『 早春賦 』

 

 

  この季節に懐かしい路をたどれば、あの角を曲がる前にきっと・・・

思った通りに、ふうわりと漂ってきたその香りにジョ−は歩みを止めた。

目を閉じ 深くゆっくりと味わうように少しずつ息を吸う。

 

( ああ・・・ やっぱり・・・・ )

 

ときを惜しむかの様にゆったりと歩を進めれば 行き着くそこは一面の梅林。

春まだ浅いこの日なのだが、そこでは香りを伴った紅白の饗宴が艶やかに

繰り広げられていた。

 

             ***************

 

「 木・・? 」

「 そうよ、木。 木っていうか樹木、かしら。 」

「 ここの庭に随分いろんな樹を植えてきたけど。 何がご所望ですか、姫君?

「 あの、ね。 ウメの樹が欲しいの。 」

「 ウメ・・・?ああ、あの紅いのや白いのがあるヤツだよね・・。へえ〜きみ、よく知ってるね?

 でもさ、バ−スディ・プレゼントに梅の樹かあ、きみらしいってばそうだけど。」

「 うふふ・・・ わたしらしい、でしょう? 」

 

松飾りもとれ、通常の日々が始まると毎年ジョ−にとっては<悩める季節>が到来する。

―1月24日。 いわずと知れたフランソワ−ズのバ−スディである。

初めてその日を知ってから毎年毎年、彼は飽きもせず悩みぬいてきた。

 

( なにが欲しいのかなあ・・・ )

 

高価なものが彼女の意に添わないのは わかりきっている。

アクセサリ−、絵画集、クラシック音楽のCD、香水、スカ−フ、花束・・・・

 

ある年に、考えあぐねた末 ジョ−はとうとう勇を鼓して直接彼女にたずねた。

その返事が <ウメの樹> だったのだ。

 

この地にギルモア博士が邸を構えた時から フランソワ−ズは庭いじりに熱中していた。

秋には翌春のために球根を植え、春には蔓ものの種を蒔き、盛夏には水遣りをかかさず。

ジョ−も出来るだけ手を貸したが、彼女はひとりでも嬉々として庭ですごした。

特に硝煙漂う地から戻った後は 尚一層熱心に庭での作業に没頭していた。

 

― こころならずも 失われた多くの生命へのレクイエム、そして ほんのわずかでも

 新しい生命を育んでゆきたい・・・―

 

黙々と大地と向き合っている彼女の後ろ姿からそんな想いが滲み出ているのだろう、

仲間たちは事ある毎に 草木をこの庭へ持ち寄るようになった。

 

「 故郷(くに)の花だから丈夫だ。 海沿いのこの地にも根付くだろう。 」

「 気候は違うけれど、アフリカの植物も仲間入りさせてやっておくれよ。 」

「 まあ、嬉しいわ。世界中からいろいろな仲間が集まってきたわね。 」

「 いいよね、僕たちの家らしくて。あれ・・アルベルト、この種の蒔き時はいつかな? 」

「 ああ? それはな・・・」

 

また何時この地を離れるかもしれない。 必ずもどってこられる保証などどこにもないのだ。

いま 土に植えたものの花が見られるかどうかもわからない。

そんな あやうい見せ掛けにも似た、でも貴重な<普通の日々>

それだけに余計フランソワ−ズは次の季節、次の生命の息吹の準備をせずにはいられなかった。

 

彼女の誕生日の午後、ジョ−は二本の梅の若木を運び込んだ。

まだ 頼りない、ちらほらと花をつけているだけのほっそりとした樹。

 

「 ほんとうにきみは庭いじりが好きなんだね。っていうか植物が好きなのかな 」

ジョ−は若木のためにスコップを振るい、傍らの彼女にたずねた。

「 ええ、そうね。 お花や樹は大好きよ、きれいに咲いているのは勿論だけど

 種をまいて芽が出て・・・いつ蕾がでるのかなあ、なんて待つのも楽しいもの。 」

「 ふうん・・・ほら、この位でいいかな? その樹を持って来て・・・ああ、大丈夫? 」

「 よいしょっ・・ はい、まず紅いほう、ね。 」

「 オッケ。 だけどさ、なんで梅の樹なの? 桜とか、金木犀とか 好きだろう? 」

「 ええ、桜も金木犀も大好きよ。 でもね、ほらコレを見て? 」

 

傍らに置いたジャケットの中から 彼女は薄い本を取り上げた。

表紙にはジョ−でも知っている著名な古い歌集の名が読み取れた。

「 桜は勿論好き。 でも。梅は凛とした風情と香りにとても惹かれるの。

 そう言ったらね、アルベルトが教えてくれたんだけど。この和歌(うた)」

はさんだ栞でフランソワ−ズは その箇所を指し示した。

 

      東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花

                あるじなしとて 春な忘れそ

 

「 いつか、いつかね。わたし達が帰ってこなくても。

 こうやって樹や花を植えておけば 種を蒔いて置けば

 季節が廻るたびに ここはいい匂いでいっぱいになるでしょう?

 花々で溢れ 若葉がもえたち・・・草や樹たちは 春を忘れないわ。

 わたし達がここを去っても

 この樹の花の 生命は受け継がれていってほしいから・・ 」

植えられたばかりの若木を見遣り 彼女はすいっとはるかに視線をとばした。

 

「 だから、梅の樹が欲しかったの・・・? 」

「 ふふ・・・ 早春の彩りがほしいなあって思ったの、初めはね。 」

真面目な顔で問うてきたジョ−にフランソワ−ズは小さく笑いかえした。

「 そうなんだ・・・。 あ、じゃあ、アルベルトから聞いた? 飛梅のハナシ。 」

「 とびうめ? いいえ? 」

  僕もあんまり確かじゃないけど。作者は故郷を去り際にこの歌を詠んだんだ。

 長年愛でていた梅の樹へのお別れにね。 それで、その梅は後に彼が遠くで亡くなった時

 一夜のうちにあとを追って彼の地に根着いたそうだよ。その樹はまだあるんだって。

  まあ・・・それで飛梅・・。梅の精はきっと彼に恋してたのね

  梅の精、か。きみらしいね。 なら、この樹の精もきっときみの後を追って行くよ

 きみが行くいろんな所で梅が咲くかもしれないね?

  あら・・・素適じゃない?きっと世界中がいい匂いに包まれるわね・・・

 

フランソワ−ズは ほっと吐息をもらし寄り添う様に根を下ろした二本の若木を見つめた。

亜麻色の髪に縁取られた白い頬にあわい微笑みが浮かぶ。

やさしげで、たおやかで。 それでいて、何にも負けない凛とした強さを彼女は内に秘めている。

そんな彼女こそが梅の精なのかもしれない、とジョ−は思った。

 

日がほとんど落ちかけて すでに花は見分けがつかなくなってきた。

  さあ、そろそろ引き上げようよ。皆、待ってるかもしれないし。」

  そうね、張大人のご馳走も出来るころかしら

道具を片付けはじめたフランソワ−ズが ふと顔を上げた。

「 あ・・・<お花見>だわ・・・」

「 え? 」

「 ほら・・・花は見えなくても。 ね? 」

訝しげなジョ−に彼女は目を閉じ大きく息を吸ってみせた。

     ― ふんわりと漂う香り・・・

「 ああ・・・・そうだね・・・お花見、だ・・・ 」

 

夕闇濃い黄昏のなかで、ジョ−はごく自然に彼女の身体を引き寄せた。

金の髪から、しなやかな身体から、甘いかおりがにおい発つ。

 

「 ハッピ−・バ−スディ、 フランソワ−ズ・・・ 」

 

ほの白い頬に手を添え彼がもとめた唇は少しひんやりとしていた。

「 まだまだ夜は冷えるね。今夜は・・・ゆっくり温まろう、ね。」

  ・・・ジョ−ったら・・・」

 

植えたばかりの若木のような細長い影がふたつ、寄り添って歩んで行った。

 

 

           ***********************

 

 

かろうじて残っている門の形骸をくぐりぬけ、ジョ−は懐かしいその地へ踏み入った。

広がる梅林に目をやりながらも、彼は足元を探さずにはいられない。

もはや なにも見つけることなど出来はしないのはわかり切っているのだが。

礎石もすでに失われて久しいその地を  ジョ−は思い出を拾うようにゆったりと廻る。

 

この辺でガ−デン・パ−ティ−をした・・ 花火に興じた・・

自分の部屋の窓はこっちに向いていたっけ・・フランの温室は、ああ、あの辺りだったか・・ 

 

他人から見ればただの廃園にすぎないその地に ジョ−は静かにたたずんでいた。

 

 イワンは昔風にいえばもうとっくに小学生だよ、実際はシンクタンクで指導してるけどね。

 もう どれだけ年月が流れたんだろう・・・

 みんな・・・そっちでどうしてる? ・・・きみは そこでも庭いじりをしているのかい。

 ・・・会いたいな・・・僕の順番はまだなのかな・・・

 一番最後にきみ達に加わった僕は そっちにゆくのは今度もラストになるらしいよ・・

 

日が傾くにつれあたりの匂いはいっそう濃く感じられる。

 

 やっぱりこの日はここで迎えたくてさ。

 ああ・・・いい匂いだ・・・

 覚えてるよ、あの日のきみの甘い香りも やわらかな唇も あたたかい身体も・・

 そうだね、きみの腕より細かった若木を植えて 飛梅 のハナシをしたっけ・・・・

 あの二本は・・・もうどれだか解らなくなってしまったけれど。

 きっと。君の傍に飛んで行っていまは満開だろう。 

 そして そこもいい香りで満ちているんだろうね・・・

 

ジョ−は優しい早春の宵空を見上げた。

ほそいほそい三日月が かの人の様な優しい光をたたえている。

やがて 星々が煌きはじめるだろう。

 

 いつか わたし達がここを去っても

 この樹の花の 生命は受け継がれていってほしいから・・

 

彼女の口癖が甦る

最後の自分が その尋常でなく永い命を終えたあとも

樹は、花は、大自然は その生命を受け継ぎ

はるか悠久の時を生きてゆくのだ

 

くりかえし くりかえし くりかえし

この地で早春(はる)のおとずれを告げ  蕾をほころばせ その香りをふりまき

 

あの日のようにあたりは夕闇につつまれ もう樹々の華やかな姿は見分けがつかない。

あまい、しかしどこか凛とした香りがあたり一面にみちている。

ジョ−は もういちど胸いっぱいに息をすった。

今もなお愛してやまないひとの 面影が鮮やかに甦る。

 

 ねえ、フランソワ−ズ。

 きみの梅たちは ちゃんと覚えている、忘れてはいないよ

 毎年 この日はみんながそろって祝うんだ

 

 

  お誕生日 おめでとう フランソワ−ズ・・!

 

 

      あるじなしとて 春な忘れそ

 

 

   *** FIN. ***

 

 後書き by ばちるど

 

 東京地方は年が明けると 梅がちらほら匂いはじめます。

 そして 九州・福岡にある大宰府天満宮の <飛び梅>。

 みごとな白梅で花の散る様はまさに吹雪のようだそうです。

 ( 一度、行ってみたいのですが・・・)

 

 Last update : 1,18,2003

 

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