『  尽きせぬ愛を  − 月の光 − 』

 

 

 

 − 起きなさい、 お寝坊さん・・・

    ジャンはとっくに 目を覚ませたわよ。

 

ふいに懐かしい母の声が耳元で囁かれた気がして フランソワ−ズはぼんやりと目をひらいた。

 

 − ・・・ああ・・・ ゆめ、・・・よね。 ママン・・・

   ・・・そんなはずは、ないのに。 

 

目覚めればそこは 極東の島国で。 海辺のログハウスの一室。

かたわらに眠るのは くり色の髪の青年。

住み慣れたパリのあの部屋からは はるかな時と距離が自分を隔てているのだ。

 

・・・涙も。 もう ・・・・ 忘れてしまったわ。

 

ゆっくりと頭をめぐらせ テラスへのフレンチ・ドアへ視線をむければ

ふたたび眠りを誘うとろりと単調な波の音にくわえて、その部屋のほの明るさに気が付く。

 

月が出ていた。

 

引き忘れたカ−テンの隙間から紛れ込んできた 青白くさえざえとした光が部屋いっぱいに満ちている。

昼の明るさとは どこかちがう、ひそやかなささやきにも似たひかり。

 

 − ああ。 この光が あんな夢に誘ったのね・・・

 

ちいさな吐息とともに、フランソワ−ズは身体に絡むいとしい人の腕をはずし そっとベッドを離れた。

ふと窓辺から振り返れば 彼はなにも気付かないまま枕に少しクセのある茶色の髪を散らばせていた。

・・・ ふふ ・・・ ちいさな笑みを唇にうかべ フランソワ−ズはそうっとカ−テンの隙間を拡げていった。

 

月のひかりは波間できらきらとまたたき、それがますます不思議なあかるさを醸し出している。

自然の饗宴に フランソワ−ズは思わず目を引きこまれた。

そのひかりは そんなこころの奥の院までにも忍び込みほの暗い想いにスポットを当てる。

 

ああ・・・ 前にも。 こんなことがあったわ・・・・

あれは、そう。 パパとママンが亡くなった後。 兄さんと二人で暮らし始めたころだった・・・

 

フランソワ−ズの視線は 中天の白い月をはるかに超え彼方の日々へ飛翔してゆく。

 

 

 

 

いつもはお稽古やバイトの疲れで ぐっすり寝入っているわたしなのに。

その夜は なぜか ふ・・・と目が覚めて。

お水を飲みに行こうとキッチンへ行ったら。 居間の窓辺で兄さんがじっとお月様を見ていた。

今にして思えば、そのころ兄はいろいろと不安だったのだろう。

両親を亡くし 妹をかかえとにかく生きてゆかねばならない・・・・。

 

小さい頃から いつも頼りになって つよくて優しい兄だった。

父と母が相次いで亡くなってしまったのは もちろん哀しかったけれど、

 − 兄さんがいるもの 

その思いが 泣き虫で淋しがりのわたしを支えてくれていた。

 

世界で一番素適なジャン兄さん。

世界中で一番大好きなわたしのお兄さん。

兄さんの喜ぶ顔がみたいから、 わたし 今日も微笑んでゆくの・・・

 

毎日、踊れて兄とのささやかな時間があればそれで十分 わたしは満足していた。

それが・・・・ あのころのわたしの すべて だったのだ。

 

細長い影を引く兄の背中が いつになく寂しげに感じられてわたしは思わず足を止めた。

「 ・・・・・ ジャン兄さん ・・・・」

「 ・・・ああ。 フランソワ−ズ、どうした。 眠れないのかい・・・ 」

そっと声をかけてきたわたしに 兄はちょっと驚いたようだった。

「 珍しいな。 いっつもベッドに倒れこんで、目覚ましが鳴るまで絶対に起きやしないお前が・・・ 」

「 あら。 たまには、わたしだってもの想いに耽る夜があるのよ? 悩めるお年頃、ですからね 」

「 なに言ってるんだ、コドモのくせに・・ 」

兄は 顔をゆがめるようにしてかすかに微笑んだ。

 

 − お月様、きれいねえ・・・・ 昼間とはちがった明るさでとってもすてき。

兄とふたり肩をならべ、窓におでこを押し付けてわたしは夜空を仰いだ。

 

ねえ、他の国でもこんな風にみえるの、お月様?

そうだなあ・・・・ もちろん、巴里でみるのが一番キレイだけど。 

どこの国でも、 どの街でも、 どの窓辺にも。  月のひかりは優しく差し込んできてくれるよ。

ふうん・・・。

 

 −  やさしい このひかりにほっとする。 

太陽の真っ直ぐな強い光が ちょっと辛いときもあるのさ。

 

ぽつりと呟いた兄の背中が なぜだか急になつかしくて。さみしくて。

ことん・・・・ と頭をくっつけてみた。

 

 − ああ。 パパと同じ香り、 ジタンのかおりがするわ・・・・・

なつかしい香りが やさしい大きな手の温もりを思い出させる。

 

そんなわたしを 兄はふわりと腕をまわしてそっと肩を抱いてくれた。

「 ・・・・ ふふふ・・。 この甘ったれが。 」

「 いいでしょう、 わたしは、la petite Fran ( ちっちゃなフランソワ−ズ)  なんだもの? 」

不意に思い出した子供の頃の呼び名を口にして わたしは低く笑った。

「 フランソワ−ズ・・・。 お前がいるから、いてくれるから。 俺は頑張ってこれたんだ・・・ 

  これからだって、お前が微笑んでいてくれるのなら・・・ 」

呟きよりももっとかすかに。 吐息に紛らわせてから、兄はもういちど夜空を振り仰いだ。

「 月のひかりは。 どこにいても見られるからなあ・・・。 」

「 にいさん・・・・ 」

「 仕事で遠く離れていても。 お前もこの同じ月を眺めていると思えば、俺は安心できるんだ。 」

肩にふわりと廻された腕が かすかに震えたようにかんじたのは、思い違いだったのだろうか・・・。

「 いつか 行ってみたいわ、遠い国々へ。 」

「 どこへ行っても。 月は、いつでも見守っていてくれるんだよ。 俺がいなくても、俺のかわりに・・。」

「 どこへも行かないわ。 ずっと兄さんの側にいる。 」

「 ・・・・ばか。 」

兄はちょん・・とわたしのほほをつつき、 ふたりして子供のころのように笑いあったわ。

 

 − あれから・・・・。 月は何回、何万回とその満ち欠けを繰り返したことだろう・・・

   兄は・・・ひとりでそれを見送っていたのだろうか。

 

 

 

 

「 ・・・・ なにしてるの、 フランソワ−ズ? 」

窓辺にぼんやりと立ち尽くしていたフランソワ−ズの後ろから ジョ−がそろっと腕を絡めてきた。

「 あ・・・ううん、なんでもないの、ごめんなさい、起こしちゃった・・? 」

「 いや・・・ きみじゃなくて。 あんまり明るいから。 お月さまに起こされた・・・」

「 まあ・・・・・」

 

お月様。 

そうよね、 同じお月様 

あのころ、にいさんと見上げたお月様も  こうして 今 あなたと見るお月さまも。

兄さん。

どこかで・・みていますか。 

 

 

            ・・・・ 空の上からも  見えますか ・・・・

 

 

ぽとり・・・と 足元に落ちた大粒のなみだが ひとつ水玉模様をえがく。

ぱた、ぱた、ぱた・・・・・ 水玉がふえてゆく。

 

 

 − どうしたの・・・・?

 

穏やかな茶色の瞳が 散らばった水玉に気付いたのか、心配そうに覗き込んできた

 

・・・なんでもないの。 ただ、ね。 しばらくこうしていて・・・

 

フランソワ−ズは目を閉じて そっとジョ−の背中に顔を押しつけた。

 

ごめんなさい ジョ−。

今夜だけ 今だけ。

あなたの中に映る 兄さんの面影によりかかっても・・・・・いい?

 

だまって背中に頬を押し付けているフランソワ−ズの手を ジョ−も何も言わずに握る。

さえざえとした光の洪水の中で 触れ合った手だけがあたたかい。

 

一つでも 思い出を分かち合える、変わらないものがあれば。

一人でも 思い出を共につくりあげてゆく、 愛しいひとがいれば。

 

大丈夫。 わたしは 生きてゆける。 生きてゆく・・・・  

でも こんな夜は 

でも こんなに綺麗な月の夜は  

優しい月の光に包まれて そうっと涙を流させて 想いの扉をひらかせて

大丈夫。 今だけ 今夜だけ・・・・・

 

 

 

やはらかな みるく色のひかりは 

つのる想いに 切ない気持ちに 涙をにじませる人々に やさしい おだやかな 夢を運んでゆく。

 

♪♪ fin. ♪♪             top        afterword

 

Last updated: 10,26,2003.