜〜〜 いたたた・・・ 」

「 大丈夫? 」

「 だ 大丈夫 にする!  もう今晩がラストだから ! 」

「 あ〜〜〜 そうよねえ  やっと終わる〜 」

「 はあ ・・・ 長かったわ 」

「 ん ・・・ 」

「 フランソワーズ ! 新人さ〜〜ん 感想は?? 」

「 え ・・・ もう夢中で ・・・

 でもでも と〜〜〜っても楽しかったデス〜〜

 オーディション合格から ずっと夢みたい〜〜

 ここの バレエ・ホールで踊れるなんて・・・!  」

 

    ふふふ   あはは  きゃらきゃらきゃら

 

楽屋中が 温かい笑い声でいっぱいになった。

「 あ〜あ ・・・アタシにもこんな頃があったんだよなあ 」

「 あら ついこの間でしょう? 」

「 気分はもう百万年前〜〜 」

「 ここから ソリストになってエトワールを目指すの アタシ達 」

「 う〜〜〜 道はまだまだ遠いってわけ ・・・ 」

「 でも! 歩き始めたんだもの。 行くっきゃない! 」

「 うん。  ― 今夜の楽 ( 千秋楽 ) で また一歩

 ってわけよ フランソワーズ 」

「 ・・・はい。   ああ 踊れるって ― 最高だわ 」

「 さ〜あ 今宵の準備 仕上げましょ 」

「 だこ〜〜〜 ( 了解 くらいの意味 ) 」

 

  うふふふ  ふふふ  くすくすくす ・・・ 

 

女性ダンサーたちは 笑いさざめきつつ 本番直前の準備を始めた。

 

     ああ ・・・ ここまで 来たわ

  

     わたし 夢の舞台に立てたんだ・・・

     ダンサーとして  生きているんだわ!

 

 トントン  ― 楽屋のドアが鳴る。

「 はあい   え?  ああ メルシ〜〜 誰宛かなあ・・・? 」

ドアに近い化粧前から 一人が立って届け物を受け取った。

「 ・・・ ん?  ああ 

 フランソワーズ〜〜〜  ファン・レター と お花よぉ 」

「 え??? 」

「 ふふふ〜〜 彼氏からかなあ〜〜 はい。 」

「 え あ  はい・・・ ありがとうございます。 」

フランソワーズは 怪訝な顔でそのピンクの薔薇を眺めた。

「 あらあ 素敵ねえ〜〜  」

「 可愛い!  フランソワーズにぴったり♪ 」

同僚たちは明るく声をかけてくる。

千秋楽の華や気が 楽屋にも溢れているのだ。

「 え ・・・ええ  ・・・  誰から・・・ 」

彼女は 花束に付いてる小さなカードを手に取った。

 

       きみの舞台姿 楽しみにしています。

       終演後 会えますか。 楽屋口でまってます

 

       J

 

「 ・・・? J ・・って 誰。 」

知り合いの顔を思い浮かべてみた。

「 J ・・・で始まる名前のヒトって ・・・ いたかしら 」

この街に戻ってきてから バレエ・カンパニー以外での知り合いは

ほとんどいない。

いや 意識的に知人 友人 は作らなかった。

「 ・・・知らない ヒト・・・? 」

 

          ・・・  あ 。

 

「 ま  さか ・・・ そんな はず ・・・ないわ。

 もう関係ないもの 

目の奥に浮かんできた あの茶色の瞳 あのはにかんだ笑顔 を

彼女は あわてて打ち消した。

 

       そ  そんなはず ないわ。

       知らないヒトたちよ?

       ・・・わたし  縁を切ったの!

 

       だって わたし。  

       わたし  ニンゲン だもの。

 

少しだけ手が震えた。  一滴だけ涙が目尻に溜まった。

「 ・・・・ 」

彼女は 花束を自身の化粧前に置くと  ぴりり・・・とカードを裂いた。

 

       ― ピンクの薔薇さん?

       待っていてね

 

       最高の踊りを踊ってくるから。

       そして 一緒に帰りましょう

 

「 あら どうしたの  カード? 」

隣の席から 怪訝な視線が飛んできた。

「 あ ええ・・・ なんか知らないヒトなの。 

「 きっとフランソワーズのファンなのよ〜〜〜

 ピンクの薔薇 なんてシャレてるわあ 」

「 ・・・ お花は 好き。 嬉しいけど ・・・ 」

「 まあね ・・・ 気を付けるに越したことはないけど 」

「 ええ ・・・ 」

 

 

  コンコン  カタン。   楽屋のドアが開いた。

 

「 お嬢さん達?  仕上げはよくて。  あと5分で二ベルよ。

 千秋楽 お願いね〜〜 」

中年の女性が 入ってきて声を掛けた。

バレエ・カンパニーの 芸術監督を務めている。

「「 はあい  マダム 」」

ダンサー達は 元気よく返事をし 仕上げ具合をそれぞれ点検するのだった。

「 ん〜〜と ・・・ よし っと 」

「 あ あれええ??  袖が片方 ・・・? どこ〜〜 」

「 ロザ、 これ ちがう? 」

「 あ! それ!  ありがとう〜〜〜 マリ〜〜 」

「 いっけない ルージュ る〜〜じゅ〜〜〜 」

「 フランソワーズ? ・・・ 緊張してる? 」

「 ・・・え あ 大丈夫です ・・・ はい。 」

「 さあ 行くよ〜〜 」

 

   カタカタ カタカタ ・・・ ダンサー達は楽屋を出てゆく。     

 

「 ・・・ 」

フランソワーズは きゅっと唇を結ぶと鏡の中を見つめた。

 

       さあ。  ゆくわ ・・・ !

       夢が叶ったのよ フランソワーズ!

 

       今回の成功をバネに もっと上を目指すわ

 

       千秋楽 !  

       思いっ切り 踊るわ !

 

彼女は 落ち着いた足取りで舞台袖に向かった。

 

  り〜んご〜ん ・・・・ り〜んご〜〜ん ・・・

 

開演を知らせるベルが 劇場内に響き渡る。

 

 

         千秋楽の幕が 開く。

 

 

 

おめでとう〜〜 お疲れさま〜〜〜〜  の声の中

出演者たちは 頬を紅潮させ 声を上ずらせ 帰ってゆく。

「 ありがと〜〜 お疲れ〜〜〜 」

「 うふふ メルシ〜〜〜〜 」

「 きゃ ・・・ ああ 嬉しい〜〜〜 」

「 レッスンでね〜〜  あ〜〜 明日は休み(^^♪ 」

「 お疲れ様でした〜〜 ありがとうございました〜 」

「 フランソワーズ〜〜〜 よかったわよ 」

「 ありがとうございます 」

主宰者  舞台監督 先輩 そして 同僚たちに

挨拶をし フランソワーズは静かに楽屋を出た。

 

     はやく帰ろう ・・・ 

 

「 お先に失礼します 」

彼女は 花束を持ち足早に楽屋口を出た。 

  ― 誰も 待ってはいなかった。

 

「 ・・・ あ ・・・ 」

 

安堵感と淋しさとを一緒くたに呑みこんで 

次の角を曲がったとき。

 

      「 ―  やあ  」

 

茶色の髪が 茶色の瞳が 彼女に微笑かけた。

「 ・・・ ! ・・・ 」

彼女は思わず 花束で顔を隠した。

「 あ その花 ・・・ 気に入ってくれた かな 」

「 ・・・ 」

「 舞台 見たよ。 すごいなあ〜〜〜

 きみが踊るのって初めて見たんだけど ・・・ 

 キレイだった ・・・ そのう ・・・・ 羽根のある妖精みたい 」

「 ・・・ 見てて くれたの 」

「 うん。 チケット、後ろの方の席しかなかったんだけど

 きみのこと、すぐにわかった 」

「 ・・・ そう ・・・ 」

「 あ  ・・・ ごめん。 ぼくだけべらべら喋って ・・・ 」

俯きがちに口を閉じている彼女に 彼はようやく気付いたらしい。

「 ・・・ 」

「 ごめん ・・・ 挨拶もしてなかった ・・・

 久し振りですね、元気だったかな フランソワーズ さん。」

「 ・・・ ジョー ・・・  あの ・・・

 あ  これ ・・・ このお花 ありがとう。  」

彼女はピンクの薔薇の陰で やっと顔を上げ 彼を見た。

「 ああ ・・・ よく似合うね その花 ・・・

 きみにぴったりだ ・・・ 

「 そう? お花をいただくなんて 初めて・・・ 

 あ 舞台 見てくださってありがとう。 嬉しいわ 」

「 ぼく バレエとかよくわからないんだけど ・・・ 

 でも ・・・ なんてキレイなんだってぼう〜っとしてしまったよ。

 あのまま ふわふわ飛んでゆくんじゃないかなあ って

 本気で思った 」

「 ありがとう ・・・ まだコールドだけど ・・・

 いつかはエトワールを踊れたら って思うわ 」

「 えとわーる って  真ん中で踊るヒト? 」

「 そうよ。 主役。

 わたしの子供の頃からの夢なの 」

「 そっか ・・・ うん そうだよね ・・・ 」

彼の口調が 少し重くなった。

とくん。  彼女の胸の奥が一瞬疼く。

「 夢だから そのう ・・・ 無理 かもしれないけど 」

「 ! そんなこと ない。 きみはきっと  きっと

 目標を実現できる  よ  きっと ・・・ 」

「 ・・・? 」

歯切れの悪いその言い方に 彼女はますます不安になる。

「 ―  あ 〜〜 少し散歩しようか  

 それとも どこか ・・・ カフェとかあるかなあ 」

「 それなら 散歩しましょう。 セーヌに沿ってプロムナードが

 あるわ。 」

「 へえ ・・・ じゃ そこ 行こうか。 

 歩きながら ―  話があるんだ 」

「 ・・・ 」

彼女はだまって頷くと 目的の方向に足を向けた。

 

 

    カツカツカツ   コツコツコツ ・・・

 

街灯の影を拾うがごとく ゆっくりと二人は歩いてゆく。

彼は先ほど一旦 言葉を切ってから口を結んだままだ。

彼女は 顔も上げず口も開かない。

ほの暗い灯が 彼女の横顔にますます深い陰を落とす。

 

「 ・・・  というわけなんだけど ・・・ 」

 

やっと彼が 言った。 そして足を止め彼女を振り返る。

「 きみは 」

 

「 ― 行かない。 」

 

彼女も立ち止まり はっきりと言った。

「 ・・・ え ・・・ 」

「 行かない。 わたし 行かない わ。 」

「 ・・・  そっか ・・・ 」

「 舞台 見たって言ってくれたわね ―  わかったでしょ?

 わたし  やっと夢へのチケットを手にしたの 」

「 ・・・ うん 」

「 それに ―  もうあの世界は  たくさん。 」

「 ・・・ うん 」

「 絶対に 行かない。 

「 ・・・ うん  わかった。

 きっと ・・・ きみはそう言うと思ってた 」

「 ・・・ え ・・・? 」

「 一応 声をかけようと思ったんだ。

 でも  舞台でのきみを見てはっきりわかった。

 きみは  もうちがう世界のヒトだ・・・って 」

「 ・・・ ジョー ・・・ 」

碧い瞳が はっきりと彼を見つめた。

「 きみの夢は きっと叶うよ。 頑張ってくれたまえ。 

 陰ながら応援しているよ 

「 ・・・ ジョー ・・・ 」

「 もう会うこともない と思うけど。

 ・・・ あの服で銃を手にするきみより 

 踊っているきみがずっとずっとステキだ。 そんなきみが 」

「 ・・・ 」

 

    「 ぼくは   好き だよ 」

 

街灯の下ですら 彼の顔に浮かぶ笑みは 明るく輝いて見えた。

「 ―   ジョー ・・・ 」

「 今夜は  ありがとう。  一生忘れない。

 さようなら。   もう 会わない。 」

 

  コツ。  彼は踵を返しただ真っ直ぐに歩いて行った。

 

暗い光の中に その姿が 遠ざかってゆく。

ちょっとだけクセのある その歩き方はこれが見納め か ・・・

 

    カツン。  彼女も振り返り俯いた。

 

   コツ コツ  コツ   コツ  ・・・・

 

懐かしい足音が だんだんと小さくなってゆく。

夜の闇の中に 茶色の髪が吸いこまれてゆく。

あの音は もうすぐ聞こえなくなる  

あの姿は もう見えなくなる

 

もう 会えない   もう 見えない   もう いない  もう ・・・

 

      ・・・  いいの? フランソワーズ。

      これが アンタの望み なの

 

      これが アンタの夢の果て なの?

 

      フランソワーズ !

 

        あなたの 本当の 望みは 

 

 

  カッ!     コツ  コツ コツコツコッコッコッ !!!

 

彼女の足は 彼女の意志を待たずに勝手に駆けだしていた。

彼女の眼は 勝手にあの後ろ姿を追っていた。

 

   「 ・・・ ま  待って!  ジョー !!!  」

 

 

 ― そして 003は仲間たちと合流した。

 

 

 

 「 ・・・ まあ。  ギルモア博士〜〜

 ジョーさんから連絡ですわ 」

ヘレンは声を張り上げた。

「 おう  お嬢さん  ヤツからメールが来ましたか 」

「 はい。 あ  このリビングのPCは 使っていいって・・・

 ジョーさんが 」

「 ああ  それはこの家の共有のPCですからな

 ご自由にお使いなさい。  で ヤツはなんと? 」

「 あ これです ほら メール 」

彼女は モニターを指した。

博士は よっこらしょ、と椅子に座った。

「 ほうほう・・・?  おお フランソワーズが来るか 」

「 ― フランソワーズさん と仰るのですか

 あのう ・・・ フランス人の方 ?  

「 うむ 他にもなあ いろいろ・・・ 集まってきますよ。 」

「 ・・・ 私 ここに居ても ・・・ いいのですか。

 お邪魔でしたら あのう・・・ロンドンに戻ります 」

「 いやいやいや〜〜  ここにいらしてください。

 ドクタ―・ウィッシュボンのお嬢さんを 危険には曝せん 」

「 危険 ・・・? 」

「 そうです。  ヤツらは ― 貴女を狙っています。 」

「 え。  私?? まさか ・・・

 だって目的は父の研究ですわ。 私はただの研究員です 」

「 いや。 貴女は利用価値があるのですよ ヤツらにとって。

 ああ もうこんな話 やめて・・・

 フランソワーズが来ると この邸も華やかになります 」

「 私 ・・・ ご迷惑にならないように・・・

 あら?  赤ちゃん 泣いてる かも 」

彼女は奥に向かって耳を欹てる。

「 うん?  ・・・ おお そろそろミルクの時間かな 」

「 あ 私 やります。 やらせてください。

 ふふふ  ベビーシッターのバイト、してましたから。

 任せてくださいな。  ミルクの缶はキッチンですね  」

「 すまんですね お願いします  」

「 はい 」

薄い色素の髪を揺らし 彼女はキッチンに駆けていった。

 

「 ・・・ ヘレン・ウィッシュボン ・・・か 」

 

博士はしばらくその場に佇んでいた。

 

 

  カタン カタン。  パントリーの扉を開ける。

 

「 え・・・っと?  あ これね〜〜 ベビー・ミルク 」

手を伸ばし ミルクの缶を棚から取った。

「 哺乳瓶は〜〜 煮沸消毒済み っと。 

 で ・・・ どのくらい飲むのかなあ ・・・? 」

 

    ふふふ ・・・ これは好都合だ。

    裏切りモノは まとめて始末できる

 

「 !???   だ  だれ ・・・? 」

不意に アタマの中で自分ではないモノの声が した。

 

   カタン ・・・  ミルク缶のフタが 床に落ちた。

 

彼女は慌ててそれを拾いあげる。

「 なに? 私の心の中に勝手に入ってきて ・・・ 

 出ていって!   出てゆけ 」

 

    ふふん 偉そうに ・・・ 笑止。

    黙れ トカゲのエサの分際が!

 

       ズキン。  

 

最後の言葉が胸に突き刺さる。 

精神的、というよりも 肉体的な痛みが 胸を貫いた。

「 ・・・っ ・・・  なぜ こんなに心が痛いの?

 とかげ ・・・って  なに・・・?  エサ ・・・?

 ああ ・・・ 痛い 痛い 痛い ・・・  」

 

陽のさしこむ明るいキッチンで 赤ん坊用のミルクの缶を抱きかかえ

淡い髪の女性が 蹲っていた。

 

 

Last updated : 04,20,2021.         back     /    index    /    next

 

 

***********  途中ですが

ヨミ編の中で あの93シーンは 屈指の名場面 だと信じています。

全作品の中で 最高〜〜〜♪♪

恐れ多くも解説を足す気分で 書かせていただきました。

・・・ で 続きます、 流れ星 めざして☆