『 花の下にて 春・・・ − ジゼル − 』
僕はいまでも 憶えているよ。
きのうの夜の幻のように 今日の暁の夢のように
月あかりに煌いていた きみの髪の ひとすじ、ひとすじを。
舞い散る花よりも白かった きみの頬に浮かんだほほえみを。
僕はいまでも はっきりと憶えているよ。
あれは。 そう、ちょうどこんな季節 桜の花も盛りが過ぎんとする頃。
定期公演が迫っていてきみはリハ−サルで毎日帰りが遅かった。
「 ・・・忙しくて今年は お花見もできなかったわ・・・ 」
あの朝、慌しい朝食の席で ぽつりと呟きふっと視線を飛ばしたきみの横顔が なんだか
とても 淋しそうで。 自然に言葉が出ちゃったんだ。
ふふふ・・・普段の僕ならとうていそんなに すぐには言い出せないのにね?
「 今夜か明日には散り始めるから。 せめて夜桜でも見に行こうよ。 」
「 え、ほんとう? うれしい! わたし、夜桜、なんてはじめてよ! 」
ぱあっと、それこそ満開の花みたいに頬を染めたきみは本当に綺麗だったよ。
昼間でも人少なのこの研究近隣。
ようやく帰って来たきみと落ち合った深夜に近いあの時刻、通りかかる人など居はしない。
少し山の方へ入った散歩コ−ス、ぼんやりと光をなげる街灯のもと、そこに白い華麗な闇が
広がっていた。
「「 ・・・・・・ 」」
僕らは二人とも なんにも言葉がでなかった。
ただ ただ ふたりして 吐く息 吸う息すら そうっと そうっと
なにか言ったら そこの全てが壊れそうで 全てが闇に溶け入ってしまいそうで
ふわり・・・
きみは憑かれた様にひときわ大きな樹のもとへ歩み寄った
優雅なルヴェランスは 天への 地への 花々への こころからの挨拶
ゆったりと両の腕(かいな)を天に差し伸べ 降り注ぐ花びらをまとったきみは 天女のよう
沈黙の闇夜の中を 金髪の天女は衣装もポアントもなしで やすやすと舞い漂ってゆく。
「 天女、というより・・・妖精、そう、この満開の夜桜に棲む妖精なんだ・・・・」
息を呑んで、身じろぎもせず 瞬きも忘れ。 僕はひたすら見詰め続けた。
「 眼を離したら 翔んでいってしまう・・・・今、傍にいてくれるだけでも幸せだって 思わなくちゃ
いけないのかもしれないなあ・・・・」
あの時の踊りがなんだったのか、もちろん僕にはわからなかったけど
それまでに観た、どの舞台よりもすばらしい、と僕は思った。
あら、即興よ、気のむくままに動いてみただけ。 あとで聞いたら そんな風にさらりと言って
きみは またほんのり頬を染めてたっけ。
やがて。 金髪の天女は夜明けの鐘に促され 静かに静かに闇の世界へともどってゆく。
「 いつか。 そう わたしがさきに逝っても。 どうぞ 哀しまないで。
わたしは この白い闇に棲んでも たましいはいつまでも あなたの傍にいます・・・ 」
そんな きみの声がこころに響いてくる気がして。
僕は思わず、 舞っているきみの細い手首を掴み ちょっと強引にひきよせたよね。
「 ・・・いくなよっ・・・! 」
「 ・・・えっ・・・?! なあに? どうしたの、 ジョ− ? 」
「 あ・・・ ご、ごめん・・・ なんか きみが本当に消えていってしまう気がして・・・・」
少し息をはずませ 目を見張っているきみを 僕はもう一度しっかりと抱き寄せた。
金髪の冷たい甘さ・・・細くしなやかな身体・・・海よりも空よりも冴え冴えとした蒼い瞳・・・・
そんな きみを僕は僕自身に覚え込ませようとしてたのかもしれない。
「 ジョ−・・・・ ね、 いつか、いつの日か。 わたしが先にいっても。 春にはこの花の下に来て。
わたしは きっと この白い闇に棲んでいて あなたに逢いにくるわ・・・ 」
僕の腕のなかで洩れてきた きみのひっそりとした呟きは決して僕の空耳じゃないよ。
あれが 最後の春だったね、 みんなが 人々が心から桜の花を愛でる事ができたのは。
あの年のはじめから燻り出していた戦火は 花の終わりを待っていたかのように世界中に燃え広がった。
− そして。 僕たちは 再びあの赤い服をまとうことになった。
所詮 仮の住まいとはわかってはいたけれど、やはりあの邸(いえ)には思い出が多すぎて。
前日は誰もが黙々と片付けていたね、自分の部屋を、そして 想いを。
それでも ようやくみんなが寝静まったころ。
きみは居間の暖炉で、 あの最後の舞台で履いていたポアントを燃やしてた。
陶器のような白い頬にちらちら炎の影が映っていて じっと瞳を凝らしているその姿が
息を呑むほど 美しかったよ。
きみは ひと雫のなみだもこぼしてはいなかった・・・
次の朝、 僕らは邸を塵灰に帰し ひそやかにあの地を後にした。
− それから。 また 日々のありきたりの暮らしに追われ、それを楽しめる様になるまで
いったいどれだけの歳月がかかったんだろう。
それでも、冬が過ぎれば春がめぐって来るように、 僕はふたたびこの地に戻った。
今年の桜はひときわ見事だって みんながいっているね。
地には 緑が 人々の顔には 微笑が 街中には 明るい喧噪が 満ちて・・・
たくさんの生命が 天に 地に めぐってきた春を謳歌している。
ただ。 − きみは もう いない −
僕の傍らに 金髪の妖精は もういない。
僕の傍らに あの微笑は あの温もりは もうない。
<夏の花が好きな人は 夏に死ぬって本当かしら>
そんな 一節が載った小説がお気に入りだったきみ。 なんどか 僕も聞かされたっけ。
春をこよなく愛した 僕の春の妖精は いま 永遠の春に棲んでいる。
− ああ 本当に今年の花は見事だね・・・・
約束どおり 僕はきたよ、 花も盛りを過ぎんとする 今日、この夜に。
あの時の古木は とうに朽ちてしまったけれど
あの夜、 きみに降りそそいだ花々が 今も変わらず舞い踊っているよ。
さやさやと夜風に揺られて なおいっそう華やかに花々が舞い散るよ
ああ きっと。 これは きみの舞へのプレリュ−ド きみの舞へのカ−テンコ−ル
白い華麗な天使たちは 永遠の散華となってとこしえの春に棲むきみを 讃えているよ
きみの最後の舞台だった『 ジゼル 』、 ごめんね、もうその面影もきれぎれなんだけど、
僕はあの王子サマが羨ましい。
亡霊でも 精霊でも 薄やみにただよう幻だっていいんだ。
− もういちど きみに あいたい
そうして
きみのあの細いたおやかな身体を抱きしめたい。
一晩中、想い出に憂かされ 憑かれたように きみを愛したい。
きみの白い手を取って 許しを乞いたい。
きみは 許してくれる・・・・? きみを 護れなかった この僕、を・・・
誰よりも 何よりも
僕の命よりも あらゆるすべてのものよりも 大切なきみ。
その きみを 護れなかった 僕を 許してくれる・・・?
その きみを 失っても まだ生きている この僕を 許してくれる・・・?
あの精霊の乙女のように 僕を 許し そうして・・ 僕を 愛して くれる・・・?
あの時のように きみの細い手首を握り締め 引き戻せるのなら
あの夜のように きみの柔らかい身体を抱きしめ きみを温められるなら
僕は。
僕の 僕だけの フランソワ−ズ・・・・・!!
− ジョ−
どうぞ もう 哀しまないで どうぞ もう 自分を責めないで
わたし ここに いるわ うつしみは 失っても ここに あなたの傍にいるわ
そして とこしえに あなたを 護り 愛して いるわ
どうか 思い通りに 生きて どうか つよく 生きて
− ジョ− わたしの 愛する ただ ひとりの ひと
いく千もの いく万もの 華麗な花々は夜の白むまで 静かに優しく僕に降り注ぎ続けた。
**** FIN. ****
後書き by ばちるど
今更ご説明の必要もない、あの『ジゼル』第ニ幕のパ・ド・ドゥをイメ−ジして下さいませ。
『ジゼル』というとこのパ・ド・ドゥだけを連想される方が多いと思いますが、あの作品は第一幕の
明るさが尚一層、ニ幕を惹きたてています。特に一幕のジゼルのヴァリエ−ション、あの明るい可憐な
舞があるからこそウィリ−の世界の<静>が際立つのでしょう。
Last
update : 4,6,2003 あひる・こらむ