『 貝あわせ 』
やはりこの季節が 一番相応しいのだ ―
がらり、と開け放った窓際で 彼女は大きく伸びをし、うんうん・・・と頷いた。
なんだかんだ言ってもね。 昔からずっと・・・誰もがそう思うのだもの。
この気候なら たいていのモノが着られるし・・・
招かれる方のことも考えなくっちゃ。 自分達だけのオマツリじゃないってこと。
外国とは気候が違うのよ。 う〜ん・・・いい気持ち!
遠慮なく大口あけて深呼吸すれば ほんのり甘い香りが鼻に抜けてゆく。
あら。 金木犀? ・・・ お隣のあの樹ね、いいわねえ・・・
この陽気が < 二十日 > まで続いてくれればいいのだけれど・・・
・・・ ふうん? 今年は忙しくて菊の手入れもできなかったわ・・・
彼女は のんびりと目の前の空間を眺めた。
秋の陽がうらうらと落ち着いた光をいっぱいに注いでいる。
見慣れた、あまり手入れの行き届かない庭がこの季節にはそれなりに風情がある・・・ように見えた。
末枯れた夏草も なかなか雰囲気のあるオブジェ かもしれない。
「 ・・・ああ・・・ ちゃんと雑草とり、しておいてって言ったのに。・・・ お父さんったら生返事ばっかり。
もう・・・なにもかも私に押し付けて! ・・・ いつだってそうなんだから。
しょうがないわ、 もう諦めてるわよ。 お父さんは ああいうヒトなんでしょ・・・
ま、 < 二十日 > が終ったら、 もう大掃除だわ。 う〜ん、 庭だけじゃないわね!」
彼女の夫は一応 庭弄りを <趣味> にしてはいたが、水遣りがせいぜいなので
狭い庭の半分は かさかさになった夏草の残骸が占領していた。
まあ・・・ これも秋らしい風景、といえなくもない。
「 ともかく! 無事に < 二十日 > が終ってからね。 なにもかも・・・ 」
とりあえず。 小さなコトには目を瞑るのだ・・・!と 決意し。
・・・ しかたないわね、と口クセになっている呟きを自嘲気味に付け足す。
ぶつぶつ言って振り返れば 茶の間は相変わらずごたごたしていた。
「 もう〜〜 片しても片しても・・・出しっぱなしなんだから。
ああ ・・・ こんなとこにコサージュを置いて。 メグミ! ちょっと、これ!
あとから失くなった〜〜って騒がないでよ! メグミ! 」
彼女は大声で娘を呼びたてた。
「 だからさ、いいじゃん。 ず〜っと集めてたんだし。 」
「 いつまでそんなものに熱中しているの? 持っていっても邪魔になるだけよ。 処分しなさい。 」
「 え〜〜 やだ。 別にいいじゃん、ママに迷惑かけないし。 あっちでも場所もとらないよ。 」
「 そういう問題じゃないの。 ちゃんと区切りをつけなさい、ということよ。 」
「 ・・・ でもさあ。 捨てるのはちょっとなあ・・・ やっぱ思い入れ、あるから。 レアモノもあるし。 」
「 じゃあ、ママが預かっておくから。 それならいいでしょう? 」
「 う・・・ん。 捨てないでよ? 絶対に捨てないでよね。 時々見に来るからね! 」
「 はいはい、ちゃんと保管しておくわよ。 だから、纏めておきなさい。 」
「 ・・・ わかったわよ。 」
娘は相変わらずの膨れっ面で 自分の部屋に戻っていった。
・・・ったく。 子供の頃からのコレクションなんてオモチャみたいなものじゃないの。
なんとか フィギュア、というの? 駄菓子のオマケとはちがうわけ? さっぱりわからないわ!
ともかく。 ヒトの奥さんになろうってのに・・・ 古いものを持って行ってどうするの。
・・・まあ、どうせすぐに忘れるわ。 コドモでもできればそれどころじゃなくなるし・・・
ふん! と母は鼻息荒く、 娘の<コレクション>とやらに当り散らしている。
「 メグミ! それでもう荷物は全部 纏めたの? ・・・ねえ?! 」
彼女は娘の部屋に向かって声を張り上げた。
あ。 ・・・ もうこんな風に怒鳴るのも、 あと ・・・ 何回?
不意に鼻の奥が つ・・・・んとしてきて、彼女はあわててエプロンの端で目尻を拭った。
― 娘が嫁ぐ日
それは嬉しくもあり、淋しくもあり。 早く来て欲しいが先延ばしもしたい・・・・
母親としてはそんな奇妙な気持ちで、息を詰めて目前に迫った その日 を待っている状態なのだ。
「 え〜と・・・ どこに仕舞って置こうかしらね。 メグミの他のガラクタと一緒でいいか・・・ 」
茶の間をうろうろしたり、座敷を見回したり ― 結局は自分達夫婦の部屋に向かった。
「 ・・・うん、ここでいいかな。 たしかこの引き出しの奥が空いていたはず・・・ 」
彼女自身の嫁入り道具だった大振りのドレッサーの前に立ち、引き出しを抜いた。
・・・ カタン ・・・
「 あら・・・? これ・・・ って・・・・ 」
引き出しの奥には。 煤呆けた小箱がひっそりと収められていた。
「 ママぁ どこ? ああ、こっちか。 ねえ・・・この箱ごと仕舞っておいて。 」
娘が やっと顔をだした。
「 ― え ? 」
「 だから〜 さっきの・・・ あれ それ なに? 」
「 あ・・・これ。 こんなところに仕舞いこんでいたのね・・・ 」
「 ? ずいぶん古い箱だね。 なに、ママも大事なもの、しまっておくヒトなんじゃん。 」
「 え・・・ いえ・・・ これは捨てた、か失くしてしまったと思っていたのよ。
・・・まだ ・・・あったのね。 ずっと・・・この引き出し奥に・・・ 」
「 ねえ あけて見せてよ。 なんなの〜〜 」
「 ・・・ これは ね ・・・ ほら。 」
ぺったりと床に座り込んだ母の前には 変色しかけた箱があり その中には―
「 ・・・わあ きれいな貝 !」
さあ 恵美ちゃん お家に戻りましょ。
不意に ・・・ とても懐かしい声が聞こえた ・・・ 気がした。
「 ・・・ お姉ちゃん・・・ ?? 」
「 え、え?? 誰?? ママが <お姉ちゃん>でしょ、和叔父さんの。 」
母の洩らした言葉に 自身は<妹>である娘は奇妙な顔をした。
「 ・・・ あ ・・・うん。 あの・・・ この貝をね、一緒に拾ったヒトのこと。
ああ もうず〜〜っと忘れていたのよ。 ここに仕舞ったことも忘れてたわ。 」
「 へええ?? いったいいつのハナシ? これ、ママのお宝ってわけ?
でも キレイねえ。 こっちのは桜貝かな。 これは巻貝だね。どこで拾ったの。 」
娘は箱の中から ひとつ ふたつ 摘み上げている。
「 あ、ねえ? これって・・・ 合わさってるけど 二枚になるんだね。 ホンモノ? ホンモノだよねえ・・
へえ・・ 貝殻なんて、お味噌汁のシジミくらいしか 見ないわよね。 ・・・ ママ? 」
「 そう・・・ あの家は海辺の 崖の上にあったのよ・・・ 急な坂道がね、 続いていて・・・
そうよ、そうだわ。 そして ・・・ あの家には ・・・ 」
「 ママ? ちょっと〜 どうしたの? ねえったら。 」
「 ・・・ あ。 ごめん ごめん。 ちょっと・・・ 思い出してしまってね。
これ? そう、桜貝ね。 むか〜しはこうやってぴったり合う貝を捜して遊んだそうよ。 」
「 ふうん? 貝のジグゾー・パズルみたいなもの?
あ! ねえ、これ。 じゃあ、一緒に入れといてよね。 絶対に絶対に捨てないでよ! 」
娘はがしゃがしゃ中身の詰まった箱を差し出した。
「 ・・・ わかりましたよ。 」
「 ふうん・・・ ママだってそんな昔のものをさあ〜 ずっと持ってたじゃん。
・・・あ? 電話・・・なんだ、ヤツか・・・ なんだ、煩いなあ。 もしも〜し ♪ 」
娘はポケットから携帯をつかみ出すと 口先とは裏腹に笑顔満開となった。
そして 大事に持ってきた箱のことなど振り返りもせずにさっさと部屋を出ていった。
・・・ やれやれ。
溜息をつき、娘に渡された箱を手にしたまま母は再び貝殻を見つめる。
そう ・・・ あの邸は 海の崖っぷちにあった・・・
そして そこには。
うんと綺麗な お姉ちゃん と 優しい目をした茶色の髪のお兄ちゃんと。
白い髭の おじいちゃんが 住んでいた・・・
「 ― いいこね、 恵美ちゃん ・・・ 」
懐かしい声と一緒にとびきり綺麗で優しい笑顔を 里中恵美 ははっきりと思い出していた。
「 お兄ちゃあ〜〜ん お姉ちゃ〜〜ん! こんにちは〜〜 」
「 ・・・ 恵美ちゃん! いらっしゃい、こんにちは。 あらあら 気をつけて・・・ 」
簡単な舗装で、端っこはぼこぼこ石が顔をだし雑草まで生えている急な坂道を 少女は一気に駆け上がって来た。
思いっきり元気に そのヒトめがけて駆け寄る。
「 わあ〜い、 一等賞〜〜 お姉ちゃ〜ん・・・! 」
「 すごいわね〜 恵美ちゃん、速い速い・・・ あら、お父さんとお母さんは? 」
門の前で出迎えてくれた若い女性は恵美のことをしっかり抱きとめてくれた。
「 うん、すぐに来るの。 車がね〜よいしょって登るから・・・恵美、途中で降ろしてもらったんだ。
走ってくる方が速いもの。 」
「 まあ そうなの? あ・・・ 来た来た、 あのタクシーね。 」
「 うん。 あの・・・恵美のパパはさ・・・・ まだご病気なの? 」
「 え・・・ あ、ううん。 今日はね、博士・・・いえ、 ウチのおじいちゃまが 健康診断 ですって。
恵美ちゃんのお父さんが 今日も元気かな〜って診察するの。
ほら、恵美ちゃんたちも学校であるでしょう? 」
「 うん! 身長とか体重とか計る、アレでしょ。 」
「 そうよ、それと同じ。 恵美ちゃんのお父様はもうお元気だから すぐに終るわ、きっと。
あ・・・ こんにちは・・・ 」
恵美を抱いたまま 彼女はようやく到着した車に軽くアタマを下げた。
「 ・・・ やあ。こんにちは、 お邪魔します。 えっと・・・フランソワーズさん。 」
「 お世話になります。 まあ、恵美ったら そんなに抱きついたら綺麗なお洋服がシワになってしまうわ。 」
「 いいんですのよ。 さあ、どうぞ? 博士もお待ちかねですわ。 」
彼女、 いや フランソワーズは少女と手を繋いだまま 玄関へと客人を案内していった。
お姉ちゃん・・・ 髪の毛がきらきらしてて。 とってもキレイ・・・
ううん、 髪だけじゃない、 お顔を手も みんなみんな・・・ すごく キレイ・・・
恵美はじ〜っと お姉ちゃん を見つめ、なんだかほっぺが熱くなってきてしまった。
うれしいなあ〜〜 またお姉ちゃんと会えて。 あ、あのお兄ちゃんもいるかな?
スキップ混じりに 恵美はお姉ちゃんち、の玄関まで行った。
「 やあ、いらっしゃい。 お待ちしてました。 ― 博士〜 いらっしゃいましたよ〜1! 」
「 こんにちは、 お邪魔します。 島村君 ・・・ 」
玄関につく前に セピアの髪の青年が大きくドアを開けた。
「 やあやあ・・・ いらっしゃい。 元気そうじゃな。 奥さん、お変わりありませんか。 」
彼の後ろから 白髭の好々爺がやはりにこにこ顔をみせた。
「 ギルモア博士! ・・・ お元気そうでなによりです。 お世話になります。 」
「 どうぞ宜しくお願いいたします・・・ 」
恵美の両親は玄関前で 老人に向かって深々とアタマをさげていた。
へ〜んなのォ パパもママも ・・・ なにがお願い、なのかなあ・・・
恵美はこのオウチ、だ〜いすき・・・!
恵美はお姉ちゃんにくっついたまま、両親の姿をぽかん・・・と眺めていた。
「 ねえ 恵美ちゃん。 お荷物をお部屋に置いたら・・・一緒に海に行かない? 」
「 わあ〜〜 海へ? お姉ちゃんと一緒? 」
「 そうよ。 オヤツの時間まで一緒に貝拾い、しましょうよ。
あ、あのね。 ナイショだけど、今日のオヤツはね、バナナのケーキなの。 恵美ちゃん、好きかな。
わたしが焼いたのよ、あ、今まだ焼いている途中なんだけど・・・ 」
「 うわぁ〜〜 恵美、だ〜い好き! うわ〜〜うれしい〜 」
「 じゃ・・・ まず、お母さんとお部屋に行ってね。 お母さんを休ませてあげて。 」
「 うん♪ あ! お姉ちゃん! あのね、あのね〜〜
恵美のママね、 赤ちゃんが生まれるんだよ! 知ってた? 」
「 ・・・ 恵美! 」
母親はそろそろ目立ってきたお腹を慌てて両腕で覆った。
「 え〜 いいじゃん、お姉ちゃんになら〜 ねえ、お姉ちゃん、恵美ももうすぐ <お姉ちゃん>なんだ。」
「 まあ そう? よかったわね〜 恵美ちゃん。
じゃあ お母さんをお部屋まで案内してあげてね。 どうぞ ごゆっくりお休みになって・・・ 」
「 ・・・・・・・・ 」
母親の目礼にそっと会釈を返すと フランソワーズはキッチンに回った。
「 ・・・ 悪いなあ・・・ 気を使わせてしまったね。 」
「 ・・・ ジョー? 」
キッチンでお茶に仕度をしていると ジョーがそっとドアから顔をだした。
「 ううん・・・ 博士と恵美ちゃんのご両親は 検査のこととか・・・いろいろお話があるでしょう?
子供は 聞かないほうがいいわ。 せっかくすっかり <忘れて> いるのですもの。 」
「 うん・・・そうだね。 ふふふ・・・ぼくもオヤツのケーキを楽しみにしているよ。
これかな・・・? いい匂いだ・・・ 」
ジョーはオーブンの前で漂ういい匂いに鼻を鳴らした。
「 ジョーの好きなバナナ・シフォン・ケーキよ。 タイマーをかけてあるけど・・・
ねえ、もし余裕があったら 覗いてみてね? 」
「 オッケー。 うん、今日はせいぜい予備の検査だから。 ぼくはあまり必要ないと思う。
オヤツの番人の方が 重要任務だな。 」
「 では・・・ よろしく。 わたしは恵美ちゃんと海岸で遊んでくるから。 」
「 うん。 ちょうどいい遊び相手が来てよかったな。 」
「 まあ〜〜 ジョーォ! それってどういう意味よ〜〜 」
「 おっと〜〜 お湯が沸いたよ? じゃァ ティーセットはぼくが運ぶ。 」
「 お願いね。 ・・・ あ ・・・ んんん・・・・ 」
「 んんん ・・・ 御馳走サマ ♪ 」
ジョーは彼女の唇を盗むと ご機嫌でトレイをうけとった。
「 もう〜〜 お湯が零れるでしょう! ・・・ジョーってば・・・ 」
二人はトレイを挟んだまま、番いの小鳥みたいに啄ばみあう。
「 ・・・ ケーキも大好きだけど。 きみ がいちばん美味しいなあ・・・ 」
「 ふふふ・・・ わかったわ。 ジョーってばまた焼餅屋さんね。
わたしが恵美ちゃんと仲良くするからでしょう? 一緒に海にゆきたいの? 」
「 お、おい、冗談じゃないよ! 相手はちっちゃな女の子じゃないか。 」
「 さ〜あね? ジョーって子供にだってわんこやにゃんこにも焼餅妬くじゃない。
わたしが可愛がっていると すぐに側にくるし。 」
「 そ、そんなこと・・・ ないよ! あ これ。 リビングに運ぶから。 」
「 はいはい、お願いします。 あとでね、お湯を追加して持っていってね。
じゃあ・・・わたし、 下の海岸にいるわ。 <お話> が終ったら連絡してね。 」
「 了解。 ・・・ いい天気だから磯に入っても平気だよ、きっと。
もし手が空いたら ぼくも参加するかもしれないよ。 気持ちよさそうだし。 」
「 ええ、そうね。 あ・・・ 今、恵美ちゃん、階段を降りてくるわ。
ああ、ちょうど博士と里中さんも 書斎をでたわよ。 」
「 そうか。 それじゃ・・・ 任務に従事せよ! 」
「 了解! 」
二人はもう一度、キスを交わす。
「 あ・・・! ジョー・・・ ねえ、唇・・・ 拭ったほうがいいかも・・・ わたしのルージュが・・・ 」
「 え・・・! 」
ジョーはごしごしと手の甲で唇を擦っている。
「 ふふふ・・・ それじゃ、イッテキマス。 恵美ちゃ〜ん・・・ 」
「 あ、 お姉ちゃん! 」
絶妙のタイミングでリビングのドアが開き、 少女が駆け込んできた。
「 さあ、 海に行きましょ。 いいお天気だから足を塗らせるかもしれないわね。 」
「 うん! あ。 お姉ちゃん、お帽子は?
ちゃんとかぶらないと・・・ 日焼けしちゃうわよ、ってママが言うよ。 」
「 あ・・・ いっけない、うっかりしてたわ。 」
フランソワーズはくすくす笑い、玄関にかけてある博士の麦藁帽子を拝借した。
「 これで どう? 」
「 うん、 ごうかく! はやく いこ! 」
大小の <女の子> は手を繋いで邸の下の海岸へと降りていった。
カチリ・・・
手の平で 古くかさかさになった貝殻が触れ合った。
「 ・・・ 貝合わせ ・・・ そう、たしかそんな名前の遊びだったわ・・・
あの頃 ・・・ よく、あの家に行ったわね。 そうそう・・・パパが脚の治療で・・・ 」
恵美は ぺたり、と床に座り込んだまま、じっと貝殻をみつめている。
「 パパが・・・ なにか仕事で事故にあったって・・・ ママが言ってわ。
でも。 あれは何だったのかしら。
なにか 大きな大きな船に ― そうよ、帆船、というの? あれに乗って
なが〜い航海に出たみたいな・・・ 思い出があるのだけど。 」
彼女の父は数年前に他界したが、若い頃は潜水記録を持つ優秀なダイバーだった。
たびたび仕事で海外にゆき、 面白い土産モノを持ち帰ってくれた。
ただ ある一時期、 <怪我> で療養していたことがあり ―
当時、あの岬の家を恵美は家族でしばしば訪ねたのだ。
「 あれは・・・ そうよ、 和が生まれる前、ママのお腹にいる頃だったわ!
でも。 でも・・・ あれは・・・ なにか大きな音がして恐いなって思ったような・・・
そう・・・ もっと前、よ。 初めてあのお家に行った頃だったわ・・・ 」
「 ・・・ 大丈夫だ。 すぐに終る。 こっちへおいで。 」
「 ・・・ おじちゃん・・・ 」
「 ジェロニモだ。 ほら オレの腕に乗ってみろ。 ほ〜うら。 」
「 うわ? きゃあ〜〜すご〜い♪ うわ〜〜 シーソーみたいだ〜〜〜 」
暗い部屋・・・それは倉庫の中みたいだったが・・・
父と母と身体を固くして寄り添っていると その巨きなヒトが 来てくれた。
赤銅いろの肌をした、とてもとても大きなヒトで 顔には不思議な模様があったけれど、
なぜか ちっとも恐くはなかった。
そのヒトの声はいつもゆったりと落ち着いて穏やかだったから。
そして いつも優しく恵美と遊んでくれたから・・・・
父と母も 強張っていた顔を緩めほっとした様子だった。
でも。 あれは ― なんだったのだろう?
「 ねえママ。 大きなお船に乗ったよね。 う〜んと遠いトコに行ったね。 」
「 え? 夢でも見たのじゃぁないの。
さあさ、そこを片してちょうだいな。 ママは晩御飯の仕度があるから。 」
「 うん ・・・ わかった。 でも・・・あれって・・? 」
小学生の頃までは よく、母やら父に<大きな船> や <遠くの海> のことを訊ねていた。
目をつぶって、 ぎゅ〜〜っと瞑ると 頭の奥の奥で不思議な光景が見えたのだ。
船は 空も飛んでいた・・・
しかし 恵美はいつしかそのことを口には出さなくなった。
「 パパは随分遠くの海にまで行ったけど。 そんな船には乗っていないよ。 」
「 また 恵美の夢物語が始まった・・・ ほら、パパの怪我のとき、お世話になった方が
海の近くに住んでいたでしょ。 あそこで見た風景じゃないの。 」
「 ああ、そうだな。 きっとあの邸から見たんだよ。 崖っぷちの家だったからね。」
父と母はすっかり <納得> していて 恵美のハナシにはてんで耳を傾けてはくれなかった。
そして ― 恵美自身も 忘れて行った。
歳月は目まぐるしく巡ってゆき、毎日の生活は忙しく曖昧な思い出は引き出しの奥に仕舞いこまれた ・・・
「 そうよ・・・ この貝殻と一緒に・・・ 」
カチリ ・・・ 薄紅いろの二枚貝が ぴたり、と一つに合わさった。
「 ・・・ あの海で 拾った・・・ そう・・・あの海岸で・・・ 」
巻貝と 二枚貝が何枚か。 ひっそりと年月のホコリをかぶり どこか化石めいている。
「 そうね ・・・ 思い出の化石 かもしれない。
こうやって 貝と貝を合わせて遊ぶのよって。 お姉ちゃんが教えてくれたの・・・ 」
貝たちは今も変わらず繊細で美しく、自分の太くなった指には滑稽なほど似合わない。
やはり あのヒトの白くて細い指に ぴったりなのだ。
「 なんだっけ。 ・・・ そうそう、 貝合わせ。 そんな名前の遊びだった・・・ 」
中年という年代も半ばを過ぎつつある母親は 薄紅色の貝をそうっと手の平にのせた。
シワが深くなり、がさがさと荒れた掌で、桜貝は昔と少しも変わらず可憐な姿を見せている。
「 ・・・ 何万 何千万 貝があっても。 ぴったり合うのは たった一組 ・・・ 」
そうよ・・・ そんなことを教わったっけ・・・
貝を見つめる中年過ぎの母親の瞳には ・・・ おだやかな海原が映っていた。
「 お姉ちゃん! ねえねえ ・・・ これ。 ほら ピンク色できれい〜〜 」
「 どれ? うわあ、本当ね。 すごいなあ〜 恵美ちゃん。 これ、きっと桜貝よ。 」
「 さくらがい ? 」
「 そうよ。 ねえ、 桜のお花、しっているでしょう? あれと似ているから、かもね。 」
「 ・・・ あ、そうか〜 もっといっぱいあったらいいのに・・・ 」
「 近くにもう一枚、ない? ようく捜してみて・・・ ? 」
「 ウン・・・・だけど、どうしてわかるの。 もう一枚あるって。 」
恵美は熱心に足元を掘り返し始めた。
「 それはねえ あ、 恵美ちゃん、それ。 ほうら左手のとこにある貝・・・ 」
「 え・・・ あ! これも さくらがい だね! お姉ちゃん、どうしてわかったの。 」
「 あのね。 この貝はね、もともとこういう風に二枚でひとつの貝だったの。 」
白い指が砂を払い、小さな貝殻をかちり、と組み合わせた。
「 ふうん ・・・ ほんとだ! ぴったりだね。 」
「 もとは一つだったから。 ― あのね、 恵美ちゃん 」
「 なに、お姉ちゃん 」
「 皆 そうなんですって。 世界中のヒトは この貝と同じなの。 」
「 え〜〜貝 とォ?? 恵美も貝なの?? 」
恵美は目をまん丸にして じっとお姉ちゃんの掌の貝を見つめている。
「 ぴったりと一緒になれるヒトは 世界にたった一人しかいなくて。
皆 ・・・ 誰もかれもそのヒトを捜して捜して 生きているのですって。 」
「 ??? どこかに ゆくの? 」
どうも少女はまだ お相手捜しの <対象年齢> には含まれていないらしい。
お姉ちゃん はくすくす笑い始めてしまった。
「 ふふふ・・・ 恵美ちゃんのパパとママとか。 わたしのパパとママンも・・・
み〜ぃんな、 世界中でたった一人のヒト ― 貝の片割れだったヒトに巡りあったの。
恵美ちゃんもね、 いつか・・・運命のヒトにであうわ。 」
「 ??? う〜ん?? 恵美、よくわかんな〜い・・・ あ、 お姉ちゃんは? 」
「 わたし? ・・・わたしは ・・・ まだ ・・・ 」
「 あ〜 そっか。 お姉ちゃんは シマムラのお兄ちゃんとぴったんこ!の貝なんだね! 」
「 え・・! え、恵美ちゃんってば・・・ 」
ぽろり、と薄紅色の貝が 白い掌からころがり落ちた。
「 あ・・・ っと。 はい、これ。 そっか〜〜 仲良しのらぶらぶ♪ってことか〜 」
「 え、恵美ちゃん・・・ ち ちがう・・・ 」
「 ちがうの? 」
「 ・・・ いえ。 違わない・・・わ。 この貝は恵美ちゃんが見つけたのよ? はい、恵美ちゃんの貝。
この前の、ほら、巻貝と一緒にしておいたら? 」
「 わあ〜〜 ありがとう! あのコルネパンみたいな貝ね〜 箱にしまってあるんだ。 」
二人はぷらぷら海岸を歩き始めた。
やっと梅雨があがった空には お日様が陽気な顔をみせている。
陽射しは強いが 吹きわたる海風はまだ熱気をはらんではいない。
海って。 こんなにおとなしいんだっけ?
・・・ なんだかぐるぐる揺れたり どかんどかん音がしてたこと、あったよね・・?
恵美は時々 海を見ては立ち止まっていた。
「 どうしたの、恵美ちゃん。 」
「 あのね。 パパやママは 夢でもみたのでしょう?って言うんだけど・・・・ 」
「 夢? まあ、なんの夢なの。 」
「 ・・・ うん ・・・ 大きなお船に乗ってた・・・ お姉ちゃんやシマムラのお兄ちゃん・・・
おじいちゃんも それに・・・ う〜んとおっきなオジサンもいた・・ そうだ!赤ちゃんもいたかも? 」
「 大きなお船 ? 皆一緒だったの? 」
「 ・・ うん ・・・ でも なんか。 すごく恐い夢。 お姉ちゃん達、 赤いお洋服なの。
お船の中にいたけど・・・すごく揺れてすごく大きな音がして。
恵美 ・・・ 恐かったの、とっても・・・恐かった・・・ あれは 恐い夢・・? 」
す・・・っと一瞬、 お姉ちゃんの顔が曇ったが すぐににっこりいつもの笑顔になった。
「 恵美ちゃん、見て見て。 わあ〜〜 引き潮ね。 ほら、あそこにも こっちにも。
潮溜まりができているわ。 」
「 どこ? ・・・うわ〜ほんとだ! ねえ ・・・ どうして 海にお池があるの?? 」
「 池じゃないのよ。 海の忘れ物。 ねえ、中にお魚がいるかもしれないわ。 側に行ってみましょ。 」
「 うん! 」
恵美はたちまち笑顔になり、二人は手をつなぎ渚にかけだした。
「 う〜ん・・・ こっちには・・・ なんにもいないよォ〜 」
「 そうねえ。 あ・・・ あっちは? 」
お姉ちゃんは ぽんぽん岩場伝いに進んでゆく。
「 お姉ちゃ〜ん ・・・危ないよォ〜〜・・・ 」
「 平気 平気・・・ あら〜〜 カニさんがいるわ! 恵美ちゃん、来てごらん、カニさんよ〜 」
「 え、 どこ? 」
「 こっちこっち。 あ こっちにはお魚がいる! せ〜の! ・・・・ あ きゃあ〜〜! 」
「 あ! あぶないよ〜う ! お姉ちゃん ・・・ 」
ぱっしゃ −−−−− ん ・・・!
お姉ちゃんは足を滑らせ見事に浅瀬にシリモチを着いてしまった ・・・ 白いワンピースのまま。
ずぶ濡れの <お姉ちゃん> に付き添って 恵美は神妙な顔で帰ってきた。
「 お帰り 恵美ちゃん フランソワーズ ・・・ あれ?! どうしたんだい?? 」
玄関で迎えてくれた <お兄ちゃん> は二人を見て固まってしまった。
「 あの・・・ 転んで・・・ ハックション! 」
「 お兄ちゃん。 お姉ちゃんね、 恵美にね、お魚とカニがいるって教えてくれてて・・・
お姉ちゃんのせいじゃないよ、イタズラしたんじゃないの。 」
「 恵美ちゃん・・・ 」
「 転んだって・・・ あの、普通に? ああ、恵美ちゃん、君は大丈夫なのかい。
あ! ちょっと待ってろ、今 タオルを持ってくるから! そこから動くなよっ 」
ジョーはがしがしと大股でバスルームに飛んでいった。
「 ・・・ お兄ちゃん ・・・ おこってるの? 」
「 え? ああ ・・・ううん、そうじゃないの。 クシュン・・・! あのね、心配してるだけ。 」
「 ふうん ・・・ あ、お姉ちゃん! 血が出てる〜〜 ここ!あ、脚も!・・・いたくない?? 」
「 大丈夫よ、恵美ちゃん。 ありがとう・・・・ ごめんね、せっかく遊びに行ったのに。
お姉ちゃん、大丈夫だから。 クシュン!・・・オヤツ、みんなで食べましょうね。 」
「 ウン・・・ お姉ちゃん、さむい? 」
「 ほら、今日拾った貝・・・ 恵美ちゃん、持ってて? お姉ちゃん、お風呂に入ってくるから。 ね? 」
「 ・・・ うん。 」
恵美はハンカチで包んだ 貝 を渡され、大真面目な顔で頷いた。
― 結局。
焼き上がったケーキは里中夫人の手で お茶に供されなかなかの評判を取った。
そして ずっと心配顔な少女を連れ、里中夫妻はギルモア邸を辞去した。
「 ああ、 ぼくがお送りしますよ。 検査でお疲れでしょう? 」
「 それがよい、ジョー よろしく頼む。 里中さん それでは・・・ご希望通りに手配しますぞ。
奥さん ・・・ お気をつけて、な。 」
「 はい、どうぞ宜しくお願いいたします、先生。 」
「 さようなら〜 おじいちゃん。 ねえ、 お姉ちゃんは? 」
「 おお 恵美ちゃんや。 うむ、しっかりお風呂に入ってからベッドに突っ込んできたよ。
海水浴をするには ちょいとまだ時季が早かったなあ。 」
「 え・・・ 病気なの? お手々や足から 血がでてた・・・ 」
「 なに、心配せんでいいよ、ワシがしっかり治療しておくよ。 うん 明日には元気になっとるからな。
恵美ちゃん、またおいで。 」
「 うん! ケーキ、すご〜くおいしいかった〜 」
やっと機嫌を直した恵美を連れて里中親子は ジョーの車で帰っていった。
メンテナンス・ルームで 博士は今後の日程についてフランソワーズに説明し、ついでに治療をしていた。
「 それで・・・ 脚がな。 やはり腱の損傷がひどくてな。 ・・・おやおや こっちもかい・・・
こりゃ・・・ 派手に擦り剥いたなあ・・・ 」
「 まあ、やっぱり? ・・・ うっ いたたた・・・ 」
「 ほい、大丈夫かの。 もうちょっと 辛抱しておくれ。 ふふふ・・・ 」
「 はい。 それで結局どうなさるのですか。 うわ 滲みるゥ〜〜〜 」
「 おおすまん すまん。 いやぁ しかし盛大に擦り剥いたのう・・・ 手脚だけかい?
うん、それで今後の彼の仕事のこともあるからやはり人工の腱で<補強>したほうがいい。 」
「 いたたた・・・ あの ・・・ 背中もなんです・・・
そうですか。 それで里中サンには <治療> だと? 」
「 ああ。 しかしはっきり事実を説明した。 その上で彼は人工靱帯を選んだよ。
まだまだダイバーとして働かねばならん、とな。 家族も増えることだし・・・
背中? ・・・ もしかして仰向けにひっくり返ったのか?? 」
「 ・・・ あのう。 岩場で足がすべって。 そのまま・・・潮溜まりに・・・
キャミソールのワンピースだったので ・・・ 」
「 ああ・・・ もう〜〜 傷だらけではないか! 嫁入り前の娘が・・・! ほら背中を見せなさい。 」
「 はい・・・ 」
ジョーと同じくらいは呆れ顔の博士は さっそく彼女を地下の研究室に引っ張っていった。
もっとも・・・<治療> といっても擦り傷の治療だったが。
「 あや・・・ 派手に擦り剥いたな。 それでな、コズミ君のツテで 成形外科の病院でな。 」
「 博士のお作りになった <人工靱帯> ですのね?
よかった・・・ 恵美ちゃんのパパはまたダイバーのお仕事ができますね。 うわ〜ッ! いった〜〜!」
「 お、すまんね。 こういう傷はなあ、きちんと手当てしておかんと。 痕になったら大変じゃ・・・
ああ、そうじゃ。 あんな<騒動>に巻き込んでしまったせめてものお詫びじゃよ。 」
「 そうですよね。 奥様ももうすぐご出産でしょ。 ・・・ くくく・・・! いった〜〜い・・・! 」
「 こりゃ・・・ 今晩はうつ伏せに寝たほうがいいぞ? 」
「 ・・・ はい ・・・ ヒリヒリするし薬はしみるし・・・ 」
「 博士!? こちらですかッ フランの具合は −− ! 」
― バン ・・・!
メンテナンス・ルームのドアを蹴破る勢いでジョーが飛び込んできた。
「 ?! きゃ〜〜 ジョー! 見ないで〜〜! 」
「 フラン!? ど、どうしたんだい?? ・・・ あ・・・ ! ご、ごめん!! 」
フランソワーズは悲鳴を上げて身をかがめ ― ジョーの方も大慌てでドアを閉めた。
「 ・・・ おいおい・・・ ドアを壊さんでくれよ? 」
今更 なにを・・・と博士は内心可笑しかったけれど、素知らぬフリで顔を顰めてみせた。
「 ジョー? レディの治療中だぞ。 ちゃんとノックしてから入れ。 」
「 す、すいません・・・ あの・・・ もう入っていいですか。 」
「 ・・・ ああ。 里中一家は無事に送りとどけてきたかの。 」
フランソワーズが ガウンを羽織ったのを見定め博士はジョーに返事をした。
「 はい。 あの夫婦はすっかり <忘れて> いましたよ。
仕事でダイビング中に事故に遭って脚を傷めた、と信じていました。
あの < 航海 > のことはきれいさっぱり記憶から消えています。 」
「 ふむ・・・ イワンに手抜かりないからのう。 ただの事故、 それで十分じゃ。 」
「 そうですね。 ― ただ ・・・ 」
「 うん? なにかね。 フランソワーズ? ちょっと顔をお見せ。 ああ 頬にも擦り傷があるじゃないか。」
まったく・・・! と博士はぶつぶつ言いつつ 彼女の頬に手を当ててる。
「 え!? 顔も?? フラン〜〜 気をつけろよ! 」
「 ・・・ だって。 岩が ・・・ あ・・・ つゥ〜〜〜 !! 」
「 これこれ、じっとしていておくれ。 ああ、ジョー、なんじゃ? ただ? 」
「 あ・・・ええ。 あの。 ただ、あのコが、 恵美ちゃんがどうも断片的に記憶が残っているみたいです。
夢でも見たのだろうって親達は相手にしていませんが・・・ フラン・・大丈夫かい・・・ 」
ジョーは博士への報告中も気も漫ろで フランソワーズの顔ばかり眺めている。
「 うむ・・・ 子供はなあ。 記憶、というより潜在意識に残ってしまったのかもしれんな。 」
「 ・・・どうします? またイワンに頼みますか。
今日は張大人に預かってもらってよかったですよ・・・ 」
「 う〜ん ・・・ どうしたものかの。 ・・・ ほい、これで終りじゃ。 傷だらけのお嬢さんや。 」
「 ・・・ ありがといございました。 ああ・・・まだ沁みてる〜〜・・・いたたた・・・
あの博士。 恵美ちゃんのことですけど。 」
「 うん? なんじゃね。 」
「 ええ・・・ あの<航海>のこと・・・ 他にう〜んと楽しい思いをすればいつしか自然と忘れてしまうのではありませんか。 」
「 楽しい思い、なあ。 うん ・・・ それもいい手かもしれん。 」
「 ね? たとえばこのウチで楽しいことがあれば そちらがしっかり記憶に残りますでしょ。
あの・・・無理に小さな子の記憶を弄ったりしたくないんです・・・ 」
「 ・・・ でも どうやって? あの子はかなりはっきり覚えているんだ。 大きな船 とか 爆音とか・・・ 」
「 だからね。 たとえば・・・ ここに<お泊り>して、楽しく過せばその思い出の方が強く残ると思うの。 」
「 あ・・・そうか。 以前のことは本人も あれは夢・・・・って思うかもな。 」
「 でしょ? 博士・・・ どうですかしら。 次のお子さんが生まれるときに恵美ちゃんをお預かりしては。 」
「 そうじゃのう・・・ 自然な方法で・・・・いいかもしれんな。 子供の心も傷つかんじゃろ。 」
「 わあ、よかった♪ いつまでも恐ろしかったコトなんて覚えていて欲しくないわ。
ねえ、ジョーも手伝ってね? <お兄ちゃんは?>ってなかなかお気に入りのようよ? 」
「 え・・・あは。 ぼくってさ、子供と動物には人気、あるんだ・・・ うん、任せとけ。 」
「 よしよし・・・ワシからもそれとなく里中氏に話を持ちかけてみよう。
う・・・ん ・・・ 今日は疲れたのう・・・ そろそろ休むとするか・・・ 」
博士はう〜〜ん・・・と伸びをし ついでにぼわぼわと大欠伸をしている。
「 はい、お休みなさいませ。 あ、 お茶・・・お部屋の方におもちしますね。 」
「 ああ、よいよ。 自分で淹れるよ。 それよりお前も早くお休み。 風邪をひかんようにな・・・ 」
「 はい・・・ 」
ジョーはフランソワーズに手を貸して 処置台から抱き下ろした。
「 お休みなさい、 博士 ・・・ 」
「 ああ、 お休み。 あ・・・っと。 ジョーよ 今晩は大人しくしていろよ?
ウチのお嬢さんに 手出し無用、じゃ。 」
「 ・・・ え ・・・ あ。 そ、そんな。 ぼく達は別にそんな・・・ 」
今更な彼の口癖に博士はとうとう ぷ・・・っと吹き出してしまった。
そして 肝心のお相手は すとん、と彼の腕から床に降りた。
「 ジョー。 お や す み な さ い ! 」
フランソワーズはジロリ、と一人で赤面しているジョーを睨むとさっさと、出ていってしまった。
「 あ・・・ ああ ・・・ オヤスミ ・・・ ちぇ! 」
残暑の日もやっと西に傾き始め、 空は、 いや大気全体が茜色に染まってきた。
・・・ ああ 今日も暑かったなぁ・・・
あ、あのコ ・・・ もう来ているかな。
ジョーは 右手の海をちらり、と見てからハンドルを切り、急な坂道へ発進した。
アクセルを踏み込んで一気に上り詰めれば ―
「 ・・・ お兄ちゃ〜〜ん!! おかえりなさ〜〜い〜〜 」
門柱の上に 花模様のワンピースの少女がちょこん、と座り手をわさわさと振っていた。
「 あはは・・・お待ちかね、か。 お〜〜い・・・恵美ちゃ〜ん! 」
パパパ −−− っとジョーも派手にクラクションを鳴らし応えた。
「 お帰りなさい! シマムラのお兄ちゃん。 」
「 恵美ちゃん、いらっしゃい。 あ ただいま〜 」
門の前でジョーが車を止めると 少女は飛びついきた。
「 お兄ちゃん、 こんにちわ〜 お帰りなさい! 」
「 やあ・・・ あ、フラン・・・いや、お姉ちゃんは? 」
「 ごはんのしたく、しているよ。 今晩はゴチソウなんだって♪ 」
「 そうか〜 楽しみだなあ。 じゃあ一緒に手を洗おう。
キッチンに行って こっそり・・・ツマミ喰いしちゃおうか。 」
「 うわ〜〜♪ あ、でもさ、お兄ちゃん。 ただいま、ぶちゅ〜〜ってやるんでしょ。 」
「 ・・・え。 ぶ ・・ぶちゅ・・・? 」
「 うん。 お兄ちゃんとお姉ちゃんはァ 貝でこいびとで世界にたった一個、なんだもんね〜
・・・わあ〜 いい匂いがするね! お姉ちゃ〜ん! シマムラのお兄ちゃんが帰ってきたよぉ〜 」
恵美はジョーと一緒に玄関に入るとぱたぱたキッチンへ駆けていった。
「 ・・・ かい?? かい ってなんだ?? オンナノコってやっぱマセてるなあ・・・
お姉ちゃんと ぶちゅ〜・・・か♪ ふふふ・・・ ただいまあ フラン?? 」
ジョーは満更でもない顔で、 いや大いにヒモが解けた顔で 恵美の後を追った。
「 うわ!ひろ〜い・・! お姉ちゃんちのお風呂場、すごく広いね! 」
「 あ・・・走らないで。 滑るわよ〜〜 気をつけてね。 」
「 うん! わあ・・・お風呂もおっきいなあ〜 」
恵美はギルモア邸のバス・ルームで大はしゃぎだ。
博士もまじえた賑やかな夕食がおわり、フランソワーズは恵美とお風呂に入った。
ギルモア邸のバス・ルームは 普通の日本風なお風呂である。
初めはジョーのたっての希望だったのだが、今では博士も含め全員が日本式風呂の大ファンだ。
だから 作りつけの浴槽はかなり広い。
「 そうねえ・・・ウチは博士・・・いえ、おじいちゃまもお兄ちゃんも大きいでしょ。
だからお風呂場も広いのよ。 ウチの人達はみんなお風呂、大好きだし。 恵美ちゃんも好き?
ほ〜ら お湯、かけるわよ。 」
「 うん、恵美もお風呂大好き。 お家でもね〜 パパやママと入るよ。 」
「 そうなの・・・ ああ、もうすぐ和クンと入れるかな? 」
恵美には つい先日無事に弟が誕生していた。
「 和クン、ちっちゃいんだ〜 ねえねえ お姉ちゃんの赤ちゃんはァ いつ生まれるの? 」
「 え・・・ お姉ちゃんの あ・・・あかちゃん・。?? 」
「 うん。 ママのお腹、こ〜んなに大きかったんだ、和クンが生まれる前・・・ 」
自分のお腹の前で大きく弧を描きつつ・・・恵美はちらり、とフランソワーズの細い身体に目をやった。
二人は背中を流しあい泡だらけになっている。
「 え・・・ あ・・・あの・・・・ 」
「 ねえ いつ? 来年くらい? 」
「 あ・・・ あの。 赤ちゃんはね・・・ お嫁さんに行って、それから<来る> のよ。
お姉ちゃんは・・・まだ誰のお嫁さんでもないの。 」
「 ふうん・・・・? うわ〜〜 お風呂 ひろ〜い〜〜〜 」
わかったのかどうだか・・・恵美はもう他のことに夢中である。
・・・ お嫁さんに行って ・・・ 赤ちゃん、か。
この子も きっと。 あっという間に大きくなって・・・お嫁さんになってお母さんになって・・・
そうよね そうやって皆 ・・・ 行ってしまうのね・・・・
フランソワーズの瞳に淡い陰が落ちる。
自分達が永遠に外れてしまった 時の道 ― そこをごく当たり前に進んでゆくこの少女が
とても とても 羨ましかった。
「 ・・・ さあ! 恵美ちゃん、ようく温まったら ・・・ 上がりましょ。 」
チビっこと一緒にお風呂に フランソワーズは少々のぼせてしまったようだ。
パチパチ ・・・ パチ ・・・
ぽい、と手にしていた小枝を放り込むと、暖炉の火はぱあ〜〜っと燃え上がった。
火と同時に 木の燃えるよい香りが立ち込める・・・・
・・・ ああ。 火は いいなあ・・・
ジョーはぼんやりと暖炉の前に座りこんでいた。
「 ・・・ ジョー? ブランディでもいかが。 」
「 フラン? ・・・ あれ、 恵美ちゃんは。 あ・・・ありがとう・・・ 」
フランソワーズは琥珀色の液体を湛えたグラスを渡した。
掌で包めば とろり・・・と芳醇なかおりが立ち昇る。
「 ええ、もうぐっすり。 やっぱりヨソの家にきて緊張していたのでしょうね。
あっという間に沈没しちゃったわ。 」
「 そっか・・・ 子供ってさ・・・ いいねえ。 賑やかで・・・ 」
「 あら・・・ ジョー? ちいさな子、すき? 」
「 うん・・・ ってか、施設にいるころはいろんな年代の子達が一緒だったし。
ぼくってなんでかなあ・・・子供と動物には人気があるのさ。 」
「 ジョーは ・・・ 賑やかな家が すき? 」
「 うん。 」
パチパチ ・・・ パチパチ ・・・
途切れてしまった言葉のかわりに 暖炉で薪がお喋りをしている。
同じ想いを抱きつつ 口にはしない二人の顔を 炎が赤々と照らしだす。
家族が ・・・ 欲しい・・・
・・・ ジョーの 子供が欲しいの・・・
チリン ・・・
ジョーのグラスが暖炉の敷石の上に置かれた。
・・・ カチン ・・・
フランソワーズはグラスを隣に寄せた。
「 ・・・・・ 」
どちらからともなく指をたぐり 腕を絡め・・・二人は毛皮の敷物に縺れあい倒れこんだ・・・
「 ・・・ お姉ちゃん・・・ 」
「 !? 恵美ちゃん?? 」
突然 リビングの戸口に小さな姿が現れた。
「 ・・・どうした? 恵美ちゃん。 」
ジョーはぱっと起き上がり 咄嗟に恋人の裸体を少女の目から隠した。
「 ・・・ 恵美、お家に・・・か・・・帰りたい・・・ ママ・・・ 」
可愛いパジャマ姿のチビっこは 昼間の元気はどこへやら シクシクと泣き出していた。
「 あらあら・・・ 恵美ちゃん、こっちへいらっしゃい? 」
ガウンを羽織り襟元をかきあわせつつ、フランソワーズは少女を手招きした。
「 ・・・ ママ ・・・ ママが いない・・・ クッシュン・・・! 」
「 さ・・・おいで。 寒かっただろ? さあ・・・こうやって一緒に・・・ね? 」
ジョーは少女を抱き上げると真ん中にはさんで 暖炉に前に寄り添った。
「 ほうら・・・温かいね〜。 今夜はさ、ぼくとお姉ちゃんがパパとママの替わりさ。 」
「 ごめんね、一人にして・・・ こうやって一緒にいれば淋しくないでしょ。 」
「 ・・・ うん ・・・ 」
少女は涙の痕を頬に残したまま・・・ 頑是無くすぐに寝入ってしまった。
パチパチ ・・・ パチ ・・・・
暖炉の炎だけが小さな声をあげつつ 三人を見守っていた。
「 ・・・ おや。 まだ誰かリビングにおるのか・・? 」
博士は深夜、戸口の前で足を止めた。
トイレ帰りに廊下に漏れる細い光が 目に入ったのだ。
「 ・・・ ジョーかい? 」
そっとドアを押し開ければ。 暖炉の熾き火に照らされてリビングの中はほんのりと明るい。
そして その淡い灯りの前で。
三人が少女を真ン中に寄り添って寝入っていた。
フランソワーズは少女を抱き ジョーはそんな二人に腕を回している。
「 ・・・ おお 寒くは・・・ないなあ。
うん・・・ お前達? はやくこんなホーム・ドラマを我が家でもみさせておくれ・・・ 」
博士は呟くとそっと・・・ドアをしめた。
カチリ ・・・ と薄紅色の貝が 手の中で鳴った。
「 そう・・・ あの朝。 目が覚めたら両側に茶色の髪のお兄ちゃんととびっきり綺麗なお姉ちゃんがいた・・
それで 私。 チビだったけどはっきりわかったのね・・・ 」
「 ・・・ お兄ちゃんとお姉ちゃんはひとつの貝なんだ・・・って。 」
古ぼけたドレッサーの前で 恵美は白髪の目だってきた自分自身の姿に目をやった。
― いったい あれは何年、いや何十年前のことだったのだろうか。
あれから ・・・
父は現役に復帰し、弟も生まれ ― いつしかあの岬の家の人々とは疎遠になっていった。
そしてこの貝殻の存在すらすっかり忘れ果てていた。
二枚の桜貝は いまでも微かな音をたて、しっかりと一つに組み合うのだ。
・・・ この貝、 とっておいてよかった・・・
古いものなんて邪魔なだけ、新しい生活には不似合いだと思いこんできたけれど。
かさかさになった貝殻は たちまち思い出を活き活きと甦らせてくれた・・・
恵美の耳に ふ・・・っと波の音が響いてきた。
私も 私の娘も。 貝の片割れ にめぐり逢うことができた・・・
・・・ねえ お姉ちゃん? 世界中にたったひとつ の相手 でしょう?
お姉ちゃんは あの茶色の髪のお兄ちゃんと、だものね。
この貝は 恵美のタラカモノよ・・・・
がちゃり ・・・ 足元の箱の中で娘の タカラモノ が音をたてる。
「 ・・・ メグミ? メグミちゃん。 ちょっと。 ねえ、これ・・・ 」
母は大声で 娘を呼びつけた。
「 やっぱり。 持ってゆきなさい。 ・・・メグミのタカラモノ でしょ。 」
・・・ そうよね。 ぴったり合う相手は
世界にたった一つ ただ 一人 だけ。
自分の <片割れ> と もっと一緒に過そうかな・・・恵美はシワの増えてきた頬をほんのり染めていた。
******************************* Fin. ************************************
Last updated:
12,08,2009. index
************** ひと言 **************
え〜〜っと。 あのお話の後日談??というか・・・ こんなコトもあったかも??ストーリーです。
本編は ど〜も ??? なので、わたくし流に 脇役さん にスポットを当ててみました。
<恵美ちゃん> はお嫁に行ってますから 里中恵美 さんではないと思いますが・・・まあそこはそれ。
こんな風にふ・・・っと <彼ら> と接点のあった人々を書いてみたいなあ、と思ったのでした。
例によって ぜ〜〜んぜん 009 じゃありませんし事件も起きません・・・
こんなゼロナイ・インサイド・ストーリーも ありかなあ〜って思ってくださいませ。
あ、フランちゃんはね〜 いくらサイボーグでも岩場ですっ転んだら引っ掻きキズだらけ・・だと
思いません? 防護服 じゃないしね(^_^;)
ご感想の一言でも頂戴できましたら幸いでございます <(_
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